事故から2ヵ月以上経ってから、また新たな事実が判明した。5月28日、東電は事故直後から計測していながら、未公表にしていた放射線量データ(福島第一原発構内に係るもの)を公開した。
福島第一原発の敷地境界には、放射線量を常時測定する観測装置(モニタリング・ポスト、MP)が8ヵ所設置されている。地震発生直後に電源喪失し、機能が停止したMPを除き、(a)敷地南西側の正門付近と(b)南側8MP付近における10分ごとの数値だけ東電は公開してきた。
ところが、3月12日15時からは、柏崎刈羽原発から借りたモニタリングカーが、(c)1~4号機の北西側、MP4付近で2分間ごとの計測データを記録していたのだ。
このたび、(a)~(c)の1,500件のデータをようやく公開したのだが、驚くべきは(c)の数値の桁違いの大きさだ。
以前から公表されていたデータでは、3月12日10時30分で、(a)一時的に385.5μSv/時という高い数値だが、後はほぼ10.0μSv/時で推移している。同時間帯、(b)でも一時的に24.1μSv/時を示したものの、ほぼ横ばいの5.0μSv/時だ。同日15時10分でも、(a)7.0μSv/時、(b)3.3μSv/時だった。1号機が爆発した直後の15時30分は、(a)5.5μSv/時、(b)3.2μSv/時だ。
ところが、このたび新たに公表された(c)によれば、同日15時13分の数値は162.4μSv/時、1号機が爆発を起こした直後の15時39分には1,015.1μSv/時を記録していた。その後も2分ごとに桁違いの数値を記録し、最低で34.8μSv/時、最高は1,204μSv/時まで達している。
この隠蔽された数値は、早い時期から事故を起こした原子炉の北西側、(c)の方向に向かって高いレベルで放射能汚染が広がっていったことを明示している。
4月6日から29日にかけて、文科省と米国エネルギー省が共同で航空機モニタリングを実施した。その結果によれば、セシウム134、137を合計した地表面の蓄積量が300万Bq/平米を超える汚染地帯は、確実に北西に向かって拡大し、半径30キロ圏を超えている。60万Bq/平米を超える汚染に至っては飯館村をすっぽりと覆い、伊達市や福島市の一部にも点在して広がっている。
チェルノブイリ原発事故後、ウクライナは汚染地域を4つの区域に分類した。第1ゾーンは、事故直後、旧ソ連政府によって強制退去となった地域だ。第2ゾーンは、「無条件移住区域」で、ベクレル単位に換算すると55.5万Bq/平米以上だ。
つまり、飯館村、伊達市や福島市の一部はチェルノブイリ原発事故でいう「無条件移住区域」に該当する。
ウクライナでも、移住先がない、などの理由で今も第2ゾーンに暮らす地元住民はいる。彼らに膀胱ガンの多発が顕著だ。子どもの甲状腺ガンの多発はよく知られている。膀胱ガンについても、96年にウクライナの研究が公表され、05年、この事実は世界的に認知された。また、膀胱ガン、子どもの甲状腺ガンのみならず、白内障と心臓疾患も増加する。チェルノブイリ原発事故では報告されていないが、心臓と同様に脳梗塞の多発も考えられる。
飯館村、伊達市、福島市は、汚染が北西に拡大することをもっと早く知っていれば、もっと早く対策を講じることができたはずだ。
以上、青沼陽一郎「遅れに遅れた退避勧告 東電がヒタ隠した放射線データ 殺人的数値」(「週刊文春」2011年6月9日号)に拠る。
*
3月11日22時、原子力災害対策本部事務局は、緊急時対策支援システム(ERSS)を稼働させ、メルトダウンを予測した。その情報は官邸にも報告されていた。
保安院の資料によれば、予測は原子炉の冷却水の水位などプラント情報が比較的喪失しなかった2号機を中心として行われた。22時のERSS予測は・・・・
22:50 炉心露出
23:50 燃料被覆管破損
24:50 燃料溶融
27:20 原子炉格納容器設計最高圧到達。原子炉格納容器ベントにより放射性物質の放出。
原子力災害対策本部事務局は、2号機に係るこの予測をもとに、1号機および3号機の事故進展予測も行った。
これだけ重要で正確な情報があり、官邸に伝えられていたのだから、その日のうちに避難地域を拡大すべきであった。
ところで、同対策本部は、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)に3時半放出という条件で、1号機のベントによる放射能拡散を予測させた。この時作成された試算図【注】では、風は海に向かい、内陸部に放射性物質は拡散しない、という結果をはじき出した。被害を最小限に抑えるタイミングであった。対策本部から、SPEEDI試算図が官邸にファックスで送信された。
菅首相が原発を視察する(12日7~8時)と、枝野幸男官房長官の記者会見(12日3時過ぎ)で発表された。
視察に伴って、ベントの予定時刻が変更された。12日3時53分、対策本部は文科省に、1号機のベント実施時刻を正午に遅らせた場合のSPEEDI試算をやり直させた。
実際のベントは、12日14時30分から実施された。その時刻に近いSPEEDI試算図では、放射性物質は海風に乗って双葉町や浪江町などに拡散する、と予測された。ベントを遅らせたため、放射性物質が陸地方向へ飛び散り、多数の住民を被曝させることになったのだ。
【注】「ポスト」誌は、3月12日1時12分作成のSPEEDI試算図を官邸は知っていた、と断じる。
なぜなら、原発視察において「首相を乗せた自衛隊ヘリは、試算図が放射性物質が拡散すると予測した海側を避けて飛行した。陸自幹部が明かす。/『ヘリは南から福島第一原発に接近し、原子炉上空を陸側にぐるっと回避して到着した。そのままでは次の離陸の際には海に向かって飛ぶことになるから、着陸の際には、半回転して機体を内陸に向け直しています』/これこそ官邸がSPEEDI予測を知っていた動かぬ証拠だ」。
これは妙な証拠である。風向は、SPEEDIによらずとも、天上の雲を見、地上の草木を見れば小学生でもわかる。少し詳しい天気図にも載っている。ヘリに風向計が備え付けてあったかもしれない。・・・・だからと言って、官邸が知らなかったことにはならないが、「動かぬ証拠」と胸を張るなら、せめて中学生にも納得できる証拠を出したほうがよい。
以上、記事「『再臨界だ!』と煽ったのはやっぱりこの男」(「週刊ポスト」2011年6月10日号)に拠る。
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福島第一原発の敷地境界には、放射線量を常時測定する観測装置(モニタリング・ポスト、MP)が8ヵ所設置されている。地震発生直後に電源喪失し、機能が停止したMPを除き、(a)敷地南西側の正門付近と(b)南側8MP付近における10分ごとの数値だけ東電は公開してきた。
ところが、3月12日15時からは、柏崎刈羽原発から借りたモニタリングカーが、(c)1~4号機の北西側、MP4付近で2分間ごとの計測データを記録していたのだ。
このたび、(a)~(c)の1,500件のデータをようやく公開したのだが、驚くべきは(c)の数値の桁違いの大きさだ。
以前から公表されていたデータでは、3月12日10時30分で、(a)一時的に385.5μSv/時という高い数値だが、後はほぼ10.0μSv/時で推移している。同時間帯、(b)でも一時的に24.1μSv/時を示したものの、ほぼ横ばいの5.0μSv/時だ。同日15時10分でも、(a)7.0μSv/時、(b)3.3μSv/時だった。1号機が爆発した直後の15時30分は、(a)5.5μSv/時、(b)3.2μSv/時だ。
ところが、このたび新たに公表された(c)によれば、同日15時13分の数値は162.4μSv/時、1号機が爆発を起こした直後の15時39分には1,015.1μSv/時を記録していた。その後も2分ごとに桁違いの数値を記録し、最低で34.8μSv/時、最高は1,204μSv/時まで達している。
この隠蔽された数値は、早い時期から事故を起こした原子炉の北西側、(c)の方向に向かって高いレベルで放射能汚染が広がっていったことを明示している。
4月6日から29日にかけて、文科省と米国エネルギー省が共同で航空機モニタリングを実施した。その結果によれば、セシウム134、137を合計した地表面の蓄積量が300万Bq/平米を超える汚染地帯は、確実に北西に向かって拡大し、半径30キロ圏を超えている。60万Bq/平米を超える汚染に至っては飯館村をすっぽりと覆い、伊達市や福島市の一部にも点在して広がっている。
チェルノブイリ原発事故後、ウクライナは汚染地域を4つの区域に分類した。第1ゾーンは、事故直後、旧ソ連政府によって強制退去となった地域だ。第2ゾーンは、「無条件移住区域」で、ベクレル単位に換算すると55.5万Bq/平米以上だ。
つまり、飯館村、伊達市や福島市の一部はチェルノブイリ原発事故でいう「無条件移住区域」に該当する。
ウクライナでも、移住先がない、などの理由で今も第2ゾーンに暮らす地元住民はいる。彼らに膀胱ガンの多発が顕著だ。子どもの甲状腺ガンの多発はよく知られている。膀胱ガンについても、96年にウクライナの研究が公表され、05年、この事実は世界的に認知された。また、膀胱ガン、子どもの甲状腺ガンのみならず、白内障と心臓疾患も増加する。チェルノブイリ原発事故では報告されていないが、心臓と同様に脳梗塞の多発も考えられる。
飯館村、伊達市、福島市は、汚染が北西に拡大することをもっと早く知っていれば、もっと早く対策を講じることができたはずだ。
以上、青沼陽一郎「遅れに遅れた退避勧告 東電がヒタ隠した放射線データ 殺人的数値」(「週刊文春」2011年6月9日号)に拠る。
*
3月11日22時、原子力災害対策本部事務局は、緊急時対策支援システム(ERSS)を稼働させ、メルトダウンを予測した。その情報は官邸にも報告されていた。
保安院の資料によれば、予測は原子炉の冷却水の水位などプラント情報が比較的喪失しなかった2号機を中心として行われた。22時のERSS予測は・・・・
22:50 炉心露出
23:50 燃料被覆管破損
24:50 燃料溶融
27:20 原子炉格納容器設計最高圧到達。原子炉格納容器ベントにより放射性物質の放出。
原子力災害対策本部事務局は、2号機に係るこの予測をもとに、1号機および3号機の事故進展予測も行った。
これだけ重要で正確な情報があり、官邸に伝えられていたのだから、その日のうちに避難地域を拡大すべきであった。
ところで、同対策本部は、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)に3時半放出という条件で、1号機のベントによる放射能拡散を予測させた。この時作成された試算図【注】では、風は海に向かい、内陸部に放射性物質は拡散しない、という結果をはじき出した。被害を最小限に抑えるタイミングであった。対策本部から、SPEEDI試算図が官邸にファックスで送信された。
菅首相が原発を視察する(12日7~8時)と、枝野幸男官房長官の記者会見(12日3時過ぎ)で発表された。
視察に伴って、ベントの予定時刻が変更された。12日3時53分、対策本部は文科省に、1号機のベント実施時刻を正午に遅らせた場合のSPEEDI試算をやり直させた。
実際のベントは、12日14時30分から実施された。その時刻に近いSPEEDI試算図では、放射性物質は海風に乗って双葉町や浪江町などに拡散する、と予測された。ベントを遅らせたため、放射性物質が陸地方向へ飛び散り、多数の住民を被曝させることになったのだ。
【注】「ポスト」誌は、3月12日1時12分作成のSPEEDI試算図を官邸は知っていた、と断じる。
なぜなら、原発視察において「首相を乗せた自衛隊ヘリは、試算図が放射性物質が拡散すると予測した海側を避けて飛行した。陸自幹部が明かす。/『ヘリは南から福島第一原発に接近し、原子炉上空を陸側にぐるっと回避して到着した。そのままでは次の離陸の際には海に向かって飛ぶことになるから、着陸の際には、半回転して機体を内陸に向け直しています』/これこそ官邸がSPEEDI予測を知っていた動かぬ証拠だ」。
これは妙な証拠である。風向は、SPEEDIによらずとも、天上の雲を見、地上の草木を見れば小学生でもわかる。少し詳しい天気図にも載っている。ヘリに風向計が備え付けてあったかもしれない。・・・・だからと言って、官邸が知らなかったことにはならないが、「動かぬ証拠」と胸を張るなら、せめて中学生にも納得できる証拠を出したほうがよい。
以上、記事「『再臨界だ!』と煽ったのはやっぱりこの男」(「週刊ポスト」2011年6月10日号)に拠る。
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