新島八重の生涯は、大きく分けて三つの時代に分ける事ができると云われている。
「幕末のジャンヌダルク」と呼ばれた第一期。
・女性でありながら、銃を手に会津藩を守り抜こうと奮闘した時代。
「ハンサムウーマン」と題された第二期。
・会津藩の敗戦後、京都へ移住し、女紅場に勤める中で、新島襄と出会い結婚し、
同志社英学校の創立と運営に没頭する襄を、陰に陽に支えた時代。
「日本のナイチンゲール」と称された第三期。
・夫・新島襄が、齢47歳にして永眠の後、44歳にして未亡人となった八重が、
日本赤十字社の看護婦となって日清・日露戦争の負傷者の看護に尽力した時代。
明治・大正・昭和、という激動の時代を生き抜いてきた新島八重の生涯は、
さぞ、波乱に富んだ人生であったであろうと想像するに至る。
そんな八重の第二期「ハンサムウーマン」時代、つまり新島夫妻が、
京都で過ごした時代の史跡を巡る旅に、参加して来ました。
<↑新島旧邸。和洋折衷のコロニアルスタイル。今見ても斬新な意匠です。↑>
<↑会津藩・京都守護職 本陣跡の金戒光明寺。殉難者を慈しむように春を告げる。↑>
<↑真正極楽寺(真如堂)を抜けて、暫し東へ歩めば、哲学の道。↑>
<↑大豊(おおとよ)神社は梅・桜だけでなし、京都有数の「椿の名所」也。↑>
<↑あ、なんとも愛くるしい、狛鼠(コマネズミ)が目印です。簪にも椿が。↑>
その後、立ち寄った熊野若王子神社には、「おみくじマッチ」なる物が売ってました。
マッチの先端部分にいろんな色がついてて、振ると一本出てくるシステムのアレですね。
ええ、買いましたとも、はい。 結果ですか??ええ、勿論、アレでしたとも、、、はい。。
熊野若王子神社より山道を徒歩25分ほど登ると、「同志社墓地」があります。
新島襄はじめ、八重や、兄の山本覚馬らが、眠っている場所なんですね。
哲学の道へ来られる機会が御座いましたら、立ち寄られてみては如何でしょうか。
<↑最後に立ち寄ったのが、京都府庁旧本館。窓越しに観る庭園は絵画のよう。↑>
<↑嘗て幕末に置かれた江戸幕府の要職・京都守護職の上屋敷跡にあたります。↑>
<↑小川治兵衛によって作庭された中庭の枝垂れ桜が、咲き誇っておりました。↑>
<まとめ>
八重の辿った足跡を、ゆっくりと散策することが出来た有意義な一日となりました。
写真で巡る「八重の足跡」、長文乱筆にお付き合い下さり有難うございました。
新島旧邸(要予約)や女紅場跡碑などは、当館から大変アクセスしやすい場所に
ありますので、いしちょう・松菊園へお越しの際は、是非にお立ち寄り下さい。
<↓おまけ↓>
<↑アフロ仏様。皆様も来京の際は、この御方を見つけてあげて下さい。↑>
金戒光明寺内、静謐な佇まいで鎮座される、五劫思惟阿弥陀仏像。(関〇)