鐵道省 萬世橋駅発行 御茶ノ水・飯田橋間ゆき片道乗車券

今からちょうど90年前の今日、1930(昭和5)年12月7日に萬世橋駅で発行された、御茶ノ水・飯田橋間ゆきの片道乗車券です。


   

桃色GJRてつだうしやう地紋のB型矢印式大人・小児用券となっています。


   

裏面です。券番の他、発行駅名の記載があります。
発行されたから90年が経過していますが、比較的変質せず、状態良く残っています。


萬(万)世橋駅はかつて中央本線の神田~御茶ノ水間にあった駅で、かつては中央本線の始発駅として1912(明治45)年に甲武鉄道という私鉄によって開業されておりますが、甲武鉄道は1889(明治22)年に国営化され、鉄道省の前身である鉄道院中央本線の駅になっています。

同駅の初代の駅舎は東京駅と同じ辰野金吾の設計による赤レンガ造りで、一等・二等待合室や食堂・バー、会議室等を備えている駅舎で、日露戦争の英雄である広瀬武夫と杉野孫七の銅像が建っていた駅前広場には、東京市電(現・東京都電)の乗場もあり、多くの人で賑わっていたと言われています。
しかし、1914(大正3)年に中央停車場である東京駅の開業後、中央本線は1919(大正8)年に万世橋~東京間が延長されると、万世橋駅は途中駅になってしまい、かつての賑わいは失せてしまいます。

これに追い打ちをかけるように、徒歩圏内に神田駅や秋葉原駅が開業し、現在の山手線や京浜東北線の電車が走る上野~神田間の路線が出来たことで東京以南や上野・浅草方面からの東京市電乗換駅としての需要がなくなり、乗客数は激減してしまいます。さらに、駅前の須田町交差点が移転し、以後は東京市電が駅前を通らなくなってしまい、同駅はターミナル駅としての役割を終え、食堂の営業も廃止され、1936(昭和11)年に東京駅から同駅へ移転してきた後の交通博物館の前身である鉄道博物館に併設された駅となり、駅舎は解体縮小されてしまっています。

その後1943(昭和18)年11月に不要不急であるとして駅は休止となり、実質上廃止のような状態となって、駅舎は交通博物館部分を除いて取り壊されてしまっています。しかしながら、同駅を正式に廃止とした書類は無いようで、現在でも休止状態になっているようです。交通博物館が大宮の鉄道博物館に移転した後、同駅駅舎の遺構は解体されてしまっておりますが、線路上にホームの跡と構内側線の跡は残されており、現在でもホーム跡はカフェとなって使用されています。

同駅で使用されていた駅務機器の一切が、休止日に開業した東海道本線の新子安駅に転用されたと言われており、その関係でしょうか、ご紹介の券に入れられている万世橋駅の鋏痕と、新子安駅の鋏痕は同じものになっています。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )