長野電鉄 信濃川田駅発行 入場券

昭和61年3月に、長野電鉄河東線信濃川田駅で発行された入場券です。

 

信濃川田駅は河東線(現在の屋代線)にある2面2線の交換可能駅で、河東鉄道開通時からの木造駅舎が美しい駅ですが、平成5年のワンマン化に伴って無人化されてしまっています。

 

   

 

駅名記入式のB型硬券です。

同社の硬券は現在日本交通印刷調製の券となっておりますが、当時は印刷場名がわかりませんが、旧様式券から新様式である日本交通印刷券への過渡期となっており、同駅のような小規模な駅には旧様式券が残っていました。

 

小児断線部分にも駅名を記入するようになっておりますが、ここには記入されておりません。

 

   

 

裏面です。

比較的薄っぺらな券紙に、京福電鉄の硬券のような独特な字体の券番が打たれています。

 

河東線は信州中野駅~木島駅間の通称木島線部分が廃止された際に、それまで通称屋代線と言われた須坂駅~屋代駅までの区間が正式に屋代線となり、現在に至っています。

 

残念ながら、先週の2日に屋代線の廃止が決定されたという報道がなされました。

信濃川田駅の木造駅舎ももう少しで見納めになってしまうかもしれません。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

新城駅の「(飯)」符号

昭和62年6月に、飯田線新城駅で発行された、名古屋鉄道新名古屋駅ゆきの連絡乗車券です。



   



飯田線と名古屋鉄道(名鉄)本線は豊橋駅で接続していますが、豊橋駅~平井信号場間は共用区間となっており、実際にはこの区間は複乗していることになりますが、名鉄電車が停車しないことと国鉄と名鉄で事業者が異なるため、複乗の扱いとはなりません。



本題に入りますが、新城駅の頭に飯田線であることを示す「(飯)」の符号がついています。



   



これは以前、大隅線に新城(しんじょう)駅があったために付けられているものと思われますが、大隅線は昭和62年3月に廃線となっていますので、この券が設備された頃は必要であったと思われますが、発行された6月には意味のないものとなってしまっています。



面白いことに、この券の発行箇所の表記ですが、通常であればやはり「(飯)新城駅」となるのでしょうが、なぜか違っています。



   



わざわざ特活のような細い活字で「(飯田)」となっています。


なぜ、発駅と発行箇所にそれぞれ付く符号に違いがあるのか不明ですが、逆にその理由を知りたくなります。



余談ですが、奥羽本線の津軽新城駅も元は新城駅であったそうですが、大正4年に他にも新城駅という駅があることから津軽新城駅となったそうです。

コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )

○ム 吉里吉里駅発行 入場券

昭和57年4月に発行された、山田線吉里吉里駅発行の硬券入場券です。



   



吉里吉里駅は昭和57年11月に簡易委託化されておりますが、昭和56年に井上ひさし氏の小説「吉里吉里人」がベストセラーとなると観光ブームとなり、簡易委託化後であっても硬券の入場券が発売されておりました。



通常、簡易委託化されますと入場券の設備はされないものですが、国鉄末期の入場券ブームの最中、増収目的で設備されたものと思われます。



発行箇所名は管理駅である大槌駅となっておりますが、駅名の先頭に「○ム」の符号が印刷されているのが特徴です。



簡易委託化後も入場券を発売していた同駅ですが、JR民営化された後、平成に入ってから無人化されてしまい、その後、管理駅であった大槌駅も業務委託駅となってしまい、現在は釜石駅の管理下となっているようです。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
   次ページ »