横手でファシリテーション講座を終えた後の懇親会の席で、
大沢ぶどう畑の話題が出ました。
40年ぶりの豪雪に、ぶどう棚が埋もれてしまったのです。
自分たちだけでは何ともならず、
何とかボランティアの人に手伝ってもらえないだろうか?
そんな内容がヨコッター(横手のツイッター)で飛び交い、
それを地元のコミュニティラジオでも流せないか?
でも、ぶどうの話を流したら、今度は他の話も・・となり、
ひとつだけ流すことはできないとの判断で
ラジオでその話題は流されなかったようです。
でも、地域が困っているときに地元のコミュニティラジオが
1つ流すと全部流さなければならなくなるから・・・
という理由で、「流さない」という選択をするのはどうなんだろう?
どうせなら、流せなくなるぐらい
何でも流すのもアリではないのか?
私利私欲の話題を流して欲しいと言っている訳ではない。
私もテレビやラジオの仕事をしたことがありますので、
どこまで流すか?という境界線を敷くことの難しさも知っています。
でも、それなら本来コミュニティラジオは何のために作られたのか?
地域住民のためではなかったのか?
そんな話題がお酒の肴になったのだけれど、
今日全国ニュースで横手の大沢ぶどう畑のことが
取り上げられました。
大沢ぶどう畑の収穫高は1200tおよそ5億の損失だそうです。
この損失は、ぶどう畑だけの損失ではなくて、
地域全体の損失であることを理解しないといけません。
それにしても何故放送できない理由だけを取り上げて、
どうやったらできるのか?という
可能性を探らないのでしょう?
これからの“協働”の場面でも
今までこうだからダメ・・・というのではなく、
「どうやったらできるのか?」を
一緒に考えることから始めないといけません。
まさにそこには全体思考の
ファシリテーションが必要ですね♪