2021年9月11日、東京都内で、タクシー運転手が運転中にくも膜下出血で死亡。暴走したタクシーに歩行者がはねられ、6人が死傷する事故があった。この事故では、JR不採用問題について、長年、講談の形で告発を続けてきた講談師の神田香織さんがはねられ軽傷を負った。
福島県いわき市出身の神田さんは、2007年以降は「チェルノブイリの祈り」と題した講談活動も続けてきた。当ブログ管理人は、JR不採用問題、福島第1原発事故と原子力問題の両方で交流のある方である。JR不採用問題で続けてこられた講談を受け、2010年には著書「乱世を生き抜く語り口を持て」を出版された。
実は、この日は「経産省前テントひろば」発足10周年記念の集会が経産省前で行われることになっており、この集会に参加する予定だった。福島第1原発事故からちょうど半年後の2011年9月11日、全原発即時廃炉を目指す人たちが経産省前にテントを張り、24時間体制で寝泊まりするようになった。テントは2016年8月に警察によって強制撤去されるまで実に5年近く続き、実際、ここ宛ての郵便物は「経産省前テントひろば」と書けば届くほど認知されていた。
この事故では、小林久美子さんという女性が死亡した。以下の記事で、死亡した小林さんについて伝えられている。
5人死傷のタクシー事故、運転手が死亡 発進後に急加速か(朝日)
タクシー事故で死亡の女性「問題意識高かった」 同居する弟の無念(朝日)
小林さんが「20代から勤めていた労働組合」とは、記事にはないが国鉄労働組合(国労)である。小林さんが、長く国労本部で書記を務められた方であることは、JR不採用問題に関わった方、「根室本線の災害復旧と存続を求める会」関係者などからほとんど同時に連絡を受けて知った。
国鉄分割民営化を、一度は受け入れる方向に傾きながら、国労は、1986年10月、静岡県・修善寺で開いた臨時全国大会で、ヤジ・怒号が飛び交う中、国鉄改革法案の承認を反対多数で拒否する。山崎委員長ら執行部が責任を取って総辞職。分割民営化反対派だった六本木敏さんが国労委員長に就任する。国労は改革反対を貫いたがその代償も大きく、大半の組合員はJR新会社に採用されなかった。六本木執行部の闘いと、その後を襲った過酷な運命は「人として生きる―国鉄労働組合中央執行委員長339日の闘い」として出版されている。
就任したばかりの六本木新委員長を取材した、当ブログ管理人の知人ジャーナリストが私に宛ててきた私信がある。本人の転載許可を得ていないが、彼なら許していただけるだろう。差し障りのない範囲で紹介しておこう。
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国鉄分割・民営化反対闘争の取材にあたって小林さんには随分お世話になりました。とくに忘れらないのは、国労が1986年10月に静岡県修善寺で臨時大会を開き、労使共同宣言受け入れ路線をきっぱり拒否して闘う道を選択した際に新たに委員長に就任した六本木敏(ろっぽんぎ・さとし)さんをインタビューしたときのことです。
当時、東京駅八重洲南口にあった国労会館の委員長室をおそるおそる訪ねると、(アポはもちろんとってありましたが)どこの馬の骨とも知れない新参者のメディアを小林さんはやさしい笑顔で迎え、六本木委員長と引き合わせてくださいました。おかげで私は気持ちを落ち着け、六本木さんの決意あふれるお話をしっかりと聞きとることができました。
その後も国労本部を訪れる都度、丁寧に接していただき、あいさつ程度の会話でしたが穏やかながら芯の強さを感じさせるお人柄に触れて気持ちよく取材できたのを思い出します。
国労を退職された後も、国会前だったかでばったりお会いしたときに、地域などでさまざまな活動を続けていらっしゃると聞き、こちらも頑張らなくてはと奮起させられたものです。
なぜこんなすてきな方が突然逝ってしまわなければならないのか。不条理きわまりありません。合掌。
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小林さんは、戦後半世紀にわたって日本の労働運動を牽引してきた国労に本部書記として奉職し、文字通り、国労という大組織の栄枯盛衰すべてを内部から見てきた。その中には、日本の労働者階級人民のために秘さなければならない恥部、墓場まで持って行かざるを得ない暗部もあったことだろう。その身の処し方、矜持、労働者階級人民に奉仕し続ける気概には、当ブログ管理人も大いに学ばざるを得ないと思っている。改めて、こんな不条理な形で逝かざるを得なかった小林さんに対し、当ブログは敬意と深い哀悼の意を表する。
○ ○ ○
小林さんの死去を受け、急きょ、国労の運命を決めることになった1986年の臨時大会の模様を伝えるニュース音源をアップした。
1986年ニュースハイライト/国労、臨時大会で分割民営化受入を拒否
NHKラジオ第1放送では、毎年、年末に、その1年をニュースで振り返る「○○年ニュースハイライト」が放送されていた。この音源は、1986年12月31日放送の「1986年ニュースハイライト」から、1986年10月10日に国労が静岡県修善寺で開催した臨時大会の模様を伝える部分を抜き出した。わずか1分強だが、国鉄改革法(=分割民営化)を承認するかどうかをめぐって揺れる国労の内部対立の様子が伝わってくる。
この大会で、国労執行部は分割民営化を受け入れ、国鉄当局・政府との協調路線に転換する方針を提案するが、音声にあるとおり、賛成・反対両派のヤジ・怒号が飛び交うなかで採決に持ち込まれ、執行部提案は否決。山崎委員長ら執行部が総辞職。その後、分割民営化反対派の六本木敏さんが新委員長に就任することになる。
国鉄改革法案が参院本会議で可決・成立したのは86年11月28日なので、この臨時大会の時点では成立していなかったが、この番組の放送時点ではすでに成立し、JRへの移行は避けられない状態となっていた。「法案成立後も無益な抵抗を続ける国労」を聴取者に印象づけるため、国労の組織について「分裂はさらに深まる」などと報じるNHKの「政府・自民党御用放送」ぶりが昔も今もあまり変わっていないことも、この悪意ある(?)報道内容から見えてきて、興味深いものがある。
昔も今も、重大な歴史の分岐点、重要な政策変更の最前線では、常に政府・自民党に肩入れするのがNHKだという「歴史的告発」の意味も込めての音源を公開する。当ブログ管理人は「あの時代」を知る最後の世代だと思うが、当時を知る世代にとっては時代の雰囲気も懐かしく思い出されるだろう。そしてこうも思うのだ。「この国労への攻撃でさえ、ほんの“手始め”にすぎなかったのだ」と。
福島県いわき市出身の神田さんは、2007年以降は「チェルノブイリの祈り」と題した講談活動も続けてきた。当ブログ管理人は、JR不採用問題、福島第1原発事故と原子力問題の両方で交流のある方である。JR不採用問題で続けてこられた講談を受け、2010年には著書「乱世を生き抜く語り口を持て」を出版された。
実は、この日は「経産省前テントひろば」発足10周年記念の集会が経産省前で行われることになっており、この集会に参加する予定だった。福島第1原発事故からちょうど半年後の2011年9月11日、全原発即時廃炉を目指す人たちが経産省前にテントを張り、24時間体制で寝泊まりするようになった。テントは2016年8月に警察によって強制撤去されるまで実に5年近く続き、実際、ここ宛ての郵便物は「経産省前テントひろば」と書けば届くほど認知されていた。
この事故では、小林久美子さんという女性が死亡した。以下の記事で、死亡した小林さんについて伝えられている。
5人死傷のタクシー事故、運転手が死亡 発進後に急加速か(朝日)
タクシー事故で死亡の女性「問題意識高かった」 同居する弟の無念(朝日)
小林さんが「20代から勤めていた労働組合」とは、記事にはないが国鉄労働組合(国労)である。小林さんが、長く国労本部で書記を務められた方であることは、JR不採用問題に関わった方、「根室本線の災害復旧と存続を求める会」関係者などからほとんど同時に連絡を受けて知った。
国鉄分割民営化を、一度は受け入れる方向に傾きながら、国労は、1986年10月、静岡県・修善寺で開いた臨時全国大会で、ヤジ・怒号が飛び交う中、国鉄改革法案の承認を反対多数で拒否する。山崎委員長ら執行部が責任を取って総辞職。分割民営化反対派だった六本木敏さんが国労委員長に就任する。国労は改革反対を貫いたがその代償も大きく、大半の組合員はJR新会社に採用されなかった。六本木執行部の闘いと、その後を襲った過酷な運命は「人として生きる―国鉄労働組合中央執行委員長339日の闘い」として出版されている。
就任したばかりの六本木新委員長を取材した、当ブログ管理人の知人ジャーナリストが私に宛ててきた私信がある。本人の転載許可を得ていないが、彼なら許していただけるだろう。差し障りのない範囲で紹介しておこう。
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国鉄分割・民営化反対闘争の取材にあたって小林さんには随分お世話になりました。とくに忘れらないのは、国労が1986年10月に静岡県修善寺で臨時大会を開き、労使共同宣言受け入れ路線をきっぱり拒否して闘う道を選択した際に新たに委員長に就任した六本木敏(ろっぽんぎ・さとし)さんをインタビューしたときのことです。
当時、東京駅八重洲南口にあった国労会館の委員長室をおそるおそる訪ねると、(アポはもちろんとってありましたが)どこの馬の骨とも知れない新参者のメディアを小林さんはやさしい笑顔で迎え、六本木委員長と引き合わせてくださいました。おかげで私は気持ちを落ち着け、六本木さんの決意あふれるお話をしっかりと聞きとることができました。
その後も国労本部を訪れる都度、丁寧に接していただき、あいさつ程度の会話でしたが穏やかながら芯の強さを感じさせるお人柄に触れて気持ちよく取材できたのを思い出します。
国労を退職された後も、国会前だったかでばったりお会いしたときに、地域などでさまざまな活動を続けていらっしゃると聞き、こちらも頑張らなくてはと奮起させられたものです。
なぜこんなすてきな方が突然逝ってしまわなければならないのか。不条理きわまりありません。合掌。
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小林さんは、戦後半世紀にわたって日本の労働運動を牽引してきた国労に本部書記として奉職し、文字通り、国労という大組織の栄枯盛衰すべてを内部から見てきた。その中には、日本の労働者階級人民のために秘さなければならない恥部、墓場まで持って行かざるを得ない暗部もあったことだろう。その身の処し方、矜持、労働者階級人民に奉仕し続ける気概には、当ブログ管理人も大いに学ばざるを得ないと思っている。改めて、こんな不条理な形で逝かざるを得なかった小林さんに対し、当ブログは敬意と深い哀悼の意を表する。
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小林さんの死去を受け、急きょ、国労の運命を決めることになった1986年の臨時大会の模様を伝えるニュース音源をアップした。
NHKラジオ第1放送では、毎年、年末に、その1年をニュースで振り返る「○○年ニュースハイライト」が放送されていた。この音源は、1986年12月31日放送の「1986年ニュースハイライト」から、1986年10月10日に国労が静岡県修善寺で開催した臨時大会の模様を伝える部分を抜き出した。わずか1分強だが、国鉄改革法(=分割民営化)を承認するかどうかをめぐって揺れる国労の内部対立の様子が伝わってくる。
この大会で、国労執行部は分割民営化を受け入れ、国鉄当局・政府との協調路線に転換する方針を提案するが、音声にあるとおり、賛成・反対両派のヤジ・怒号が飛び交うなかで採決に持ち込まれ、執行部提案は否決。山崎委員長ら執行部が総辞職。その後、分割民営化反対派の六本木敏さんが新委員長に就任することになる。
国鉄改革法案が参院本会議で可決・成立したのは86年11月28日なので、この臨時大会の時点では成立していなかったが、この番組の放送時点ではすでに成立し、JRへの移行は避けられない状態となっていた。「法案成立後も無益な抵抗を続ける国労」を聴取者に印象づけるため、国労の組織について「分裂はさらに深まる」などと報じるNHKの「政府・自民党御用放送」ぶりが昔も今もあまり変わっていないことも、この悪意ある(?)報道内容から見えてきて、興味深いものがある。
昔も今も、重大な歴史の分岐点、重要な政策変更の最前線では、常に政府・自民党に肩入れするのがNHKだという「歴史的告発」の意味も込めての音源を公開する。当ブログ管理人は「あの時代」を知る最後の世代だと思うが、当時を知る世代にとっては時代の雰囲気も懐かしく思い出されるだろう。そしてこうも思うのだ。「この国労への攻撃でさえ、ほんの“手始め”にすぎなかったのだ」と。