(1)議論混乱の原因
国債の負担や対外資産の活用などの議論において、次の2つの立場を区別しないから議論が混乱する。
(a)政府(あるいは財政当局)の立場
(b)日本経済全体の立場
(2)政府(あるいは財政当局)の立場からする議論
<例>国債は「負担」を将来に先送りする。
国債を発行すると、将来時点において増税する必要がある。増税のために政府(特に財務当局)が行うべき「仕事の負担」は、国債で財源調達する場合に比べてはるかに大きい。したがって、国債によって財源調達した場合、「仕事の負担」は将来の官僚(財務当局担当者)に先送りされる。
しかし、1-(b)から見ると、国債償還のために増税がなされるとき納税者は「カネの負担」を負うが、他方で国債保有者はカネ(償還金)を得る。したがって、国民の間で所得配分が起きるだけであり、日本全体の「カネの負担」が増えるわけではない。
国債が発行される時点では、政府が使用できる資源量は増える。しかし、内国債の場合、その発行によって新たな資源が海外から入ってくるわけではないから、日本全体として使用できる資源量が増えるわけではない。政府が復興に使える資源が増える分、国内のある用途への資源配分が減るだけだ。
増税の場合には、納税者が使える資源が減り、政府が使える資源が増える。だから、やはり日本全体として使える資源の総量に変化はない。この点で、国債発行と増税は同じものだ。
企業の財源調達は企業の立場だけを考えて行えばよい。しかし、国の場合には、1-(a)のみならず1-(b)の立場を考慮した議論が求められる。
(3)日本経済全体の立場からする議論
対外資産や外貨準備の活用についても類似のことがいえる。ただし、こんどは関係が逆になる。つまり、これらは、政府が利用できる資源量を直接的に増やさないが、日本全体として利用できる資源量は増えるのだ。
民間が保有する対外資産による復興資金の調達は、金融機関がポートフォリオを対外資産から国債や国内向け貸し付けに変更することによって行われる。民間金融機関のポートフォリオ変更が政府の収入にならないことは明らかだ。
外貨準備の取り崩しによって復興財源を調達する場合、政府保有の対外資産(主として米国債)を売って、円資金に転換する。得た円資金によって政府短期証券を償還すれば、直接に政府の収入を増やすことにはならない。復興資金に活用するには、政府が長期債を発行して、円資金を吸収する必要がある。
これらが通常の国債発行による財源調達と異なるのは、金融市場に与える影響が中立的であることだ。
対外資産の取り崩しを行わずに国債を発行すれば、金利が上昇する。その結果、民間復興資金(住宅投資や企業設備投資)は削減されるだろう(クラウディングアウト)。
しかし、対外資産の取り崩しを行えば、国内の円資金が増加するので、金利上昇が回避される。日本が全体として資金を調達したことになり、日本が使用できる資源の総量が増加する(資源総量が増加することでクラウディングアウトが回避される)。
(4)負担の先送り
対外資産/外貨準備の取り崩しを行う場合には、日本全体としての負担は、将来に先送りされる。なぜなら、資産残高が減少するために、将来時点の利子収入が減少し、将来時点で日本が全体っとして利用できる資源量が減るからだ。
じつは、このような負担先送りは、復興資金については、むしろ必要なことだ。なぜなら、災害からの復興は比較的短い時間に完了させる必要があり、そのための負担は投資時点の日本人だけでなく、将来の日本人も含めた広範な人々が負うべきだと考えられるからだ。そうすることによって、クラウディングアウトを回避できる。
「負担を将来に先送りしないために増税を行う」(復興構想会議)のは、二重の意味で誤りだ。
正しくは、「復興費用の一部は先送りすべきであり、内国債ではそれが実現できないので、対外資産を取り崩して財源調達する必要がある」としなければならない。
(5)財政論と経済論
日本の財政論議には、1-(a)からの議論(財政論)があるのみで、1-(b)からの議論(経済論)がない。
経済危機後もそうだった。このとき必要だったのは、公債発行を増加させて社会資本を充実させることだった。戦後初めてケインズ政策を発動する必要が生じたのだ。
しかし、経済論がなされない日本では、そうしたことが行われなかった。我々は、都市の生活基盤整備のための千載一遇の機会をみすみす逸してしまった。その代わりに自動車や家電製品の購入を補助し、これらの生産を一時的に増加させただけで終わってしまった。
大震災後、単なる財政論ではなく、経済論の観点から検討する必要性がきわめて大きくなった。電力制約をはじめとして、供給面の制約がきわめて強くなったからだ。かかる状況下で経済論の観点に立つ検討がほとんど行われてない。財政論だけが強く主張されているのは、日本にとって大きな悲劇だ。
【参考】野口悠紀雄「復興論に必要なのは財政論でなく経済論 ~「超」整理日記No.571~」(「週刊ダイヤモンド」2011年7月30日号)
↓クリック、プリーズ。↓
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国債の負担や対外資産の活用などの議論において、次の2つの立場を区別しないから議論が混乱する。
(a)政府(あるいは財政当局)の立場
(b)日本経済全体の立場
(2)政府(あるいは財政当局)の立場からする議論
<例>国債は「負担」を将来に先送りする。
国債を発行すると、将来時点において増税する必要がある。増税のために政府(特に財務当局)が行うべき「仕事の負担」は、国債で財源調達する場合に比べてはるかに大きい。したがって、国債によって財源調達した場合、「仕事の負担」は将来の官僚(財務当局担当者)に先送りされる。
しかし、1-(b)から見ると、国債償還のために増税がなされるとき納税者は「カネの負担」を負うが、他方で国債保有者はカネ(償還金)を得る。したがって、国民の間で所得配分が起きるだけであり、日本全体の「カネの負担」が増えるわけではない。
国債が発行される時点では、政府が使用できる資源量は増える。しかし、内国債の場合、その発行によって新たな資源が海外から入ってくるわけではないから、日本全体として使用できる資源量が増えるわけではない。政府が復興に使える資源が増える分、国内のある用途への資源配分が減るだけだ。
増税の場合には、納税者が使える資源が減り、政府が使える資源が増える。だから、やはり日本全体として使える資源の総量に変化はない。この点で、国債発行と増税は同じものだ。
企業の財源調達は企業の立場だけを考えて行えばよい。しかし、国の場合には、1-(a)のみならず1-(b)の立場を考慮した議論が求められる。
(3)日本経済全体の立場からする議論
対外資産や外貨準備の活用についても類似のことがいえる。ただし、こんどは関係が逆になる。つまり、これらは、政府が利用できる資源量を直接的に増やさないが、日本全体として利用できる資源量は増えるのだ。
民間が保有する対外資産による復興資金の調達は、金融機関がポートフォリオを対外資産から国債や国内向け貸し付けに変更することによって行われる。民間金融機関のポートフォリオ変更が政府の収入にならないことは明らかだ。
外貨準備の取り崩しによって復興財源を調達する場合、政府保有の対外資産(主として米国債)を売って、円資金に転換する。得た円資金によって政府短期証券を償還すれば、直接に政府の収入を増やすことにはならない。復興資金に活用するには、政府が長期債を発行して、円資金を吸収する必要がある。
これらが通常の国債発行による財源調達と異なるのは、金融市場に与える影響が中立的であることだ。
対外資産の取り崩しを行わずに国債を発行すれば、金利が上昇する。その結果、民間復興資金(住宅投資や企業設備投資)は削減されるだろう(クラウディングアウト)。
しかし、対外資産の取り崩しを行えば、国内の円資金が増加するので、金利上昇が回避される。日本が全体として資金を調達したことになり、日本が使用できる資源の総量が増加する(資源総量が増加することでクラウディングアウトが回避される)。
(4)負担の先送り
対外資産/外貨準備の取り崩しを行う場合には、日本全体としての負担は、将来に先送りされる。なぜなら、資産残高が減少するために、将来時点の利子収入が減少し、将来時点で日本が全体っとして利用できる資源量が減るからだ。
じつは、このような負担先送りは、復興資金については、むしろ必要なことだ。なぜなら、災害からの復興は比較的短い時間に完了させる必要があり、そのための負担は投資時点の日本人だけでなく、将来の日本人も含めた広範な人々が負うべきだと考えられるからだ。そうすることによって、クラウディングアウトを回避できる。
「負担を将来に先送りしないために増税を行う」(復興構想会議)のは、二重の意味で誤りだ。
正しくは、「復興費用の一部は先送りすべきであり、内国債ではそれが実現できないので、対外資産を取り崩して財源調達する必要がある」としなければならない。
(5)財政論と経済論
日本の財政論議には、1-(a)からの議論(財政論)があるのみで、1-(b)からの議論(経済論)がない。
経済危機後もそうだった。このとき必要だったのは、公債発行を増加させて社会資本を充実させることだった。戦後初めてケインズ政策を発動する必要が生じたのだ。
しかし、経済論がなされない日本では、そうしたことが行われなかった。我々は、都市の生活基盤整備のための千載一遇の機会をみすみす逸してしまった。その代わりに自動車や家電製品の購入を補助し、これらの生産を一時的に増加させただけで終わってしまった。
大震災後、単なる財政論ではなく、経済論の観点から検討する必要性がきわめて大きくなった。電力制約をはじめとして、供給面の制約がきわめて強くなったからだ。かかる状況下で経済論の観点に立つ検討がほとんど行われてない。財政論だけが強く主張されているのは、日本にとって大きな悲劇だ。
【参考】野口悠紀雄「復興論に必要なのは財政論でなく経済論 ~「超」整理日記No.571~」(「週刊ダイヤモンド」2011年7月30日号)
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