ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2021-87 白菜の苗の植え付け1600本終了

2021年09月20日 | 日記
3連休、いかがお過ごしでしたか。
自粛ムードの中で、せっせと白菜の苗植えをしました。
先週までに18畝はすでに終了。
残りの15畝、苗の生育状況と天気予報を見合わせながら
台風の直後に植え付けをしました。

植え付けをする最中は水分が欠かせないからです。
根を切らさないように注意しながら1本1本40センチ間隔で
植え付けしていきます。

最後の2畝は間に合わず月明かりの下で行いました。
何とか終了。
台風が十分な水分を補給してくれ、植え付けした苗は青々としており、
しっかり根付いてくれたようです。

結果的に昨年より400本多い1600本植え付けした数になりました。
この苗は順調に生育すれば
10月上旬から11月上旬に収穫できる予定です。

まるで野菜農家のブログになってしまいました。




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2021-84 緊急宣言延長

2021年09月12日 | 日記
全国の中で27都道府県が緊急宣言が12日から延長して月末までと。

県では独自の緊急宣言の中、はやり12日だったのが2週間延長して
26日まで公民館や公立の施設などは休館措置となった。

閉館されて改めて、その存在のありがたさが実感される。
仕事の合間に時々立ち寄っていた図書館。
本を借りるだけでなく他紙の新聞や月刊誌など利用していただけに残念だ。

シニア層にとっては公民館活動に何らかしか参加している。
それらも休止状態だ。合唱もしばらく歌っていない。
いかに今まで生活に潤いをもたらしてくれていたか気づかされたものだ。

今はその分だけ、天候に一喜一憂している農業に専念している日々だ。



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2021-83  3kgが1日で18kg

2021年09月11日 | 日記
9日に間引きした白菜の苗植え作業を行った。
2人で半日かかった。
植える前に土に水を入れて植えた苗は元気だ。
水を省略して植えた苗はしおれて植えつけた後に
水をやる作業がかかせない。はやり手抜きは後が大変という教訓か。・・・

さて8月がスイカといえば9月は栗が旬のこの時期だ。
6日の月曜日に栗林に入った。10粒位だった。
まだまだ先だ。と思ったが木曜日、栗の木のイガが茶色に変色し始めきた。
そこで栗林へ。パラパラと落ちていた栗を拾った。3キログラム収穫。
そして金曜日。気温28度と久しぶりに暑い中の栗拾い。
なんと、バラバラと栗が至る所に落ちているではないか。
まるで草むしりをしているように拾った。
落ちた栗は早く拾はないと虫が入ってしまうのだった。
2時間弱でなんと18キログラム。
昨日はたった3キログラムだったのに。4日前は僅か10粒。
一気に落ちてきたのだった。
この自然の変化と賜物に驚いた1日だった。


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2021-82 これからは1日が3日分

2021年09月08日 | 日記
9月に入って、1日の寒暖の差が大きくなってきた。
昨日は白露。めっきり涼しくなってきた。
野菜の作り方の相談役である近所の89歳のお婆さんが
「これからは1日が3日分の早さだよ」と。
そういえば
8月半ばに大根の種をまいたが3日あれば発芽した。
今は白菜が4日。ホウレンソウが6日と次第と遅くなってきている。
日も7時すぎまで明るかったのが6時過ぎには暗くなっている。

やるべきことは先延ばししないで今日、やるべきことをしておけという教訓か。
初めにすべきことは計画の見直しだ。
大根を5袋。白菜は4袋、種まきを8月末までに終えた。
これからは間引き作業だ。天候しだいでもある。
白菜の間引きはそのまま苗を植える作業にもなるからだ。
涼しいので生育が遅いのが少しきがかりでもある。


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2021-81 共生・パラリンピック閉会

2021年09月07日 | 日記
コロナの感染者が最大の中で
どうにかパラリンピックが閉会された。
パラリンピックの参加者は紆余曲折があった人生を背負った
生きてきているだけに語る言葉にはそれぞれ重みがある。
郷土出身ではトルネード投げで活躍した欠畠選手。
そして水泳の全盲スイマー木村選手の100mバタフライは堂々の金メダル。
この日がくるのかという迎える不安と表彰台での演奏を聞いてメダルを実感したという歓喜の涙。
ライバルの富田選手の仲間を称える言葉。
トライアスロンに車椅子マラソンと過酷な2つのレースに参加した土田選手。
惜しくも4位だったがすごい体力の限界に挑戦したものだ。

閉会当日のマラソン。全盲の道下選手の金メダル。ピッチ走法で最後まで崩れなかったペース。
1か月に1000キロ近くの走り込みに裏付けられた体力だ。
車椅子バスケットなど健闘したパラのアスリートたち。
64歳で完走した女子マラソン選手。

限界を乗り越えて日々努力することの意義を教えてくれたパラリンピックだった。

パラの選手が輝いているのはこれぞ社会参加しているからだといった言葉が忘れられない。
障がい者・健常者、ともに共生する社会を求め続けているのだ。



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