JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
10年以上前に御紹介した券も再度御紹介しようかと思います。
古紙蒐集雑記帖
一畑電気鉄道 駅名式車内乗車券
前回エントリーで一畑電車の駅名式車内乗車券を御紹介いたしましたので、新会社移行前の一畑電気鉄道時代の車内乗車券を御紹介いたしましょう。
昭和63年9月に北松江線車内で発行された、一畑電気鉄道時代の車内乗車券です。発行箇所名は一畑電鉄列車区乗務員発行となっています。青色一畑電気鉄道自社地紋の券で、概算鋏で穿孔して発券されます。
当時は大社線の折返し運用以外、北松江線を走る列車には車掌が乗務しており、頻繁に車内を巡回しながら車内精算業務を行っており、社線完結の場合にこの券を使用していました。
同社の駅名はこの26年間で4つの駅が改称され、2つの駅が誕生していることが見えてきます。
大和紡績前=現・出雲科学館パークタウン前、平田市=現・雲州平田、古江=現・松江イングリッシュガーデン前、松江温泉=現・松江しんじ湖温泉となり、湖遊館新駅、松江フォーゲルパークが誕生しています。
良く見ますと、出雲大社前の先に「一畑薬師」という欄があります。
同社には一畑薬師という駅は開通時よりありませんが、昭和19年に休止された後、昭和35年に正式に廃止された一畑薬師への最寄駅であった一畑駅を表しているものがそのまま残されているのかも知れません。
一畑電車 駅名式車内乗車券
本年10月12日に一畑電車車内にて発券された、遙堪(ようかん)から出雲大社前までの車内乗車券です。
青色一畑電鉄自社地紋のノーカーボン券で、一畑電車発行となっています。
通常同社はワンマン列車が運転されているために車内乗車券の発売はありませんが、当日は3連休の中日でありましたため参拝客が多く、日中時間帯の大社線区間を走る列車には女性アテンダントが乗務し、観光客への案内業務の傍ら、乗車券の車内発売を行っていました。
尤も、殆どの乗客は乗車券か整理券を所持していますので、車内精算をしている光景は見かけることはなく、乗車券の回収のみを行っている感じでした。
特に乗車券を持っていない旅客に対して車内で精算をするような案内もありませんでしたので、聞かなければ車内補充券を持っているかどうか分からない状況で、よほどでない限り一般の旅客が車内精算を申し出ることは無い感じです。
券はすべて手書きで記入して乙片を旅客に交付する様式で、複数人分を1枚で発券できるほか、往復券としても発行することができます。
駅名は大社線の他に北松江線(本線)の駅名も記載されており、このようにして見ると、一畑電車にはやたら長い名前の駅が目立ちます。
右下に下車前途無効の記載がありますが、「前途下車無効」というのは独特な表現です。はたして、これが本当に独特な表現なのか、単なる「下車前途無効」の誤植なのか、本当のところは良く分かりません。
また、旅客に交付する片が「甲片」ではなく「乙片」であることも、大変特徴的です。
JR東日本 湘南ライナー3号券
平成2年10月に東京駅ホームで発行された、湘南ライナー3号券(乗車整理券)です。
黄褐色JRE地紋の軟券で、冊子状になっています。
前売で発売をすることも想定されていたのでしょうか、乗車日の他に発行日も記入する欄がありますが、乗車日さえあれば良いという考えからか、発行日欄に日付を入れて発売することは殆ど無かったようです。
拙ブログ本年9月4日エントリーの「JR東日本 青梅ライナー ライナー券」で御紹介いたしました青梅ライナーとは異なり、号車番号までの座席の指定しか行われていないため、座席指定を記載する場所はありません。そのため、青梅ライナーのように「1列車に対して1冊」ということにはなりませんので、何人かの駅員が手分けして発売していました。
現在はライナー券券売機が導入され、手売りのライナー券の発売は行われていません。
京王帝都電鉄 吉祥寺から武蔵小杉ゆき 連絡乗車券
昭和37年3月に京王帝都電鉄(現・京王電鉄)吉祥寺駅で発行された、東急東横線武蔵小杉ゆきの連絡乗車券です。
青色けいおうていと自社旧地紋のB型相互式券で、山口証券印刷にて調製されたものと思われます。
発行箇所名が「〇東〇A吉祥寺駅」となっておりますので、現在は高架化によって廃止されていますが、国鉄の出札窓口で委託発行されたものであることが判ります。
乗車経路は吉祥寺~(京王帝都井の頭線)~渋谷~(東京急行東横線)~武蔵小杉という一般的なルートですが、IC乗車券が発達し、IC運賃が登場している現在、このような乗車券を敢えて発行する必要も無くなってきています。
東京急行電鉄 横浜駅発行 工業都市ゆき乗車券
昭和28年1月に東京急行電鉄(東急電鉄)横浜駅で発行された、工業都市ゆきの乗車券です。
桃色PJRてつどう地紋のB型一般式券となっています。
工業都市駅は東横線武蔵小杉~元住吉間にかつて存在した駅で、東横線の線路と府中街道が交わっている所付近にあったようです。
当時、近くには国鉄南武線の旧武蔵小杉停留場(現在の武蔵小杉駅であるグラウンド前停留場の昇格および武蔵小杉駅への改称に伴い廃止)があったものの東横線の駅がありませんでした。
しかし、昭和10年代になりますと、付近に日本電気玉川工場・富士通信機製造・東京無線器材製造・荏原製作所・大同製鋼・不二越精機・沖電線などの大規模な工場が誘致され、工場へ通う通勤者は元住吉駅もしくは新丸子駅で下車して工場まで徒歩で通うようになります。
昭和14年、これらの工場への通勤の便の向上のために東京急行電鉄は工業都市駅を開業しましたが、武蔵小杉駅とは200m程度しか距離がなかったため、この券が発行された2か月後の昭和28年3月に武蔵小杉駅に統合される形で廃駅となってしまっています。
次ページ » |