ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

その94毛越寺の読み方は?

2012年04月06日 | 日記
 けこしでら。 もうえつじ。もうつじ。もおつじ。などなど
なまってモウツウジになったという説さえあるようです。

次に毛越寺は単体ではないということ。
例えば北海道の大雪山と同じ言い方なのです。
そこのいくつかの山を称していうわけです。

毛越寺も同様で、いくつかの寺、築山などあわせ
全体を称しての名称なのでした。

さて写真は現存する浄土庭園の典型といわれています
この池の曲線に注目。
仏教と神教の価値観の交流というのが
世界遺産になった1つの要因であり
この池の造りがそれを表しているとのことでした。


歩いての数時間のフィールドワーク。
ゆっくり歩きながら当時をしのんでみるのもいいものです。
ちなみに金色堂・中尊寺は800円、毛越寺は500円の拝観料です。



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その93 松尾芭蕉と平泉

2012年04月05日 | 日記
昨日の暴風雨、一夜あけて早朝。
家の敷地は一面の杉の葉の絨毯。
 
さて後日、平泉を全国区にしたのは西行と松尾芭蕉
以下奥の細道『平泉』こう記してある。
三代の栄耀一睡のうちにして、大門の跡は一里こなたにあり。
秀衛が跡は田野になりて、金鶏山のみ形をのこす。
まづ高舘に登れば、北上川南部より流るる大河なり。・・・続く

芭蕉は二句読んでいる

夏草や兵どもが夢の跡

五月雨の降り残してや光堂
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その92 トイレットペーパーは割りばし形で 

2012年04月04日 | 日記
 昨夜からの暴風雨、風速25m以上。
今までにない強風の音。
しなる樹木。
大荒れの「爆弾低気圧」。
朝方はまた一面の銀世界に変わった。

さて平泉の柳之御所資料館で一風変わったものが展示されていた
ちゅう木といわれるものだ
何に使用されたかというと
トイレットペーパーがわりとの説明。
柳之御所の跡地である部分が
有機性物質が多くその中から
大量の「ちゅう木」が発見。
その跡地と思われる場所もあった。
「これは使い捨てですか?」参加者から。
 学芸員の方も「何回か使用したかも?」
この素材は杉の木らしい。

ちなみに見学にきた小学生。
最も興味を示した1つがこの「ちゅう木」とのこと。
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その91 金色堂の覆堂はいつ?

2012年04月03日 | 日記
 藤原清衛、金色堂建立。(1124完成。)

金箔でおおわれた金色堂。
この金色堂を覆う覆堂があります。
同時期にたてられたものではないとのこと。

どなたかが「若い時、金色堂と一緒にたてられた
と以前子どもに教えてしまった。でももう時効ね。」
と苦笑したいたことを思い出しました。
その覆堂は1288年建立。

皮肉にも
義経討伐で平泉を滅ぼした源氏の鎌倉幕府がその亡霊になやまされ
平泉文化を保護したということ。
 
金色堂は約160年間直接風雨にさらされていたのです。
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その90平清盛と平泉

2012年04月02日 | 日記
 放映されている平清盛と藤原3代の平泉は
同時代である。今は2代目の栄華をほこっていた基衛の頃とか。
平泉の半日フィールドワークをした際
西行の歌碑があった。
出家する前は藤原家でありそのつながりで
2回訪れている。
「ききもせず  束稲山(たばしねやま)のさくら花
吉野の外にかかるべしとは」
桜の名所の奈良県の吉野に勝るとも劣らない
桜の美しい有様を読んでいる。

中世の平泉文化を知る上で平清盛を見ると面白い。

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