北海道新聞 06/04 16:00
来月オープン 標茶町博物館
【標茶】町内は河川や湖沼に恵まれ、塘路と虹別の両地区ではアイヌ民族の集落(コタン)が栄えた。7月1日にオープンする町博物館では、両地区にまつわる資料を中心に80点ほどの展示品が並ぶ予定。準備が進む同館2階「標茶のアイヌ文化展示室」を訪ねた。(山本忠彦)
同館によると、塘路地区のコタンでは、秋になると塘路湖でヒシの実(ベカンベ)を採取してきた。でんぷん質に富み、保存食となることから、秋の収穫前に湖の神に感謝をささげる儀式「ベカンベ祭り」が催された。
■ □ ■
祭りは明治期以前から行われてきたが、1990年ごろに後継者不足で休止に。塘路湖畔に立つ同館は、かつての伝統行事を紹介するため、儀式で使われたエムシ(刀)やトゥキ(杯)、イクパスィ(捧酒箸)など約30点を展示室のメインにするという。
その中には、26年(大正15年)に塘路湖畔でベカンベ祭りを撮影した写真もある。同祭りに関して現存する最古の写真で、儀式後に撮影されたとみられる。アイヌの人々と和人の移住者が交じり合って写真に納まった様子から、お互いに力を合わせてベカンベ祭りを行ったことが推測されるという。
同館の坪岡始学芸員は「ベカンベ祭りは塘路地区のコタンだけで行われた珍しい儀式。ヒシの実は塘路小中学校の校章にデザインされたり、地元保育園の名称に採用されたりするなど、今も地域のシンボルとして親しまれている」と話す。
■ □ ■
塘路の「ベカンベ祭り」紹介 虹別のイオマンテも
虹別地区のコタンに関する資料では、39年(昭和14年)に行われたヒグマのイオマンテ(霊送り)の記録写真が見どころの一つ。ヒグマの研究で知られる動物学者の犬飼哲夫北大教授が調査のために撮影した。写真は計4枚。山で捕獲した子グマをコタンで大切に育てた後、神の国へ送りかえすという儀礼の進行具合がよく分かるという。
アイヌの生活民具のコーナーも興味深い。マキリ(小刀)やニス(臼)、イテセニ(ゴザ編み機)、マカニッアイ(狩猟用の仕掛け弓)などが約30点が並ぶ。町教委は2000年から11年まで、道内の博物館や大学に保管されている町とゆかりあるアイヌの収蔵品を調査。結果を手掛かりに、地元の木彫家に復元を依頼した。これまで一部は町郷土館(現在は休館中)で展示してきた。
坪岡学芸員は「町内は大きなコタンがあったため、戦前からアイヌ研究者がひんぱんに訪れ、多くの民具が流出してしまった。復元された民具を見ながら、アイヌの人々の往時の暮らしぶりを想像してほしい」と話している。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/196134
来月オープン 標茶町博物館
【標茶】町内は河川や湖沼に恵まれ、塘路と虹別の両地区ではアイヌ民族の集落(コタン)が栄えた。7月1日にオープンする町博物館では、両地区にまつわる資料を中心に80点ほどの展示品が並ぶ予定。準備が進む同館2階「標茶のアイヌ文化展示室」を訪ねた。(山本忠彦)
同館によると、塘路地区のコタンでは、秋になると塘路湖でヒシの実(ベカンベ)を採取してきた。でんぷん質に富み、保存食となることから、秋の収穫前に湖の神に感謝をささげる儀式「ベカンベ祭り」が催された。
■ □ ■
祭りは明治期以前から行われてきたが、1990年ごろに後継者不足で休止に。塘路湖畔に立つ同館は、かつての伝統行事を紹介するため、儀式で使われたエムシ(刀)やトゥキ(杯)、イクパスィ(捧酒箸)など約30点を展示室のメインにするという。
その中には、26年(大正15年)に塘路湖畔でベカンベ祭りを撮影した写真もある。同祭りに関して現存する最古の写真で、儀式後に撮影されたとみられる。アイヌの人々と和人の移住者が交じり合って写真に納まった様子から、お互いに力を合わせてベカンベ祭りを行ったことが推測されるという。
同館の坪岡始学芸員は「ベカンベ祭りは塘路地区のコタンだけで行われた珍しい儀式。ヒシの実は塘路小中学校の校章にデザインされたり、地元保育園の名称に採用されたりするなど、今も地域のシンボルとして親しまれている」と話す。
■ □ ■
塘路の「ベカンベ祭り」紹介 虹別のイオマンテも
虹別地区のコタンに関する資料では、39年(昭和14年)に行われたヒグマのイオマンテ(霊送り)の記録写真が見どころの一つ。ヒグマの研究で知られる動物学者の犬飼哲夫北大教授が調査のために撮影した。写真は計4枚。山で捕獲した子グマをコタンで大切に育てた後、神の国へ送りかえすという儀礼の進行具合がよく分かるという。
アイヌの生活民具のコーナーも興味深い。マキリ(小刀)やニス(臼)、イテセニ(ゴザ編み機)、マカニッアイ(狩猟用の仕掛け弓)などが約30点が並ぶ。町教委は2000年から11年まで、道内の博物館や大学に保管されている町とゆかりあるアイヌの収蔵品を調査。結果を手掛かりに、地元の木彫家に復元を依頼した。これまで一部は町郷土館(現在は休館中)で展示してきた。
坪岡学芸員は「町内は大きなコタンがあったため、戦前からアイヌ研究者がひんぱんに訪れ、多くの民具が流出してしまった。復元された民具を見ながら、アイヌの人々の往時の暮らしぶりを想像してほしい」と話している。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/196134