ということで今回は石炭博物館について。
夕張駅から徒歩で行ける唯一ともいえる観光施設である石炭博物館、前回書きました通り旧夕張駅の跡地の広大な駐車場を抜けたところにあります。
ゲートみたいなちょっとしたトンネルを抜けると...なんだか怪しげな土産物屋。もちろん営業してません。更に進むと化石館?だったかな、ともう一つ建物があるけど、これもまた閉鎖中の様子。おいおいホンマに営業してるんかいな、パラダイスやな~と思いつつ駐車場の整理をしていたおじさん(一応車数台は来てました)が入口はあっち、とのご指示。ちょっと坂を上った高台にありました、石炭博物館。いかにも博物館っぽい重厚な建物です・・・。どうも敷地入口付近の閉鎖された建物の中の展示物はこちらに集約されたようです。
入ってすぐの場所では石炭掘るための機械やらでっかい石炭の塊やらアンモナイトの化石やら石炭とはなんぞや・・・的な展示物。ま、博物館ってこんなもんだよな、と思いながらの行程でしたが、2Fの展示場に行くと・・・炭鉱で働く、そして暮らす人々の写真展と、炭鉱での作業工具やら道具やら、生活用具やらの展示。
まさに命懸けで、真黒になって働く人々のリアルな姿に正直心を打たれた次第です。顔から何から全て真黒。そんな状態で炭鉱の中で炭が入らないようにふたを少しだけずらせて弁当を食べている姿。そして大事故。人の形をとどめない遺体を、人の形をかたどるように包んで運び出している写真は生涯忘れられないのではなかろうか。
人間が働くって、どういうことなのか。考えさせられました。
しかも炭鉱の仕事を終えて、缶入りアクエリアスを飲んで(やっぱり真黒な手でですよ)一息ついている写真を見て気付きました。モノクロの写真はそれこそ自分が生まれる前くらいの昔の出来事のように錯覚してしまうのですが、缶のアクエリって、自分が学生の頃によく飲んでたな~と。写真の日付は1987年。もう自分は大学生の頃でした。自分が物心ついて普通に学生時代を過ごしていたあの頃であっても、確かに炭鉱はこの夕張の地で生きていた。自分が体験していないような過去の出来事ではなかったんだよね、って。
ちなみにこちらは80年代の夕張の姿を勝手リンク。モノクロの写真がいかにも一昔っぽくてそれころ昭和2~30年代を思わせるが、実は小生が高校生だったころのリアルタイム。でも同じ時代に自分も普通に生きていたんだという実感が正直わかないのです。
圧巻は坑道展示。炭鉱史蹟となっている実際の訓練用模擬坑道をライト付のヘルメットをかぶって体験するという文字通りリアルな炭鉱体験。もちろん展示用に整備されているんだけど、そのリアリティたるや、博物館の域を超えてますね。確かに子供は怖がって絶対に入れないような雰囲気なんだけどホント社会勉強という意味ではこれ以上の施設はないな、と思った次第です。
これで入場料は1,230円。最初は高いな~と思いましたよ、正直。でも、この坑道展示を維持するには相当な金がかかっていると思われます。今や炭鉱は存在しなくなって久しいだけにこういった炭鉱の姿を今に伝える施設が、むしろ採算が取れなくなって閉鎖、なんていうことになったら極端な話国にとっての損失といってもいいくらいの重要な施設じゃなかろうかとも思うわけで。
とにもかくにも、思っていた以上に有意義な見学だったのでした。それで思ったより時間かかってしまった、それで昼飯食いそびれてしまった、ということにつながるんですけどね。
こうして改めてこの体験を思い出すにつけ、生半可な思いつきでなく、もっと事前によく調べて、きっちりと炭鉱という存在に向き合いたかったな、と今更にして思うのです。
前回、炭鉱住宅とかの当時の生活の姿を伝えるものはほとんど見られなかった、と書きましたがよくよく調べてみると夕張駅周辺ではなく、2~3駅離れた駅の周辺に、当時の姿が色濃く残されているようです。大事故が発生した炭鉱の遺構もそのままに。
こないだ行ったばかりなのにね、次回はそういった場所を訪れてみようという思いを強くして、早速計画を立て始めております。
夕張駅から徒歩で行ける唯一ともいえる観光施設である石炭博物館、前回書きました通り旧夕張駅の跡地の広大な駐車場を抜けたところにあります。
ゲートみたいなちょっとしたトンネルを抜けると...なんだか怪しげな土産物屋。もちろん営業してません。更に進むと化石館?だったかな、ともう一つ建物があるけど、これもまた閉鎖中の様子。おいおいホンマに営業してるんかいな、パラダイスやな~と思いつつ駐車場の整理をしていたおじさん(一応車数台は来てました)が入口はあっち、とのご指示。ちょっと坂を上った高台にありました、石炭博物館。いかにも博物館っぽい重厚な建物です・・・。どうも敷地入口付近の閉鎖された建物の中の展示物はこちらに集約されたようです。
入ってすぐの場所では石炭掘るための機械やらでっかい石炭の塊やらアンモナイトの化石やら石炭とはなんぞや・・・的な展示物。ま、博物館ってこんなもんだよな、と思いながらの行程でしたが、2Fの展示場に行くと・・・炭鉱で働く、そして暮らす人々の写真展と、炭鉱での作業工具やら道具やら、生活用具やらの展示。
まさに命懸けで、真黒になって働く人々のリアルな姿に正直心を打たれた次第です。顔から何から全て真黒。そんな状態で炭鉱の中で炭が入らないようにふたを少しだけずらせて弁当を食べている姿。そして大事故。人の形をとどめない遺体を、人の形をかたどるように包んで運び出している写真は生涯忘れられないのではなかろうか。
人間が働くって、どういうことなのか。考えさせられました。
しかも炭鉱の仕事を終えて、缶入りアクエリアスを飲んで(やっぱり真黒な手でですよ)一息ついている写真を見て気付きました。モノクロの写真はそれこそ自分が生まれる前くらいの昔の出来事のように錯覚してしまうのですが、缶のアクエリって、自分が学生の頃によく飲んでたな~と。写真の日付は1987年。もう自分は大学生の頃でした。自分が物心ついて普通に学生時代を過ごしていたあの頃であっても、確かに炭鉱はこの夕張の地で生きていた。自分が体験していないような過去の出来事ではなかったんだよね、って。
ちなみにこちらは80年代の夕張の姿を勝手リンク。モノクロの写真がいかにも一昔っぽくてそれころ昭和2~30年代を思わせるが、実は小生が高校生だったころのリアルタイム。でも同じ時代に自分も普通に生きていたんだという実感が正直わかないのです。
圧巻は坑道展示。炭鉱史蹟となっている実際の訓練用模擬坑道をライト付のヘルメットをかぶって体験するという文字通りリアルな炭鉱体験。もちろん展示用に整備されているんだけど、そのリアリティたるや、博物館の域を超えてますね。確かに子供は怖がって絶対に入れないような雰囲気なんだけどホント社会勉強という意味ではこれ以上の施設はないな、と思った次第です。
これで入場料は1,230円。最初は高いな~と思いましたよ、正直。でも、この坑道展示を維持するには相当な金がかかっていると思われます。今や炭鉱は存在しなくなって久しいだけにこういった炭鉱の姿を今に伝える施設が、むしろ採算が取れなくなって閉鎖、なんていうことになったら極端な話国にとっての損失といってもいいくらいの重要な施設じゃなかろうかとも思うわけで。
とにもかくにも、思っていた以上に有意義な見学だったのでした。それで思ったより時間かかってしまった、それで昼飯食いそびれてしまった、ということにつながるんですけどね。
こうして改めてこの体験を思い出すにつけ、生半可な思いつきでなく、もっと事前によく調べて、きっちりと炭鉱という存在に向き合いたかったな、と今更にして思うのです。
前回、炭鉱住宅とかの当時の生活の姿を伝えるものはほとんど見られなかった、と書きましたがよくよく調べてみると夕張駅周辺ではなく、2~3駅離れた駅の周辺に、当時の姿が色濃く残されているようです。大事故が発生した炭鉱の遺構もそのままに。
こないだ行ったばかりなのにね、次回はそういった場所を訪れてみようという思いを強くして、早速計画を立て始めております。