タリバンによるアフガニスタン全土制圧という事態が仮になかったとしても、今年は9.11テロ20年の「節目」として、元々、アフガニスタンに光が当たる予定の年でした。大手メディアの中には、9.11から20年の企画としてすでに番組制作を終えていた局、記事執筆を終えていた新聞社もあるかもしれません。
ソ連軍も米軍も勝てなかったアフガニスタンに、今後軍事介入をしようとする奇特な国は、(可能性ゼロとは言い切れませんが)しばらく現れないと思います。タリバンを掃討できそうな国内勢力も見当たらず、しばらくはタリバンの天下が続くと思います。
今回もし光が当たらなかったら、次に当たるのはかなり先のことになるでしょう。私たちの存命中に、もう一度光が当たるチャンスがあるかどうかというところではないでしょうか。だからこそここで私たちが頑張らなければ、との思いがありました。
米軍撤退の報道を受けて、アフガニスタンが再びタリバンの手に落ちるのでは……との予想はしていたものの、アフガニスタン政府軍は悪くても年内いっぱいくらいは保つと思っていたので、想定外だったのは「制圧の速さ」です。8月いっぱいも保たないとはよもや思ってもいませんでした。
しかし、カブール陥落から3週間経った今、改めて振り返ってみると、タリバンは「20年目の9.11」を目標に、意識的かつ周到に全土制圧準備を進めてきたのではないかと思えてなりません。
タリバン報道官は「シャリア法体制で民主主義の国はない」とアフガニスタンでの民主主義に否定的な発言をしていますが、イスラム教を国教としながら部分的にでも選挙を導入している国など、探せばいくらでも見つかるはずです。
アメリカの介入で前回、タリバン政権が崩壊して20年、不完全ながらも一定の自由や権利をアフガニスタン市民は享受してきました。籠の中から大空へ、一度羽ばたいた鳥がみずから籠に戻ってくることはありません。自由や権利の意味を知った市民が20年前と同じような状況に完全に戻ってしまうことはあり得ないと思います。そこに一縷の望みをつなぐことが、今後のアフガニスタン支援の鍵になるような気がします。
アフガニスタン情勢が、まずい方向に向かっているとはっきり自覚したのは、なんと言っても中村哲さんの死でした。地方の軍閥は、井戸を掘っている丸腰の民間外国人1人も守れないのか、と驚くとともに、アフガニスタンの今後の苦難を思いました。
多くのアフガニスタン人が、井戸を掘りに来る中村哲さんを心待ちにしていたと聞きます。現地の人に中村哲さんが愛されていたことはうれしく思いますが、アフガニスタン中の人々が心待ちにしていたら、1人しかいない中村哲さんが来るのはいつになるか分かりません。
哲さんを待つのではなく、ひとりひとりのアフガニスタン人が、自分で井戸を掘ろうと思うようになったとき、アフガニスタンは本当の意味で民主主義のスタートラインに立つのだと思います。それまでにどれだけの時間がかかるかは分かりません。しかしその日は遅かれ早かれ必ず来ると信じます。
私たち日本の市民にできることは、そのためのサポートだ……と書こうとして、ふと、一瞬手が止まりました。アフガニスタンの女性が置かれた過酷な状況は、ぜひ私たちが世界に向け発信しなければならない大切なことのひとつです。しかし、その前に日本の女性の人権状況は大丈夫なのでしょうか。
東京五輪組織委員長が「女がいると会議が長い」と放言して辞任したのはつい最近のことです。世界経済フォーラムが発表した「ジェンダーギャップ指数」では、日本はここ数年来順位は右肩下がりで、「政治」部門に限って言えば、156カ国中147位。つまり下から10番目でとうとうワースト10入りしてしまいました。
日本より下の9カ国は、カタール、ナイジェリア、オマーン、イラン、ブルネイ、クウェート、イエメン、パプアニューギニア、バヌアツ。ほぼすべてがイスラム圏か、男性の部族長が「酋長」などと呼ばれ、ふんぞり返っている部族国家ばかりです。
ここにアフガニスタンの名前がないことにも驚きます。「政治」部門のジェンダーギャップ指数で言えば、アフガニスタンより日本のほうが下という衝撃的状況に置かれています。国際社会はアフガニスタンより日本の女性の地位を心配しているかもしれません。
私は、日本とアフガニスタンの女性の人権状況を、同じ問題として捉えたいと思っています。まず私たち自身が、足下で自分たちの人権のことも頑張らなければならないと思います。米軍を70年近く駐留させている日本と、米軍を追い出したアフガニスタン。頑張らなければ、アフガニスタン市民の方が日本より先に「外国軍のいない本当の民主主義」を実現させてしまう、という冗談のようなことが現実になるかもしれない。
カブール陥落のニュースを聞きながら、ふと、そんなことを考えてしまいました。
ソ連軍も米軍も勝てなかったアフガニスタンに、今後軍事介入をしようとする奇特な国は、(可能性ゼロとは言い切れませんが)しばらく現れないと思います。タリバンを掃討できそうな国内勢力も見当たらず、しばらくはタリバンの天下が続くと思います。
今回もし光が当たらなかったら、次に当たるのはかなり先のことになるでしょう。私たちの存命中に、もう一度光が当たるチャンスがあるかどうかというところではないでしょうか。だからこそここで私たちが頑張らなければ、との思いがありました。
米軍撤退の報道を受けて、アフガニスタンが再びタリバンの手に落ちるのでは……との予想はしていたものの、アフガニスタン政府軍は悪くても年内いっぱいくらいは保つと思っていたので、想定外だったのは「制圧の速さ」です。8月いっぱいも保たないとはよもや思ってもいませんでした。
しかし、カブール陥落から3週間経った今、改めて振り返ってみると、タリバンは「20年目の9.11」を目標に、意識的かつ周到に全土制圧準備を進めてきたのではないかと思えてなりません。
タリバン報道官は「シャリア法体制で民主主義の国はない」とアフガニスタンでの民主主義に否定的な発言をしていますが、イスラム教を国教としながら部分的にでも選挙を導入している国など、探せばいくらでも見つかるはずです。
アメリカの介入で前回、タリバン政権が崩壊して20年、不完全ながらも一定の自由や権利をアフガニスタン市民は享受してきました。籠の中から大空へ、一度羽ばたいた鳥がみずから籠に戻ってくることはありません。自由や権利の意味を知った市民が20年前と同じような状況に完全に戻ってしまうことはあり得ないと思います。そこに一縷の望みをつなぐことが、今後のアフガニスタン支援の鍵になるような気がします。
アフガニスタン情勢が、まずい方向に向かっているとはっきり自覚したのは、なんと言っても中村哲さんの死でした。地方の軍閥は、井戸を掘っている丸腰の民間外国人1人も守れないのか、と驚くとともに、アフガニスタンの今後の苦難を思いました。
多くのアフガニスタン人が、井戸を掘りに来る中村哲さんを心待ちにしていたと聞きます。現地の人に中村哲さんが愛されていたことはうれしく思いますが、アフガニスタン中の人々が心待ちにしていたら、1人しかいない中村哲さんが来るのはいつになるか分かりません。
哲さんを待つのではなく、ひとりひとりのアフガニスタン人が、自分で井戸を掘ろうと思うようになったとき、アフガニスタンは本当の意味で民主主義のスタートラインに立つのだと思います。それまでにどれだけの時間がかかるかは分かりません。しかしその日は遅かれ早かれ必ず来ると信じます。
私たち日本の市民にできることは、そのためのサポートだ……と書こうとして、ふと、一瞬手が止まりました。アフガニスタンの女性が置かれた過酷な状況は、ぜひ私たちが世界に向け発信しなければならない大切なことのひとつです。しかし、その前に日本の女性の人権状況は大丈夫なのでしょうか。
東京五輪組織委員長が「女がいると会議が長い」と放言して辞任したのはつい最近のことです。世界経済フォーラムが発表した「ジェンダーギャップ指数」では、日本はここ数年来順位は右肩下がりで、「政治」部門に限って言えば、156カ国中147位。つまり下から10番目でとうとうワースト10入りしてしまいました。
日本より下の9カ国は、カタール、ナイジェリア、オマーン、イラン、ブルネイ、クウェート、イエメン、パプアニューギニア、バヌアツ。ほぼすべてがイスラム圏か、男性の部族長が「酋長」などと呼ばれ、ふんぞり返っている部族国家ばかりです。
ここにアフガニスタンの名前がないことにも驚きます。「政治」部門のジェンダーギャップ指数で言えば、アフガニスタンより日本のほうが下という衝撃的状況に置かれています。国際社会はアフガニスタンより日本の女性の地位を心配しているかもしれません。
私は、日本とアフガニスタンの女性の人権状況を、同じ問題として捉えたいと思っています。まず私たち自身が、足下で自分たちの人権のことも頑張らなければならないと思います。米軍を70年近く駐留させている日本と、米軍を追い出したアフガニスタン。頑張らなければ、アフガニスタン市民の方が日本より先に「外国軍のいない本当の民主主義」を実現させてしまう、という冗談のようなことが現実になるかもしれない。
カブール陥落のニュースを聞きながら、ふと、そんなことを考えてしまいました。