昼に集合
最初の目的地はひめゆりの塔。
案内人は地元の退職女教師の会の会長達。
ひめゆりの塔は多くの犠牲者を出したガマの上に建立される1946年。
沖縄戦で亡くなった学徒隊員136名、在校生・教師91名計227名
その後33回忌に同窓生がひめゆり記念館の建設を決議、手弁当で奔走。
資料収集し7年後の1989年にひめゆり平和記念資料館開館。私設なのだった。
限られた時間であったが一つ一つ証言記録を読むと犠牲になった多くの方々の
人として生きた時間が偲ばれた。
私たちシニアに混ざって修学旅行生たちもしっかりと静かに見入っていた。
後々まで引き継いでほしいものだ。
その後、平和祈念公園に。
本島南部の沖縄戦終焉の地糸満真文仁の丘陵を南に望む。
犠牲になった方々のすべての名を記した等建立されている平和の礎、
中央には広島長崎の火を合火した平和の火がともされていた。
広大な敷地の中に多くの施設が建設されていた。
その後、中部にあるコテージの宿へ。
夕食では全国各地から集まった方々と交流会。
1日目終了。
最初の目的地はひめゆりの塔。
案内人は地元の退職女教師の会の会長達。
ひめゆりの塔は多くの犠牲者を出したガマの上に建立される1946年。
沖縄戦で亡くなった学徒隊員136名、在校生・教師91名計227名
その後33回忌に同窓生がひめゆり記念館の建設を決議、手弁当で奔走。
資料収集し7年後の1989年にひめゆり平和記念資料館開館。私設なのだった。
限られた時間であったが一つ一つ証言記録を読むと犠牲になった多くの方々の
人として生きた時間が偲ばれた。
私たちシニアに混ざって修学旅行生たちもしっかりと静かに見入っていた。
後々まで引き継いでほしいものだ。
その後、平和祈念公園に。
本島南部の沖縄戦終焉の地糸満真文仁の丘陵を南に望む。
犠牲になった方々のすべての名を記した等建立されている平和の礎、
中央には広島長崎の火を合火した平和の火がともされていた。
広大な敷地の中に多くの施設が建設されていた。
その後、中部にあるコテージの宿へ。
夕食では全国各地から集まった方々と交流会。
1日目終了。
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