80年代後半以降の世界的な規制緩和・市場化の流れのなか、93年の総務庁(当時)の「エネルギーに関する規制緩和への提言」を契機に、95年に電気事業法が改正された。これにより、発電の新規参入が認められ、自家発電の技術をもつ鉄鋼会社や化学会社が次々に参入した。
このとき動いたのが、村田成二・資源エネルギー庁公益事業部長(94年着任、後の経済産業省事務次官)だ。電気事業法は、64年の制定以来、誰も手をつけることができなかった法律だ。
97年、佐藤信二通産相が年始の記者会見で、発送電事業の分離はタブーとされてきたが、大いに研究すべき分野だ、と発言し、大騒ぎになった。村田に近い官僚が入れ知恵した、と言われているが、定かではない。
1月4日付け読売新聞に「OECDが規制改革指針 電力の発電と送電は分離」と大きく報じている。この仕掛け人は、経産省の現役官僚、古賀茂明だった。
古賀は、96年からパリのOECD事務局に派遣されていた。OECDでは電力の規制改革の議論が盛んだった。日本でも電力自由化を進めるべきだ、と考えていた古賀は、外圧に弱い日本にOECDが勧告する、という作戦を練った。古賀は、知り合いの読売新聞記者に連絡を取り、記事にしてもらった。ニュースが少ない正月というタイミングで、紙面での扱いは大きくなり、狙いは成功した。
この騒動をきっかけに、電力の規制改革の議論は大きく動きだした。
97年5月、「01年までに国際的に遜色ないコスト水準を目指し、わが国の電気事業のあり方全般について見直しを行う」と閣議決定された。99年の電気事業法改正により、00年3月から小売りの部分自由化が始まった。
97年に官房長になった村田が陰で動き、米国の対日規制緩和要望書に「電力自由化」を盛りこませようと、ワシントンに部下を派遣するなどしている。
01年11月、総合資源エネルギー調査会(経産省の諮問機関)の電気事業分科会で、家庭まで含めた小売り自由化の議論が始まった。南直哉・東電社長は、02年4月、家庭まで含めた自由化の受け入れを表明したものの、発送電一体堅持の姿勢は崩さなかった。
電力業界は、01年のカルフォニア大停電を引き合いに出し、電力自由化の弊害を喧伝した。
大きな山場は、村田が02年7月に事務次官に就任してから訪れた。当時、村田のもと発送電分離をめざす経産省のバックには、高い電気料金に不満をもつ財界の意向があった。
これに抵抗する電力会社側は、自民党の族議員にすがって分離を阻止しようとした。
村田が就任直後の8月、東電が長年にわたり原発トラブルを隠蔽していたことが発覚。南社長らトップ5人が辞任に追いこまれた。
東電側には「原発トラブルは経産省に相談してきたが、すべて責任を取らされた」という憤懣があった。電力業界は巻き返しに出る。
自民党エネルギー総合政策小委員会の委員長は、電力族として有名な甘利明、事務局長は東電副社長から参議院議員になった加納時男だった。発送電分離の議論は、ことごとくはね返された。
さらに、東電、自民党は、温室効果ガス抑制のために経産省が導入を進めていた新たな石炭課税制度を「人質」に取り、村田らに取引を迫った。
村田は、石炭課税制度を選択をした。12月、総合資源エネルギー調査会の分科会でまとめられた答申書に「発電から小売りまで一貫した体制の存続」が明記された。
この頃、経産省の改革派が動いていた事件が起きた。04年春、「19兆円の請求書 ~止まらない核燃料サイクル」と題する文書が複数の国会議員に配布された。六ケ所村の核燃料再処理工場を動かすと19兆円かかり、その分のコストは電気料の値上げになる・・・・。そんな内容で、匿名だが、経産省官僚が作成したのは間違いない。
村田次官黙認だったと言われているが、同省内にも核燃料サイクルの実現を危ぶむ声も強かった、ということだ。
村田は、04年夏に役所を離れた。日本生命保険特別顧問を経て、現在は新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の理事長を務める。
マスコミの取材には、ひたすら口を閉ざして語らない。
村田が取引して降りたので、梯子を外された若い部下たちが大怪我して終わった。主流から外れたり、省の外へ出された人もいる。今出世しているのは、発送電分離から降りて、うまく折り合いをつけた人たちだ。【政府関係者】
このときの影響が大きく、改革派と呼べる若手は今も育っていない。
以上、横山渉(ジャーナリスト)「電力会社と族議員、守旧派官僚に潰されてきた『発送電分離』」(「週刊エコノミスト」2011年7月11日臨時増刊号)に拠る。 ↓クリック、プリーズ。↓
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このとき動いたのが、村田成二・資源エネルギー庁公益事業部長(94年着任、後の経済産業省事務次官)だ。電気事業法は、64年の制定以来、誰も手をつけることができなかった法律だ。
97年、佐藤信二通産相が年始の記者会見で、発送電事業の分離はタブーとされてきたが、大いに研究すべき分野だ、と発言し、大騒ぎになった。村田に近い官僚が入れ知恵した、と言われているが、定かではない。
1月4日付け読売新聞に「OECDが規制改革指針 電力の発電と送電は分離」と大きく報じている。この仕掛け人は、経産省の現役官僚、古賀茂明だった。
古賀は、96年からパリのOECD事務局に派遣されていた。OECDでは電力の規制改革の議論が盛んだった。日本でも電力自由化を進めるべきだ、と考えていた古賀は、外圧に弱い日本にOECDが勧告する、という作戦を練った。古賀は、知り合いの読売新聞記者に連絡を取り、記事にしてもらった。ニュースが少ない正月というタイミングで、紙面での扱いは大きくなり、狙いは成功した。
この騒動をきっかけに、電力の規制改革の議論は大きく動きだした。
97年5月、「01年までに国際的に遜色ないコスト水準を目指し、わが国の電気事業のあり方全般について見直しを行う」と閣議決定された。99年の電気事業法改正により、00年3月から小売りの部分自由化が始まった。
97年に官房長になった村田が陰で動き、米国の対日規制緩和要望書に「電力自由化」を盛りこませようと、ワシントンに部下を派遣するなどしている。
01年11月、総合資源エネルギー調査会(経産省の諮問機関)の電気事業分科会で、家庭まで含めた小売り自由化の議論が始まった。南直哉・東電社長は、02年4月、家庭まで含めた自由化の受け入れを表明したものの、発送電一体堅持の姿勢は崩さなかった。
電力業界は、01年のカルフォニア大停電を引き合いに出し、電力自由化の弊害を喧伝した。
大きな山場は、村田が02年7月に事務次官に就任してから訪れた。当時、村田のもと発送電分離をめざす経産省のバックには、高い電気料金に不満をもつ財界の意向があった。
これに抵抗する電力会社側は、自民党の族議員にすがって分離を阻止しようとした。
村田が就任直後の8月、東電が長年にわたり原発トラブルを隠蔽していたことが発覚。南社長らトップ5人が辞任に追いこまれた。
東電側には「原発トラブルは経産省に相談してきたが、すべて責任を取らされた」という憤懣があった。電力業界は巻き返しに出る。
自民党エネルギー総合政策小委員会の委員長は、電力族として有名な甘利明、事務局長は東電副社長から参議院議員になった加納時男だった。発送電分離の議論は、ことごとくはね返された。
さらに、東電、自民党は、温室効果ガス抑制のために経産省が導入を進めていた新たな石炭課税制度を「人質」に取り、村田らに取引を迫った。
村田は、石炭課税制度を選択をした。12月、総合資源エネルギー調査会の分科会でまとめられた答申書に「発電から小売りまで一貫した体制の存続」が明記された。
この頃、経産省の改革派が動いていた事件が起きた。04年春、「19兆円の請求書 ~止まらない核燃料サイクル」と題する文書が複数の国会議員に配布された。六ケ所村の核燃料再処理工場を動かすと19兆円かかり、その分のコストは電気料の値上げになる・・・・。そんな内容で、匿名だが、経産省官僚が作成したのは間違いない。
村田次官黙認だったと言われているが、同省内にも核燃料サイクルの実現を危ぶむ声も強かった、ということだ。
村田は、04年夏に役所を離れた。日本生命保険特別顧問を経て、現在は新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の理事長を務める。
マスコミの取材には、ひたすら口を閉ざして語らない。
村田が取引して降りたので、梯子を外された若い部下たちが大怪我して終わった。主流から外れたり、省の外へ出された人もいる。今出世しているのは、発送電分離から降りて、うまく折り合いをつけた人たちだ。【政府関係者】
このときの影響が大きく、改革派と呼べる若手は今も育っていない。
以上、横山渉(ジャーナリスト)「電力会社と族議員、守旧派官僚に潰されてきた『発送電分離』」(「週刊エコノミスト」2011年7月11日臨時増刊号)に拠る。 ↓クリック、プリーズ。↓
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