沖縄都市モノレール 那覇空港から260円区間ゆき乗車券

平成27年2月に沖縄都市モノレール(ゆいレール)那覇空港駅で発行された、260円区間ゆきの乗車券です。

   


黄褐色沖縄都市モノレール自社地紋のA型金額式券で、QRコード式自動改札機対応券となっています。

同社の自動改札機は従来の券を機械に通すものではなくQRコード式となっており、自動改札機にあるQRコード読み取り機に乗車券右側のQRコードをかざすようになっています。偽造防止の観点と思われますが、QRコードの一部が茶色いインクで覆われているのが特徴です。

券売機で乗車券を買い求めると茶色の偽造防止塗料部分が先に券売機から出てくるので、一瞬、感熱ヘッドの不良で「焼け焦げた」券が出てきたのかと思ってしまいます。

改札を入るときは自動改札機の読み取り機部分にQRコードをかざして入場し、出場するときも自動改札機にQRコードをかざしますが、機械の中には投入しないため、改札機の先にある集札箱に入れて出場することになります。
この券を記念に持ち帰りたい旨を駅係員氏に申し出たところ、「QRコードをかざしてそのままお持ちください」と言われて持ち帰りましたので、このQRコードは単に区間ごとに異なっているだけではなく、券情報がそれぞれに入っており、一度かざした券は使用できないようになっているものと思われます。


   


裏面です。

通常の自動改札対応の磁気券とは違って黒い磁気被膜がないために白くなっていますが、裏面にも偽造防止用の茶色インクで覆われています。

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三鷹駅発行 国分寺接続西武鉄道10円区間ゆき連絡乗車券

昭和34年2月に三鷹駅で発行された、国分寺接続10円区間ゆきの連絡乗車券です。


   


桃色こくてつ地紋のB型金額式大人専用券で、東京印刷場で調製されたものです。


発駅である「三鷹」の表記が右側にあり、左を向いた矢印の先に西武鉄道線10円区間が、その下に「国分寺接続」がそれぞれ記載され、現在の金額式連絡乗車券とはかなり異なった様式です。発売額は三鷹駅・国分寺駅間の運賃20円を合算した30円で、左下に印刷されています。

当時の相互式乗車券が発駅を右側に記載する様式であったことから、金額式ではあったものの、相互式の様式に合わせた結果であると思われます。


金額式ではありますが、着駅を「西武鉄道線10円区間」、経由を「国分寺」とした矢印式券とも解釈できる様式で、当時としては一般的なものであったかも知れませんが、今となってはかなり特徴的な様式です。

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北千住駅発行 20円区間ゆき地図式乗車券

昭和43年6月に北千住駅で発行された、20円区間ゆきの地図式乗車券です。


   


桃色こくてつ地紋のB型地図式大人専用券で、東京印刷場で調製されたものです。

上野寄りの着駅は南千住駅と三河島駅で、取手寄りの着駅は綾瀬駅と亀有駅となっています。


北千住~綾瀬駅間は昭和46年4月に複々線化された際、建設費を節約するために北千住〜綾瀬駅間の営業権を帝都高速度交通営団(営団地下鉄、現・東京地下鉄)に移管し、この区間を営団線としながらも国鉄(現・JR)常磐線として扱うことによって旅客には運賃上の取扱を変更しないようにしたため、国鉄の乗車券で乗車できることにはなっているものの、同区間のみを乗車する旅客に対しては国鉄では乗車券を発売しないという特殊な取扱いとなっています。

このことは国鉄(JR)の旅客営業規則第16条の5において、「(常磐線北千住・綾瀬間相互発着となる旅客の取扱い)常磐線北千住・綾瀬間相互発着となる旅客に対しては、乗車券類の発売を行わないものとする。」と明文化されており、北千住駅で綾瀬駅までのJRの乗車券を購入することはできません。

現在では券売機で金額式券が発券されるだけなので、実際には同一運賃帯の乗車券をもって同区間完結の乗車券として発売することが可能ですが、指定券券売機の乗車券発券メニューでは一時的にプログラムミスによって発券できてしまった時期を除き、発券できないようにロックがかけられています。

もし、現在でも近距離乗車券が地図式券となっていたら、「着駅ではない」綾瀬の標記はなくなっているかもしれませんね。

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尾小屋鉄道 新小松から大杉谷口ゆき硬券乗車券

前回尾小屋鉄道の金平ゆき硬券乗車券を御紹介いたしましたが、もう1枚大杉谷口ゆきの乗車券を御紹介いたしましょう。


   


尾小屋鉄道最終日である昭和52年3月19日に発行されたもので、白色無地紋のB型一般式大人・小児用券で、前回御紹介いたしましました金平ゆきの券と様式は同じですが、この券の券紙は一般的な硬券と同じ券紙で、表面のツルツルした券紙ではありません。


   


裏面です。
明らかにボール紙のような金平ゆきのものとは券紙が違うことがわかります。


この他、末期の券として同日に発行された尾小屋ゆきの券も手元にございますが、こちらも金平ゆきのものと同じボール紙様式となっておりました。

同社の昭和40年代ごろの券は桃色の地紋のあるA型硬券で設備されていましたが、昭和40年代後半から50年代になると無地紋のB型硬券に切り替えられていますが、そのころの券紙は硬券券紙が使用されていたようです。
尾小屋駅は同鉄道の終着駅で、金平駅は朝夕のみ閉塞を分割した交換駅となっていましたのでそこそこ発売実績があったものと思われ、廃止を控えていた時期に補充されたために安価なボール紙製の券として設備された可能性が考えられます。

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尾小屋鉄道 新小松から金平ゆき硬券乗車券

昭和52年3月に尾小屋鉄道新小松駅で発行された硬券乗車券です。


   


白色無地紋のB型一般式大人・小児用券で、ツルツルの券紙が使用されたボール紙のような券です。
小児断線の上がまがっていたり、断線横の「小」の文字が通用発売当日限りの横に印刷されていたりと独特な券ですが、かつて福井鉄道で使用されていた券と活字の感じが似ています。


   


裏面です。

まるでボール紙のような感じで、ざらざらした手触りです。


尾小屋鉄道は北陸地方で唯一の軌道幅762mmの軽便鉄道で、石川県小松市にある新小松駅から尾小屋に至る尾小屋鉱山の鉱山鉄道として開業した営業キロ16.8kmの路線でしたが、旅客営業を行う非電化の軽便鉄道としては日本国内で最後まで残った路線として注目されていたものの、尾小屋鉱山の閉山とモータリゼーションの影響で、御紹介の券が発行された昭和52年3月19日の営業をもって廃止されてしまっています。

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