元阪神の投手、小林繁氏がお亡くなりになったということです。
小生が小学生だった時分、ご多分にもれず地元の少年野球のチームに入っておりました。
まあ、ちいともうまくなくて万年補欠だったんですけどね。
その時にもらったユニフォームの背番号が19。当時背番号19といえば小林氏の代名詞だったんですね。少年野球の背番号って、絶対同じ背番号のプロ野球選手に憧れるのはお約束。当然のことながら、小生も小林氏には特別な憧れがあったものです。阪神の赤星選手もそうですが、思いのほか早く引退しちゃうと、がっくりするんだけど、それだけに伝説の人となって余計に強い印象が残るものです。
人生はかないものですね。元気に普通に生活してた人が、その翌日には鬼籍に入ってしまうなんて。
とにかくご冥福をお祈りするしかありません。
...そう、何の心配事もなくその日を迎えてしまった阪神大震災の犠牲になった方々にも。
小生も尼崎に住んでいた頃に被災しました。まあ被災したと言いましても、家財の一部を失って、ガスも水道も止まってしまい、しばらくカミさんの実家に疎開していたぐらいで済んだのですが。
会社の人も一人亡くなられました。とにかく葬式をするにも花が全然ないからとにかく花を用意してくれ、と言われて大阪で花をたくさん買ってそれを抱えて葬儀場に向かいました。もちろんタクシーでは武庫川を越えることができず、あとはひたすら倒壊した建物の間をぬって、懸命に電気やガスや水道の復旧作業を行う方々の作業を横目に見ながらとにかく歩いたものです。葬儀場は教会。やはり家を失った人々が避難生活をしている横での葬儀でした。
そんな光景を目の当たりにすると、これから日本はどうなってしまうのだろう、もう立ち直れないのではないか、というようなえも知れぬ不安にかられたものです。もうあれから15年。しかし忘れてはいけない経験なのです。
小生が小学生だった時分、ご多分にもれず地元の少年野球のチームに入っておりました。
まあ、ちいともうまくなくて万年補欠だったんですけどね。
その時にもらったユニフォームの背番号が19。当時背番号19といえば小林氏の代名詞だったんですね。少年野球の背番号って、絶対同じ背番号のプロ野球選手に憧れるのはお約束。当然のことながら、小生も小林氏には特別な憧れがあったものです。阪神の赤星選手もそうですが、思いのほか早く引退しちゃうと、がっくりするんだけど、それだけに伝説の人となって余計に強い印象が残るものです。
人生はかないものですね。元気に普通に生活してた人が、その翌日には鬼籍に入ってしまうなんて。
とにかくご冥福をお祈りするしかありません。
...そう、何の心配事もなくその日を迎えてしまった阪神大震災の犠牲になった方々にも。
小生も尼崎に住んでいた頃に被災しました。まあ被災したと言いましても、家財の一部を失って、ガスも水道も止まってしまい、しばらくカミさんの実家に疎開していたぐらいで済んだのですが。
会社の人も一人亡くなられました。とにかく葬式をするにも花が全然ないからとにかく花を用意してくれ、と言われて大阪で花をたくさん買ってそれを抱えて葬儀場に向かいました。もちろんタクシーでは武庫川を越えることができず、あとはひたすら倒壊した建物の間をぬって、懸命に電気やガスや水道の復旧作業を行う方々の作業を横目に見ながらとにかく歩いたものです。葬儀場は教会。やはり家を失った人々が避難生活をしている横での葬儀でした。
そんな光景を目の当たりにすると、これから日本はどうなってしまうのだろう、もう立ち直れないのではないか、というようなえも知れぬ不安にかられたものです。もうあれから15年。しかし忘れてはいけない経験なのです。