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【金曜恒例】反原発北海道庁前行動(通算336回目)でのスピーチ/チェルノブイリデー33年札幌集会に参加して

2019-04-28 20:16:35 | 原発問題/一般
 皆さんお疲れさまです。

 旧ソ連・ウクライナ共和国でチェルノブイリ原発事故が起きたのは、1986年4月26日でした。今日はそれからちょうど33年に当たります。当時私は高校生でしたが、日本のテレビでも流されていた旧ソ連国営テレビのニュースが「チェルノブイリ原発で原子炉が損傷し、放射能漏れが起きました」と伝えていたことを今でもはっきり覚えています。当時のソ連のメディアもメルトダウン、炉心溶融という言葉は使いませんでした。福島事故が起きた当時の日本のメディアとまったく同じです。政治体制、経済体制は違っても、事故をできるだけ小さく見せようとする官僚の思考回路や行動原理は同じなのだということを、当時のソ連と今の日本のメディア報道を比べてみて、改めて強く感じます。

 札幌では毎年、この日にチェルノブイリデー集会が行われていますが、今年も行われたので、今日の昼、仕事を中抜けして行ってきました。集会では3人の方が発言しました。泊原発現地からは「後志・原発とエネルギーを考える会」の佐藤英行さんが報告しました。「昨年9月の胆振東部地震の際、震源地の厚真町では揺れが1700ガルを超えていて、震源から50km離れた場所でも700ガルを超える揺れがあった。でも泊原発は500ガル程度の揺れにしか耐える設計になっていない」「非常用ディーゼル発電機の端子に電線がきちんと接続されないまま胆振東部地震でのブラックアウトを迎えていた北海道電力は、原子力規制委員会から今年3月までの再発防止策策定を求められていたが、期限までにできず2~3ヶ月延期を申し入れたという。たかが端子の接続程度の再発防止策が半年経ってもできないことはあり得ず、端子接続ミスを超える“何か”があると考えざるを得ない」と佐藤さんは話しました。

 幌延町の深地層研究所の現状については「核廃棄物施設誘致に反対する道北連絡協議会」代表委員の東(あずま)進さんから報告がありました。深地層研は研究施設であり、核廃棄物の最終処分場にはせず、開設から20年で閉鎖するとの3者協定がある以上、20年を迎える今年限りで約束通り閉鎖するよう、東さんは訴えました。

 しかし、なんと言っても今日の集会で最も印象深かったのは、福島県伊達市からの避難者である安達和叶(わかな)さんの発言です。「事故当時、中学校で自分はマスクをしていたら誰もしている人がいなかった。ある日、友達になぜマスクをしているのかと聞かれ、「花粉症もあるけど、(放射能を)気にしているんだよね」と答えると「実は私も」と言われ、その友達と「私たち、ちゃんと子どもを産めるのかしら」と話をしました。高校時代は心身ともにどん底で、「誰がこんな状況を作り出したの? 私は誰を責めたらいいの? 誰か答えて」と悶々とする3年間でした」と安達さんは話しました。もちろん責める相手は国と東電、そんなことは福島県民はみんなわかっているんです。でも彼らを責めたところで3.11前の福島が戻ってくるわけでもなく状況も改善しない。3.11を福島県で迎え、その後も2年間過ごした私にとっても大いに共感できるスピーチでした。大人も子どもも、避難した人も福島に残った人もみんな苦しんだ――その訴えにひとりでも多くの人が耳を傾けてくれることを望みます。

 安達さんの話で印象深かったことはまだあります。「福島の学校の先生に、自主避難することを報告したら、背中を押してくれるどころか、お前が避難したら風評被害が広がるから行くなと言われた。福島で起きているのは風評ではなく実害。お互いに考え方が異なる中で、子どもの前で互いに傷つけ合う大人を見て、大人への信頼が崩れ去った」ということです。その話を聞いたとき、私は昔聞いた「ある話」を思い出しました。

 昨日、4月25日がJR福知山線脱線事故の日だったということで、先ほど、別の方から福知山線事故についての発言がありました。私は今、JR北海道の路線問題にも取り組んでいますが、この問題を生んだ国鉄分割民営化の際、JRに採用されないまま最終的にどこにも再就職できなかった方が1047名残りました。これらの方は、JRへの採用を求めて闘ってこられたのですが、その中に東京で蒸気機関車の運転士だった佐久間忠夫さんという方がいました。その方は、14歳、今なら中学生の年齢で国鉄に入ったのですが、子どもの頃、学校で昨日まで「お前たちは天皇陛下の赤子なのだから陛下のために死になさい」と軍国主義を教えていた教師たちが、一夜にして「日本は戦争をしない憲法になったのだから平和を愛する国民になりましょう」と平和主義を教えるのを見て大人への信頼が崩れたという話を以前、私にしてくださいました。学校での姿も、着ている物もすべて昨日までと同じなのに、言っていることだけが180度正反対。若き佐久間さんはその姿を見て「大人って何なんだ。信念も価値観も世の中が変わるのに合わせていとも簡単に投げ捨て、昨日までと180度正反対のことを言って恥じない。そんな大人は信じられない」と大人に対してそれまで持っていた信頼が崩れたというのです。それから佐久間さんは「大人がそう言っているのだから多分そうなんだろう」という考えをするのだけは絶対にやめよう、自分の頭で考えて自分の足で歩く人生を最後まで貫こうと決意され、亡くなるまで実際にそうあり続けた方でした。だからこそ国鉄を解雇されたときも「自分が間違ったこと、やましいことをしたから首になったわけではない」と自分を貫く生き方ができたのだと私は思います。若い安達さんが、最も多感な時期に悩み、苦しみ抜いて大人への信頼が崩れたと聞いたとき、私はふとそんなことを思い出していました。

 繰り返しになりますが、今日はチェルノブイリから33年の日です。この事故を起こしたソ連は5年後の1991年、世界地図から消えました。子どもたちに軍国主義を教えていた大日本帝国はやはり敗戦で世界地図から消えました。そのように考えると、原発事故というのはソ連だけでなく日本にとっても、先の敗戦に匹敵する出来事だったと私は思うのです。日本国は幸いまだ地図から消えてはいませんが、このまま安倍政権を放置し続けるなら、いずれ同じように地図から消える日が来るのではないかという思いが私の胸から消えません。そんな状況に追い込まれた日本を私たちが立て直すためには、70年前、まだ子どもだった佐久間さんが大人を信じられなくなることと引き替えに手に入れたすばらしい憲法、戦争をせず、平和と人権を守り抜く決意を書き込んだ日本国憲法にもう一度しっかりと軸足を置いて、そこから再出発する以外にないのではないでしょうか。

 おそらく最初で最後になるであろう、この10連休には憲法記念日などの大切な祝日、また祝日ではありませんが労働者の日であるメーデーが含まれています。そうした日に思いを馳せながら、私はこの10連休を有意義に過ごしたいと思います。

190426チェルノブイリデー札幌集会(01)泊原発の現状報告@佐藤英行さん


190426チェルノブイリデー札幌集会(02)福島の現状報告@安達和叶さん


190426チェルノブイリデー札幌集会(03)幌延問題報告@東進さん

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