安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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ローカル鉄道に国・自治体・住民はどう向き合うべきか(月刊『住民と自治』 2022年8月号掲載)
核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

●安全問題研究会が、JRグループ再国有化をめざし日本鉄道公団法案を決定!

●安全問題研究会政策ビラ・パンフレット
こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

退院から1年を迎えて~管理人の近況

2017-09-01 09:29:42 | 日記
胃がんによる手術と17日間の入院生活を終え、昨年9月1日に退院してから1年を迎えた。

「1年を過ぎると概ね、何でも食べられるようになる」というのがこの病気を経験した先輩諸氏の言葉だった。私が全摘出手術を受ける決意ができたのも、その後1年間を苦しみながらなんとか耐え抜くことができたのも、この言葉が大きな励ましになったからである。

すでに8月の通院時、主治医から「抗がん剤(飲み薬)の服用をやめて経過を見ましょう」と言われ、薬の服用を終えて3週間が過ぎた。以前は薬の副作用で、定期的に全身の倦怠感を覚えたり、腸の働きが鈍って消化が悪くなり、苦しい思いをしたりすることもあったが、薬の服用がなくなってからはそうした副作用もなくなった。

そうした中、先輩諸氏から「節目」と告げられた1年を迎えたわけだが、経過はきわめて順調といえる。退院直後は何を食べても胸がつかえ、時には粘り気のある半透明の液体(医師に尋ねると「腸液でしょう」と言われた)を吐き出す症状も5~6回ほど経験したが、それも今年3月を最後になくなった。5月には、職場のバーベキュー大会に呼ばれ、大量に焼肉を食べる機会もあったが異状は出なかった。今なお食べることができないでいるのは、ハンバーグやラーメンなど極端に脂っこい一部のメニューを残すのみになった。

私を励ましてくれた先輩諸氏は、いずれも50歳代半ばになってからの胃がん発症で、全摘出手術を受けた後数年経過した今もなお、消化の悪いものや脂っこい物を食べると胸がつかえるなどの症状を覚えることがあるという。今年4月、その先輩と大阪で会食する機会があったが、「手術後半年経たない昨年末に思い切ってピザを食べてみたが、異状が出なかった」と報告すると、「私なんてピザを食べると今でも胸がつかえることがあるのに、あなた、手術後3ヶ月も経たないうちにピザ食べるなんて、信じられない!」と言われた。どうやら私は先輩諸氏から見ても回復が順調すぎる例外のようだ。私の術後経過が順調なのは、先輩諸氏と比べて年齢が若かったこと(現在、40歳代後半)、持病がないことが理由だろうというのが周囲の一致した見方である。

職場でも、すでに就業制限は一切なく、残業や休日出勤なども必要に応じてしており、周囲は、私が病み上がりなのを忘れているように見える。少しはいたわってくれよと思う反面、あまり病人として特別扱いされるのも気分の良いものではなく複雑な気持ちだ。私自身は、入院~手術とその後の自宅療養で昨年、1ヶ月半仕事を休んで迷惑をかけたこともあり、できる限り他の人と同じように働きたいと思っている。

手術前のような大食いやドカ食いは不可能で、ゆっくり時間をかけて良く噛んで食べなければならないことを除けば、次第に食生活も落ち着いてきた。手術前と同じように、再び食べることが楽しいと思えるようになり、何よりだと思っている。

ひとつだけ手術前と大きく違っているのは、酒を1滴も口にしていないことだ。若い頃の私は、お酒が飲めなくなるなら生きている意味がないとさえ思っていた。週末になると行きつけのお店で浴びるほど飲んだ後、駅のベンチで朝まで寝ていたり、電車を乗り過ごして隣の県まで行ってしまうなどの恥ずかしい失敗もした。退院後も、いつ飲酒を解禁しようかと、そればかり考えていた時期もあった。だが、退院後半年経った今年3月頃を境に、飲みたいという欲求が急速に薄れていくのがわかった。飲み会には誘われれば参加するものの、今では周りで他人がおいしそうに飲んでいるのを見ても、飲みたいという欲求はまったく湧いてこなくなった。

飲まなくなったことで、飲み会の際、運転手を頼まれることが多くなった。運転手を引き受けた人は、幹事の計らいで会費の負担を若干、少なくしてもらえることも多い。若い頃のような飲酒による失敗をする心配もなく、会費負担も少なくしてもらえるのだからこんなにありがたい話もない。

そういうわけで、当ブログ管理人は、これを機会に断酒を宣言する。今後、よほど大きな心境の変化がない限り、私が飲むことはないと思う。たばこは初めからやらず、競馬などのギャンブルからも、自分にはその才能がないと悟り、就職して間もない頃(かれこれ20年前くらい)に早々と手を引いた。この上、飲酒も絶つことになると、いわゆる娯楽や嗜好品の類はほとんど私からなくなってしまう。「何をさておき、まずはビール」だった10年前の私が今の私をもし見たら、こんなの自分じゃないと驚くかもしれない。病気によって、これほどまでに大きな価値観の変化が個人にもたらされるのだと改めて思い知らされたが、その代わり私には、JR路線存続や脱原発のための活動など、他人にはない大きな役割がある。今後はそうした周囲の期待に応えることを、飲酒に代わる生き甲斐にしていきたいと思っている。

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