保阪展人(世田谷区長)の原発問題への取り組みは、スリーマイル島の原発事故(79年3月)に始まった。当時、各地で原発の立地反対をめぐる市民運動が盛んだった。ちょうど81年に高知県窪川町で原発を建設しようとした町長がリコールされた。住民が原発を押し返した窪川町で、同年8月に喜納昌吉・前参議院議員(音楽家)たちと野外音楽フェス「生命の祭り」を開催した。翌82年には、むつ市で音楽イベント「下北半島祭」を開催した。20代半ばの頃だ。
その後ジャーナリストを経て96年に国会議員になった(社民党)。原発問題にも関わった。
07年、新潟中越沖地震の直後に、柏崎刈羽原発で火災が起きた。地震から3日目、社民党の調査団として柏崎刈羽原発に行った。田中三彦(原子力資料情報室)、海渡雄一(日弁連事務総長)、近藤正道(当時・参議院議員)たちがメンバーだった。現地に入って驚いた。原発敷地内に地割れや亀裂が入り、地震の爪痕がひどかったのだ。もう一つ驚いたのは、それを東電が瞬く間に砂で埋めたこと。
「なんで埋めるのか」
「先生方が転ぶといけないから」・・・・東電側は、そういう言い方をした。
ただ、主な亀裂は一応埋めていたが、写真を撮影してみると、やはり土台が浮き上がっていた。建物の中に入ると、クレーンが折れていたり、燃料プールから汚染水が漏れていた。それを作業員が雑巾で拭き取っていた。4日後、もう一度行くと、今度は稼働していない原子炉の蓋が振動でズレていた。
調査団は、帰途の新幹線のなかで手際よく、メディアが記事にしやすいように写真に説明を付ける作業をして、東京に戻ってから記者会見を開いた。必要な人には、撮影した写真をUSBメモリーでパソコンに入れてあげるサービスまでした。
ところが、記事が載ったのは一部の新聞だけだった。写真もあまり出なくて、テレビではほとんど報道されなかった。これには非常に驚いた。ちょうど参議院選挙の最中だったが、争点にもならなかった。
そして、いつの間にか、東電は「柏崎刈羽原発はこんなに復旧しています」というコマーシャルを湯水のように流していた。結局、気がついてみると、「柏崎刈羽原発の件は、原発が地震に強いということの証明になった」という逆さの話になってしまっていた。
2回にわたる柏崎刈羽原発視察から出てきた膨大な疑問を箇条書きにして、東京電力の広報を通して回答を求めた。ところが、東電は出てこない。代わりに出てきたのが原子力安全・保安院だった。今回と同じで煮え切らない回答しかしない。東電に質問の回答について糺すと、「お答えしないことにしました」。結局、「答えない」というのが回答だった。
ちなみに、質問を東電に持っていくと、裏口から入ってくれ、と言われた。今回の福島原発事故で、4月に2千万円の見舞金を拒否した浪江町の町長も、東電から裏口から入ってくれ、と言われて激怒した。
国会での論戦も不発だった。共産党は一応賛成したが、自民党も民主党も知らん顔をしていた。まあ、それはやらないでおこう、と。電力会社は、政権党だった自民党を応援し、その組合ぐるみで民主党を応援している。それに、地方の連合会長は電力系が多い。結局、電力会社出身の議員だけではなく、連合の縛りのある議員は、基本的に原発の「げ」の字も言えない、という構造がある。
保阪たちは、工業事業をチェックする会に原発部会を作ったが、東京電力は回答に来ないし、メディアはそれを取りあげない。国会もまったくやる気がない、という状況だった。
社民党も、原発問題には一番熱心ではあったが、「脱原発」の主張はまったく評価されない。変人の集まり、という扱いを受けてきた。原発のことばかり聞いてくる、と。「そんなことを言ってるからダメなんどよ!」なんて、論理以前のことを言われて、もう、嘲笑だった。原発の危険性を指摘しただけで、議論から出ていってくれ、みたいな、そういう空気の社会だった。その構造は今も終わっていない。その土台は少しずつ崩れてきているが。
柏崎刈羽原発は、福島の事故の予告編だった。
3・11直後、官邸詰めの人たちを除けば、多くの国会議員はやることがない状態だった。特別委員会を設置して議論していけばよかった。柏崎刈羽原発の検証を含めて丁々発止をやればよかった。しかし、いまだにそういう議論はほんの単発的にしかされていない。今回の原発事故をめぐる議論も、非常に後味が悪い感じがする。社会構造自体が、根っこの根っこまで電力の金と権力に侵されている。
社会党の原発政策は、推進と反対とで2本ある、と言われていた。考えがまとまっていなかった。民主党が、かつての日本社会党と同じ構造になっている。フランスでは、高速増殖炉をもう2つ廃炉にしている。ところが、民主党政権では、もんじゅは再稼働してしまった。真っ先に事業仕分けで仕分けられるべきところなのに、民主党は手をつけなかった。六ケ所再処理工場も、故障のレベルではなく、初歩的な設計の失敗だろうと言われいるが、計画はまだ続いているし、核燃サイクルも破綻しているのに、やめる、という決断ができない。ことが大きくて誰も止められない状況になっているのだと思う。プルサーマルとか核燃サイクルとかは止めて、その分のお金を再生可能エネルギーに使おうと言えば、国民の多くは納得すると思う。
メディアについても、東電はあらゆるニュースを提供している。だから、柏崎刈羽原発で撮ってきた写真や映像がニュースで提供されないのもスポンサーとの関係で、なるほど、だ。
政治は動かない。メディアも大きな記事では扱わない。あとは司法しかない。
だが、原発に反対する勢力は、ことごとく裁判で負けてきた。一審で地元側に有利な判決が出て、そのまま差し止めになったケースもある。でも、良心的な判決を出した裁判官は、二度と出世できない。最高裁事務総局の司法官僚が、次からは、ちゃんと判決をひっくり返すような裁判官をあてがう。だから、最高裁までいけば、100%地元側が負ける仕組みになっている。裁判官が自分で判断しているわけではなく、国がやっていることだから、ということが判決の根拠になっている。その国の実態は、経済産業省であり、東京電力や他の電力会社であり、それに群がる政治権力だ。その構造が、メディア、司法といった要所をおさえている。こういうものとして原発推進という国策が進んできた。
以上、保阪展人(世田谷区長)「自民・東電・メディアが作った原発日本」(「SIGHT」2011年夏号)に拠る。
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その後ジャーナリストを経て96年に国会議員になった(社民党)。原発問題にも関わった。
07年、新潟中越沖地震の直後に、柏崎刈羽原発で火災が起きた。地震から3日目、社民党の調査団として柏崎刈羽原発に行った。田中三彦(原子力資料情報室)、海渡雄一(日弁連事務総長)、近藤正道(当時・参議院議員)たちがメンバーだった。現地に入って驚いた。原発敷地内に地割れや亀裂が入り、地震の爪痕がひどかったのだ。もう一つ驚いたのは、それを東電が瞬く間に砂で埋めたこと。
「なんで埋めるのか」
「先生方が転ぶといけないから」・・・・東電側は、そういう言い方をした。
ただ、主な亀裂は一応埋めていたが、写真を撮影してみると、やはり土台が浮き上がっていた。建物の中に入ると、クレーンが折れていたり、燃料プールから汚染水が漏れていた。それを作業員が雑巾で拭き取っていた。4日後、もう一度行くと、今度は稼働していない原子炉の蓋が振動でズレていた。
調査団は、帰途の新幹線のなかで手際よく、メディアが記事にしやすいように写真に説明を付ける作業をして、東京に戻ってから記者会見を開いた。必要な人には、撮影した写真をUSBメモリーでパソコンに入れてあげるサービスまでした。
ところが、記事が載ったのは一部の新聞だけだった。写真もあまり出なくて、テレビではほとんど報道されなかった。これには非常に驚いた。ちょうど参議院選挙の最中だったが、争点にもならなかった。
そして、いつの間にか、東電は「柏崎刈羽原発はこんなに復旧しています」というコマーシャルを湯水のように流していた。結局、気がついてみると、「柏崎刈羽原発の件は、原発が地震に強いということの証明になった」という逆さの話になってしまっていた。
2回にわたる柏崎刈羽原発視察から出てきた膨大な疑問を箇条書きにして、東京電力の広報を通して回答を求めた。ところが、東電は出てこない。代わりに出てきたのが原子力安全・保安院だった。今回と同じで煮え切らない回答しかしない。東電に質問の回答について糺すと、「お答えしないことにしました」。結局、「答えない」というのが回答だった。
ちなみに、質問を東電に持っていくと、裏口から入ってくれ、と言われた。今回の福島原発事故で、4月に2千万円の見舞金を拒否した浪江町の町長も、東電から裏口から入ってくれ、と言われて激怒した。
国会での論戦も不発だった。共産党は一応賛成したが、自民党も民主党も知らん顔をしていた。まあ、それはやらないでおこう、と。電力会社は、政権党だった自民党を応援し、その組合ぐるみで民主党を応援している。それに、地方の連合会長は電力系が多い。結局、電力会社出身の議員だけではなく、連合の縛りのある議員は、基本的に原発の「げ」の字も言えない、という構造がある。
保阪たちは、工業事業をチェックする会に原発部会を作ったが、東京電力は回答に来ないし、メディアはそれを取りあげない。国会もまったくやる気がない、という状況だった。
社民党も、原発問題には一番熱心ではあったが、「脱原発」の主張はまったく評価されない。変人の集まり、という扱いを受けてきた。原発のことばかり聞いてくる、と。「そんなことを言ってるからダメなんどよ!」なんて、論理以前のことを言われて、もう、嘲笑だった。原発の危険性を指摘しただけで、議論から出ていってくれ、みたいな、そういう空気の社会だった。その構造は今も終わっていない。その土台は少しずつ崩れてきているが。
柏崎刈羽原発は、福島の事故の予告編だった。
3・11直後、官邸詰めの人たちを除けば、多くの国会議員はやることがない状態だった。特別委員会を設置して議論していけばよかった。柏崎刈羽原発の検証を含めて丁々発止をやればよかった。しかし、いまだにそういう議論はほんの単発的にしかされていない。今回の原発事故をめぐる議論も、非常に後味が悪い感じがする。社会構造自体が、根っこの根っこまで電力の金と権力に侵されている。
社会党の原発政策は、推進と反対とで2本ある、と言われていた。考えがまとまっていなかった。民主党が、かつての日本社会党と同じ構造になっている。フランスでは、高速増殖炉をもう2つ廃炉にしている。ところが、民主党政権では、もんじゅは再稼働してしまった。真っ先に事業仕分けで仕分けられるべきところなのに、民主党は手をつけなかった。六ケ所再処理工場も、故障のレベルではなく、初歩的な設計の失敗だろうと言われいるが、計画はまだ続いているし、核燃サイクルも破綻しているのに、やめる、という決断ができない。ことが大きくて誰も止められない状況になっているのだと思う。プルサーマルとか核燃サイクルとかは止めて、その分のお金を再生可能エネルギーに使おうと言えば、国民の多くは納得すると思う。
メディアについても、東電はあらゆるニュースを提供している。だから、柏崎刈羽原発で撮ってきた写真や映像がニュースで提供されないのもスポンサーとの関係で、なるほど、だ。
政治は動かない。メディアも大きな記事では扱わない。あとは司法しかない。
だが、原発に反対する勢力は、ことごとく裁判で負けてきた。一審で地元側に有利な判決が出て、そのまま差し止めになったケースもある。でも、良心的な判決を出した裁判官は、二度と出世できない。最高裁事務総局の司法官僚が、次からは、ちゃんと判決をひっくり返すような裁判官をあてがう。だから、最高裁までいけば、100%地元側が負ける仕組みになっている。裁判官が自分で判断しているわけではなく、国がやっていることだから、ということが判決の根拠になっている。その国の実態は、経済産業省であり、東京電力や他の電力会社であり、それに群がる政治権力だ。その構造が、メディア、司法といった要所をおさえている。こういうものとして原発推進という国策が進んできた。
以上、保阪展人(世田谷区長)「自民・東電・メディアが作った原発日本」(「SIGHT」2011年夏号)に拠る。
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