語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【震災】原発>検査員の告発「泊原発の検査記録改竄」 ~隠蔽の組織的構造~

2011年06月10日 | 震災・原発事故
 原子力安全基盤機構は、03年に発足した独立行政法人だ。11年4月現在、職員は426人。原発や原子力施設の検査、設計の安全性解析などを業務とする。保安院の下請け的立場で全国の原発の検査を行う。保安院の検査担当者は「検査官」、同機構のそれは「検査員」と区別される。検査官による検査はごく一部で、大半は同機構の検査員が検査する。
 同機構は、経産官僚の天下り組織だ。理事長の曽我部捷洋は元通算官僚で、原子力安全課長などを歴任後、天下り、西武ガス常務などを経て同機構発足と同時に理事に就任した。曽我部理事長のほかに3人いる理事のうち2人は通算官僚OBだ。他にも部長クラスにOBたちがいる。
 同機構に多数いる技術者は、「保安院の役人の下働きのように使われている。実際の検査にあたっても、コストを抑え、期限内に検査を終えることばかり要求される。厳密にやるほどカネと時間がかかるから、どうしても手抜きになりがち。それでも検査結果の提出先である保安院は素人中心だからフリーパス状態。職務に忠実な検査員ほど、このままではダメだと思うでしょうね」【伴英幸・「原子力資料情報室」共同代表】

 藤原節男氏(62歳)は、原発との関わりが40年以上に及ぶ。大阪大学工学部原子力学科を卒業後、三菱原子力工業(後に三菱重工に合併)入社し、日本原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)への派遣などを経験した。55歳で退職。05年に原子力安全基盤機構に再就職し、検査業務部の調査役を務めた。
 その藤原氏(以下「F氏」と略する)が、上司から検査記録の改竄を命じられたのは、09年3月のことだった。
 
 当時、泊原発(北海道電力)3号機は建設が終わり、使用前検査の段階に入っていた。F氏は、電気工作物検査員として、同原発で3月4日および5日の2日間、「減速材温度係数測定」を行った。これは、原子炉内で何らかの原因で冷却材の温度が上がっても原子炉出力を抑制できるかどうかを判定する基本的な検査だ。この検査抜きで原発を運転できない。
 ところが、4日の検査では、本来なら「負」になるべき係数が「正」になった。このまま運転し続ければ臨界事故につながりかねない。そこで、翌日の検査では部分的に制御棒を挿入し、ホウ酸の濃度を薄めるなどの対策をとって検査し直した。その結果、係数が「負」になったので、条件付き合格とした。
 4日の「不合格の検査記録」と5日の「条件付き合格の検査記録」の両方を上司(グループ長)に見せた。
 すると、グループ長は、4日の「不合格の検査記録」を削除するよう指示した。記録改竄である。
 F氏は納得せず、検査実施要領にもあるとおり、4日の「不合格の検査記録」も必要だ、と抗議した。
 しかし、グループ長は、このままでは承認印を押さない、要求に従わない場合には査定の評価を絶対に下げてやる、と恫喝した。

 F氏は、グループ長の上司、検査業務部長(経産省OB)に報告した。この部長は、「検討タスクグループ」を発足させ、この問題の検討を指示した。
 結論は、このまま提出すればよい、となった。他方、グループ長の改竄指示命令については不問に付された。
 記録改竄指示をなかったことにはできない、と考えたF氏は、とにかく検査記録を提出せよ、と求める部長に抗議した。
 すると、6月に配置転換を命じられ、勤務査定は5段階評価の下から2番目の「D」評価となった。7月には賞与が8%カットされた。部長の業務命令に背いた、というのが理由だ。
 F氏は、配置転換後は仕事らしい仕事を与えられなかった。その後も再び「D」評価を受けた。10年3月末に定年を迎えたとき、大半の人が再雇用されるところ、F氏は再雇用不可とされた。
 現在、F氏は、再雇用拒否処分の取り消しを求めて、機構側と係争中だ。

 実は、F氏は、09年11月、保安院に対して4件の内部通報を行っている。
 (1)09年3月の記録改竄命令について
 (2)記録改竄命令を問題にせずに放置した原子力安全基盤機構の組織の問題について
 (3)99年7月に敦賀原発2号機で配管に亀裂が入り、冷却水が漏出した事故の原因について
 (4)原子力安全基盤機構の検査業務部で、検査ミスを報告する際に本来の報告書を使わず、簡略化した書式で済ませていることについて

 (3)が原発の安全性の面では最も重大だった、とF氏はいう。
 敦賀原発2号機の事故が起きたとき、F氏は三菱重工で事故対策本部に属し、原因究明にあたった。事故原因が再生熱交換機にあり、他の原発でも同様の事故が起こる可能性がある、と主張した。ところが、敦賀原発2号機に特有の事故原因であり、その再生熱交換機だけを交換すればよい、という結論になった。はたして、同様の事故が03年9月に泊原発2号機で発生した。
 後でわかったことだが、三菱重工では、この謝った事故原因の裏づけをとるために実験したところ、期待どおりの結果が出なかったので、実験データを改竄したのである(02年7月、三菱重工の別の社員が保安院に内部通報した)。
 F氏が、泊3号機の検査で、不合格の検査記録を残すことにこだわったのも、このときの経験によるところが大だ。「危険性があるのに放置したり、なかったことにしてしまうと、日本の原発はいつまでも同じような事故を起こし続けることになってしまう」
 (4)についても、問題は大きい。簡易書式に書かれた検査ミスの中には、「判定基準が間違っていた」「検査結果の数値が一部間違っていた」など検査の信頼性を疑わせるような記述があるのだ。

 以上、記事「原発検査員が実名で告発 『私が命じられた北海道泊原発の検査記録改ざん』」(「週刊現代」2011年6月18日号)に拠る。
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