AERAdot.2018.6.9 11:30 週刊朝日岩下明日香

第22回手塚治虫文化賞(朝日新聞社主催)の贈呈式が6月7日にあった。マンガ大賞に選ばれた『ゴールデンカムイ』(集英社)は、日露戦争後の北海道を舞台にし、アイヌ民族が登場する冒険マンガだ。
贈呈式後は、作者の野田サトルさんとアイヌ語を監修した千葉大学の中川裕教授が、受賞記念の対談をした。進行は週刊ヤングジャンプ編集部の担当編集者の大熊八甲さん。対談ではアイヌ文化の魅力などが語られ、大人気作の創作秘話も飛び出した。主なやりとりは以下の通り。
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中川 賞を取るのは、当たり前だとずっと思っていました。ストーリー展開の巧みさ、効果的に演出する力、ちゃんと表現する画力の三つがそろった作品だと思います。私のようにアイヌ文化やアイヌ語の振興と復興に関わっている身からすると、アイヌ民族と文化にスポットライトを当てたという点で非常にインパクトがある。
最近、週刊朝日(6月15日号)でも巻頭グラビアでアイヌ文化を特集している。今までアイヌ文化について、ほとんど関心を示さなかったマスコミが取り上げている。この状況を作り上げたのは、ゴールデンカムイであることに間違いはない。その状況の原動力になっているのは「アシリパ」(「リ」は小文字が正式表記)という名前の魅力的なヒロインなんですね。
最初に、著者の野田さんと編集担当の大熊さんから、第1話の原稿を見せてもらった時には、まだ「アシリパ」という名前ではなかった。野田さんが考えていた名前はやめてもらって、その後、いくつか名前を考えてきてくれた中からアシリパという名前がいいんじゃないかと、提案したのです。アシリパは野田さんが考えたのですが、どこからその名前を持ってきたのですか。
野田 いくつか候補をあげて、中川先生に見てもらいました。まず、ひとつは「シノッチャ」。
中川 アイヌ語で唄を歌うという意味ですね。みんなで楽しむ時に唄を歌うことをシノッチャといいます。
野田 ほかにも「アシルパ」っていう名前を中川先生のところへ持って行った。それが中川先生に、イメージが合っていると言われて、「アシリパ」に決まっていった。
中川 その名前の案はどこから来たんですか。
野田 忘れちゃいました(笑)。「ステノ」というのもありました。ステノさんは実在する人物で、明治生まれの女性なんですけれども、7歳くらいの時に和人のところへ使いに行ったことがあるようなんです。そして、持って帰ってきたのが味噌(みそ)だったんです。それを見て「あ、うんこだ!」と言って、かたくなに食べなかったとうエピソードがあったんです。それを、アシリパにも当てはめた(作品でもユーモラスなエピソードとして登場する)。明治時代生まれのアイヌの人には入れ墨があるんです。入れ墨は、はりで刺すのではなくて、放射状に傷を入れてくんですよね。
大熊 ゴールデンカムイの中でも、刑務所で囚人が入れ墨をしていますが、あれはどうやっているんですか。
野田 灰と唾(つば)で入れているですが、アイヌもそうなんですか。
中川 漫画のなかでおばあちゃんが「入れ墨をする年頃なのになってもアシリパはしないのか」と言って、アシリパが「今では若い子はしていないんだ」と言うシーンがあります。舞台は日露戦争の後ですよね。昔、アイヌの女性は口の周りに入れ墨していましたが、1876年に法律で禁止されています。アシリパの世代では、とっくの昔に禁止されていたので、アシリパが入れ墨したら法律違反です。
大熊 アシリパの衣装についてはどうですか。
中川 最初に第1話でアシリパの衣装を見ると、山へ行く時の格好が全部そろっていた。その絵を見た時にこれはかっこいいと、そしてよくここまで調べて描いたなと思いました。山に行くときには、タシロという山刀やマキリという小刀、矢筒と弓、クワという山杖などを身に着けるのですが、一式そろって写った写真はないと思います。野田さんが組み合わせて描いていた。この絵を見た時に、これは絶対にいけると思い、監修を受けることに決めました。
その時には気が付かなかったのですが、連載が始まってから、脚に履いているものについて「あれは何ですか」と聞かれたんです。調べてみると、女の人は狩りに行かないので、狩りの時に何を履いていたのかはそもそもわかりようがないが、男の人は何も履いていない。真冬の雪の中を狩りに行くときでも、何も履いていなかったということがわかりました。では、野田さんは、アシリパの脚に何を履かせているのか。
野田 もも引きみたいなものです。
中川 その答えは後で聞いたんですが、最初、絵を見てタイツみたいなものを履いているのだろうかと思い、タイツについて調べてみた。そうしたら、タイツは19世紀の中ごろにフランスで発明されていた。この漫画の始まりの舞台は小樽ですから、アシリパは輸入したタイツを一足先に履いていたのだと。そういう設定でいいのではないかとトークイベントで話したところ、北海道の小樽市総合博物館の石川直章館長に、「そうなんです。証拠写真を見せましょう」と言われて、当時、すでに小樽の女性はストッキングをはいていたことがわかったんです。
大熊 リアルがフィクションに追いついた瞬間ということですね。
中川 私と石川館長が内容を議論するくらい、この作品は非常にリアル。細部にわたるまでリアルな描写がされていて、議論できるような漫画です。
大熊 一番印象的な取材はなんですか。
野田 樺太アイヌ出身の猟師さんを取材している時、その人が小鹿を捕まえて、その場で解体しました。鹿の脳みそを食べたいからと、お願いをしました。脳みそは、味のしない温かいグミのようでした。もう、猟師の人でも食べないようです。
中川 漫画の中ではアシリパがおいしそうに食べていて、和人は怖々と食べています。野田さんは脳みそを前にどうでした。
野田 食べて味を知りたいという欲求の方が強かった。ただ、一緒にいたアイヌの方が引いていた(笑)
大熊 野田さんは取材に基づいて描いているのですが、リアルとフィクションの間を描くことに大変こだわって創作しています。例えば、アイヌ語もそうですが、北海度弁はどうでしょうか。
野田 アシリパは、こてこての北海道弁になっているはずなんですが、当時のアイヌは北海道弁でなまっていたんですか。
中川 そうです。今も北海道の人は北海道弁をしゃべっていますから。野田さんは北海道の出身ですよね。
野田 うちの母親はすごくなまっているんです。たまに理解できない単語があった。ただ、漫画のセリフで北海度弁を話させると、アイヌ語もあるので、さらに言葉の壁が高くなってしまうんです。
中川 そうですね。不思議なことに北海道を舞台にしたマンガなのに、北海道弁がほとんどでてこない。設定として、アシリパは学校に行っていないのに、非常にきちんとした標準語をしゃべっている。どこでアシリパは標準語を覚えたという設定にしているんですか。
野田 一応、お父さんです。
中川 アシリパのお父さんは、ポーランド人と樺太アイヌのハーフっていう設定ですよ。日露戦争まで樺太はロシア領ですから、つまりロシア人しかいないところ。樺太アイヌのお母さんとポーランド人のお父さんとの間で育ったんだから、日本語はしゃべれないんじゃないの?
野田 アイヌの村の人たちが、和人とつながるために日本語を覚えたんですよ、きっと。
中川 北海道弁だろうけどね。
野田 そこですよね(笑)。北海道の中にもいくつか方言があり、アイヌにも方言がありますよね。
中川 最初の舞台は小樽。小樽にもアイヌの人は住んでいました。小樽近郊のアイヌであるアシリパは、小樽方言を話しているはずなんだが、それがどんな言葉だったか全くわかりません。明治時代に入ってからはほとんど記録がないからです。なので、適当につくるということになりましたが、全くありえない形にするわけにはいかないので、墓標の形から近い方言を推測し、それをベースにいくつかの方言を混ぜて小樽方言を作りました。
ところが架空の小樽方言を使っていたら、アシリパご一行様が、北海道を移動し始めたんですね。移動した先は、違う方言をしゃべっているわけだから、ちょっとうっかりしましてね、間違えたこともありました。すぐに指摘がきて、コミックスでは修正しています。行く先々でセリフに使っているアイヌ語の方言は変えてあります。
野田 樺太アイヌだとさらに違いますよね。ロシア語やウィルタ語、薩摩弁など、言語にはすべて監修者を付けてみていただいています。
中川 ウィルタ語は樺太の少数民族で、今は数百人しかいない。山田祥子さんという、日本にただ一人のウィルタ語の専門家に監修をしてもらっているということで、改めて感心しました。
大熊 最後にこの先の意気込みを教えてください。
中川 この漫画が引き起こした社会的なインパクトは大きい。アイヌ文化に対して注目が集まるようになった。それがこれからいい方向に行くかどうかは、我々の努力にかかっている。連載が終わったら関心が薄れてしまうことがないように、この衝撃をどうやって継続していくかを考えていきたいと思います。
野田 ゴールデンカムイを描くうえで、北海道にいるあちこちのアイヌの方たちに会ってきました。僕にアイヌの方たちからは、ああしてくれこうしてくれというのは、1回だけしかなかったんです。それは、「可哀想なアイヌは描かなくていいから、強いアイヌを描いてくれ」と。それだけだったんです。
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ゴールデンカムイは、2014年に「週刊ヤングジャンプ」(集英社)で連載が始まった。単行本は13巻までで累計530万部を突破している。14巻は6月19日に発売予定。4月からTOKYO MXなどでアニメが放送されている。
(本誌・岩下明日香)
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