昨日、「共産趣味者の目で見た日本共産党の現在と「これから」」を書いたら思わぬ反響があった。そこで、昨日書き忘れたことを少し追加で述べておきたい。急遽、昨日の記事を(1)、この記事を同じタイトルで(2)としている。
私は志位氏を評価していないわけではない。むしろ高く評価している。志位氏が初めて書記局長に選出されたのは35歳の時である。だから、現在38歳の山添拓氏が来年1月の党大会で書記局長に選出されても違和感はない。
志位氏が書記局長に選出された1990年は、日本共産党的には大逆風の年だった。この前年、1989年に相次いで東ヨーロッパの社会主義体制が倒れ、中国でも天安門事件が起きた。日本共産党は、東欧諸国の共産党や中国共産党と名称が同じというだけで「一党独裁」「自由、民主主義弾圧」のレッテルを貼られ、暗いイメージを払拭する必要に迫られていた。
西側諸国で最大規模の共産党だったイタリア共産党が、左翼民主党に党名変更して再出発を始めた時期のことだ。記者会見で、メディアから志位氏に「日本共産党もイタリア左翼民主党のように党名変更するお考えはありませんか」という質問が飛んだ。それに対して若き書記局長はこう答えたのである--「党名変更したって、あなた方マスコミは『旧共産党』と呼ぶんでしょう? それなら私たちは、歴史的に誇りある日本共産党の名前のままで活動を続けます」。記者からの「茶化し質問」を一蹴する志位氏の姿に若々しさ、清新さ、まばゆさを覚えたあの日の会見を私は今も忘れない。
それから早くも30年--結果的に、このときの志位氏の「読み」は正しかった。信じられないと思う人は、悪いイメージを刷新するために名称変更した組織--最近の例でいえば「世界平和統一家庭連合」「SMILE-UP.」「X」が世間でどう呼ばれているか思い出してみるといい。「旧統一教会」「旧ジャニーズ」「旧ツイッター」といまだに呼ばれている。一度ついてしまった悪いイメージの払拭はそんなに簡単ではないのである。
イタリア左翼民主党は今、存在していない。旧統一教会にはこの先、解散命令が下るかもしれない。ジャニーズも退所者が相次ぎ、存続は見通せない。ツイッターも混乱続きで往時のあの勢いはどこに行ったのだろうか。結局、名称変更した組織はどこも成功していない。もし日本共産党がイタリア共産党のように党名変更していたら、おそらく今ごろ存在していなかっただろう。当時の最大のピンチを乗り越えたのはやはり志位氏の手腕があったからだ。
だが、その志位氏もさすがに耐用年数が切れたように思える。特に、筆坂秀世氏のような女性問題であれば除名も致し方ないと世間も納得するが、「自分と意見が違う」ことを理由に除名したのは決定的な悪手だった。日本共産党の「幹部除名史」を振り返ると、筆坂秀世氏の前の大物除名は野坂参三。党名誉議長まで上り詰め、党員にとって神のような存在だったが、ソ連時代に同志をスターリンに密告し、処刑という運命に陥れていたことが晩年に判明し、除名となった。これも党にとって重大な裏切りに他ならず、世間が納得する除名だった。
「中央と意見が違う」ことによる大物除名は、党として反対を決めた部分的核実験禁止条約に国会で賛成票を投じたために除名された志賀義雄や、彼に同調した中野重治(1963年)あたりまでさかのぼらなければならないかもしれない(ちなみに中野重治は有名なプロレタリア作家で、私たちが子どもの頃は教科書にも作品が載っていた)。今回、松竹伸幸氏らに対して志位氏が取ったのはそれほどの悪手だったのだ。
長く「共産趣味者」を続けてきた当ブログから見て、次に除名処分を受けそうな党員の目星はついている。共産趣味界隈では有名なブログ「紙屋研究所」の管理人、紙屋高雪氏である。2018年に行われた福岡市長選に出馬したこともある地方幹部だったが、松竹問題発生後の今年5月以降、全役職を停止され自宅待機の憂き目に遭っている。「休み明けの日は一応決まっているけども、本当にその日に休みが明けるのかどうかはよくわからない。これまでの人生では、そんなことはなかった」とご本人は述べている(「長い休み」)。この人物に対する処分を日本共産党が決定できないでいるのも、おそらく「田村新体制発足」が近いからだろう。場合によっては新執行部が判断することになるかもしれない。
昨日のブログでも書いたが、日本共産党にはもっと開かれた組織になってほしい。岸田政権の評判がこんなに悪く、自民党支持者でさえ見放しているのに、それでも倒れないのは野党がだらしないからである。付き合いのある新聞記者から聞いたことがあるが、「日本で次に政権交代が起きるとすれば、自民党が割れるときか、共産党が変わるときしかない」が政治記者の間での共通認識になっているという。
自民党が割れない以上、日本の政治の変革はひとえに日本共産党が変われるかどうかにかかっている。党名は今のままでもいいから、今よりも民主主義的な衣を身にまとい、無党派層が投票してもいいと思えるような党に変わったら、そのときこそ日本政治の夜明けが来る。だからこそ、2024年1月の日本共産党大会はかつてない重大な大会になるし、目が離せないのである。
私は志位氏を評価していないわけではない。むしろ高く評価している。志位氏が初めて書記局長に選出されたのは35歳の時である。だから、現在38歳の山添拓氏が来年1月の党大会で書記局長に選出されても違和感はない。
志位氏が書記局長に選出された1990年は、日本共産党的には大逆風の年だった。この前年、1989年に相次いで東ヨーロッパの社会主義体制が倒れ、中国でも天安門事件が起きた。日本共産党は、東欧諸国の共産党や中国共産党と名称が同じというだけで「一党独裁」「自由、民主主義弾圧」のレッテルを貼られ、暗いイメージを払拭する必要に迫られていた。
西側諸国で最大規模の共産党だったイタリア共産党が、左翼民主党に党名変更して再出発を始めた時期のことだ。記者会見で、メディアから志位氏に「日本共産党もイタリア左翼民主党のように党名変更するお考えはありませんか」という質問が飛んだ。それに対して若き書記局長はこう答えたのである--「党名変更したって、あなた方マスコミは『旧共産党』と呼ぶんでしょう? それなら私たちは、歴史的に誇りある日本共産党の名前のままで活動を続けます」。記者からの「茶化し質問」を一蹴する志位氏の姿に若々しさ、清新さ、まばゆさを覚えたあの日の会見を私は今も忘れない。
それから早くも30年--結果的に、このときの志位氏の「読み」は正しかった。信じられないと思う人は、悪いイメージを刷新するために名称変更した組織--最近の例でいえば「世界平和統一家庭連合」「SMILE-UP.」「X」が世間でどう呼ばれているか思い出してみるといい。「旧統一教会」「旧ジャニーズ」「旧ツイッター」といまだに呼ばれている。一度ついてしまった悪いイメージの払拭はそんなに簡単ではないのである。
イタリア左翼民主党は今、存在していない。旧統一教会にはこの先、解散命令が下るかもしれない。ジャニーズも退所者が相次ぎ、存続は見通せない。ツイッターも混乱続きで往時のあの勢いはどこに行ったのだろうか。結局、名称変更した組織はどこも成功していない。もし日本共産党がイタリア共産党のように党名変更していたら、おそらく今ごろ存在していなかっただろう。当時の最大のピンチを乗り越えたのはやはり志位氏の手腕があったからだ。
だが、その志位氏もさすがに耐用年数が切れたように思える。特に、筆坂秀世氏のような女性問題であれば除名も致し方ないと世間も納得するが、「自分と意見が違う」ことを理由に除名したのは決定的な悪手だった。日本共産党の「幹部除名史」を振り返ると、筆坂秀世氏の前の大物除名は野坂参三。党名誉議長まで上り詰め、党員にとって神のような存在だったが、ソ連時代に同志をスターリンに密告し、処刑という運命に陥れていたことが晩年に判明し、除名となった。これも党にとって重大な裏切りに他ならず、世間が納得する除名だった。
「中央と意見が違う」ことによる大物除名は、党として反対を決めた部分的核実験禁止条約に国会で賛成票を投じたために除名された志賀義雄や、彼に同調した中野重治(1963年)あたりまでさかのぼらなければならないかもしれない(ちなみに中野重治は有名なプロレタリア作家で、私たちが子どもの頃は教科書にも作品が載っていた)。今回、松竹伸幸氏らに対して志位氏が取ったのはそれほどの悪手だったのだ。
長く「共産趣味者」を続けてきた当ブログから見て、次に除名処分を受けそうな党員の目星はついている。共産趣味界隈では有名なブログ「紙屋研究所」の管理人、紙屋高雪氏である。2018年に行われた福岡市長選に出馬したこともある地方幹部だったが、松竹問題発生後の今年5月以降、全役職を停止され自宅待機の憂き目に遭っている。「休み明けの日は一応決まっているけども、本当にその日に休みが明けるのかどうかはよくわからない。これまでの人生では、そんなことはなかった」とご本人は述べている(「長い休み」)。この人物に対する処分を日本共産党が決定できないでいるのも、おそらく「田村新体制発足」が近いからだろう。場合によっては新執行部が判断することになるかもしれない。
昨日のブログでも書いたが、日本共産党にはもっと開かれた組織になってほしい。岸田政権の評判がこんなに悪く、自民党支持者でさえ見放しているのに、それでも倒れないのは野党がだらしないからである。付き合いのある新聞記者から聞いたことがあるが、「日本で次に政権交代が起きるとすれば、自民党が割れるときか、共産党が変わるときしかない」が政治記者の間での共通認識になっているという。
自民党が割れない以上、日本の政治の変革はひとえに日本共産党が変われるかどうかにかかっている。党名は今のままでもいいから、今よりも民主主義的な衣を身にまとい、無党派層が投票してもいいと思えるような党に変わったら、そのときこそ日本政治の夜明けが来る。だからこそ、2024年1月の日本共産党大会はかつてない重大な大会になるし、目が離せないのである。