語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【震災】原発>倒壊の危険にある4号機

2011年07月13日 | 震災・原発事故
 爆発で屋根が吹き飛んだ4号機の最上階に、今も白い蒸気が出続ける使用済み核燃料プールがある。1,535本の燃料集合体が入ったプールだ。これが倒壊する危険性がある。
 4号機の使用済み燃料プールには、震災前に使用中だった548体の燃料が入っている。倒壊したら、放射能汚染は一気に拡大する。

 4号機の建屋は、余震や台風で倒壊する危険性がある。建屋の4階から下は、火災と外壁の破壊で脆弱になっているのに、5階に異常な重量が負荷している。
 震災直前、炉心隔壁の交換作業を行っていた。作業のため、5階部分には、ガントリークレーンという門の形の大型釣り上げクレーンが搭載されている。これが50トン。また、工事のスペースを確保するため、20トンの乾燥器の上に、60トンの汽水分離器を積み重ねたままになっている。重量バランスは危険な状態だ。それに、切断した炉心隔壁(40トン)を5階に移動したため、原子炉内が空洞になっている。
 このような状態の建屋に耐震性はない。

 東電は、6月20日に5階の燃料プールを支える鉄骨を設置。7月末までに鉄骨支柱の間に充填剤を注入して、より負荷をなくす、と発表している。
 しかし、支柱といっても、工事現場の足場と同じ鋼材で、放射線で劣化しやすい。それに4号機内の放射線量が高く、作業は容易ではない。

 数年前から、福島第一原発では「耐震偽装」の噂があった。
 さらに、次のような実態がある。
 東電提供の映像に映る燃料プールの中は、きれいな部分だけ。燃料プールの隅には、空気中には出せない高線量の廃棄物、定期検査の除染に止揚した高線量のフィルター容器が沈められている。フィルターは大きいもので、直径650mmもあり、何年も放置されている。

 なぜ管理がずさんなのか。
 本来なら鉛でできたキャスクピットに廃棄物を入れて、クレーンで1階に下ろし、16輪の巨大トレーラーで原発敷地内の廃棄物処理施設に保管しなければならない。だが、原子炉が稼働中は危険なので、原則として移送できない。定期点検中に行うべきだが、コストがかかりすぎ、集中廃棄物処理施設の受入量も限界にきていて、実施できなかったのだ。

 以上、記事「福島原発汚染水浄化 最短でも5年かかる!」(「週刊文春」2011年7月14日号)に拠る。
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書評:『カイゴッチ38の心得 ~燃え尽きない介護生活のために~』

2011年07月13日 | 医療・保健・福祉・介護


 本書は、認知症の父親を介護して5年目に入った娘の、介護に関する生活と意見が綴られる。
 生活面をみれば、例えば、リハビリパンツ一丁で夏を過ごす親父のリハパンから何かの拍子にこぼれ落ちたらしいブツを発見して「トホホ、まるでフンコロガシだな」と慨嘆する。
 ちなみに、この体験から著者の介護ブログのタイトル「フンコロガシの詩」が生まれた。
 意見については、例えば、認知症が疑われる兆候として、菓子をやたらに買いこむ行動はかなり重要なサインだ、と著者は指摘する。甘いものが以前より好きになったり、大人買いするのがポイントで、最初に酸っぱいものがダメになり、甘さの味覚は最後まで残るらしい、と。

 300年以上続いた江戸っ子の末裔らしく、威勢のよい啖呵を切る語り口は独特だ。意見の整理のしかたは、もっと独特だ。これが本書を数多くの介護体験記から区別する。全38話の体験談そのものが介護にあたっての「心得」ないし「知恵」に満ちているのだが、特に欄外に「心得」ないし「知恵」の要点が掲げられ、しかも重要度が3段階でランク付けされている。
 構成も体系的で、38話は6つに大別される。
 (1)認知症~前段階~編 こんな症状が出たら要注意!
 (2)認知症~進行中~編 モンスター老人を相手に四苦八苦!
 (3)高齢者の身体の不調~トラブル続発~編 老化は病気とともに
 (4)介護者の知恵~心構え~編 距離を置きつつ冷静に対処
 (5)介護者の知恵~実践~編 備えあれば憂いなし、たとえ報われずとも・・・・
 (6)詐欺事件~高齢者をカモにする甘い罠~編 怪しい商取引には気をつけろ!
 38話は、さらに巻末で再構成される。介護人の「適正チェックシート40」がそれで、心の準備、ケアの方法、健康・病気、金銭、法律の5テーマについて各テーマごとにそれぞれ8項目、読者の介護者としての適性を問う。そして、テーマ毎に総評「傾向と対策」が述べられ、各項目ごとに関係する体験談/心得を参照することができる仕組みだ。

 「心得」ないし「知恵」は、著者がその体験から得た教訓を一般化したものだ。ここで憶測すれば、著者にとっては自分の体験を普遍化することで、精神の均衡を図ったのではないか。
 認知症に限らず介護する家族は、しばしば問題を独りで抱み、鬱に陥る。「知に還元不可能な生の不透明性」(サルトル)の闇に放りこまれて、身動きできなくなるのだ。
 しかし、深刻な事態、不条理だと感じざるをえない事態も、それを一般化することで耐えやすくなり、しのぎやすくなる。これは若い頃、たぶん作家として大成してからも、伊藤整が精神衛生上、採用した処世術だった。
 介護を担う家族は、肉親に対する介護を、公開できる(他の家族やプロの介護者と分担できる)「仕事」と割りきってテクニカルに進めたほうが長持ちすると思う。

 著者は、介護を担う家族をカイゴッチと呼んでいる。
 プロの介護者(介護保険法上の介護者)、つまりデイサービス/デイケアのスタッフや訪問介護員などは、一定の組織的な知識と技術をもち(さればこそ質が保たれる)、報酬を得て介護にあたるプロだ。そして、勤務時間外は(業務としての)介護から離れる。
 他方、カイゴッチは、通常、知識と技術は皆無か断片的で、無報酬、しかも24時間フル勤務体制だ。ショートステイなどを援用することで休息することはできるが、あくまで仮の休息にすぎない。事実、本書でも父親がショートステイ先で事件を起こし、著者が出動せざるをえない羽目になった。
 以上のようにプロの介護者とカイゴッチの相違は明らかだが、敢えて言えば、どうやら著者はカイゴッチのプロを志しているらしく見える。
 無報酬のプロ、対象が不特定多数ではなく自分の親族(ないし義理の親族)に限定されるプロ・・・・変なプロだが、先例がないわけではない。『障害者に迷惑な社会』(晶文社、1994)を書いた松兼功は、障害者のプロを自認している。カイゴッチにもプロがあってよい。
 実際、著者はよく調べ、よく勉強している。部分的には、プロの介護者より詳しいかもしれない。

 ただ、「認知障害」「思考障害」「観念失行」「観念運動失行」などの精神医学上の用語をいささか機械的に振りまわしすぎるきらいがある。日常的に介護するなかで臨床的な視点は十分に身についていると思うが、精神医学も一つの学問なのだ。「認知障害」を知るなら、学問体系の一部として知らなくてはならない。自分の父親の行動を理解するためならばそこまで求められないが、「心得」として不特定多数に精神医学的な「認知障害」その他を説く場合、慎重であるべきだ。
 また、当然ながら、まだ勉強する余地がある。例えば、「プルトップ型のフタならまだ自分で開けることができるので助かっているが、缶ひとつ開けるのも指先の力が萎えた高齢者にとっては相当難しいことなのではないかと思う」・・・・そのとおりだ。ただ、指先の力が衰えた高齢者でもプルトップ型のフタを比較的容易に開ける用具は廉価で入手できる。本書はしかし、バリアフリー用具まで言及していない。本書の主な主題は認知症だから、それはそれで差しつかえないけれども。

 カイゴッチの守備範囲は、江戸城より広大だ。「父娘のドタバタ介護生活はまだまだ続く」から、いずれ、さらに充実した改訂版が刊行されると思う。期待したい。

□藤野ともね『カイゴッチ38の心得 ~燃え尽きない介護生活のために~』(シンコーミュージック・エンタテイメント、2011)
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