東日本大震災以後発生した「風評被害」という事態には、少なくとも4種類ある。
(1)国内における農産物や水産物の買い控え。
(2)海外での日本製品に対する過剰な輸入規制。
(3)国内および海外からの旅行客の減少。
(4)福島県からの避難者が宿泊を拒否されるなどの、人に対する差別。
これらをいっしょにするのは、ちょっと乱暴だ。
(4)は、「謝った認識にもとづく明らかな人権侵害」だ。基本的人権の尊重をうたった憲法にも違反する。人間は野菜じゃない。
(3)は、逆の立場だったらどうだろう。米中枢同時テロの直後には米国旅行を、新型肺炎(SARS)が流行した際には中国旅行を、私たちは控えたはずだ。「危なそうな国には行きたくないじゃん」と考えたのではないか。
(2)についても同様だ。米国で牛海綿状脳症(BSE)の牛が発見されたとき、日本は米国産牛肉の輸入を禁止し、米国に全頭検査と同等の対策を求め続けた。中国産のウナギから合成抗菌剤が検出されたときも、中国製の冷凍ギョーザで中毒者が出たときも、販売中止によってスーパーから中国製の食品が消えた。これらも身勝手な「風評加害」だったのか。
(2)と(3)については、原発事故が一段落するまである程度は仕方ない、と考えたほうが、むしろ前向きな対策が立てやすい。
問題は(1)だ。
風評という言葉は、責任があたかも消費者にあるかのような錯覚を起こさせる。でも、それはとんだ濡れ衣だ。東京電力と国の責任を消費者に押しつける責任転嫁に近い。
「放射能汚染の実態が明らかになるまで原発に近い地域の農産物は控えたい」と考える人がいて不思議はない。
人々が「風評」で動くようになった最大の責任は、情報を迅速に開示せず、「直ちに健康に影響はありません」とだけ連呼し続けた政府と行政機関にある【注】。
それ以上に問題なのは、「風評被害」が情報の隠蔽を正当化する方便に使われていることだろう。風評を避ける、という名目で、詳細な放射線量のデータを公表しなかった政府。荒茶の検査を拒否した自治体。
健康に害がないのにいちいち騒ぐな、という人は「食の安全・安心」を見くびっている。
賞味期限を1時間過ぎた弁当を食べても、たぶん健康に影響はないだろう。それでも、私たちの文化は食に厳格な規制と細心の注意を求め、それが生産者と消費者の信頼関係をつくってきた。
消費者の加害扱いをやめること。風評ではなく、せめて二次被害、三次被害のようなフラットな表現を使うこと。
政府が信用できない以上、疑心暗鬼を払拭するためにも、生産者と消費者が信頼関係を取りもどすことが必要ではないか。
両者はともに原発事故の被害者なのだし、そして当分、事故が収束する見こみはないのだから。
以上、斎藤美奈子「生産者と消費者が信頼を ともに原発事故の被害者」(2011年月日付け日本海新聞)に拠る。
【注】アイシェア(東京都渋谷区)のアンケート調査によれば、原発事故に関する政府の情報発表は、7割以上の人が「信用できない」と感じている。「すべて信用できる」と答えたのは全体のわずか1%。「信用できるものが多い」と答えた人も25.1%にとどまる。そして、「信用できないものが多い」が61.5%、「すべて信用できない」が12.4%だ。(小川 たまか([編集・ライター/プレスラボ取締役)「パニックを恐れた原発・政府発表の誤算? 国民7割以上が政府の原発関連情報「信用できない ~ザ・世論 日本人の気持ち 【第28回】 2011年5月31日、DIAMOND online)
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(1)国内における農産物や水産物の買い控え。
(2)海外での日本製品に対する過剰な輸入規制。
(3)国内および海外からの旅行客の減少。
(4)福島県からの避難者が宿泊を拒否されるなどの、人に対する差別。
これらをいっしょにするのは、ちょっと乱暴だ。
(4)は、「謝った認識にもとづく明らかな人権侵害」だ。基本的人権の尊重をうたった憲法にも違反する。人間は野菜じゃない。
(3)は、逆の立場だったらどうだろう。米中枢同時テロの直後には米国旅行を、新型肺炎(SARS)が流行した際には中国旅行を、私たちは控えたはずだ。「危なそうな国には行きたくないじゃん」と考えたのではないか。
(2)についても同様だ。米国で牛海綿状脳症(BSE)の牛が発見されたとき、日本は米国産牛肉の輸入を禁止し、米国に全頭検査と同等の対策を求め続けた。中国産のウナギから合成抗菌剤が検出されたときも、中国製の冷凍ギョーザで中毒者が出たときも、販売中止によってスーパーから中国製の食品が消えた。これらも身勝手な「風評加害」だったのか。
(2)と(3)については、原発事故が一段落するまである程度は仕方ない、と考えたほうが、むしろ前向きな対策が立てやすい。
問題は(1)だ。
風評という言葉は、責任があたかも消費者にあるかのような錯覚を起こさせる。でも、それはとんだ濡れ衣だ。東京電力と国の責任を消費者に押しつける責任転嫁に近い。
「放射能汚染の実態が明らかになるまで原発に近い地域の農産物は控えたい」と考える人がいて不思議はない。
人々が「風評」で動くようになった最大の責任は、情報を迅速に開示せず、「直ちに健康に影響はありません」とだけ連呼し続けた政府と行政機関にある【注】。
それ以上に問題なのは、「風評被害」が情報の隠蔽を正当化する方便に使われていることだろう。風評を避ける、という名目で、詳細な放射線量のデータを公表しなかった政府。荒茶の検査を拒否した自治体。
健康に害がないのにいちいち騒ぐな、という人は「食の安全・安心」を見くびっている。
賞味期限を1時間過ぎた弁当を食べても、たぶん健康に影響はないだろう。それでも、私たちの文化は食に厳格な規制と細心の注意を求め、それが生産者と消費者の信頼関係をつくってきた。
消費者の加害扱いをやめること。風評ではなく、せめて二次被害、三次被害のようなフラットな表現を使うこと。
政府が信用できない以上、疑心暗鬼を払拭するためにも、生産者と消費者が信頼関係を取りもどすことが必要ではないか。
両者はともに原発事故の被害者なのだし、そして当分、事故が収束する見こみはないのだから。
以上、斎藤美奈子「生産者と消費者が信頼を ともに原発事故の被害者」(2011年月日付け日本海新聞)に拠る。
【注】アイシェア(東京都渋谷区)のアンケート調査によれば、原発事故に関する政府の情報発表は、7割以上の人が「信用できない」と感じている。「すべて信用できる」と答えたのは全体のわずか1%。「信用できるものが多い」と答えた人も25.1%にとどまる。そして、「信用できないものが多い」が61.5%、「すべて信用できない」が12.4%だ。(小川 たまか([編集・ライター/プレスラボ取締役)「パニックを恐れた原発・政府発表の誤算? 国民7割以上が政府の原発関連情報「信用できない ~ザ・世論 日本人の気持ち 【第28回】 2011年5月31日、DIAMOND online)
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