JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
10年以上前に御紹介した券も再度御紹介しようかと思います。
古紙蒐集雑記帖
同和鉱業片上鉄道 硬券乗車券
平成3(1991)年6月30日を以って廃止された、同和鉱業片上鉄道にあった、不思議な様式の自社完結の硬券乗車券です。
昭和45年に和気駅にて発行された、30円区間の乗車券です。
金額式のようではありますが、一瞬目を疑ってしまうような様式で、「和気から」という発駅表示は一般式のようでもあり、両端の着駅が表示されているところは両矢式のようでもあり、なんともカテゴリーのわからないレイアウトです。
恐らく、日本全国見廻しても、こんな特異な様式は存在しないのではないかと思われます。
昭和62年に訪れた際には変な様式の券は既に無く、社内完結の乗車券は金額式券になっており、面白味(?)はなくなっていました。
一方、国鉄への連絡乗車券は一般式となっており、誰が見てもすぐに判別できる様式です。
上り方面の隣駅である吉永駅ゆきの連絡乗車券ですが、下り方面の隣駅である熊山駅は同一運賃帯ではあり、熊山駅ゆきの常備券もあるとすれば別々に設備されていたことになります。
国鉄連絡券こそ、「熊山 ← 和気 → 吉永」とした方が合理的なような気がしますが、いかがでしょうか?
この記事は、菅沼天虎様のブログ「菅沼天虎の紙屑談義」3月13日エントリーの「同和鉱業片上鉄道 変則的な矢印式?乗車券」にトラックバックさせていただきました。
普通列車・連絡船 グリーン券
昭和53年3月、新大阪駅発行の普通列車・連絡船グリーン券です。
発駅~乗換駅~着駅という表示の独特な様式で、四国内の一部の駅には発駅と着駅が補充式のものが存在したようですが、通常の補充式の普通列車・連絡船グリーン券では発駅と着駅のみが記載される様式が主のようです。
宇高航路が存在した頃、岡山駅で新幹線を下車した後、岡山駅から連絡船経由で高松駅までグリーン車を利用する乗客に対し発売されたものです。
新大阪駅で高松駅若しくはそれ以遠の四国内各駅までの乗車券を発売した際、岡山駅までの新幹線特急券と抱き合わせで発売されたようで、新大阪駅に常備券が設備されるくらい、宇野線普通列車のグリーン車(Bグ)と宇高連絡船のグリーン船室の組み合わせ需要がそこそこあったものと思われます。
こちらは同じ新大阪駅発行の普通列車・連絡船用グリーン券です。
三角矢印になる前の様式で、昭和44年9月の様式変更によって「○○用グリーン券」という表記がなされていましたが、昭和50年11月頃に「用」の文字が削除されたと記憶しています。
最後の様式は東京印刷場で調製された見本券です。
当時、実際に首都圏内の駅にこのような常備券が存在したかどうかは不明ですが、東京駅ならば新幹線利用客の需要が見込めるので設備があったのかもしれません。
弘南鉄道の特殊な一般式券
弘南鉄道弘南黒石駅発行の新里・南弘前・弘前ゆき乗車券です。
日本交通印刷製のB型硬券で、恐らく一般式(からゆき)券に分類されているのでしょうが、他社の券には見られない独特なレイアウトになっています。
発行駅である弘南黒石駅は昭和61年4月に黒石駅に改称され、南弘前駅は昭和63年4月に東工業高前駅に改称され、その後平成17年に東工業高校が弘前東高校に改称されたのに伴って弘前東高前駅と再度改称されています。
逆に弘前駅は黒石駅と同じ昭和61年4月の弘南弘前駅から弘前駅に改称されていますが、なぜか「弘前」駅となっています。
次ページ » |