JR東海 三島駅発行 区間変更用補充券

JR化間もない昭和62年4月にJR東海の三島駅で発行された、熱海ゆきの区間変更券です。


   


青色こくてつ暫定地紋のノンカーボン券紙の軟券です。これは三島駅で160円(小児80円)の乗車券を原券として新幹線経由の熱海ゆき(300円/小児150円)に変更したもので、70円の差額を徴収することで発行されています。


どのような理由でこの様式の券が設備されていたのかは定かではありませんが、新幹線と並行在来線では旅客鉄道会社が異なることから、たとえ同じ区間でも収入区分が異なる区間が存在するため、民営化間もない当時は「新幹線振替票」同様に試行錯誤で制定された様式の券であった可能性があります。


   


裏面です。

内容は当時の出改札用特別補充券と同様ですが、料金券として発行する前提がないため、自由席特急券やグリーン券等の料金券関連の内容は省略されています。


現在、JRにおいてこのような区間変更専の補充券は未見ですので存在しないものと思われます。

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飯山駅発行 160円区間ゆき金額式乗車券 (小児専用券)

前回エントリーに続き、飯山駅発行の金額式券の話題です。


   


大人・小児用券と同時に購入した小児専用券です。桃色こくてつ地紋のB型小児専用金額式券で、民間印刷場にて調製されたものです。


同駅には140円区間以外の近距離券も設備されていましたが、前回エントリーでも申しましたように券売機による発行が殆どであり、硬券の需要はさほど多くはありませんでした。ましてや、140円区間といいますと該当する着駅は無人駅である北飯山駅だけであり、さほどの需要は見込めないために大人・小児用1種類のみの設備となっていましたが、160円区間となりますと長野方は蓮、新潟方は信濃平の2駅となりますため、大人・小児用券のほかに小児専用券も設備されていました。


国鉄時代に発行されていた小児用金額式券には2つの表記方法が存在し、東京印刷場のように大人の運賃区間を大きく表示し、その下に小さい字で小児運賃を記載する方法と、大人運賃区間を記載しないで小児運賃のみを記載する方法があり、新潟印刷場では後者が採用されていました。
そのため、160円区間ゆきではありますが「80円区間」と記載されています。

JRに限らず、券売機券は大抵前者に統一されているようで、これは印版式の券売機において同じ印版を使用して「」の影文字を印字することによって小児用券を発券することに由来するものと思われますが、旅客がわかりやすいようにすることと現場での混乱を防止することもその理由の一つであると考えられます。


   


裏面です。

大人・小児用券同様に裏面にも発駅および金額の表記がありますが、こちらも小児運賃での表記となっています。

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飯山駅発行 140円区間ゆき金額式乗車券

昭和61年8月に飯山線飯山駅で発行された、140円区間ゆきの金額式乗車券です。


   


桃色こくてつ地紋のB型大人・小児用金額式券で、新潟印刷場から移管された民間印刷場にて調製されています。


現在の飯山駅は北陸新幹線開業に伴って300メートルほど長野方に移設され、新幹線が停車する駅に変貌しておりますが、この券を購入した当時の飯山駅は、飯山線のキハ52や58などのローカル列車が発着する小さなローカル駅でした。
しかし、国鉄時代も近隣の駅を管理する直営の管理駅となっており、みどりの窓口や券売機を有する駅でした。

地方の駅には良くあったことですが、券売機が設備されていても窓口に近距離券の硬券口座が設備されており、特に券売機に誘導されることもなく発売してもらえましたが、昭和60年代となれば券売機は一般的なものとなっており、ほとんどの旅客は券売機で購入していたようです。


当時、国鉄合理化による新潟印刷場の閉鎖に伴って、新潟印刷場が所管しておりました新潟・長野・秋田の鉄道管理局管内で使用されていました硬券乗車券類は徐々に民間印刷券に切り替えられており、同じ事象は仙台印刷場が所管しておりました仙台・盛岡の鉄道管理局管内でも見られました。

民間印刷に切り替えられた旧新潟印刷場券は、印版印刷となって凸凹感のない印刷となってすっきりしましたが、様式的には新潟印刷場時代の様式を継承したような様式でした。


   


裏面です。

旧新潟印刷の金額式券同様、裏面にも発駅と金額が印刷されており、当時の国鉄にはまだワンマン列車は存在しておりませんでしたが、現在でいう「料金箱対策」のような券となっています。

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東京都交通局 浅草橋から140円区間ゆき券売機券

昭和60年11月に浅草橋駅で発行された、140円区間ゆきの片道乗車券です。


   


黄色東京都交通局高速鉄道用地紋のA型金額式券で、キレート式券となっています。
購入した券は1種類の券種しか発券できない単能式券売機で購入したものでしたので、小児運賃の記載がありません。


この券が発行された日の前日の29日には、国鉄浅草橋駅で国鉄千葉動力車労働組合(国鉄千葉動労)を支持する中核派が、国鉄民営化を反対する行動を起こして駅を占拠した挙句に火炎瓶によって放火するという国電同時多発ゲリラ事件が発生し、国鉄浅草橋駅は終日列車が通過する扱いとなっていました。階段で上下に隔てられている都営地下鉄の駅には被害はなく、通常通りの運転が行われています。
翌30日には営業が再開されたものの、火災によってすべてが焼失した駅舎内には、どこから持ってきたのかわかりませんが仮の券売機が数台設置された状態で営業していました。乗車券を発券するための印版は即座に作成したのでしょうか、当時の国鉄の対応の早さには驚かされたものです。

その影響だったのでしょうか、30日の都営地下鉄浅草橋駅はいつもよりも混雑していたような気がします。

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京王電鉄 新宿から調布ゆき特別補充券

京王電鉄新宿駅で発行された、新宿から調布ゆきの片道乗車券です。


   


青色京王CI地紋の軟券で、ノンカーボン様式となっています。
様式としては一般的なものですが、券番の右側に旅客に渡す券片であることを表していると思われる「(甲) 旅客」という記載があるところが特徴的です。
また、事由欄に「片道券」と斜めに記載されていますが、同社では記載方法をこのように定めているのでしょうか、私の知る限りでは昭和50年代の特別補充券についても斜めに記載されていました。


同社では特別補充券の管理が大変厳しく、特別補充券を発行する正規要件でなければ発券していただくことは難しいため、乗車券蒐集趣味者の間では「ハードルが高い」会社として有名ですが、当日は京王本線の新宿(新宿追分)から調布間が開業100周年というメモリアルデーであったためでしょうか、券売機で対応できる区間ですが、新宿から調布までの乗車券として特別に発券していただけました。

発券作業は大変スムースで、出札窓口に補充券を記入するようなテーブルスペースがないため、引出から冊子を取り出すと出札端末で運賃を確認し、「少々お時間をいただきますが宜しいでしょうか?」と言われて奥の事務室で作成されていました。作成されると「大変お待たせ致しました」と券を持ってきて戴けましたが、券売機で購入できる区間の乗車券を手間のかかる特別補充券でお願いしたのに、丁寧な御対応に恐縮してしまった次第です。

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