昨日の震災の式典で最も心打たれたのが
あの時大川中の生徒の追悼の言葉だった。
母をがれきの中で見つけたにもかかわらず
釘や木がささり足がおれた母を
一人では助けることも叶わず
「いかないで」という母の言葉に「有難う好きだよ」と伝え
泳いでにげたという切ない出来事。
誰もが感動したものと思う。
これを聞いた時
戦争の空襲でにげまどう中
大事な人をたすけられず
自分だけにげざるをえない状況とにているものだと感じた。
また新聞のコメントの中で最も目を引き付けられたのが
歴史の中で風化させたくないという
ある政治家のコメントだった。
3・11を震災の日として法案を作る動きについて
それが今なのかということが問題です。
記念日ができると、歴史の中の震災になってしまう。せめて
16年度には住宅再建も7割近く進む。
せめてそこまで待って欲しい。
これは津波で家族を失い、自分も仮設にはいっている
ある国会議員の言葉である。
あの時大川中の生徒の追悼の言葉だった。
母をがれきの中で見つけたにもかかわらず
釘や木がささり足がおれた母を
一人では助けることも叶わず
「いかないで」という母の言葉に「有難う好きだよ」と伝え
泳いでにげたという切ない出来事。
誰もが感動したものと思う。
これを聞いた時
戦争の空襲でにげまどう中
大事な人をたすけられず
自分だけにげざるをえない状況とにているものだと感じた。
また新聞のコメントの中で最も目を引き付けられたのが
歴史の中で風化させたくないという
ある政治家のコメントだった。
3・11を震災の日として法案を作る動きについて
それが今なのかということが問題です。
記念日ができると、歴史の中の震災になってしまう。せめて
16年度には住宅再建も7割近く進む。
せめてそこまで待って欲しい。
これは津波で家族を失い、自分も仮設にはいっている
ある国会議員の言葉である。