「3ヶ月たった。政府の方ではやるのに、テレビや新聞は、このままシラをきって逃げきる気か。いくら公式発表に従ったとはいえ、おまえらが垂れ流したのは、初日からまったくの大誤報だったじゃないか」
「それもこれも、テレビや新聞が、ウラも取らず、疑いもせず、それどころか、喜々として政府と東電のケツ持ちをやったせいなのだから、そりゃもう報道機関として自殺行為だった。もうあんたらの話なんか、だれも信用していない」
「なぜノーチェックで、加害当事者である政府や東電の言い分を流したのか。(中略)報道機関に専門知識が無かった、などという言いわけが通用するか。まともな専門家に聞きもしなかったじゃないか。それどころか、トンデモな連中に、トンデモな解説をさせ、混乱と誤解とウソを助長させただけ。あの日、あの時、誰が何を言ったか、司会者やコメンテーターを含め、私たちはけっして忘れてはいないぞ」
「今回の大誤報、歪曲報道の背景として疑われている買収の問題はどうする。報道機関がカネで身を売っていたとなれば、放送免許停止こそが当然だ」
「実際、ネット上の人々は、英語やドイツ語、中国語、その他の言語圏の情報ソースの方が依存度が高くなってしまっている。政府発表やマスコミの話より、シロウトが自分たちで勝手に測定したデータの方が信頼性が高くなってしまっている。この状況で今のテレビや新聞は、危機感を持たないのか」
「報道の仕事の原点を思い出せ」
「いま、自分たちの報道組織の内部に腐敗があり、今回の大誤報をごまかしてやり過ごそうとするなら、まずその問題にこそ眼を向けるべきだ」
以上、純丘曜彰(大阪芸術大学芸術計画学科教授/元テレビ朝日報道局報道制作部『朝まで生テレビ!』ブレーン)「テレビ・新聞は原発大誤報を自己検証をしろ!」(BLOGOS)に拠る。
*
福島原発事故から約2ヵ月たって、メルトダウンが起きていたことが公表された。
事故当初は、政府・東電によってももっぱら「安全」「安心」が強調されていた。それはその後、事実によって次々と破綻させられた。
こうなると、会見での発表内容を誰も信用しなくなる。危機管理のあり方としては最悪の事態だ。
政府や東電に対する不信感は、それをそのまま伝えたメディアに対する不信感となって噴出している。昨年の検察報道をめぐるメディア不信以上に不信感が高まった。きわめて深刻な事態だ。
震災・原発事故の直後にパニックが起きないように配慮したことは、ある程度やむをえない。ただ、その場合でも、政府や東電の発表をチェックし、市民の側にたって監視するのがメディアの本来の役割だった。この認識を報道の側がどれだけ持っていたか。それが問題だ。この認識を欠いては、政府発表を垂れ流すだけの広報機関になってしまう。まさに戦時中の大本営発表と同じだ。
当初のテレビ報道などには、政府との間に距離がとれているのか疑わしい場面が少なくなかった。これは恐らく、メディアの側に本来あるべき自覚が希薄になっていたことの反映だ。
政府、産業界、学者の原発推進の態勢づくりが作られてきた(「原子力ムラ」)。
マスメディアもまた、その中に複雑に組みこまれていた。
そうした問題も、一連の事態の中で何度も議論の俎上に載せられた。
まず、事故発生当時の3月11日、東電の勝俣恒久会長を団長とする一行が中国ツアーの真っ最中で、新聞社幹部や雑誌編集長が参加していた、という話がある(「【震災】東電トップは、あの3日間何をしていたのか?」参照)。最初にスッパ抜いたのは「週刊文春」3月31日号の「中国ツアー 『大手マスコミ接待リスト』を入手!」だ。記事の中では、「東京・中日新聞社、西日本新聞の幹部や毎日新聞の元役員」などと媒体名が挙げられていたが、雑誌関係者については媒体名が挙げられていなかった。後に、それが花田紀凱「WiLL」編集長や元木昌彦・元「週刊現代」編集長らだったことが明らかになった。
電力会社とメディアの関係については、前者が大きなスポンサーであることを含め、丁寧に検証する必要があろう。
検証すべきもう一つは、記者会見の問題だ。マスメディアの報道が大本営発表のごときになったのは、記者クラブ制度と関わりがあるのは明らかだろう。
福島原発取材規制をめぐる問題も、今後大きな議論になると思う。既に4月段階で、大手マスコミは30キロ圏外に避難し、20キロ圏内で取材を行っていたのは主にフリーのジャーナリストだった。イラクなどの戦場取材と同じ状況が、原発取材でも生まれていたのだ。そして、4月下旬以降、フリーも20キロ圏内には自由に入れなくなった。
まだまだ課題は多い。本誌は、今後も引き続き、この問題を検証していく。
以上、篠田博之「原発報道とメディアの責任 --メディアは真実を伝えているのか」「創」2011年7月号)に拠る。
上記の論考は、「創」7月号の特集「原発報道とメディアの責任 --メディアは真実を伝えているのか」のプロローグをなす。以下、今西憲之「福島原発事故と取材の自主規制」、綿井健陽「福島第一原発敷地内取材への提言」、金平茂紀「報道の現場で何を考えるべきか」、柴田鉄治「原発報道は失敗の連続だった」、浅野健一「福島原発『事件』報道の犯罪」、上杉隆「記者クラブの体質と原発報道」、日隅一雄・木野龍逸「東電会見『混沌』の功と罪」、津田大介「原発とネットメディア」・・・・が続く。
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「それもこれも、テレビや新聞が、ウラも取らず、疑いもせず、それどころか、喜々として政府と東電のケツ持ちをやったせいなのだから、そりゃもう報道機関として自殺行為だった。もうあんたらの話なんか、だれも信用していない」
「なぜノーチェックで、加害当事者である政府や東電の言い分を流したのか。(中略)報道機関に専門知識が無かった、などという言いわけが通用するか。まともな専門家に聞きもしなかったじゃないか。それどころか、トンデモな連中に、トンデモな解説をさせ、混乱と誤解とウソを助長させただけ。あの日、あの時、誰が何を言ったか、司会者やコメンテーターを含め、私たちはけっして忘れてはいないぞ」
「今回の大誤報、歪曲報道の背景として疑われている買収の問題はどうする。報道機関がカネで身を売っていたとなれば、放送免許停止こそが当然だ」
「実際、ネット上の人々は、英語やドイツ語、中国語、その他の言語圏の情報ソースの方が依存度が高くなってしまっている。政府発表やマスコミの話より、シロウトが自分たちで勝手に測定したデータの方が信頼性が高くなってしまっている。この状況で今のテレビや新聞は、危機感を持たないのか」
「報道の仕事の原点を思い出せ」
「いま、自分たちの報道組織の内部に腐敗があり、今回の大誤報をごまかしてやり過ごそうとするなら、まずその問題にこそ眼を向けるべきだ」
以上、純丘曜彰(大阪芸術大学芸術計画学科教授/元テレビ朝日報道局報道制作部『朝まで生テレビ!』ブレーン)「テレビ・新聞は原発大誤報を自己検証をしろ!」(BLOGOS)に拠る。
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福島原発事故から約2ヵ月たって、メルトダウンが起きていたことが公表された。
事故当初は、政府・東電によってももっぱら「安全」「安心」が強調されていた。それはその後、事実によって次々と破綻させられた。
こうなると、会見での発表内容を誰も信用しなくなる。危機管理のあり方としては最悪の事態だ。
政府や東電に対する不信感は、それをそのまま伝えたメディアに対する不信感となって噴出している。昨年の検察報道をめぐるメディア不信以上に不信感が高まった。きわめて深刻な事態だ。
震災・原発事故の直後にパニックが起きないように配慮したことは、ある程度やむをえない。ただ、その場合でも、政府や東電の発表をチェックし、市民の側にたって監視するのがメディアの本来の役割だった。この認識を報道の側がどれだけ持っていたか。それが問題だ。この認識を欠いては、政府発表を垂れ流すだけの広報機関になってしまう。まさに戦時中の大本営発表と同じだ。
当初のテレビ報道などには、政府との間に距離がとれているのか疑わしい場面が少なくなかった。これは恐らく、メディアの側に本来あるべき自覚が希薄になっていたことの反映だ。
政府、産業界、学者の原発推進の態勢づくりが作られてきた(「原子力ムラ」)。
マスメディアもまた、その中に複雑に組みこまれていた。
そうした問題も、一連の事態の中で何度も議論の俎上に載せられた。
まず、事故発生当時の3月11日、東電の勝俣恒久会長を団長とする一行が中国ツアーの真っ最中で、新聞社幹部や雑誌編集長が参加していた、という話がある(「【震災】東電トップは、あの3日間何をしていたのか?」参照)。最初にスッパ抜いたのは「週刊文春」3月31日号の「中国ツアー 『大手マスコミ接待リスト』を入手!」だ。記事の中では、「東京・中日新聞社、西日本新聞の幹部や毎日新聞の元役員」などと媒体名が挙げられていたが、雑誌関係者については媒体名が挙げられていなかった。後に、それが花田紀凱「WiLL」編集長や元木昌彦・元「週刊現代」編集長らだったことが明らかになった。
電力会社とメディアの関係については、前者が大きなスポンサーであることを含め、丁寧に検証する必要があろう。
検証すべきもう一つは、記者会見の問題だ。マスメディアの報道が大本営発表のごときになったのは、記者クラブ制度と関わりがあるのは明らかだろう。
福島原発取材規制をめぐる問題も、今後大きな議論になると思う。既に4月段階で、大手マスコミは30キロ圏外に避難し、20キロ圏内で取材を行っていたのは主にフリーのジャーナリストだった。イラクなどの戦場取材と同じ状況が、原発取材でも生まれていたのだ。そして、4月下旬以降、フリーも20キロ圏内には自由に入れなくなった。
まだまだ課題は多い。本誌は、今後も引き続き、この問題を検証していく。
以上、篠田博之「原発報道とメディアの責任 --メディアは真実を伝えているのか」「創」2011年7月号)に拠る。
上記の論考は、「創」7月号の特集「原発報道とメディアの責任 --メディアは真実を伝えているのか」のプロローグをなす。以下、今西憲之「福島原発事故と取材の自主規制」、綿井健陽「福島第一原発敷地内取材への提言」、金平茂紀「報道の現場で何を考えるべきか」、柴田鉄治「原発報道は失敗の連続だった」、浅野健一「福島原発『事件』報道の犯罪」、上杉隆「記者クラブの体質と原発報道」、日隅一雄・木野龍逸「東電会見『混沌』の功と罪」、津田大介「原発とネットメディア」・・・・が続く。
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