十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

生命体験によってある世界(3)

2009年01月30日 | 佛教

 仏教は認識主体と認識客体を分けない。西洋的考え方は認識主体と認識客体との二つに分けて認識主体が認識客体と関係するところに認識が起こるとする。仏教は主客を分けない。見る者、見られるものを分けない。自他の別が立たない、自他一体のところが仏教の見方なのである。


 普通の人が外界としているところを、自己の風景、背景とし、その世界ぐるみの自己を尽一切自己とか尽十方界真実人体とかいい、それを完全に体現する者を仏といい、それを目指すものを菩薩というのである。

コメント (1)
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