福島第一 汚染水計画破綻 貯水池構造上の欠陥(東京)
3.11以降2年間、福島を見続けてきた当ブログは、福島第1の収束スキームにもし崩壊が訪れるなら、それは汚染水(保管場所がなくなる、または漏れ出す)か作業員(作業員の確保が困難になる)のどちらかになるだろう、と思っていた。その意味では、今回の事態は想定の範囲内である。これまでの収束スキームは、リンク先記事にあるように、事実上、破たんしたと言っていいだろう。
東電は、利益を生まない福島第1に関しては、今なお「いかに経費を抑えるか」しか念頭にないように見える。作業員はその場限りの無計画な使い捨てで賃金は極限まで値切り、被害者への賠償も踏み倒しが当たり前。収束作業のカギを握る汚染水の地下貯水槽ですら、今回明らかになったように「穴掘ってビニールシート」だ。お花見のレジャーシートじゃあるまいし、こんな設備で漏出など防げるわけがない。私企業である東電に収束作業を任せてもこれ以上の結果にはなり得ない。
仮に、地下貯水槽がうまく役目を果たしたとしても、結果は同じだったろう。もともと地下貯水槽は貯水タンクが満水になるのを少しでも遅らせるための急場しのぎの性格が強かった。福島第1原発の敷地内は、すでに貯水タンクだらけになっている。これがすべて満水になったらその後をどうするかについては、誰も黙して語らない。
当ブログは、この事態に及んだ以上、福島第1を東電から切り離して国有化し、収束作業も国の直轄事業にする以外にないと考える。そもそも、効果がないことが立証されつつある--そして当ブログにとっては「無意味でどうでもいいこと」の代名詞である--除染を一部地域では国の直轄で行っているのに、それ以上に重要な収束作業がなぜ東電に任せきりなのか(おそらく、除染はゼネコンが儲かるが収束作業は儲からないからだろう。全く、どこまで行っても命よりカネの連中にはつける薬もないし怒りしか湧かない)。除染などどうでもいいから、国は収束作業にこそみずから主体的に乗り出すべきだ。
そして、福島第1を国有化するのに合わせ、国は、長期にわたって帰還困難となる警戒区域や計画的避難区域を買い上げ、国有地化すべきだ。
こうすることでどのようなメリットがあるのか。まず、現状では福島第1が東電の「私有物」であるため貯水タンクは東電の敷地内にしか造れないが、これを国有化し、警戒区域や計画的避難区域も国有地化することでこれらの地域にも貯水タンクを造れるようになる。少なくとも、貯水タンクを造る場所がなくなることで収束・廃炉スキームが破たんする時期を大幅に(数年、あるいは十数年スパンで)先送りできる。仮に十数年先送りできれば、汚染水の放射性物質濃度はある程度下がるから、汚染水の処理について今よりも多様な選択肢を持てるようになるだろう。
次に、帰れるとも帰れないとも明言されないまま、避難先で先の見えない生活を強いられている強制避難者に対し、先の見通しを示せるようになる。警戒区域、計画的避難区域を汚染水置き場にすれば、これらの地域について「帰れない」という結論が確定する。その上で、避難者に対し、代替地を提供するので収束・廃炉作業という「公共の利益」のため、あなたの土地を提供してほしい--といえばよいのだ。そうすれば、多くの被災者にとって新たな土地での生活再建に向け、踏み出す決意ができる。
それはそうだが、避難者の意向を無視してよいのか、という疑問を持つ読者もいるかもしれない。しかしその心配はなさそうである。飯舘村で行われたアンケートでは、除染が完了すれば「すぐ戻りたい」と答えた人は2割に満たない。大熊町でも「町には戻らない」が町民の5割だとする全世帯調査がまとまった(関連記事)。「将来は移住も考えたい」が避難者の75%を占めたとする調査結果もある(関連記事)。初めは望郷の思いが強かった避難者も、2年という時の経過の中で現実を認識し始めている。移住を前提とした警戒区域、計画的避難区域の「収束・廃炉拠点」化の構想があってもよいと思う。
いずれにせよ、収束・廃炉作業を今のまま漫然と東電に任せ続ける限り、遅かれ早かれ作業は破たんを迎える。国が前面に出ざるを得ない時期が迫っている。今回の汚染水漏れを契機に、国営直轄事業としての収束・廃炉のあり方を真剣に検討すべきだ。
3.11以降2年間、福島を見続けてきた当ブログは、福島第1の収束スキームにもし崩壊が訪れるなら、それは汚染水(保管場所がなくなる、または漏れ出す)か作業員(作業員の確保が困難になる)のどちらかになるだろう、と思っていた。その意味では、今回の事態は想定の範囲内である。これまでの収束スキームは、リンク先記事にあるように、事実上、破たんしたと言っていいだろう。
東電は、利益を生まない福島第1に関しては、今なお「いかに経費を抑えるか」しか念頭にないように見える。作業員はその場限りの無計画な使い捨てで賃金は極限まで値切り、被害者への賠償も踏み倒しが当たり前。収束作業のカギを握る汚染水の地下貯水槽ですら、今回明らかになったように「穴掘ってビニールシート」だ。お花見のレジャーシートじゃあるまいし、こんな設備で漏出など防げるわけがない。私企業である東電に収束作業を任せてもこれ以上の結果にはなり得ない。
仮に、地下貯水槽がうまく役目を果たしたとしても、結果は同じだったろう。もともと地下貯水槽は貯水タンクが満水になるのを少しでも遅らせるための急場しのぎの性格が強かった。福島第1原発の敷地内は、すでに貯水タンクだらけになっている。これがすべて満水になったらその後をどうするかについては、誰も黙して語らない。
当ブログは、この事態に及んだ以上、福島第1を東電から切り離して国有化し、収束作業も国の直轄事業にする以外にないと考える。そもそも、効果がないことが立証されつつある--そして当ブログにとっては「無意味でどうでもいいこと」の代名詞である--除染を一部地域では国の直轄で行っているのに、それ以上に重要な収束作業がなぜ東電に任せきりなのか(おそらく、除染はゼネコンが儲かるが収束作業は儲からないからだろう。全く、どこまで行っても命よりカネの連中にはつける薬もないし怒りしか湧かない)。除染などどうでもいいから、国は収束作業にこそみずから主体的に乗り出すべきだ。
そして、福島第1を国有化するのに合わせ、国は、長期にわたって帰還困難となる警戒区域や計画的避難区域を買い上げ、国有地化すべきだ。
こうすることでどのようなメリットがあるのか。まず、現状では福島第1が東電の「私有物」であるため貯水タンクは東電の敷地内にしか造れないが、これを国有化し、警戒区域や計画的避難区域も国有地化することでこれらの地域にも貯水タンクを造れるようになる。少なくとも、貯水タンクを造る場所がなくなることで収束・廃炉スキームが破たんする時期を大幅に(数年、あるいは十数年スパンで)先送りできる。仮に十数年先送りできれば、汚染水の放射性物質濃度はある程度下がるから、汚染水の処理について今よりも多様な選択肢を持てるようになるだろう。
次に、帰れるとも帰れないとも明言されないまま、避難先で先の見えない生活を強いられている強制避難者に対し、先の見通しを示せるようになる。警戒区域、計画的避難区域を汚染水置き場にすれば、これらの地域について「帰れない」という結論が確定する。その上で、避難者に対し、代替地を提供するので収束・廃炉作業という「公共の利益」のため、あなたの土地を提供してほしい--といえばよいのだ。そうすれば、多くの被災者にとって新たな土地での生活再建に向け、踏み出す決意ができる。
それはそうだが、避難者の意向を無視してよいのか、という疑問を持つ読者もいるかもしれない。しかしその心配はなさそうである。飯舘村で行われたアンケートでは、除染が完了すれば「すぐ戻りたい」と答えた人は2割に満たない。大熊町でも「町には戻らない」が町民の5割だとする全世帯調査がまとまった(関連記事)。「将来は移住も考えたい」が避難者の75%を占めたとする調査結果もある(関連記事)。初めは望郷の思いが強かった避難者も、2年という時の経過の中で現実を認識し始めている。移住を前提とした警戒区域、計画的避難区域の「収束・廃炉拠点」化の構想があってもよいと思う。
いずれにせよ、収束・廃炉作業を今のまま漫然と東電に任せ続ける限り、遅かれ早かれ作業は破たんを迎える。国が前面に出ざるを得ない時期が迫っている。今回の汚染水漏れを契機に、国営直轄事業としての収束・廃炉のあり方を真剣に検討すべきだ。