ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2021-62 金田一京介の業績

2021年07月05日 | 日記
定例の先人記念館での学習会にて。参加者50人。
盛岡市の名誉市民である金田一京介が亡くなって50年。
それを記念しての学習だった。

金田一家は裕福な商家であった。
京介の母は末娘で「みちのくの渋沢栄一」といわれた勝定が兄である。
父は婿であった。京介の父母は子だくさんで7男4女の兄弟がおり
金田一家には20人ぐらい住んでいたようだ。
多くが長寿の家系で京介は数え90歳で亡くなっている。

1つ目の業績
京介の友人に3歳年下の石川啄木がいる。
何といっても東京で1年同じ下宿にすみ、世話をしているのだった。
そして早くして亡くなった石川啄木の年表や業績をまとめ社会に認知させている。

2つ目の業績
京介の功績は仕事では言語学者でアイヌ語の研究に取り組み「ユーカラの研究」として
まとめ上げ文化勲章を授与されている人物である。

北海道に何度も足を運び現地のアイヌ語を文字として記録。
アイヌ語は口伝えで文字として残っていないのだ。それを体系化していくわけである。
その取材代金は国からもあっただろうが実家から100万円、旅費を出してもらい
周囲からは「お金にもならないアイヌ語の研究」といわれながらも研究を続けているのだった。
途中、アイヌの旧家知里、金成家と深い親交をもち、その一族の娘を養女として迎えている。
養女の幸恵は大変賢く「カムイから授かった珠玉」であった。
計り知れない影響を受けたのだった。ただ病気のため幸江は早くして亡くなってしまったのだった。
生涯にわたってアイヌ語の研究を続けた京介。

3つ目の業績
それは国語辞典の監修であった。言語学者金田一京介監修の辞典を使って調べた人はかなり多いだろう。

卒寿のお祝いを終えた年、亡くなる1週間前まで元気であったと。
その後終始眠るがごとく息を引き取ったとのこと。
研究者として幸せな生涯を閉じたのだった。









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