県南・南会津 風吹きぬけた 甲子トンネル(朝日新聞福島版)
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県南の西郷村と南会津の下郷町を結ぶ国道289号の「甲子(かし)トンネル」(4345メートル)の開通式が21日、西郷村側入り口であった。全長23、3キロの甲子道路の着工から33年。急峻(きゅうしゅん)な山並みが車両の往来を遠ざけてきたが、ようやく互いの地域に風が吹き抜けた。
喜多方―山形間の「大峠トンネル」(3940メートル)を超える県内一の長さで、佐藤雄平知事は「100年にわたる地域の悲願。大変感慨深い」とあいさつ。式の終了後、早速パレードバスが出発した。
下郷町側入り口では沿道の住民が小旗を振ってバスを出迎えた。祝賀会で湯田雄二町長は「沿線自治体が力を合わせてそれぞれの発展につなげよう」とあいさつした。
午後2時からの供用開始で一番乗りは白河市の自営業工藤隆久さん(50)。16日からキャンプをして待ったという。「高校は会津。白河と会津が近くなり、めでたいことだと思う」と話した。
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http://mytown.asahi.com/fukushima/news.php?k_id=07000000809180005(朝日新聞福島版 2008.9.18付け)より
県南の西郷村と南会津の下郷町を結ぶ「甲子(かし)トンネル」(全長4345メートル)が21日から通行できるようになる。両地域をつなぐ現在の国道289号は、徒歩で越すにも険しい「登山道」だ。車は通行できず、双方で「行き止まり」状態だった。着工から33年。同日午後2時、「悲願の道路」が開通する。(常松鉄雄)
-着工33年、21日午後開通-
甲子トンネルの西郷側入り口付近で16日、最後の路面整備を手掛けていた作業員が言った。「何十年もかかった工事。これだけの道路は県内ではもうできないだろう」
国道289号は新潟市から南会津、県南を抜けていわき市に至る総延長約300キロの路線だ。しかし、下郷―西郷間の甲子峠が障害となり、一気に走り抜けることができなかった。
県道路整備課によると、この道は1923(大正12)年に県道田島―白河線に指定され、70(昭和45)年に国道に昇格した。両地域の境を通す「甲子道路」(総延長23、3キロ)を4工区に分けて工事が始まったのは75(昭和50)年。県事業の一部に旧道は残るものの、西郷側入り口では甲子大橋(199メートル)も完成し、国直轄事業の第2工区は甲子トンネルの供用を待つのみになっていた。総事業費は計約407億円に上る。
「歴史春秋社」発刊の「会津の峠」(笹川壽夫編著)などによると、馬産奨励で旧白河藩主・松平定信も力を入れた「白河馬市」には会津地方で育てられた馬が、多いときには1日100頭も甲子峠を越えた。同課は「車社会になって使わなくなっていた昔の『大動脈』だ。その歴史が今回、再開されることになる」と話す。
●30分短縮
実際、南会津町の田島からだと、会津若松まで45キロ、東北新幹線が通る白河まで47キロになる。これまで下郷―白河間は、天栄村の羽鳥湖を通る国道118号を「迂回(うかい)」して車で約1時間20分かかっていた。これが約50分に短縮される。農産物などの輸送コストの削減とともに、南会津にとっては大手企業の工場が多い県南が通勤圏になり、新たな就労も見込まれる。
救急搬送にも変化が現れそうだ。白河には会津若松より一つ多い四つの総合病院がある。南会津地方広域消防本部は「急患の選択肢が広がるのは確か。今後の交流を通じて白河方面にシフトする可能性もある」という。
●観光誘致
トンネル開通に伴う回遊性に目を付けた動きもある。
観光地・羽鳥湖がある天栄村役場で8月末、栃木県那須町と白河市、下郷町、西郷村の5町村や各観光協会などが「那須白河会津観光推進協議会」を結成した。
今月1日から、西郷村と栃木県那須町を結ぶ那須甲子有料道路(全長12、1キロ)が無料化されたことを受けたものだ。年間を通じて多くの観光客がある那須を訪れる人たちに対し、ひとあし延ばせば県境をまたいで周遊できる観光エリアがある、とPRしていく計画だ。すでに「塔のへつり」や「大内宿」などを入れたロードマップを作製、来月18日から東北道の那須高原サービスエリアやJR新白河駅などで無償配布するという。
下郷町の星澄雄副町長は「トンネルを抜けた時の景観はすばらしく、紅葉狩りの客も見込める。那須に来た若い人たちがドライブがてら、数日の滞在でこのエリアを回ってくれたら」と期待を寄せている。
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9月18日付の記事のほうが「地元の悲願」ぶりが伝わるので、併せて引用した。
1975年に計画ができてから、20年後の1995年にやっと甲子山地の両側まで工事が到達。1997年に石楠花(しゃくなげ)トンネルが開通して、後は甲子山地にトンネルをぶち抜くだけ、あと一歩…というところで悲劇がこの道路を襲う。2002年の台風による大雨で、石楠花トンネル付近で大規模な地滑りが起き、トンネルが亀裂、変形してしまったのだ。
この地滑り発生後、道路事務所が行ったボーリング調査で、トンネルを補強して使い続けることは危険と判断されたため、石楠花トンネルが廃棄され、新たに地盤が強い山側に長大トンネルを掘り直す工事が施工されることになった(工事区間の道路全線が供用開始になる前に一部が災害で放棄されるのは極めて異例)。
その後、甲子大橋の建設工事で業者の工法にミスがあることが発覚したため工事はさらに遅れることになった。甲子道路の建設は、トラブル続発の難工事だったのである。
「何十年もかかった工事。これだけの道路は県内ではもうできないだろう」という工事関係者の言葉は、こうした経過をたどっているだけに実感がこもっている。東北で最後の国道不通区間に、東北で2番目の長大トンネルを通す工事は着工から33年を経て終わり、今日、こうして晴れの日を迎えたのだ(青森県・竜飛崎にある国道339号線の「階段国道」は歩いて通れるため不通区間ではない)。
半年ほど前、道路特定財源問題に関連して、日本中の道路工事はすべてが無駄であるかのように言われた。しかし、この甲子道路のように、生活道路として地元から待ち望まれる道路が存在するというのもまた日本の現実なのである。
何はともあれ、白河と会津を結ぶ大動脈は今日、こうして動き出した。とりわけ奥会津地方は、閉ざされ分断されて不便を強いられてきた。そうした不便な暮らしにも風穴を開ける新時代の到来を、地元の人たちとともに祝いたい。
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県南の西郷村と南会津の下郷町を結ぶ国道289号の「甲子(かし)トンネル」(4345メートル)の開通式が21日、西郷村側入り口であった。全長23、3キロの甲子道路の着工から33年。急峻(きゅうしゅん)な山並みが車両の往来を遠ざけてきたが、ようやく互いの地域に風が吹き抜けた。
喜多方―山形間の「大峠トンネル」(3940メートル)を超える県内一の長さで、佐藤雄平知事は「100年にわたる地域の悲願。大変感慨深い」とあいさつ。式の終了後、早速パレードバスが出発した。
下郷町側入り口では沿道の住民が小旗を振ってバスを出迎えた。祝賀会で湯田雄二町長は「沿線自治体が力を合わせてそれぞれの発展につなげよう」とあいさつした。
午後2時からの供用開始で一番乗りは白河市の自営業工藤隆久さん(50)。16日からキャンプをして待ったという。「高校は会津。白河と会津が近くなり、めでたいことだと思う」と話した。
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http://mytown.asahi.com/fukushima/news.php?k_id=07000000809180005(朝日新聞福島版 2008.9.18付け)より
県南の西郷村と南会津の下郷町を結ぶ「甲子(かし)トンネル」(全長4345メートル)が21日から通行できるようになる。両地域をつなぐ現在の国道289号は、徒歩で越すにも険しい「登山道」だ。車は通行できず、双方で「行き止まり」状態だった。着工から33年。同日午後2時、「悲願の道路」が開通する。(常松鉄雄)
-着工33年、21日午後開通-
甲子トンネルの西郷側入り口付近で16日、最後の路面整備を手掛けていた作業員が言った。「何十年もかかった工事。これだけの道路は県内ではもうできないだろう」
国道289号は新潟市から南会津、県南を抜けていわき市に至る総延長約300キロの路線だ。しかし、下郷―西郷間の甲子峠が障害となり、一気に走り抜けることができなかった。
県道路整備課によると、この道は1923(大正12)年に県道田島―白河線に指定され、70(昭和45)年に国道に昇格した。両地域の境を通す「甲子道路」(総延長23、3キロ)を4工区に分けて工事が始まったのは75(昭和50)年。県事業の一部に旧道は残るものの、西郷側入り口では甲子大橋(199メートル)も完成し、国直轄事業の第2工区は甲子トンネルの供用を待つのみになっていた。総事業費は計約407億円に上る。
「歴史春秋社」発刊の「会津の峠」(笹川壽夫編著)などによると、馬産奨励で旧白河藩主・松平定信も力を入れた「白河馬市」には会津地方で育てられた馬が、多いときには1日100頭も甲子峠を越えた。同課は「車社会になって使わなくなっていた昔の『大動脈』だ。その歴史が今回、再開されることになる」と話す。
●30分短縮
実際、南会津町の田島からだと、会津若松まで45キロ、東北新幹線が通る白河まで47キロになる。これまで下郷―白河間は、天栄村の羽鳥湖を通る国道118号を「迂回(うかい)」して車で約1時間20分かかっていた。これが約50分に短縮される。農産物などの輸送コストの削減とともに、南会津にとっては大手企業の工場が多い県南が通勤圏になり、新たな就労も見込まれる。
救急搬送にも変化が現れそうだ。白河には会津若松より一つ多い四つの総合病院がある。南会津地方広域消防本部は「急患の選択肢が広がるのは確か。今後の交流を通じて白河方面にシフトする可能性もある」という。
●観光誘致
トンネル開通に伴う回遊性に目を付けた動きもある。
観光地・羽鳥湖がある天栄村役場で8月末、栃木県那須町と白河市、下郷町、西郷村の5町村や各観光協会などが「那須白河会津観光推進協議会」を結成した。
今月1日から、西郷村と栃木県那須町を結ぶ那須甲子有料道路(全長12、1キロ)が無料化されたことを受けたものだ。年間を通じて多くの観光客がある那須を訪れる人たちに対し、ひとあし延ばせば県境をまたいで周遊できる観光エリアがある、とPRしていく計画だ。すでに「塔のへつり」や「大内宿」などを入れたロードマップを作製、来月18日から東北道の那須高原サービスエリアやJR新白河駅などで無償配布するという。
下郷町の星澄雄副町長は「トンネルを抜けた時の景観はすばらしく、紅葉狩りの客も見込める。那須に来た若い人たちがドライブがてら、数日の滞在でこのエリアを回ってくれたら」と期待を寄せている。
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9月18日付の記事のほうが「地元の悲願」ぶりが伝わるので、併せて引用した。
1975年に計画ができてから、20年後の1995年にやっと甲子山地の両側まで工事が到達。1997年に石楠花(しゃくなげ)トンネルが開通して、後は甲子山地にトンネルをぶち抜くだけ、あと一歩…というところで悲劇がこの道路を襲う。2002年の台風による大雨で、石楠花トンネル付近で大規模な地滑りが起き、トンネルが亀裂、変形してしまったのだ。
この地滑り発生後、道路事務所が行ったボーリング調査で、トンネルを補強して使い続けることは危険と判断されたため、石楠花トンネルが廃棄され、新たに地盤が強い山側に長大トンネルを掘り直す工事が施工されることになった(工事区間の道路全線が供用開始になる前に一部が災害で放棄されるのは極めて異例)。
その後、甲子大橋の建設工事で業者の工法にミスがあることが発覚したため工事はさらに遅れることになった。甲子道路の建設は、トラブル続発の難工事だったのである。
「何十年もかかった工事。これだけの道路は県内ではもうできないだろう」という工事関係者の言葉は、こうした経過をたどっているだけに実感がこもっている。東北で最後の国道不通区間に、東北で2番目の長大トンネルを通す工事は着工から33年を経て終わり、今日、こうして晴れの日を迎えたのだ(青森県・竜飛崎にある国道339号線の「階段国道」は歩いて通れるため不通区間ではない)。
半年ほど前、道路特定財源問題に関連して、日本中の道路工事はすべてが無駄であるかのように言われた。しかし、この甲子道路のように、生活道路として地元から待ち望まれる道路が存在するというのもまた日本の現実なのである。
何はともあれ、白河と会津を結ぶ大動脈は今日、こうして動き出した。とりわけ奥会津地方は、閉ざされ分断されて不便を強いられてきた。そうした不便な暮らしにも風穴を開ける新時代の到来を、地元の人たちとともに祝いたい。