ソ連崩壊(91年12月25日)の有力な原因に民族問題がある、と佐藤優は説く【注1】。
他方、ウクライナの独立運動が先鋭化した背景にチェルノブイリ原発事故(86年4月26日)がある、と七沢潔は指摘する。
事故から3年後、ソ連政府は放射能汚染地図を初めて公開した。それを見て、ウクライナ、ベラルーシの人々は固唾を呑んだ。この時、何も知らされずに自分たちが汚染地帯に3年以上放置されていたことを知ったのだ。人々はソ連政府への不信感を募らせ、ウクライナの独立運動が加速していった・・・・。
ソ連政府の統治行動は、情報伝達経路の一元化を重視したものだ。情報を一元管理することで「正しい」情報の伝達に努める、という方針だ。その方針の背後にあるのは、「パニックを防ぐ」など社会秩序の維持を第一にする思想だ。これは、市民が自主的に正しい判断をすることはありえない、とする官僚主義の真髄だ。市民への十分な情報公開と正しい理解の促進だけがパニックを防ぎ、風評被害を防ぐ、という民主主義社会の考え方の対極にある。
福島第一原発事故において、日本政府がとった統治行動がまさにそれだ。
「一元化」の掛け声のもと、事故後、政府機関のみならず、国の関わる研究機関が事故対策に動員される形で統制され、研究者たちの自由な調査が禁じられたのは記憶に新しい【注2】。
そして、情報を隠蔽した。
文部科学相のホームページには、モニタリングカーを用いた空間放射線量の測定結果が掲載されている。最も日付の古い3月16日発表のデータには、15日20時40分から50分にかけて、浪江町の原発から北西20kmの地点3ヶ所を選んで測定されたことがわかる。うち、12人の避難民がこもった集会所のある赤宇木地区では、空間線量率は毎時330μSv。日本の通常値の5,500倍だ。
文科省は、この異常な数値をキャッチするため、なぜこの地域だけを選んで、しかも夜半に人を派遣したのか。
その理由は、文科省は当時非公開だった緊急時放射能影響予測システム(SPEEDI)の予測をみて、3月15日に放射能が南東の風に乗って原発から北西方向に流れることを知り、3月12日以降多くの浪江町民の避難先となっていたこの地域の放射線レベルが気になったからだ(推定)。事実、文科省はこのデータを官邸に報告している。
だが、枝野長官は、翌日夕刻の記者会見で、この報告に触れながら「専門家によると直ちには人体に影響のないレベル」と述べるだけで、それまでに出されていた「屋内退避」を超える警告は発していない。
浪江町からの避難民のみならず、15~16日、大量の放射能を含んだ上昇流に襲われた風下の飯館村、川俣町、伊達市、福島市の人々に適切な警告を発しなかった。
この「不作為」は、15日夜~16日、降雪で放射能が沈着し、高濃度の汚染地帯となった赤宇木、津島など国道114号線沿いの集落に残留していた120人ほどの住民や避難民に、強く避難を勧告しない「不作為」にもつながった。
SPEEDIが1ヵ月近く公表されなかったことに折り重なるように露見したこの「不作為」は、原発事故後、国は住民の健康に配慮していない、との印象を与えた。
ところで、七沢潔は、チェルノブイリ原発事故から2年目のヨーロッパで次のような動きを目撃している。
国内に汚染地帯のできたドイツ(当時西ドイツ)では、食品の放射能汚染を心配する市民が共同で測定器を購入し、毎日の買物の帰りに寄って計ってもらう測定所が各地にできた。汚染情報を共有する「新聞」も発行された。
この自ら手でつかんだ情報を共有するネットワークは、その後、ドイツが脱原発依存に向かう運動の核に成長していった。
日本でも、情報の「一元化」から「多元化」へ、動きだした。
木村真三・放射線医学総合研究所研究員は、厚生労働省の通達による拘束を脱して(つまり辞表を出して)、放射能汚染の実態を調査している。仲間の研究者のネットワークがこれを支える。次第に支持者、支援者が増え、多くの自治体から汚染地図づくりの依頼が殺到している。
「市民による、市民のための情報開示」の始まりだ。
【注1】例えば、「【読書余滴】佐藤優の民族問題講義(1) ~アゼルバイジャン~」以下。
【注2】例えば、記事「放射性物質予測、公表自粛を 気象学会要請に戸惑う会員」(2011年4月2日19時25分 asahi.com)。
以上、七沢潔(NHK放送文化研究所主任研究員)「『放射能汚染地図』から始まる未来 ~ポストフクシマ取材記~」(「世界」2011年8月号)に拠る。
↓クリック、プリーズ。↓
他方、ウクライナの独立運動が先鋭化した背景にチェルノブイリ原発事故(86年4月26日)がある、と七沢潔は指摘する。
事故から3年後、ソ連政府は放射能汚染地図を初めて公開した。それを見て、ウクライナ、ベラルーシの人々は固唾を呑んだ。この時、何も知らされずに自分たちが汚染地帯に3年以上放置されていたことを知ったのだ。人々はソ連政府への不信感を募らせ、ウクライナの独立運動が加速していった・・・・。
ソ連政府の統治行動は、情報伝達経路の一元化を重視したものだ。情報を一元管理することで「正しい」情報の伝達に努める、という方針だ。その方針の背後にあるのは、「パニックを防ぐ」など社会秩序の維持を第一にする思想だ。これは、市民が自主的に正しい判断をすることはありえない、とする官僚主義の真髄だ。市民への十分な情報公開と正しい理解の促進だけがパニックを防ぎ、風評被害を防ぐ、という民主主義社会の考え方の対極にある。
福島第一原発事故において、日本政府がとった統治行動がまさにそれだ。
「一元化」の掛け声のもと、事故後、政府機関のみならず、国の関わる研究機関が事故対策に動員される形で統制され、研究者たちの自由な調査が禁じられたのは記憶に新しい【注2】。
そして、情報を隠蔽した。
文部科学相のホームページには、モニタリングカーを用いた空間放射線量の測定結果が掲載されている。最も日付の古い3月16日発表のデータには、15日20時40分から50分にかけて、浪江町の原発から北西20kmの地点3ヶ所を選んで測定されたことがわかる。うち、12人の避難民がこもった集会所のある赤宇木地区では、空間線量率は毎時330μSv。日本の通常値の5,500倍だ。
文科省は、この異常な数値をキャッチするため、なぜこの地域だけを選んで、しかも夜半に人を派遣したのか。
その理由は、文科省は当時非公開だった緊急時放射能影響予測システム(SPEEDI)の予測をみて、3月15日に放射能が南東の風に乗って原発から北西方向に流れることを知り、3月12日以降多くの浪江町民の避難先となっていたこの地域の放射線レベルが気になったからだ(推定)。事実、文科省はこのデータを官邸に報告している。
だが、枝野長官は、翌日夕刻の記者会見で、この報告に触れながら「専門家によると直ちには人体に影響のないレベル」と述べるだけで、それまでに出されていた「屋内退避」を超える警告は発していない。
浪江町からの避難民のみならず、15~16日、大量の放射能を含んだ上昇流に襲われた風下の飯館村、川俣町、伊達市、福島市の人々に適切な警告を発しなかった。
この「不作為」は、15日夜~16日、降雪で放射能が沈着し、高濃度の汚染地帯となった赤宇木、津島など国道114号線沿いの集落に残留していた120人ほどの住民や避難民に、強く避難を勧告しない「不作為」にもつながった。
SPEEDIが1ヵ月近く公表されなかったことに折り重なるように露見したこの「不作為」は、原発事故後、国は住民の健康に配慮していない、との印象を与えた。
ところで、七沢潔は、チェルノブイリ原発事故から2年目のヨーロッパで次のような動きを目撃している。
国内に汚染地帯のできたドイツ(当時西ドイツ)では、食品の放射能汚染を心配する市民が共同で測定器を購入し、毎日の買物の帰りに寄って計ってもらう測定所が各地にできた。汚染情報を共有する「新聞」も発行された。
この自ら手でつかんだ情報を共有するネットワークは、その後、ドイツが脱原発依存に向かう運動の核に成長していった。
日本でも、情報の「一元化」から「多元化」へ、動きだした。
木村真三・放射線医学総合研究所研究員は、厚生労働省の通達による拘束を脱して(つまり辞表を出して)、放射能汚染の実態を調査している。仲間の研究者のネットワークがこれを支える。次第に支持者、支援者が増え、多くの自治体から汚染地図づくりの依頼が殺到している。
「市民による、市民のための情報開示」の始まりだ。
【注1】例えば、「【読書余滴】佐藤優の民族問題講義(1) ~アゼルバイジャン~」以下。
【注2】例えば、記事「放射性物質予測、公表自粛を 気象学会要請に戸惑う会員」(2011年4月2日19時25分 asahi.com)。
以上、七沢潔(NHK放送文化研究所主任研究員)「『放射能汚染地図』から始まる未来 ~ポストフクシマ取材記~」(「世界」2011年8月号)に拠る。
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