語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【震災】政治を歪めるメディア ~「第4の権力」~

2011年07月19日 | 震災・原発事故
 90年代以降、小泉純一郎元首相を唯一の例外に日本の政権はいずれも短命に終わった。首相がころころと代わり、政治が機能不全に陥る理由はこれまでも数々挙げられている。世襲議員の多さ、霞が関の官僚による政治のコントロール、政争に明け暮れる永田町の論理・・・・それ以外にも日本の政治が停滞する大きな原因がある。
 メディアだ。
 権力の監視、政策や国家中枢の動向をわかりやすく国民に伝達・・・・これが「第4の権力」=メディアに求められる役割だ。
 しかし、この国のメディアは、その本来の使命をはたすどころか、政治の混乱を助長している。政治家同士の泥仕合に加担し、パフォーマンスをあおり、些細な問題をあげつらってヒステリックなパッシング報道を展開する。
 その結果、首相の首が難度もすげ替えられてきたが、政治の本質的な問題がメディアから伝えられることはなかった。

 国会の予算委員会と並んで、首相を追求する場となっているのが日本固有の「ぶら下がり」会見だ。この取材スタイルは、シンプルかつ力強いメッセージ発信が得意だった小泉が導入した。小泉のように自信たっぷりで明確なビジョンを持つ政治家にとっては、有効な情報発信の機会だった。しかし、小泉以降の首相にとっては、これが命取りになった。
 ぶら下がり会見は、単なる揚げ足取りの場にしかなっていない。必要なのか? 世界中のどこを探しても、1日に回も記者団と話す国家指導者などいない。記者会見も、米国大統領ですら数ヶ月に1回開く程度だ。指導者の言葉は、本来重いものだ。また、職務に専念するためには、毎日のように記者の一問一答に答えている時間などないはずだ。
 その点、菅は用心深い。首相就任後、小泉時代から続いていた日に2回のぶら下がり会見を1回に制限し、震災以降は一度も行っていない。それもあってか、菅はこれまで些末な問題での批判を免れている。その半面、記者を遠ざけすぎた。ために、本来なされるべき政策論争の代わりに政局報道が助長された。

 マスコミに言わせれば、ぶら下がり会見は国民の「知る権利」に応える重要な機会だ。しかし、ぶら下がり会見がどれだけ頻繁に行われても、国民の間で政策議論は深まっていない。
 震災後も、本来であれば復興や原子力政策に関する議論が盛んに行われてしかるべきだ。しかし、最近の報道はもっぱら政局に終始している。
 <例>菅が退陣条件のひとつに挙げる再生可能エネルギー買い取り法案は、企業の自由競争ではなく、国が買い取り価格を決める仕組みだ。これで本当に再生可能エネルギーの普及が進むかどうか、疑問がある。
 しかし、こうした議論は皆無に近い。会見を極度に減らしている菅が、政策やビジョンを明確に説明していないことも理由だ。しかし、そもそもの原因は、政治記者に政策を議論する素地がないからだ。
 日本メディアの政治報道は、権力闘争を追いかけるばかりで、政策を軸にした問題点の整理ができていない。【長谷川幸洋・東京新聞論説副主幹】
 実際、政治部記者の多くは、特定の政治家の「番」記者や中央省庁の記者クラブの常駐記者として取材対象に密着するが、特ダネ競争にあおられるばかりだ。政策として何が求められているか、という大局的な観点を養われることがない。
 現場の記者を指揮する政治部のキャップやデスクも同じ環境で育ってきた。だから、政治家や官僚から渡された情報をそのまま垂れ流して報道することに疑問を持たない。

 政治部記者と政治家の一体化は、構造的で深刻だ。首相番記者を経て各省庁の担当になった政治部記者は、やがて政務官や副大臣、大臣を担当するようになる。そこで「政治フィクサー」「政治ブローカー」的役割に酔うことを覚え始める。
 その過程で、記者は政治家の道具と化す。政治家は、自身の立場を強めたり、押し進めたい政策を売り込んだりするために記者に「リーク情報」を流すことがある。
 ブローカー化した記者になると、外国大使館の外交官などから政治家に関する情報を求められるようになる。そういった記者には、自分たちが権力のチェック機関である、という意識は頭からない。【ある毎日新聞記者】 
 限りなく政治家と一体化し、その構造が破綻すると、一方的なバッシング報道を始める。そんな日本メディアの新たな“武器”が世論調査だ。

 日本の新聞・テレビによる内閣支持率調査は、ここ数年で激増している。
 <例>71年に1回だけだった読売新聞の全国世論調査の数は、10年には31回に上がった。小泉政権が誕生した01年以降に世論調査が加速度的に増えている。このことと、小泉以後に短命政権が続いたこととは、偶然ではあるまい。
 ただし、現在行われている世論調査は、科学的とは、必ずしも言えない。01年頃を境に世論調査が急増した理由の一つは、ランダム・デジット・ダイヤリング(RDD)という調査手法の普及だ。無作為に数字を組み合わせて作った電話番号にかけるのだ。面接調査の10分の1のコストで済むRDD方式のおかげで、日本メディアは手軽に世論調査を行えるようになった。
 しかし、固定電話のみが対象で、携帯電話にかけられないRDD方式では、特に若年層の動向が調査結果に反映されにくい。
 調査の正確性も、もちろん問題だが、むしろ深刻なのは、政界、メディア及び国民を取り巻く「世論調査依存症」とでも言うべき状況だ。ジェットコースターのように乱高下を繰り返す日本の調査は、政治家とメディアの「おもちゃ」と化している。こうした世論調査で得た結果をメディアは「民意」と祭り上げ、時の政権への批判を強めてきた。
 世論調査の急増は、与党の幹部から出た情報どおりに物事が運ばず、信ずるに足る者が誰もいない政治状況になったことと無関係ではない。その結果、国政選挙の根拠になる世論調査を、政治家も記者も信奉するようになった。【ある全国紙の世論調査担当者】

 この国のメディアの特徴は、国民感情に迎合することだ。政治家は時間と空間を超えた思考をする必要がある。国民感情に迎合する政治家は、誤りを犯す。この民主主義の基本を理解せず、国民感情に媚びるメディアがこの国をおかしくしている。【田中良紹(政治ジャーナリスト)】

 以上、横田孝(本誌編集長/国際版東京特派員)/長岡義博・知久敏之(本誌記者)「政治をダメにする『第4の権力』」(「Newsweek」2011年7月20日号)に拠る。
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