TOTOからはじまったイモづる式音楽日記

旧タイトル:TOTOからはじまるLA FUSION CONNECTION~ネタはフュージョンやらAORやら。

さらばボンネット

2010-01-07 22:56:19 | Weblog
ネットのニュースを見てたら目に入ったこのニュース。Yahooのトップページにも出てましたね。
毎日jpの記事で、タイトルは「ボンネット型車両:昭和の特急の顔、姿消す…3月から順次」というもの。
そうです、こないだ書きました急行「能登」廃止に関連するお話、ということで今回も鉄分オンリーです。

少々解説しますと、急行「能登」に使用されている車両は489系という車両のしかも初期バージョン、いわゆる「ボンネット」タイプの車両なのです。製造は昭和46~47年ということですから、もう、40年近い車齢になります。ちなみに489系というのは横川~軽井沢間の碓氷峠を越えるためのいわば専用車両だったわけです。

大体において、これよりも10年以上新しい車両が廃車されまくっている今日、未だに走り続けているということが、奇跡に近い、というか、走る博物館的なノリでこのまましばらくは存置されるものと思ってました。それがとうとう終焉を迎える…。
小生生まれは群馬県、鉄分に目覚めた小学生の頃は、群馬の交通の要所であった高崎に、よく電車の写真を撮りに行っていたものです。ちなみに今日の写真はその頃のモノ。当時は長野新幹線はもとより、上越新幹線すら開通しておらず、高崎には1時間に5~6本もの特急列車が到着していた、まさに特急列車全盛の時代でありました。もちろん急行列車も多数走っていて、今みたいになんでもかんでも特急じゃなくて、きちんと「特別急行」と「急行」が併存していた、良き時代だったな~。それだけに「特急」って当時は文字通り特別に憧れの存在だったわけです。その中でも異彩を放っていたのが、写真の489系「白山」と181系「とき」の存在。いずれも一部でこういうボンネットタイプの車両が使われていました。181系「とき」のボンネットは上越新幹線開通とともに姿を消しましたが、489系はこの今に至っても元気に走り続けていました。そんな子供の頃の憧れだったこの車両がとうとう最期を迎える…なかなか他の人には理解し得ない感慨があります。小生的にはそんなこだわりがこの車両にはあるんですね。とはいえ、人も同じ。出会いもあればいつかは別れがくるものです。この車齢を考えればこれは仕方ないことなんだろうな…。残念だけど。

ということで、実は一昨日にちょこっとこの車両に乗ってきました。
この急行「能登」は夜行列車ですから、昼間は車両基地(ちなみに尾久駅ホームから見えます)で昼寝しているんですが、夜間にはアルバイトで「ホームライナー」運用につきます。
「ホームライナー鴻巣3号」と「ホームライナー古河3号」という列車。実は小生今までも会社帰りに結構利用してたんですけどね。上野駅から発車します。さすがに深夜夜行の「能登」では乗りにくいけど、ホームライナーなら手軽にこの車両を味わうことができますんで、もしご興味おありでしたら無くなる前に是非一度お試しを。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする