先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

児童書多数手掛けた小峰書店社長、小峰紀雄氏死去

2018-06-19 | アイヌ民族関連
iza.ne.jp2018.6.18 17:31
 小峰紀雄氏(こみね・のりお=小峰書店社長)10日、肝不全のため死去、79歳。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は長男、広一郎(こういちろう)氏。
 「ひろしまのピカ」「おしらさま」「アイヌとキツネ」など児童書の編集、出版に長く携わり、日本書籍出版協会理事長も務めた。
http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/180618/lif18061817310009-n1.html

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武四郎の小説贈呈 作者河治さん、松阪で出版記念

2018-06-19 | アイヌ民族関連
中日新聞2018年6月18日

竹上市長(右)に歴史小説「がいなもん松浦武四郎一代」を渡す河治さん=松阪市の松浦武四郎誕生地で
 北海道の名付け親として知られる松阪出身の探検家、松浦武四郎の生涯を題材にした歴史小説「がいなもん 松浦武四郎一代」の出版を記念したイベントが十七日、松阪市小野江町の武四郎誕生地であった。小説の作者河治和香さん=東京都=が、竹上真人松阪市長に本を手渡したほか、誕生地とされる母屋のかまどを使った、地域住民らへのそばの振る舞いもあった。
 小野江地区の住民有志でつくる誕生地保存会が主催。河治さんは「近所にいるおじいちゃんの思い出話を楽しめるような作品にした」と説明。受け取った竹上市長は「河治さんらしい小説で読んでいて楽しい。これからも武四郎の顕彰と発信を続けたい」と話した。
 そばは、河治さんが以前小説を書いた縁のある東京の老舗料理店「駒形どぜう」の主人渡辺孝之さん(79)が、そば打ちから手掛けた。訪れた小野江地区の住民ら百五十人が、かまどの炭で調理されたコシのある打ち立てそばを味わった。
 小説は昨年三月から一年間、小学館の月刊誌に連載した小説を加筆修正したもの。アイヌ民族と親しく交わったことや、古物収集家としての人となりなどを、逸話を交えながら描いている。三百二十ページで、税込み千八百三十六円。
 (古檜山祥伍)
http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20180618/CK2018061802000013.html

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アイヌ文化、東京五輪へPR 11月釧路でイベント 古式舞踊実演

2018-06-19 | アイヌ民族関連
北海道新聞06/19 05:00
 【釧路】2020年東京五輪・パラリンピックに向け日本文化を世界に発信する国のプロジェクトに採択されたイベント「カムイモシリ・アイヌモシリ」が、11月24、25日に釧路市で開かれる。阿寒観光協会まちづくり推進機構(同市阿寒町阿寒湖温泉)が主催し、道内各地のアイヌ文化を紹介する。先住民族文化への理解を深め、観光振興にもつなげたい考えだ。
 国のプロジェクトは16年度に始まり、本年度は応募45件の中から、カムイモシリ・アイヌモシリをはじめ、東京・新宿御苑を光と音で彩るアートイベントや、視覚障害者も体感できる秋田県の花火大会など10件が8日、採択された。カムイモシリ・アイヌモシリは道内初の採択事業で、1千万円を上限に国から事業費が交付される。
 カムイモシリ・アイヌモシリは、釧路の市街地にある鳥取ドームで開催。道内各地のアイヌ民族団体に協力を呼び掛け、同じアイヌ文化でも地域によって様式が異なることを実演し、解説する。例えば古式舞踊の題材では阿寒はタンチョウ、胆振管内はクジラなど、郷土色がある。刺しゅうのアート展や、アイヌ料理コーナーも設ける予定。演出は、アイヌ民族の芸術家で同機構理事の秋辺日出男さん(58)が担当する。
 東京五輪開催の20年に、道内ではアイヌ文化復興の拠点「民族共生象徴空間」(胆振管内白老町)がオープンする。
 阿寒観光協会まちづくり推進機構は、アイヌ文化を生かした観光に取り組んでおり、同機構の森尾俊昭部長(48)は「アイヌ文化をどう発信すれば興味を引き、先住民族への理解を深めることができるか、検証したい。外国人観光客を含め、今後の観光振興策に反映したい」としている。(佐竹直子)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/200668

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発展の象徴、道財政に重荷 北海道百年記念塔、年内存廃判断へ

2018-06-19 | アイヌ民族関連
北海道新聞06/18 05:00
 先人への感謝と未来創造への決意を込め、道などが1970年に野幌森林公園内に建てた北海道百年記念塔(札幌市厚別区)は、老朽化で4年前から閉鎖され、躍進のシンボルから一転、道の重荷となっている。残すのか、壊すのか―。北海道命名150年の今年、記念塔の存廃論議は、道民にさまざまな課題を投げかける。
 「道民の巨大なエネルギーを結集し、天をついて限りなく伸びる発展の勢いをあらわす」。道が69年に発行した冊子「北海道百年記念事業の記録」に記載された記念塔のコンセプトだ。
 高さ100メートルの鉄骨造りの塔は68年、北海道100年事業の目玉として着工。設計を全国の建築家から公募し、外壁を無塗装の鋼板とする斬新なデザインが選ばれた。
■総工費の半分、道民らが寄付
 「一戸100円募金」として、市町村を通じ1戸あたり100円を目標に資金を集めた。総工費約5億円の半分は道民や企業の寄付。冊子には「道民がみんなで築くシンボル」とある。
 厚別区に隣接する江別市の職員だった西脇昭夫さん(68)は「周辺に建物がほとんどなく、独特の形の塔ができていくのをみんな注目していた。『200年後には200メートルの塔が建つ』ともうわさされ、私も100年はもつと思っていた」と当時を振り返る。
 道の百年記念塔の建設をきっかけに、道内各地の自治体でもその後、役場の開設などを起点として記念塔を建てる機運が高まった。中には維持費や解体費に悩む自治体もあり、道と同じく財政負担の問題が重くのしかかる。
 道の記念塔を存続させる場合、今後50年間で、立ち入り可能にするなら28億6千万円、現状通りなら26億5千万円の工事費や維持費がかかる。解体でも4億1千万円が必要だ。
 こうした過去の経緯から、道の本年度の北海道命名150年事業は、記念式典や記念植樹などソフト事業が中心で、新たな施設建設の予定はない。前釧路公立大学長で一般社団法人「地域研究工房」(札幌)の小磯修二代表理事は、成長志向が強かった当時と比べ「今は人口減などで人や資源が限られ、金をかけずに創意工夫して政策実現を図る時代だ」と指摘する。
■アイヌ民族は「共生の場に」
 道の記念塔の建設当時は、開拓使設置などを起点とする「開基」や「開道」という表現が用いられ、和人の入植で土地を奪われたアイヌ民族への配慮に欠けているとの声も多かった。
 札幌アイヌ協会の阿部ユポ会長も、かつては塔の撤去を望んだ一人。ただ、現在は「ただ壊すだけでは、アイヌ民族の歴史を理解してもらうことにならない」と考えを改め、「残すにせよ、壊すにせよ、塔や塔があった場所を民族共生のシンボルとしてほしい」と求める。
 記念塔の存廃問題は、塔が持つ意義や限られた財源の使い道、和人とアイヌ民族の歴史観の相違など、多くの課題を提起した。有識者らの意見を踏まえ、道は年内に存続か廃止かを判断する方針で、広く関係者が納得できる結論を出せるかが焦点となる。(本郷由美子)
■道内各地で進む老朽化/観光名所にも
 1970年に北海道百年記念塔が完成して以降、道内各地に建てられた記念塔を巡っては、自治体が存廃に悩んだり改修を迫られたりするケースがある一方、観光名所として親しまれている事例もある。
 「滝川市開基百年記念塔」は、市が1890年の滝川村誕生100年を記念、1991年に北電公園(同市泉町)に完成させた。鉄骨造り高さ54メートル。総工費3億円で市民から寄付も募った。
 標高55メートル地点に建てられ、入場料大人300円で展望室から「高さ100メートルの眺め」を満喫できるのが売りだった。96年に市役所庁舎が完成し、最上階の11階から無料で高さ50メートルからの景色を楽しめるようになると有料の記念塔は来場者が減少。99年に閉鎖された。
 以後19年たった塔は、ガラスの一部が割れ、周囲にブロックが散乱、近づけないようロープが張られる。内部は雨漏りでカビがはえ、手すりが腐食し階段も使えない。市観光国際課は「財源不足で解体費が出せない上、100年記念と銘打った塔なので簡単に壊せない」という。当面は倒壊の心配もないとして、現状のまま維持する。
 83年に常呂町(現北見市常呂町)に建設された高さ30メートルの「百年記念展望塔」も、2005年に外壁がはがれ、一時閉鎖を余儀なくされた。08年に数千万円をかけて改修をした。
 一方、空知管内秩父別町が93年に建てた高さ30メートルの「百年記念塔」は、05年に周辺一帯が「道の駅」として整備された。最上部の巨大な鐘が1日4回、時を告げて鳴り響き、「鐘の音は町民の日常にも溶け込んでいる」(町企画課)。道の駅の利用者らに無料開放され、閉鎖の予定はない。
 稚内市に78年建設された「開基百年記念塔」は、97年数千万円かけて改修。現在は施設内の北方記念館に多くの観光客が訪れている。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/200350

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(天声人語)アイヌ語の響くバス

2018-06-19 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2018年6月18日05時00分
 「チウレンカレプ ウイナ ヤン」整理券をお取り下さい。「イヤイライケレ」ありがとうございました。北海道日高地方を走る道南バス(本社室蘭市)がアイヌ語による車内放送を始めた▼政府が音頭を取り、北海道平取(びらとり)町などと協議して導入した。バスに乗って放送を聞いてみる。「ネ」「ヤン」など語尾が柔らかく、音楽のように響く▼アイヌ語がユネスコから「消滅の危機にある」と指摘されたのは2009年。道内のアイヌ民族は2万人以下と推定されるが、アイヌ語を日常、不自由なく操れる世代は明治・大正生まれまで。アイヌ語の担い手をどう確保するかが急務だ▼車内放送の案文作成に携わった二風谷(にぶたに)アイヌ文化博物館の関根健司さん(46)たちが苦労したのは、たとえば「病院」に当たる言葉がないことだ。……
こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。
全文:668文字
https://www.asahi.com/articles/DA3S13545058.html?jumpUrl=http%253A%252F%252Fdigital.asahi.com%252Farticles%252FDA3S13545058.html%253F_requesturl%253Darticles%252FDA3S13545058.html%2526amp%253Brm%253D150

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古代 カルーサ王国の巨大住居跡を発見、記録と一致

2018-06-19 | 先住民族関連
北米の狩猟採集民は驚くほど大きく複雑な社会を築いていた
ナショナルジオグラフィック2018.06.18

ギャラリー:カルーサ王国の巨大住居跡を発見、写真7点(写真クリックでギャラリーページへ)
フロリダのマウンドキー遺跡で、かつてカルーサ族の王の住居があった場所を発掘する考古学者たち。近くにはスペイン人が築いた砦がある。(PHOTOGRAPH BY AMANDA THOMPSON)
 1566年2月、玉座に腰掛けていたアメリカ先住民カルーサ族の王カーラスは、奇妙な人々の行列が自分の住居に向かってくるのを見た。
 スペイン人の提督ペドロ・メネンデス・デ・アビレスは、200人の兵士、太鼓や笛の奏者、歌い踊る道化師を集め、銃の火縄に火をつけ、聖書の文字を掲げながら、フロリダの人工島マウンドキーを登っていった。当時、南フロリダの広い範囲を統治していたカーラス王を威圧するためだ。
 このほど考古学者たちは、スペイン人とカーラス王の会見が開かれた建物の痕跡を初めて発見した。王の住居の復元図は、それがスペイン人の宣教師たちが残した記録どおり、2000人を収容できる目をみはるような建物だったことを示している。
 考古学の学術誌『Journal of Anthropological Archaeology』オンライン版で6月1日に報告された王の住居の発見は、カルーサ族の暮らしについて新たな洞察をもたらすものだ。カルーサ族は、人類学の通説に反して、農業を基盤とせずに複雑な社会を形成したことで知られる。(参考記事:「ミシシッピ文化、カホキアは洪水で衰退」)
 論文の共著者で、米フロリダ自然史博物館の南フロリダ考古学・民族誌学の学芸員であるウィリアム・マーカート氏は、「カルーサ族のように漁労・採集・狩猟生活を送り、複雑な社会を形成した例は非常に珍しく、以前から魅力的な研究対象でした」と言う。
海辺の強大な王国
 かつて、複雑な社会をもつ集団は、ほとんどが農業を基礎にしていた。人口と労働力を維持できるだけの食料を生産するためだ。しかしカルーサ族を支えていたのは、沿岸、河口、マングローブでの、ボラ、サメ、ウミガメ、貝などの漁だった(つい最近も、フロリダ沿岸で7000年前のアメリカ先住民の埋葬地が発見されている)。(参考記事:「1500年前の捕鯨の岩絵、チリのアタカマ砂漠で」)
 彼らは主に海産物を食べ、不足分はシカや鳥などで補っていた。野生の植物も採集したが、小さな家庭菜園でチリペッパー、パパイヤ、ヒョウタンを育てる以外の畑作をすることはなかった。(参考記事:「先住民が重宝した、クランベリーの歴史」)
 それにもかかわらず、16世紀のカルーサ族の文化は、聖職者、軍隊、網の目のように張りめぐらされた運河、広がる通商路、各地の村に住む2万人以上から貢物を集める王など、農耕社会に近い特徴を備えていた。マウンドキーはカルーサ族の人々がカキとハマグリの貝殻を積み上げて作った巨大な人工島で、いちばん高い場所には王の立派な住居があった。
 カルーサ族は植民地化とキリスト教への改宗に激しく抵抗したことで知られる。1521年、ヨーロッパ人として初めてフロリダに到達したフアン・ポンセ・デ・レオンを矢で射て致命傷を負わせたのもカルーサ族の戦士だった。
 メネンデスは、南フロリダを植民地化する任務を負ってこの地にやって来た。しかし、カルーサ族の敵意が高まってきたり、暗殺計画が不首尾に終わるなどした結果、着任から3年で撤退を余儀なくされた。その後スペイン人は100年以上カルーサ族に接触することはなかった。1697年にフランシスコ会士がやって来たが、すぐに追い出され、のちにフロリダキーズ諸島で、カヌーの中で、裸で死にかけているところを発見された。
 その後もカルーサ族は独立を保ち続けたが、スペインの植民地政策による被害は非常に大きかった。ヨーロッパ人がフロリダに持ち込んだ病気の蔓延により、カルーサ族の人口は17世紀末には約2000人まで減少し、銃によって武装したほかの先住民による攻撃にさらされるようになった。(参考記事:「アステカ人の大量死、原因はサルモネラ菌か」)
 18世紀末までにカルーサ族の王国は崩壊し、生き残った人々はフロリダキーズ諸島やキューバに逃れた。
大規模な労働力
 米ジョージア大学のビクター・トンプソン氏らは、カルーサ族についての謎を解くため、フロリダ州エステロ湾にある島、マウンドキーで発掘調査を進めている。
 今回の新たな研究は、カルーサ族の人々が「大きな構造物を建築したり、その指示をしたりする能力と、膨大な労働力」をもっていたことを示している。
 発掘チームは、マウンドキーに残された柱穴と基礎溝に基づいて王の住居の構造を推測した。彼らは、この住居がマウンドキーの頂上にあたる「マウンド1」と呼ばれる場所いっぱいに広がっていたと考えている。やや卵形をした構造物の奥行は約25メートル、幅は約20メートルで、約150本の木の柱によって支えられていたという。
 すり減ったハマグリの貝殻もいくつか見つかった。これは、柱が長持ちするように樹皮をはぐ道具だったと考えられる。発掘の際に見つかった小さな木片からは、この建物が、フロリダ本土から舟で運ばれてきたマツの木で造られていたことがわかる。
「彼らは大きな材料を運んできて、大きな建物を造りました。つまり大規模な労働力をもっていたことを意味しています」と、トンプソン氏は言う。
 さらにトンプソン氏によると、この構造物は、長い歳月の間に少なくとも3つの段階を経て造られたという。放射性炭素年代測定の結果、最も古い段階ができたのは西暦1000年頃で、この建物に住んでいた家系がスペイン人の到着より500年以上前から栄えていたことを示唆している。(参考記事:「4千年前の「高貴な族長一家」、リアルに復元」)
ありえない王国
 米ウェストフロリダ大学の考古学者で、長年カルーサ族について研究してきたジョン・ワース氏によると、マウンド1は以前からカルーサ族の族長の住居があったのではないかと考えられていたという。
「スペイン人はカルーサ族の首都の様子についてリアルに描写しています。トンプソン氏らは、この構造物がスペイン人の記録にある王の住居と同じものであることを、しっかりした証拠によって示したのです」
 米カリフォルニア大学サンタバーバラ校の人類学教授リン・ギャンブル氏によると、スペイン人はカルーサ族について説明する際に「王国」という言葉を用いていたが、人類学者たちは長い間、主として漁労によって食料を得ていた狩猟採集民の社会が王国の定義に当てはまるはずがないと考えていたという。
 学者たちは最近になってようやく、複雑な社会に関する自分たちの考え方が時代遅れになっている可能性に気づきはじめた。「カルーサ族に関する今回の研究は、私たちをそうした思い込みから解き放ってくれるものです」とギャンブル氏は言う。
「研究チームは巨大な住居を丹念に調べ、長い年月にわたって使用されていたことを示しました。この場所で王国が形成されたことについて、説得力ある証拠を示したのです」
 トンプソン氏はほかにも、スペイン人とカルーサ族との関係についてより詳しく教えてくれそうな場所を発掘している。メネンデスらが築いた砦はその1つだ。砦は短期間しか使用されなかったが、かなり大規模で、イエズス会が今日の米国にあたる地域で最初に展開した布教活動「サン・アントン・デ・カルロス」の拠点となった。(参考記事:「先住民と入植者の協力示す壁画を発見、カリブの島」)
 トンプソン氏のチームはつい最近も、マウンドキーで2番目に高い場所で、スペイン人が建設した構造物の場所をいくつか確認することができた。今後の発掘調査が待ち遠しい。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/b/061500193/

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ベネズエラでポリオ患者確認 ブラジル小児科学会が注意喚起

2018-06-19 | 先住民族関連
サンパウロ新聞 2018年6月18日
 ブラジル小児科学会(SBP)は13日、ベネズエラで29年ぶりにポリオ(急性灰白髄炎)の患者が確認されたことを受けて、国内の医師や国民、ブラジル政府により一層の注意を払う必要性を警告する声明を発表した。国内メディアが同日付で伝えた。
 ポリオはポリオウィルスによる感染症で、麻痺などを起こすことがある。幼い子供が罹ることが多かったことから小児麻痺とも呼ばれる。
 この声明で同学会は小児科医に対し、「急性弛緩性麻痺(ポリオ)の可能性がある症例と、適切な調査の重要性に注意する」よう助言している。米州では、過去27年間野生型ウィルスによるポリオの患者は確認されていない。ブラジルでは1990年が最後となっている。
 ベネズエラでの患者確認は今月7日、同国の公衆衛生学会により発表された。発表によれば、同国デルタ・アマクロ州にある先住民族のコミュニティーで急性弛緩性麻痺の症例が確認されている。
 最初の症例は、急性弛緩性麻痺の発症後に3型ポリオウイルスと特定された2歳10カ月の幼児で、過去に予防接種を受けていなかったという。この症例が確認された後に、流行病監視当局は、近隣のコミュニティーでも子供の麻痺の症例を確認し、調査が継続している。
 SBPのルシアナ・ロドリゲス会長によれば、特にベネズエラと国境を接するブラジル北部の州で同国からの難民の入国が増加している事から懸念が増大している。
 同会長は、パニックを避け、ブラジル市民を保護するために効果的な措置を講じるため、当局が監視すべき状況にあるとの考えを示している。同会長は、「ポリオは、過去に苦しい思い出を残した病気である。ブラジルでも存在していたが、小児科医の積極的な参加と皆の努力のおかげで根絶された。外部の脅威が我々の国民の健康を危険にさらすことがないよう注意、監視する必要がある」と述べている。
 SBPは今回の警告で、「世界的な根絶が達成されるまでポリオ未発生を維持するために、我が国における高いワクチン接種率(95%以上)の維持を強化する」事の重要性を擁護している。
 SBP免疫科学部門のレナット・キフォウリ会長によると、ポリオ症例が報告された地域は非常に貧しく、生活環境が悪く、栄養不良や寄生虫感染の指数も高いという。また、ワクチン接種率が低いため、16年以降ジフテリアや麻疹、マラリアおよび結核の症例も増加しているという。
http://saopauloshimbun.com/ベネズエラでポリオ患者確認%E3%80%80ブラジル小児科学/

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台湾人画家が東京で展覧会 台湾の民俗文化を独特の手法で表現

2018-06-19 | 先住民族関連
中央フォーカス台湾2018/06/18 16:16
地域を守る神様「土地公」と虎の姿をした神様「虎爺」を冥銭(紙銭)に描いた曾郁文さんの作品
(東京 18日 中央社)台湾人画家、曽郁文さんの作品を紹介する展覧会が15日、台北駐日経済文化代表処台湾文化センター(東京都)で始まった。地域を守る神様「土地公」と虎の姿をした神様「虎爺」を冥銭(紙銭)に描いた作品など、台湾の民俗文化を独特の手法で表現した絵画13点が展示されている。
曽さんは1954年、南部・台南生まれ。近くに廟がある場所で育ち、幼い頃から台湾の宗教や民間信仰に触れていた影響で、台湾の風景や文化をテーマにした作品が多い。台湾の神様や先住民を描いた作品は過去に東京都内の美術館で展示されたこともあるという。
この日は開幕式が開かれ、芸術界の来賓やメディア関係者などが出席した。出席できなかった謝長廷・駐日代表(大使に相当)は書面であいさつの言葉を寄せ、同センターの朱文清主任が読み上げた。謝代表は曽さんの作品について、芸術の枠を超え、独特の趣を備えていると評した。
式典の後には、曽さん自身による作品解説が行われた。曽さんは作品を1つ1つ解説しながら、それに聞き入る来賓の姿を写真に収め、「これも創作の一部」だと笑顔を見せた。
展示は7月20日まで。 (楊明珠/編集:楊千慧)
http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201806180004.aspx

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標津町 アイヌ伝統の慰霊の儀式(動画)

2018-06-19 | アイヌ民族関連
NHK 06月17日 17時58分
およそ230年前、松前藩に処刑された先祖らを弔うアイヌの人たちの伝統的な儀式、「イチャルパ」が道東の標津町で開かれました。
この儀式は、江戸時代後期の1789年、現在の標津町や国後島などで苦しい生活を強いられていたアイヌの人たちによる襲撃を受けた松前藩が37人のアイヌを処刑した「クナシリ・メナシの戦い」の犠牲者を弔うもので、ことしで10回目です。
この戦いの影響で標津町のアイヌ文化は途絶えたということですが、標津アイヌ協会ではほかの地域の協力を得て毎年、この儀式を行っていて、17日はおよそ150人が集まりました。
儀式はかつてアイヌの人たちが暮らしていた遺跡で行われ、神々に酒がささげられた後、出席者たちがヤナギの木を削った祭具や果物などを祭壇にそなえ、犠牲者を慰霊していました。
町内から訪れたという26歳の女性は、「初めて参加しましたが立ち会えて感動しました」と話していました。
標津アイヌ協会の小川悠治会長は、「ここにはアイヌ文化は残りませんでしたが、皆さんの協力で10回目を迎えることができました。今後も交流の場として続けていきたい」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20180617/0000834.html

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<書評>近現代アイヌ文学史論

2018-06-19 | アイヌ民族関連
北海道新聞06/17 05:00
須田茂著
黙殺された作品 網羅的に論評
評 岡和田晃(文芸評論家)
 本書は明治期から戦前まで、自分がアイヌ民族というアイデンティティーを有した作家の仕事を、主題的かつ網羅的に論じた初の書物である。学術的な研究が地道に進められている口承文芸ではなく、支配言語である日本語で書かれた文学を対象としている。知里幸恵、バチェラー八重子のように著名な文学者も扱われているが、武隈徳三郎のような忘れられた先駆者に対する記述にも力が入っている。
 皆、アイヌ民族とは何かを支配者である和人へ説くところから始めねばならなかった。キーワードは「同化」であるが、アイヌ民族の作家はヘイトスピーチ(差別扇動表現)の常套句(じょうとうく)である、多数派への吸収による「滅亡」を目指さなかった。和人と対等な立場にアイヌ民族を引き上げるべきと、同胞を鼓舞したのだ。三島由紀夫の祖父・平岡定太郎(元樺太庁長官)の差別的な「あいぬ人種処分論(放任すれば絶滅す)」へ、正面から反論した貫塩喜蔵(ぬきしおきぞう)《筆名・法枕(ほうちん)》を論じる章は、緊張感に満ちている。
 だが、このように政治や社会の矛盾をそのまま言語化するものだから煙たがられ、1980年代から盛んになったアイヌ文化振興においても、文学はその対象となってこなかった。
 ゆえに日本文学史の枠でのみ語られては、「メッセージ先行で下手」と黙殺の憂き目にあってきた。そのような見方がいかに傲慢(ごうまん)で浅薄なものかを、本書は多数の実例で伝える。
 著者は東京都生まれ・神奈川県在住の会社員だが、十余年にわたり本書の原型となる作家論を書き続けてきた。その成果をまとめた本書を読み通し、見通しのよい構成へ生まれ変わっていたことに驚きを禁じえない。
 「アイヌ文学」の定義や「内的国境」概念をめぐる理論に弱さは残るが、調査は実直で、読み手に探究のヒントを与える。評者はそれを手がかりに調べを進め、近代アイヌ文学の嚆矢(こうし)として語られる山辺安之助の『あいぬ物語』(1913年)が25年、浅田幸政によりエスペラント語へ訳されていたと知った。(寿郎社 3132円)
<略歴>
すだ・しげる 1958年生まれ。民間企業に勤務する傍ら、明治以降のアイヌ文学を研究する。川崎市在住
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/200440

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