趣味で蒐集した「きっぷ」を見て考えたこと、とか…
JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
古紙蒐集雑記帖
熊谷駅発行 東京山手線内ゆき 片道乗車券
前回および前々回、新潟印刷場および東京印刷場で調製された、東京山手線内から営業キロ51km以上100km以下の区間に掛かる小児用乗車券を御紹介いたしました。
そのなかで、東京印刷場のものが相互式であるのに対し、新潟印刷場のものはなぜか矢印式になっていました。
1974(昭和49)年1月に、高崎線の熊谷駅で発行された、東京山手線内ゆきの片道乗車券です。
桃色こくてつ地紋のB型相互式大人・小児用券で、新潟印刷場で調製されたものです。
新潟印刷場では比較的相互式券のバリエーションは多くなかったようで、管内で使用される券については一般式が多く使用されていたように感じます。しかしながら、東京山手線内ゆきの券については、どうしても「多数派」である東京印刷場の券に合わせなければならない理由があったのでしょうか、苦心して作成されたような様式です。
特に、「東京山手線内」の活字は東京印刷場のものとは違って特活にはなっておらず、発駅である「熊谷」が何となく目立ちません。
鳩ノ巣駅発行 東京山手線内ゆき 片道乗車券(小児専用券)
前回エントリーで高崎線鴻巣駅で発行されました、新潟印刷場で調製された東京山手線内ゆきの小児専用片道乗車券を御紹介いたしました。
今回は同じ券種の、東京印刷場で調製された券を御紹介いたしたいと思います。
1976(昭和51)年3月に青梅線鳩ノ巣駅で発行された、東京山手線内ゆきの小児専用片道乗車券です。
桃色こくてつ地紋のB型相互式小児専用券で、東京印刷場で調製されたものになります。
東京印刷場の場合、御紹介のような中距離用の東京山手線内発着の乗車券はB型相互式券が使用されることとなっており、そのルールに沿った方法で印刷が行われていました。
当時、東京山手線内の駅から営業キロ51km以上100km以下の鉄道区間内にある駅との相互間の片道普通旅客運賃についても東京駅を起点または終点とした営業キロによって計算するとされていましたので、新宿駅から営業キロ61kmになる鳩ノ巣駅から東京山手線内ゆきの乗車券が発売されていましたが、現在では営業キロ101km以上についてに引き上げられていますので、この取扱いはありません。
再掲いたしますが、前回御紹介いたしました、新潟印刷場で調製された同じ券種の券になります。
着駅が1つしかないような場合、やはり相互式にした方がデザイン的にも良いかと思いますが、いかがでしょう?
鴻巣駅発行 東京山手線内ゆき 片道乗車券(小児専用券)
1973(昭和48)年8月に高崎線の鴻巣駅で発行された、東京山手線内ゆきの小児専用片道乗車券です。
桃色こくてつ地紋のB型矢印式小児専用券で、新潟印刷場で調製されたものです。
管理人は都内在住ですが、当時は高崎線宮原駅以北の高崎鉄道管理局管内の駅や中央本線韮崎以西の駅では新潟印刷場で調製された券が使用されており、比較的首都圏の駅でも新潟印刷場の券の着札は多かったように思います。
裏面です。新潟印刷場の特徴的な5ケタ券番券です。
この頃の管理人はまだ小学校低学年の頃でしたので、自分用にきっぷを買って貰って電車に乗った最初のころであり、幼稚園児なのか小学生なのか改札掛氏には区別付けづらいですから、下車する際に自分からきっぷを出さなければ、きっぷを手に握ったままでも改札を通れてしまい、殆どのきっぷは手元に残ったものでした。そのような小児用のきっぷは今でも手元に多く残っていますが、当然ながら将来的なコレクション用として丁寧に扱うことなど考えていませんから、角がよれたりしているものが殆どです。
新潟印刷場の券は本当に不思議で、御紹介の券のように、いろいろな様式があるなかで、どのように判断したら矢印式が最適だと判断されて印刷に至ったのかという「?」な券を多く見かけます。
左側の矢印は良いとして、右側の矢印の先には何があったのでしょう?
東京印刷場であれば、この券は間違いなく相互式で出てきただろうと思います。
日高町駅発行 日高三岡・日高岩内間ゆき 片道乗車券
今からちょうど37年前の1986(昭和61)年9月3日に富内線の日高町駅で発行された、日高三岡駅・日高岩内駅間ゆきの片道乗車券です。
桃色こくてつ地紋のB型一般式大人・小児用券で、札幌印刷場で調製されたものです。
確か15~6年くらい前に一度御紹介したような気もいたしますが、かなり時間も経っておりますので再度御紹介させて戴きました。
日高町駅はかつて国鉄が営業しておりました富内線という、日高本線の現在の終着駅である鵡川駅から分岐していた営業キロ82.5kmの路線で、途中に乗換駅の無い盲腸路線でした。御紹介の券が発売されてから約2ヶ月後の1986(昭和61)年10月31日の終列車を以て営業を終了し、翌11月1日に全線廃止になっています。
富内線の歴史は大正時代の北海道鉄道からと古いですが、途中の富内駅以遠の区間は比較的新しく延伸された区間になっており、富内駅~振内駅間が1958(昭和33)年に、振内駅~日高町駅間が1964(昭和39)年にそれぞれ開業しており、御紹介の券の区間については22年間しか営業していないことになります。
また、開業時期が国鉄の中では後発の区間になったため、日高三岡駅は小海線の三岡駅、日高岩内駅は岩内線岩内駅と被らないように旧国名が頭に付けられていました。
着駅の日高三岡駅・日高岩内駅は日高町駅と同じ沙流郡日高町内にある駅で、発駅と着駅のすべての駅に旧国名の「日高」がつく駅になっており、1枚の乗車券に3つも同じ旧国名が付いている乗車券は比較的珍しかったため、結構記念目的の発売枚数があったようで、1日あたりの乗降客数が90人に満たない駅でしたが、結構枚数が出ていたようです。
駅の窓口には「日高の文字が3つ書かれた珍しい乗車券を記念にどうぞ」というポスターが貼られており、当時の駅員氏は増収策に苦労されていたのだと思います。
北海道の券に何例か見受けられるのですが、着駅表示が「日高三岡駅・日高岩内駅間ゆき」になっておりますが、日高三岡駅と日高岩内駅の間には駅はないため、本来であれば「日高三岡駅・日高岩内駅ゆき」と表記すべきであったものと思われます。
東京急行電鉄 桜木町駅発行 横浜駅ゆき 片道乗車券
前回エントリーで国鉄横浜駅で発行された、横浜駅から桜木町駅までの共通乗車制度下の片道乗車券を御紹介いたしましたので、今回はその逆である東京急行電鉄側が発行した券を御紹介いたしましょう。
東京急行電鉄(東急)東横線の桜木町駅で発行された、横浜駅ゆきの片道乗車券です。
緑色PJRてつどう地紋のB型矢印式大人・小児用券で、山口証券印刷で調製されたものと思われます。
裏面です。国鉄発行の券と内容は同じですが、国鉄の券が「国鉄線、東横線、いずれにも乗車できます。」と記載されていたのに対し、東急発行の券は「国鉄線東横線いずれにも乗車出来ます」と少々体裁が異なります。
当時の桜木町駅の出札窓口がどのように運用されていたのか存じ上げませんが、御紹介の券は発行箇所名の前に「◯東」という符号が付けられていることから、東急の出札について国鉄が管理していた窓口があった可能性があります。もしかすると、国鉄が受託発売した東急の乗車券で国鉄線に乗車するという事象が起きていたかも知れません。
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