ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2015-270 今年度から変わってきた県教研集会。

2015年11月09日 | 日記
長らく1泊2日で県内を持ち回りでやってきた県教育研究集会。
今年から様変わりをしてきた。

教科別教研は石鳥谷で参加者約200人

全体会は金沢大の方のこれから教科になる道徳について
教科による価値の押し付けの懸念についての質問には
ややずれがあったが
昨年よりは誠実にこたえようとしていた感があった。

問題別はつなぎのホテルで

ここでは例年担当地区が100人体制で世話をしているのがなし。

質素になった感じだ。
また分科会も午前からが午後から翌日へと短縮。

組織委員が
金曜の夜から検討し作成していた
基調が無くなったこと。
速報も自由。と組織委員の軽減化が見えた。

ただ問題別は参加者が教科別に比べ130人ぐらいと少ないのが残念だが

いつまでも実りある教研であって欲しいと願うものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2015-269 続 「海よ光れ」を観て

2015年11月06日 | 日記
朝日新聞に「海よ光れ」の記事があった。
故郷の海 力いっぱい表現

1幕6場の表現劇
孫に語り聞かせる古老の回想を軸に進む。
スルメイカの大漁での活気の浜から不漁へ
M29年の津波
昭和へと・・・以上新聞記事。

この表現を支えてくれていたのが
劇団Kである。そして脚本は地元のH先生。

そこで練られた表現によって今でも続いているのだ。

震災の影響なのか今は80名の児童数。
かつては180名ぐらいと記憶している。

だから劇中、「離れてもこの大好きなこの大沢を忘れない。」
というセリフがやけに耳に残った。

終わって職員は片づけ。その間校長室である大学教授の女性と語り合った。

兵庫からセラピーとして震災後、の数カ月通ったというのだ。

なぜそんな遠くからとの疑問に
自分自身20年前の阪神大震災でがれきの中、救出された体験をおもちの方であった。


この震災に共通の体験者として
被災者に寄り添い見守りたいとのことだった。

元気そうな子どもたちだ子ども達の中にはあの当時の絵は色彩感覚がなかったり
真っ暗な絵などがあったと。・・・不安定な内面が表出されていた人もいたそうだ。

色々な方の支援がされていたことを改めて感じたものであった。

帰りに
劇中で使われた、スルメイカを
またカキ小屋に立ち寄った際には漁師の方から
とれたばかりの生かきを頂いた。塩の味がして大変おいしかった。











コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2015-268 更に磨きかかった、全校表現「海よ光れ」

2015年11月02日 | 日記
11月1日、山田町大沢小学校へ、
本約20冊とジュースを持参して
28年間続いている全校表現劇を観にいった。

その学校は四半世紀前、教鞭をとった場所でもあった。
次から次へと歌い全身で表現する手法
テーマは語り継ぐ津波と大沢地域の歴史。

あの3.11から4年半。

どのようにあの海よ光れを受け止め発展していっているのだろう
と思いつつ客席に。

当時より子ども達の数は少なくなっていたが
その分一人一人の顔がしっかり客席に届いた。

浜っ子らしい、はりのある声で「船をだせー」と叫ぶ堂々とした姿。

海よ光れの歌は一緒にに口ずさんでいた。
観客席では感動ですすり泣きの声がもれていた。

被災した部分がオーバーラップしていた方も
多々いらっしゃったと思うが

海が好きだ、山田の、大沢の海が好きだと
立ちあがり、前進しようとする姿に明日への希望が重なった。

大きな大きな感動を与えてくれた
海よ光れであった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする