語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】沢木耕太郎『危機の宰相』

2011年06月01日 | ノンフィクション


 本書は、(1)池田勇人の人となり、(2)彼の活動を支えた人材、(3)「所得倍増」という政治理念の生成と構造を追跡する。
 ここでは、沢木の描く人物像を追ってみる。

 池田勇人は、大蔵省で「赤切符組」と位置づけられ、出世が遅れた。天疱瘡にかかり、闘病すること5年間、同期に決定的に差をつけられた。だが、生死の境をさまよった結果、腹が据わったらしい。
 池田が復職し、主税局国税課長の任にあった1942年、関東地方を大きな風水害が襲った。政府は、甚大な被害があった地域を免税することとした。記者たちは、免税地域と総額を知るべくシノギを削った。常日頃、「三等官僚」と目されていた池田のもとに記者は寄りつかなかったが、松本幸輝久記者だけはよく机の前でおしゃべりしていた。被害地域の調査から帰ってきた池田と省内の廊下でたまたま出くわした松本は、すれちがいざまに、これくらいだろうと思われる金額だけ指を立ててみた。池田は、「そんなところだ」とうなずいた。その金額が新聞に載った。スクープにはなったものの、時の内閣総理大臣、東条英機の逆鱗に触れた。情報を漏らした者の首を取れ、と。
 松本は、池田は関係ないと大蔵省の上司に弁明しようとしたが、池田は達観したように言った。教えたことは事実だし、いま辞めさせられてもかまわない、辞めさせられたら家に戻って酒でも造りながらのんびりするよ、と。松本は、池田の意外な肝の据わり方に驚いた。
 後に側近となった宮沢喜一によれば、池田は「むしろ弱いところのある人だった」が、その底に「依怙地」とも「気骨」ともつかない「激しさ」を潜ませていたのだ。

 池田は病気で多くのものを失ったが、逆に得たものもあった。一つは、深い信仰心だ。特定の信仰を持ったわけではないが、大病後、朝起床すると東方へ向かって柏手を打つことを日課とした。
 宮沢喜一は、訊ねたことがある。「どうもあなたの正直は、ただの正直とは思えない。札所を廻ったとき、もし治ったら自分は一生嘘をつかないという願をかけたんじゃありませんか」
 「その通りだ」と、池田はボソッと答えた。
 沢木は書いていないが、本音しか言えない池田というイメージを逆手にとった「私はウソは申しません」(自民党のテレビCM)は、1960年の流行語にもなった。

 一癖も二癖もありそうな人材が、池田の周囲に多数集まってきたのはなぜか。
 その秘密、池田勇人という人物の全体像がくっきり浮かびあがってくるのは、盟友、前尾繁三郎の銀婚式におけるスピーチだ。その速記録が宏池会に残っている。沢木耕太郎は、あえて全文を引用している。ここではスピーチは引用しないが、スピーチに対する沢木の評を引用する。
 「ここで前尾との付き合いの詳細が述べられているのは当然としても、自分の来歴や当時の心境もさりげなく語られている。病気のこと、赤切符組だったこと、再婚のこと、復職のこと。そして、印象的なのは、前尾との付き合いが、二人にとってどこか『第二の青春』とでも言うべきものではなかったかと感じられるほど生き生きとしていることだ。/またこの挨拶の中には、池田の数字に対する嗜好といったものとは別に、思いがけないユーモアの存在が見て取れる。話は決して上手ではないが、聞いている者の気持ちを明るくさせるものがある。そしてなにより儀礼を超えた情の存在が見てとれる。/ここには、池田の人心収攬術の核心が秘められているのかもしれない。いや、当人には人心を『収攬』しようなどという思いはないのだろうが、巧まずして人の心を捉えることになる能力の存在が示されている。おそらく、将たる者は人に好かれるだけでは足りない。人を好きになる能力が必要なのだ。この挨拶の中には、池田の人を好きになる能力といったものがはっきりと映し出されている」

 人に好かれる、という点では、次のようなエピソードが興味深い。
 官僚から政治家に転身したばかりの頃、池田は新聞記者にまたく人気がなかった。しかし、時の経過とともに、池田の率直な人柄が記者にも理解できるようになった。すると、今度は逆に根強い池田人気が生まれた。雑誌論文やエッセイなどのゴーストライターを引き受けるまでに至った。

【参考】沢木耕太郎『危機の宰相』(魁星社、2006)
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【震災】原発>菅首相の「東電シフト」の実態

2011年06月01日 | 震災・原発事故
 事態の深刻さを、過大でも過小でもなく評価する専門家が必要だ。
 しかるに、官邸で政策に関わっているとされるのは、東電と二人三脚で安全からの逃走を担ってきた望月晴文・前経済産業用次官だ、という。保安院示談に、原発のデータ偽装事件など不祥事をうまく処理し、以来、電力自由化、CO2排出抑制、自然エネルギーの定額買収など、電力会社が難色を示す政策の実施を遅らせてきた。
 浮く島第一原発事故の後に内閣府参与に任命された二人、広瀬研吉・元原子力安全・保安院長と小佐古敏庄・東京大学大学院教授(後に記者会見で涙を流して辞めた)は、スタンスに相当な不安がある。
 広瀬は、保安院長のとき、福島第一を含む原発が津波によって冷却機能が喪失し炉心溶融の危険がある、と国会で吉井英勝議員(共産党)から指摘されたとき、前書を約しながら、実際は何も手を付けなかった。
 小佐古は、原爆症認定においてなるべく範囲を狭める国側の証人だった。講演では、原発の安全神話を説いた。
 菅首相は、一体どういうつもりでこんな「東電シフト」を官邸に敷いたのか。

 斑目春樹・原子力安全委員長は、想定を甘くして安全設計を割りきる、という「安全からの逃走」の推進者だ。
 鈴木篤之・前原子力安全委員長もまた、原子炉規制法の規制緩和を進め、事業者寄りと批判された。

 経産相と東電のネットワークに入らない原子力専門家もいる。旧日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)、放射線医学総合研究所、京大原子炉実験所などの研究者には、安全からの逃走を潔しとしない人たちもいる。
 そうした専門家たちが、3月31日、緊急提言をまとめて記者発表した。本来なら、安全委などを通して首相や官房長官に意見を伝えるべき専門家たちの声が、なぜか伝わらない。歴代の安全委員長の中で、安全サイドからものを言い、煙たがられた佐藤一男、松浦祥次郎、齊藤伸二、田中俊二なども提言に名を連ねている。
 これは原子力村の中の勢力争いというレベルの問題ではない。誰が原発事故から住民を、国民を守るのかという根源的な問題だと思う。
 将来を見据えて実行する強い権限をもつ管理委員会を設置しないと、日本が沈む。

 いかに抗弁しようとも、原子力損害賠償法で事業者は無限責任を負う。M9.0は、震源の地震規模であって、原発サイトを襲った地震の強さではない。津波をいうなら、女川原発(東北電力)と比較してどうだったかを評価すれば、すぐわかる。
 東電の人脈は金融界にも及ぶ。森本宜久・日銀審議委員は、電気事業連合会の副会長を務めた。特別な救済措置がとられないよう、監視が必要だ。

 以上、塩谷喜雄「なおも暴走する『原子力村』 虚構と偽りの戦後史」(『日本の原発 ~あなたの隣にあるリスク』、新潮社、2011)に拠る。

    *

 「一見まったく関係がないTPP参加表明と、大惨事をもたらした原発政策は、日本の政治土壌の深部でその根を絡み合わせているのである」
 「民主党は、政権をとるべく作成した公約では『脱原発』をうたっていた」
 「だが、菅、仙谷、岡田、枝野、北沢等の諸氏は弊履のようにこれを捨てた」。10年6月8日、エネルギー基本計画を改定し、20年までに原発を9基新増設し、30年までにさらに5基増やす目標を掲げた。
 この目標に加えて、10年10月31日にベトナムを訪問した菅首相は、グエン・タン・ズン首相と会談し、日本の原発を売り込んだ。2基の建設の確約を得、そのための支援を約した。
 「菅首相は原発推進論者なのである」【注1】
 「この原発推進論と、TPP推進とは、いずれも経済産業省がつくりあげた構想であり、それが経産省の、ついで菅内閣の成長戦略となり、政策的思考を持たない管内閣を動かしているのである」【注2】
 「くりかえそう。TPPと原発推進とは、同じ構想のうえに立っているのである」
 「それだけではない。福島原発事故の情況について、テレビで発表する原子力安全・保安院の責任者【注3】は、ついこの間までTPP推進をになっていた経産省の人であったのも、故なしとしない。TPPには戦後世界経済のルールに係る深い知識が必要なはずである。原子炉事故には、単なる自然科学的知識をこえた専門的知識を必要とする。だがこの人【注3】にその二つの知識があるとは思えない。ともに素人なのであり、その上に躍るのが、菅、枝野、仙谷氏等なのであろうか」

 菅政権は、民主党のマニフェストを捨てた。「しかし、政権交代で、この“脱”原発政策を活かしていたら、もっとも古い原発である福島--それは幾度となく事故をおこしている--と、もっとも危険である静岡県の浜岡原発は、運転をとめていたかもしれないのである。菅首相たちは、今回の事故についての政治家としての責任を免れることはできないのである」【注4】。

 以上、伊東光晴「戦後国際貿易ルールの理想に帰れ(下) ~TPP批判~」(「世界」2011年6月号)に拠る。

 【注1】民主党政権の背後に230組合、組合員215,000人の電力総連が控える。全国54基ある原発の選挙区は14、民主党19人、自民党7人、国民新党1人がここから当選している。また、旧民社党グループ「民社協会」(約40人)は、09年までの4年間に計240万円の献金を電力総連から受けている(記事「脱原発できない民主党の“高濃度汚染”」、「サンデー毎日」2011年6月4日号)。

 【注2】「損害賠償スキームは、菅首相のブレーンで元経産事務次官の望月晴文内閣官房参与が経産官僚に書かせた。望月氏は海江田万里経産相や仙谷官房副長官に根回しし、了解を取り付けて菅首相に渡した。要は官僚の絵図に乗っただけ。“原子力村”の要である経産官僚に取り込まれている菅政権では脱原発は無理です」【鈴木哲夫(ジャーナリスト)】(記事「脱原発できない民主党の“高濃度汚染”」、「サンデー毎日」2011年6月4日号)。

 【注3】会見担当の西山英彦審議官は、「『3月13日に着任するまで、経産省大臣官房審議官としてTPPを担当していた。2年前までエネ庁に出向し、原発振興の旗振り役である電力・ガス事業部長をやった経験と、温厚な性格が買われての抜擢ですが、原子力の専門知識はゼロ。東大法学部卒の事務官で、詳しいことをしゃべりようがない。東電に配慮した経産省の計算が透けて見えます』(経産省職員)」(記事「やっっぱりズブズブの関係だった!!東電と経産省の呆れた蜜月ぶり」、「週刊朝日」2011年4月15日号)。
 ちなみに、西山審議官が資源エネルギー庁在職中に、その娘が東電に入社している(「AERA」2011年5月23日号)。

 【注4】5月6日夜、菅首相が緊急会見で発表し、中部電力が9日の臨時役員会で受け入れ決定した「要請」は、一時停止であって、廃炉ではない。
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