経済アナリストの森永卓郎さん死去 67歳 がん公表後も活動(朝日)
-------------------------------------------------------------------------------
経済アナリストとして格差社会を鋭く批判し、テレビやラジオでも活躍した独協大学教授の森永卓郎(もりなが・たくろう)さんが28日、原発不明がんで死去した。67歳だった。家族葬を執り行う予定。
東大卒業後、1980年に日本専売公社(現JT)に入り、経済企画庁(現内閣府)出向などを経て、91年に三和総合研究所(現三菱UFJリサーチ&コンサルティング)に。2001年に就任した自民党の小泉純一郎首相による構造改革に異を唱え、非正規雇用の拡大などを批判した。「年収300万円時代を生き抜く経済学」はベストセラーになった。
デフレ脱却に向けて、早くから金融緩和と財政出動が重要だと主張。自民党の安倍政権による「アベノミクス」でそうした政策が推し進められたが、実質賃金が減ったことなどを問題視し、内部留保をため込む大企業や、消費税の増税を進めた財務省への批判を強めた。
富裕層がさらに豊かになって貧困層がふくらむ経済のあり方に、警鐘を鳴らし続けた。多数の著作やテレビでの軽妙な語り口を通して、「モリタク」の愛称でお茶の間にも親しまれた。
ミニカーなどの収集家や牛丼研究家としても知られた。23年末にがんを公表後も精力的に活動を続けていた。
-------------------------------------------------------------------------------
森永卓郎さんが死去した。最近は経済アナリストと呼ばれることも多く、引用した「朝日」も森永さんの職業をそのように表現しているが、私は、適切な日本語があるものについては、日本のメディアはいたずらに横文字に流されるのではなく、きちんと日本語で表現すべきだと考えている。よってここでは経済評論家とお呼びする。
ステージ4のがんが全身に転移しており、「来年(2024年)の桜は見られないかもしれない」と医師に告げられたのが2023年秋だったという。それが、2024年のお花見どころか、2025年のお正月も迎えることができたのだから、医師の宣告よりはずいぶん長く生きたことになる。
森永さん最大の功績は、なんと言っても「ザイム真理教」(私が執筆を担当したレイバーネット日本の書評コーナー「週刊 本の発見」でも紹介)を世に送り出し、財務省批判に対するタブーを日本から取り払ったことだと思う。私は、財務省批判がタブーだったとは必ずしも思っていないが、「失われた30年」の背後に緊縮財政と増税政策があるという見解に一定の納得感を与えた。
リンク先の書評でも記したとおり、私は「ザイム真理教」に書いてあることを全面的に盲信しているわけではない。むしろ「通貨発行権を持つ政府が、紙切れに1万円と書いて印刷すれば、それが1万円として通用し、引き替えに1万円相当の財物が転がり込んでくる。それが通貨発行益である」と堂々と述べている第3章~第4章に関しては批判もしている。通貨と財・サービスの交換価値を表現したものが物価だというのは経済学のイロハのイであり、経済的に立ち遅れた途上国でも、通貨をジャンジャン刷って流通させれば豊かになれるというのはさすがに飛躍しすぎである。経済が発展するためには、実際には生産力が発展することが必要であり、生産力の伴わない通貨発行量の増大は貨幣価値の低下を招くだけである(参考:「よくわかる社会主義のおはなし」レッドモール党ホームページより)。
もちろん、一流の経済評論家としての名声をほしいままにした森永さんが、その程度の基本を理解していないとは考えられないから、これは積極財政政策に対する読者からの支持を取り付けるための彼なりの表現技法だろう。森永さんが信奉し、某政党が一時は基本政策にも掲げていたMMT(現代貨幣理論;国債のほとんどが国内で消化されている限り、いくら発行しても経済財政は破綻しないという説)が成立するには、国債発行で調達された財源が、国民生活に関係の深い部門で有効に使われることなど、いくつかの前提条件がある。
それでも、「緊縮財政や増税よりは国債発行の方がマシ」「それを許さない財務省こそ『失われた30年』の戦犯である」というムードを日本社会に一定程度、作り出すことに成功した功績は評価されていい。当ブログ読者のみなさんにも「借金してでも、どうしても今、この瞬間に手に入れたいもの」があるだろう。同様に政府にも、社会を維持し、崩壊させないために、借金してでも実行しなければならない政策というものがある。子どもの教育や医療・福祉、農業や公共交通への投資などはその最たるものだろう。
森永さんは、日本専売公社の主計課で働いていたと、みずからの生い立ちを告白している。40代以下の若い読者の方には、そもそも日本専売公社についての説明からしなければならないが、ひとことで言えば、現在のJT(日本たばこ産業)の前身に当たる公共企業体である。戦時中からの統制経済の名残で、たばこや塩の流通は国家管理されており、日本専売公社はその統制管理を担うため、全額政府出資で職員は国家公務員の身分を与えられていた。同様に、全額政府出資で職員が国家公務員だった国鉄(JRの前身)や電電公社(NTTの前身)とともに「三公社」と呼ばれていた時代がある。
その中でも、日本専売公社の「主計課」は、財務省で各省庁の予算査定を行う主計局を、公共企業体向けにひとまわり小さくした組織で、日本専売公社の各部署から上がってくる予算要求を「査定」し、縮小・削減するための部署である。当然、他の部署からは嫌われる。森永さんは、主計課時代のご自身を「今よりずっと嫌な奴だった」と自虐も込めて述懐していた。ご自身が「財務省主計局の専売公社版」組織である主計課にいただけに、財務省の手の内もわかる。この専売公社主計課時代の経験が、財務省批判のベースにあったことは間違いない。
経済評論家に転身してからは多忙を極める毎日だった。雑誌の記事だったか、インターネットの記事だったか定かでないが「起きているときは講演しているか、原稿執筆しているか、新幹線や飛行機などで移動しているか」のどれかだったという。がんの告知を受けてからも、大好きな煙草も続け、いわゆる健康上の節制はほとんどしなかった。むしろがん告知を受けてから「ザイム真理教」「書いてはいけない」などタブーに挑戦する著書を猛烈な勢いで出版した。
いかなる権力にも忖度せず、気骨ある言論活動を最後まで貫いた。その評論内容には賛否両論があると思う。だが、単なる金融評論や「相場読み」的な薄っぺらな言論活動しかしていない人たちと「経済アナリスト」として同列に扱われることは私には我慢ができない。この記事の冒頭で、森永さんをアナリストと呼ぶ風潮に与せず、経済評論家と呼ぶことにしたのにはそのような理由もある。テレビに出ている経済・金融専門家の中で、私がアナリストではなく「経済評論家」と呼ぶに値すると思う人は、森永さん亡き今、荻原博子さんくらいだろうか。
67歳での訃報は、人生80年時代の現在、もちろん早世ではある。それでもこれだけやりたいことをやりきっての人生なら、周りが思っているほど本人に悔いはないのではないか。「太く短く」を絵に描いたような、ある意味では理想とも言える見事な生き様だった。
実は、森永さんに関し、当ブログ・安全問題研究会にはひとつの計画があった。私が運営委員を務めている「レイバーネット日本」には独自のインターネットテレビ(レイバーネットTV)がある。そこで、1985年のJAL123便墜落事故から40年の節目となる今年、国の航空機事故調査委員会(当時。現在の運輸安全委員会)が出した「後部圧力隔壁崩壊説」を覆す番組を作る予定で企画を進めていた。「事件」の可能性が高いこの事故を取り扱う特別番組に、ゲストとして森永さんをお迎えする。困難を承知の上で、私自身が出演交渉にも当たるつもりでいた。しかし、今回のご逝去で、永遠に叶わぬ幻となった。