福島原発事故の直接の原因は地震と津波だ。
しかし、安全対策が劣悪だったことが事故の深刻化を招いた(人災たる所以)。
(1)重大事故についてのシミュレーションの欠如
最悪の場合どのような事態が生じるか、それに対してどのように対処すべきか、シミュレーションが実施されていなかった。
<例1>長時間の電源喪失を想定していない。→東電は、遠方か電源車を搬入するなど泥縄式の対処しかできなかった。
<例2>圧力容器・格納容器の破壊に関するシミュレーションが実施されていなかった。それを防ぐ対策が不在だった。
<例3>圧力容器・格納容器の破壊後の事故対処に関するシミュレーションが実施されていなかった。安全審査をパスするための建前として圧力容器・格納容器の破壊はあり得ないことになっていた。それが方便であり建前にすぎないことが忘れられた結果、容器破壊後でもなお効果的な事故対処が可能な設計をしていなかった。
(2)指揮系統の機能障害
JCOウラン加工工場臨界事故(99年9月)を受け、政府は同年、原子力災害特別措置法を定めた。
同法では、原子力緊急事態宣言を受けて首相官邸に設置される原子力災害対策本部(本部長=首相)が総司令部になり、政府機関・地方行政機関・原子力事業者に指示を出すことになっている。官邸対策本部のサテライトとして原子力災害現地対策本部が緊急事態応急対策拠点施設(オフサイトセンター)内に置かれ、現地における事故対応作業の指揮をとる、と想定されている。このシステムでは、官邸対策本部と現地対策本部の双方に原子力安全委員会が専門的助言を行う(ことになっている)。
しかるに、今回、実際の指揮系統はまったく異なるものとなった。
現地対策本部はほとんど機能しなかった。東京でほとんどの意思決定が行われた。首相官邸、経済産業省原子力安全・保安院、東京電力の三者が協議し、東京電力の主導権のもとに、東京電力の現地対策本部を前線司令部として、事故対処作業が進められた。東電に実質的な拒否権が与えられた。それにより初動対策の実施が決定的に遅れた。その後も現地での事故対策作業が政府主導ではなく東電主導のため、事故対応での人材の有効活用がなされていない。
(3)原子力防災計画の非現実性と避難指示の遅れ
今回の事故に対処できるような原子力防災計画が立てられていなかった。ために、住民避難等に著しい支障を来した。
原子力防災計画は都道府県ごとに立てられる。防災対策を重点的に実施すべき地域(EPZ)の範囲として、原子炉から約8~10kmと定められている。この極端に低いEPZは、立地審査で設定される「仮想事故」、スリーマイル島事故、JCO事故を踏まえて決められた。チェルノブイリ事故を考慮していなかった。チェルノブイリ級の事故は日本では起こり得ない、という思いこみが前提にあった。
半径50kmで設定するのが妥当だった。
なお、広域的な住民疎開などの事態も想定して、避難民輸送・受け入れ体制も含めて広域的に(<例>東北地方などのブロック別)防災計画を策定し、住民に周知させる必要があった。避難民の広域移動や、広域的なサポート体制の構築などを考えれば、当然ながら全国的な原子力防災計画の策定も必要だった。
さらに住民の避難・屋外退避・退去等に関する官邸の指示が遅れたばかりでなく、その指示内容が二転三転し、しかも指示の根拠がまったく示されなかった。これが周辺住民や首都圏を含む近隣地域住民を困惑させた。半径20km圏内については地震後27時間に避難指示が出されて以降、指示の変更はなかった。しかし、20~30km圏内については地震から4日後に屋内退避指示が出され、2週間後に自主避難要請が付け加わり、1ヵ月後には大部分の地域が自主避難要請を残したまま緊急時避難準備区域へと変更された(ごく一部は指定解除された)。
事故の発展のおそれについて、具体的シナリオを描かなければ、このような避難半径を算出することはできないはずだ。しかるに、シナリオは今も秘密とされたままだ。また、「自主避難要請」は世界の原子力災害対策でも前例がない。しかも、住民は事故シナリオについてまったく情報を与えられていない。住民は自主的な判断を下せるはずがない。
以上3つの欠陥の背後にあるのが「原子力安全神話」だ。
「原子力安全神話」を再定義すると、原子炉などの核施設が重大な損傷を受け大量の放射性物質が外部に放出される事故は現実的には決して起こらないという思い込みだ。
「日本では起こり得ない」「絶対安全」を「リスクがきわめて小さく現実的には無視できる」と言い換えても実質的には同じだ。
「原子力安全神話」は、もともと立地地域住民の同意を獲得し、立地審査をパスするために作り出された方便にすぎなかった。しかし、ひとたび立地審査をパスすれば、電力会社はそれ以上の安全対策に余分のコストを費やす必要はない。かくして、「原子力安全神話」が制度的に、原子力安全対策の上限を定めるものとして機能することになる。
いわば、電力会社が自縄自縛に陥ったようなものだ。もし立地審査をパスした原子炉施設に追加の安全対策をほどこしたりすれば、その原子炉の安全性に不備がある、というメッセージを社会に対して発信するからだ。福島第一原発では、負のイメージ形成を避ける、という本末転倒の理由で、安全対策強化が見送られた可能性がある。そして、それが原子力災害時の指揮系統の機能不全とあいまって、福島原発事故をここまで深刻にしてしまった。
事実上、「原子力安全神話」は、口先の方便ではなく、安全規制行政において実質的機能を担ってきた。
以上、石橋克彦編『原発を終わらせる』(岩波新書、2011)の「Ⅲ 原発の何が問題か--社会的側面から」の一編、吉岡斉「1 原子力安全規制を麻痺させた安全神話」のうち「1 安全神話がもたらした安全対策の欠陥」に拠る。
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しかし、安全対策が劣悪だったことが事故の深刻化を招いた(人災たる所以)。
(1)重大事故についてのシミュレーションの欠如
最悪の場合どのような事態が生じるか、それに対してどのように対処すべきか、シミュレーションが実施されていなかった。
<例1>長時間の電源喪失を想定していない。→東電は、遠方か電源車を搬入するなど泥縄式の対処しかできなかった。
<例2>圧力容器・格納容器の破壊に関するシミュレーションが実施されていなかった。それを防ぐ対策が不在だった。
<例3>圧力容器・格納容器の破壊後の事故対処に関するシミュレーションが実施されていなかった。安全審査をパスするための建前として圧力容器・格納容器の破壊はあり得ないことになっていた。それが方便であり建前にすぎないことが忘れられた結果、容器破壊後でもなお効果的な事故対処が可能な設計をしていなかった。
(2)指揮系統の機能障害
JCOウラン加工工場臨界事故(99年9月)を受け、政府は同年、原子力災害特別措置法を定めた。
同法では、原子力緊急事態宣言を受けて首相官邸に設置される原子力災害対策本部(本部長=首相)が総司令部になり、政府機関・地方行政機関・原子力事業者に指示を出すことになっている。官邸対策本部のサテライトとして原子力災害現地対策本部が緊急事態応急対策拠点施設(オフサイトセンター)内に置かれ、現地における事故対応作業の指揮をとる、と想定されている。このシステムでは、官邸対策本部と現地対策本部の双方に原子力安全委員会が専門的助言を行う(ことになっている)。
しかるに、今回、実際の指揮系統はまったく異なるものとなった。
現地対策本部はほとんど機能しなかった。東京でほとんどの意思決定が行われた。首相官邸、経済産業省原子力安全・保安院、東京電力の三者が協議し、東京電力の主導権のもとに、東京電力の現地対策本部を前線司令部として、事故対処作業が進められた。東電に実質的な拒否権が与えられた。それにより初動対策の実施が決定的に遅れた。その後も現地での事故対策作業が政府主導ではなく東電主導のため、事故対応での人材の有効活用がなされていない。
(3)原子力防災計画の非現実性と避難指示の遅れ
今回の事故に対処できるような原子力防災計画が立てられていなかった。ために、住民避難等に著しい支障を来した。
原子力防災計画は都道府県ごとに立てられる。防災対策を重点的に実施すべき地域(EPZ)の範囲として、原子炉から約8~10kmと定められている。この極端に低いEPZは、立地審査で設定される「仮想事故」、スリーマイル島事故、JCO事故を踏まえて決められた。チェルノブイリ事故を考慮していなかった。チェルノブイリ級の事故は日本では起こり得ない、という思いこみが前提にあった。
半径50kmで設定するのが妥当だった。
なお、広域的な住民疎開などの事態も想定して、避難民輸送・受け入れ体制も含めて広域的に(<例>東北地方などのブロック別)防災計画を策定し、住民に周知させる必要があった。避難民の広域移動や、広域的なサポート体制の構築などを考えれば、当然ながら全国的な原子力防災計画の策定も必要だった。
さらに住民の避難・屋外退避・退去等に関する官邸の指示が遅れたばかりでなく、その指示内容が二転三転し、しかも指示の根拠がまったく示されなかった。これが周辺住民や首都圏を含む近隣地域住民を困惑させた。半径20km圏内については地震後27時間に避難指示が出されて以降、指示の変更はなかった。しかし、20~30km圏内については地震から4日後に屋内退避指示が出され、2週間後に自主避難要請が付け加わり、1ヵ月後には大部分の地域が自主避難要請を残したまま緊急時避難準備区域へと変更された(ごく一部は指定解除された)。
事故の発展のおそれについて、具体的シナリオを描かなければ、このような避難半径を算出することはできないはずだ。しかるに、シナリオは今も秘密とされたままだ。また、「自主避難要請」は世界の原子力災害対策でも前例がない。しかも、住民は事故シナリオについてまったく情報を与えられていない。住民は自主的な判断を下せるはずがない。
以上3つの欠陥の背後にあるのが「原子力安全神話」だ。
「原子力安全神話」を再定義すると、原子炉などの核施設が重大な損傷を受け大量の放射性物質が外部に放出される事故は現実的には決して起こらないという思い込みだ。
「日本では起こり得ない」「絶対安全」を「リスクがきわめて小さく現実的には無視できる」と言い換えても実質的には同じだ。
「原子力安全神話」は、もともと立地地域住民の同意を獲得し、立地審査をパスするために作り出された方便にすぎなかった。しかし、ひとたび立地審査をパスすれば、電力会社はそれ以上の安全対策に余分のコストを費やす必要はない。かくして、「原子力安全神話」が制度的に、原子力安全対策の上限を定めるものとして機能することになる。
いわば、電力会社が自縄自縛に陥ったようなものだ。もし立地審査をパスした原子炉施設に追加の安全対策をほどこしたりすれば、その原子炉の安全性に不備がある、というメッセージを社会に対して発信するからだ。福島第一原発では、負のイメージ形成を避ける、という本末転倒の理由で、安全対策強化が見送られた可能性がある。そして、それが原子力災害時の指揮系統の機能不全とあいまって、福島原発事故をここまで深刻にしてしまった。
事実上、「原子力安全神話」は、口先の方便ではなく、安全規制行政において実質的機能を担ってきた。
以上、石橋克彦編『原発を終わらせる』(岩波新書、2011)の「Ⅲ 原発の何が問題か--社会的側面から」の一編、吉岡斉「1 原子力安全規制を麻痺させた安全神話」のうち「1 安全神話がもたらした安全対策の欠陥」に拠る。
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