語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【震災】増税で復興できるか? ~『官僚の責任』~

2011年07月28日 | 震災・原発事故


 内閣は、確固たるリーダーシップを打ち出せない。
 枠にとらわれない斬新なアイデアを出すことのできる官僚やブレーンは、現れない。
 被災地と原発事故に対して今後も適切な対処ができない場合、日本は最悪のシナリオをたどることになる。すなわち・・・・

 今回の震災で被災地はかなり人口が減った。産業も大きな打撃を受けた。交通網を始めとするインフラも壊滅的といってよい被害を被った。
 白紙の状態から絵を描くことが必要になった。
 にもかかわらず、政府から具体的な復興の全体像は出されない。ようやく6月20日に復興基本法が可決成立、続いて政府の復興構想会議の第一次提言が報告されたが、具体策の策定はこれからだ。換言すれば、これまでのところ、大局的な見地から全体を見渡せる人間も組織も存在していない。
 さまざまな復旧・復興案が全体像のないまま準備され、独り歩きしている。それが二次補正案に盛りこまれた。三次補正も同様だろう。
 すると、結局は、従来どおり縦割りで復旧・復興が進められてしまうことになる。
 その結果、公共事業だけが着々と実行に移される、といった事態が出来する。つまり、同じところに同じような道路や建物をつくることになる。
 これは、「公共事業を生活保護の代わりにする」という発想だ。公共事業を行うことで被災地に雇用が生まれ、被災者の生活が保障される、という主張だ。おそらく30兆円ほどの規模になるだろう。

 だが、その30兆円はどこから捻出するのか。
 政治家と財務省の頭には増税しかない【注】。国民は「被災地のためだ」と我慢するだろう。
 増税によって経済成長が期待できるなら、まだいい。しかし、公共事業で経済成長が芽吹くか、はなはだ疑問だ。病院や学校は必要だが、仮設住宅をつくったり動かしたり、あるいは人が住まなくなったところに道路や橋をつくっても、何の生産性も生み出さないから経済成長は期待できない。よって、税収はどんどん落ち込んでいく。
 他方、社会保障のカットは、反発が強くて政府にはできない。よって、支出はますます膨らんでいく。それを賄うため、また増税せざるを得なくなる。
 そうやって税金がどんどん上がっていけば、逆に消費はどんどん冷え込んでいく。モノを売る側からすれば、消費税が上がれば上がるほど利益は落ちていくから商売が成り立つわけがない。
 そして、ある日、国民は気づくのだ。
 「増税すれば財政再建できる、と言っていたが、ぜんぜん出来やしないじゃないか」

 国際マーケットが注視しているのは、じつは借金の「額」ではない。借金を返済できるかどうか、だ。
 増税するならば、その前にさまざまな改革を行い、「これだけ成長の芽が生まれた」と明確なメッセージを出さなければならない。その芽が実をつける(税収となって表れる)のは数年先だから、それまでのつなぎとして国債を発行する。成長軌道に乗っても足りないぶんは増税する・・・・。
 成長→企業や個人の所得が向上→税収増加・・・・それが本来のやり方だ。もしくは、足りないぶんを補うための方法であるべきだ。
 しかるに、日本政府が進めようとしているのは、成長の可能性をいっさい示さず、「とりあえず」増税する、ということだ。増税で財政を再建しようとしているのだ。もはや取れないところから、さらにむしり取ろうとしているのだから、誰が考えてもうまくいくはずはない。

 となれば、国際マーケットが日本を見離す。
 国債暴落→超円安→輸入品価格の高騰→インフレ・・・・当然、貨幣価値も一気に下がるだろう。
 そうなっても円安のおかげで輸出が伸びるなら、しばらくは持ちこたえられるかもしれない。が、おそらく、そのころには多くのメーカーがすでに海外に拠点を移しているはずだ。国内には競争力のある企業がほとんど残っていなくて、円安のメリットはほとんど期待できない。
 インフレに比例して給料が上がればまだしも、企業にそんな余裕はない。したがって、給料は変わらず物価だけ上昇するから、生活は苦しくなるばかりだ。
 これに追い打ちをかけるのが、日本の食料自給率の低さだ。カロリーベースで40%しかない。米だけは1年間はなんとかなるだろう。しかし、肥料が輸入できず、翌年は栽培できない事態も充分に起こり得る。
 となれば、餓死者が相当数出るのは必至だ。食料だけでなく、灯油やガソリンも高騰するから、寒冷地では凍死者もたくさん出るだろう。そして、そのようなしわ寄せは、まず貧しい人を襲う。
 それを救う力は、すでに政府閉鎖に陥っている政府に無い。政府のサービスはすべて打ち切られ、「すべて自己責任でやってくれ」と力なく言うだけだ。
 ・・・・こういった最悪のシナリオが現実になる日を、今回の東日本大震災は一気に早めた、とも言える。 

 【注】増税は、対外資産や外貨準備の活用と違って、納税者が使える資源が減り、政府が使える資源が増えるだけだ。日本全体として使える資源の総量に変化はない(「【震災】復興資金調達>財務官僚の観点と日本経済の観点」)。

 以上、古賀茂明『官僚の責任』(PHP新書、2011)第1章「『政治指導』が招いた未曾有の危機」に拠る。
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【震災】原発>「利益」がなくても「利権」は生まれる~『官僚の責任』~

2011年07月28日 | 震災・原発事故


 近年、永田町と霞が関がタッグを組んで盛んに行っているパッケージ型インフラビジネスの海外展開も、最終的には役人の食い物にされる可能性が高い。
 このビジネスは、原子力発電所、新幹線、水関連といったインフラに係る施設や技術を管理・運営まで含めたパッケージとして諸外国に売り込もうとするものだ。政官民あげた「オールジャパン体制」で臨むべく、民主党政権下で積極的に推進することになった。鉄道整備や、フクシマの後も依然として生きているらしい原発セールスなどがインドやベトナムで優先交渉権を得たことが、その成果として大きく報じられた。
 民主党がパッケージ型インフラビジネスの海外展開を成長戦略として打ち上げたのは、それが「儲かる」からだ。しかし、最低でも10年から20年の取り組みが必要で、国家的プロジェクトとして継続的に進めていくだけの力が果たして日本政府にあるだろうか。
 1971年に始まったイラン・ジャパン石油化学は、当時の金額で1,000億円もの巨大プロジェクトを日本が受注したということで、国家的プロジェクトとして推進した事業だった。しかし、1980年にイラン・イラク戦争が勃発し、国家的プロジェクトであったがゆえにその意思決定が遅れ、被害をますます拡大させてしまった。18年の歳月と1千数百億円を無駄にする結果となった。

 これにも官僚制の縦割りの弊害があった。資源エネルギー庁は、原発が売れればそれでいい、と考えている。外務省は、経済協力としてプロジェクトにこれだけの予算をつけたことでいい、と考えている。全体を見ようとしないし、見ることができない。縦割りシステムのなかで仕事をしてきたから、そういうことに気づかないのだ。
 加えて、政府肝煎りのプロジェクトだから、日本は簡単には引き下がれない。インドにせよベトナムにせよ中国にせよ、それを見抜き、日本の足下をみているはずだ。とすれば、政府を捲き込んでも、むしろハンデになりかねない。

 ところが、こうしたプロジェクトでも、役人は損をしないシステムだ。むしろ、懐が潤う。役人にとっては、プロジェクトが成功しようが失敗しようが、関係ない。「利益」はできなくても、「利権」は生まれるからだ。
 原発を外国に売り込むにあたって、政府系ファンドの「産業革新機構」が出資し、新会社「国際原子力開発」を設立した。天下り先がまた一つ増えた・・・・と役人は考える。
 「産業革新機構」は、先端技術や特許の事業化支援を目的とし、2009年に設置された。役人的発想でできあがったファンドだ。政府が出資する820億円は、基本的に国民からの借金だ。機構が金融機関から資金を調達する場合、8,000億円まで政府保証をつけることができる。最終的なリスクも国が負うわけだ。しかも、設置期間は15年で、その間に出資した金を回収するのだが、出資した企業が倒産して債権が焦げつく恐れが少なくない。その頃にはすでに、その案件を作った人は機構にいない可能性が高い。プロジェクトが成功しようが失敗しようが関係ない所以だ。結果責任を問われないから、結果を考えずに投資先をどんどん見つけようとする。そのほうが評価が高くなるのだ。そもそも設置期間を15年と長期にしたのも、責任を曖昧にするためだ。
 原発の先行きは不透明になったとはいえ、そういうケースはあちこちで起きている。事実、機構が取りあげた最近の案件をチェックすると、当初の目的とはまったく異なる政治がらみの案件は大企業を支援するようなものが多い。

 以上、古賀茂明『官僚の責任』(PHP新書、2011)に拠る。
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