先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

北海道百年記念塔 残すか、壊すか 老朽化で財政の重荷

2018-06-24 | アイヌ民族関連
北海道新聞 6/24(日) 5:10配信
高さ100メートル 1970年完成 4年前に閉鎖
 先人への感謝と未来創造への決意を込め、道などが1970年に野幌森林公園内に建てた北海道百年記念塔(札幌市厚別区)は、老朽化で4年前から閉鎖され、躍進のシンボルから一転、道の重荷となっている。残すのか、壊すのか―。北海道命名150年の今年、記念塔の存廃論議は、道民にさまざまな課題を投げかける。
 「道民の巨大なエネルギーを結集し、天をついて限りなく伸びる発展の勢いをあらわす」。道が69年に発行した冊子「北海道百年記念事業の記録」に記載された記念塔のコンセプトだ。高さ100メートルの鉄骨造りの塔は68年、北海道100年事業の目玉として着工。設計を全国の建築家から公募し、外壁を無塗装の鋼板とする斬新なデザインが選ばれた。
現状維持でも50年間で26億5千万円必要
 「一戸100円募金」として、市町村を通じ1戸あたり100円を目標に資金を集めた。総工費約5億円の半分は道民や企業の寄付。冊子には「道民がみんなで築くシンボル」とある。
 厚別区に隣接する江別市の職員だった西脇昭夫さん(68)は「周辺に建物がほとんどなく、独特の形の塔ができていくのをみんな注目していた。『200年後には200メートルの塔が建つ』ともうわさされ、私も100年はもつと思っていた」と当時を振り返る。
 道の百年記念塔の建設をきっかけに、道内各地の自治体でもその後、役場の開設などを起点として記念塔を建てる機運が高まった。中には維持費や解体費に悩む自治体もあり、道と同じく財政負担の問題が重くのしかかる。
 道の記念塔を存続させる場合、今後50年間で、立ち入り可能にするなら28億6千万円、現状通りなら26億5千万円の工事費や維持費がかかる。解体でも4億1千万円が必要だ。
 こうした過去の経緯から、道の本年度の北海道命名150年事業は、記念式典や記念植樹などソフト事業が中心で、新たな施設建設の予定はない。前釧路公立大学長で一般社団法人「地域研究工房」(札幌)の小磯修二代表理事は、成長志向が強かった当時と比べ「今は人口減などで人や資源が限られ、金をかけずに創意工夫して政策実現を図る時代だ」と指摘する。
建設時からアイヌ民族への配慮に欠けるとの指摘
 道の記念塔の建設当時は、開拓使設置などを起点とする「開基」や「開道」という表現が用いられ、和人の入植で土地を奪われたアイヌ民族への配慮に欠けているとの声も多かった。
 札幌アイヌ協会の阿部ユポ会長も、かつては塔の撤去を望んだ一人。ただ、現在は「ただ壊すだけでは、アイヌ民族の歴史を理解してもらうことにならない」と考えを改め、「残すにせよ、壊すにせよ、塔や塔があった場所を民族共生のシンボルとしてほしい」と求める。
 記念塔の存廃問題は、塔が持つ意義や限られた財源の使い道、和人とアイヌ民族の歴史観の相違など、多くの課題を提起した。有識者らの意見を踏まえ、道は年内に存続か廃止かを判断する方針で、広く関係者が納得できる結論を出せるかが焦点となる。(本郷由美子)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180624-00010001-doshin-hok&p=1

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幕末・明治の書/15 松浦武四郎 躍動感あふれる筆遣い /北海道

2018-06-24 | アイヌ民族関連
毎日新聞2018年6月23日 地方版
 幕末期、北海道を6度にわたり踏査した探検家、松浦武四郎(1818~88年)。今年は武四郎の提案に基づき「蝦夷地」が「北海道」に改称されて、ちょうど150年目、武四郎の生誕200年の節目に当たる。今回は小原道城書道美術館が所蔵する武四郎の作品を紹介する。【坂本智尚】
 武四郎は伊勢国須川村(現在の三重県松阪市小野江町)の郷士の家に生まれた。16歳から諸国を巡り、20歳のときに肥前国平戸(現在の長崎県平戸市)で僧となったが、ロシアの南下による北辺の危機を知り、還俗し、1845(弘化2)年に初の蝦夷地探検に出発。以後、58(安政5)年まで計6回にわたり樺太(現在のサハリン)を含む蝦夷地の探査を行い、多数の紀行や地図を刊行した。
 探検では、アイヌの人々と寝食を共にし、その文化や生活、人物像などを紹介することに力を注いだ。明治維新後は開拓使の開拓判官となったが、アイヌ政策への反発から辞職し、国から与えられた従五位の位階も返上。東京の自宅で70歳で死去するまで二度と北海道に足を踏み入れることはなかった。
風餐露臥了吾願
 編喜蠻荒齎命還
 木幣削來祝蘇胞
 雲間遙拜亞寒山
 自作の七言絶句の漢詩で、大意は「吹きさらしのところで食事をし、夜露に打たれて寝る労苦の旅を重ね、(蝦夷地探検という)願いを成し遂げて生還できたことをひとえに喜んでいる。(アイヌの)仲間たちもイナウ(アイヌの祭具)を削って祝ってくれ、ともに雲のはるか向こうにそびえる阿寒の山々を拝む」。
   ◇  ◇
 武四郎は生涯で151冊の探検記録を残しているが、同じ漢詩は61年に刊行した釧路、阿寒地方の探検紀行の「久摺(くすり)日誌」の巻末に記載されている。
 添え書きの「壬午夏日」から、82(明治15)年の夏に書かれたもので、武四郎は64歳。関西や九州を巡っていたころの作とみられる。落款の「北海道人弘」の「北海道人」は雅号、「弘」は諱(いみな)。
 彩色墨絵は、楽しそうに舞踊をする大勢のアイヌの人たち、イナウを手にしたエカシ(長老)、クマやシカなど、それぞれ表情豊かに描かれている。独特の筆遣いによる書も絵に同調するように躍動感にあふれている。
   ◇  ◇
 同美術館(札幌市中央区北2西2 札幌2・2ビル2階)では8月7日~11日30日(月曜休館)、特別展「松浦武四郎と幕末・明治北海道ゆかりの人の書」を開催。武四郎の書画を含む関係深い人たちの作品を公開する。
https://mainichi.jp/articles/20180623/ddl/k01/040/099000c

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブラジルに人種差別が無いって、本当ですか?=聖市在住 毛利律子

2018-06-24 | 先住民族関連
ニッケイ新聞2018年6月23日
▼歴史学者トインビー博士の言葉「人種問題は、異人種が結婚したら解決するだろう」
1939年の米国では、水道が白人と有色人種で分かれていた([Public domain], via Wikimedia Commons)
 1960―70年代、すでにアメリカ合衆国、南アフリカのみならず、世界各地で悪質な人種問題の嵐が吹き荒れていた時代に、歴史学者のアーノルド・トインビー博士が、この問題に関して次のように語った言葉がある。「この問題は公民権運動などによって解決できるものではない。白人と黒人が真に交じり合って、つまりお互いが結婚して、みんなが混血児になって初めて解決されるだろう」。
 さて、今日の恵まれた時代にブラジルに住み、この国の過去の歴史を振り返ることなく生活していると、一見、博士のこの言葉が端的に実現されているのが、このブラジル社会をおいて他にあろうか、と感じさせられる。
 実際、肌の色、国籍に関係なく互いが結婚して、今や、その混血児の世代が平和に、穏やかな関係を維持しつつ暮らしているように伺えるのである。また多くの白い肌を持つ美男美女の先祖が、実はヨーロッパ人と黒人の混血であったということは、ごく当たり前に見聞きする。
 国民が一つになって応援するフットボールにせよ、アフリカ系黒人奴隷がもたらしたサンバのリズムで踊り明かすカーニヴァルなどを挙げるまでもなく、ブラジル社会では日常生活でさまざまな人種が穏やかに融合し、「人種の壁を越えた共存」が成功している国というイメージが固定化されているようだ。
 日本社会では、これほど多くの異人種と日常的に身近な距離で接することはほとんど無いと言えよう。むしろ、伝統的に端然とした暮らしを好んできた多くの日本人にとって、外国人受け入れの態勢は、特に、精神的にまだまだ整っていないと思う。
 それ故に、ブラジル社会には「人種差別は無きに等しい。差別と言えば階級差別である。貧困ゆえの犯罪は後を絶たないが、人種間の争いは無い。これは常識的な見識である」と聞かされ、このような情報を丸呑みにして、疑いもなく信じてきた。
 しかしこの認識は、ブラジルの人種混淆社会を語る上での、非常に単純化された紋切り型の固定概念であろうとの指摘を受けた。
▼心の奥に潜む人種差別
 他人より優位であること。あるいは、外見が劣っていることへのさげすみの心。自分より優れた者に対する激しい嫉妬。これらは誰の心にも潜む心理である。そういう感情を表に出さぬよう気を付けながら心地よい距離を保ち、良い関係を築くのが社交上手というものだ。
 しかし、このような不埒な感情が人の内面に潜んでいることは間違いなく、突如悍ましい顔を顕すことがある。
 ここに興味深い記事を紹介したい。「ハフポストブラジル」版(2017年12月7日付)に、ブラジル社会に根深く存在する黒人への人種偏見の悪質さについて書いたコラムがある。
 それによると、ブラジル人は友好的に物腰柔らかく人々と接するが、それはごく表面的なことであり、実際は、心の奥底に黒人への憎悪、偏見があるという。
 具体的な例として、2014年にリオで起きた3件の黒人やその混血に対する事件を挙げている。十代の若者に人気のドラマに出演している黒人青年タレントがいる。或る晩彼は、仕事を終えて暗い夜道を自宅に戻る路上で、犯罪者に間違えられ警察官に不法逮捕された。理由は肌が黒いことだった。「もし彼が白人だったら、このようなことが起こっただろうか」と、記者は読者に投げかける。
 また、報道関係者がメディアを使って、黒人女性ジャーナリストの外観の特徴や髪、香りについて冗談をいうが、同じことを白人女性に対してするだろうか、と問う。これは明らかに人種差別意識に基づく行為なんだよ、と戒めている。
 さらに、サンパウロのIPEA(Instituto de Pesquisa Econômica Aplicada、応用経済研究所)や、「ソゥ・ダ・パズ」研究所(Sou da Paz Institute)による暴力の調査を紹介し、黒人は白人の2・4倍も多く殺害されていることが報告している。
 記者は、「このような調査データは、制度上の人種主義を反映し、偏見に満ちた冗談や軽口などが毎日どこかで発せられている。これはブラジル社会の中核に潜む人種差別主義者の偏見で、すでにそれ自体が犯罪であり、深刻な問題であることを理解しなければならない。そして、私たちはそれぞれがこの問題に取り組まねばならない」と喚起している。
 この記事に対して続々と寄せられた読者や観光客の反応、目撃情報等からブラジル社会の黒人に対する人種偏見は想像以上に根強いものであることをうかがい知ることができるのである。
 さて、2006年アメリカ合衆国での一つの調査がある。就学前児童を対象に、白人と黒人どちらがキレイかという調査をし、その結果をテレビ番組で放映した。
 すると、子供たちの半数が白い人形を黒い人形の上に置き、白い方が黒い人形よりキレイだと答えた。つまり、「白はキレイ、黒は醜い」という反応を示したという。
 黒人の血を引く女の子たちの中には、「色白で青い目」を美の基準に置き、自分は醜いという劣等感を抱く。あるいは、黒人女性が特有の強くカールした髪の毛を直毛にするために多くの時間や金銭を費やす。
 こういう現象は、「白は美しく、黒は劣悪」という肌色の優劣偏見が社会の潜在意識になっているという批判である。(『国連特別監査官報告によるアメリカの黒人生徒への差別待遇の実態』)
▼「人種民主主義」という考え方
 国連が四半期ごとに出版する『国連クロニクル』2007年9月号で、カルフォルニア大学(UCLA)の社会学教授、エドワード・テレス教授はブラジルの人種問題を次のように説明した。
●ブラジルは建国当初からアメリカ合衆国の7倍の黒人奴隷を輸入し、1888年、西半球で奴隷制を廃止した最後の国であったこと。
●アメリカ合衆国での家族を基本とした植民地化とは対照的に、ポルトガルからの入植者が主に男性で、黒人奴隷、インディオなどの異人種混淆や雑婚が一般的であったこと。
●米国や南アフリカとは異なり、20世紀を通して人種差別やアパルトヘイトなどの人種差別的な法律や政策がなかった。
●1930年代初期から近年まで、彼らの国を「人種民主主義」と考えていた。彼らは、世界の他の多民族社会とは対照的に、人種差別がブラジル社会において最小限であるか存在しないと信じていた。ブラジル社会における人種問題に公の議論はほとんどなく、諸外国の社会は人種に執着しすぎていると考えられていた。
●奴隷廃止後、ブラジル政府が積極的に多くのヨーロッパ移民を受け入れたのは、ブラジルが劣等社会というイデオロギーから、『白人化=脱アフリカ化』が叫ばれ、白人との混血を増やして、ブラジルを「白く」していく目論見があった。
 テレス教授が指摘した「人種民主主義」とは、1920年代のナショナリズムが勃興し、独裁政権下で多様な人種・民族のブラジル社会への同化が強制され、多様な人種がともに繁栄する「人種民主主義」と呼ばれるイデオロギーが推進されたことを指している。
 独裁政権下で1980年代までそのイデオロギーが推進されたが、徐々にそれが様々な社会の不公正を隠蔽するイデオロギーとして働いていることが明らかになった。しかし、それを問題視する言説は独裁政権により排除・弾圧されていた。
 民政移管後はマルチ・カルチャリズム(多文化共生)が宣言されたが、人種民主主義下で醸成された『ブラジル人意識』と多様な民族文化の承認という二つの矛盾する方向性が生まれたという歴史的背景を、教授は示している。
▼ジルベルト・フレイレの描いたブラジルの姿
ジルベルト・フレイレ( [Public domain], via Wikimedia Commons)
 ジルベルト・フレイレは一九三三年、『大邸宅と奴隷小屋』を出版し、三つの人種と文化(ポルトガルの白人、先住民族のインディオ、奴隷としてアフリカから連れてこられた黒人)の混血と融合によるブラジル独自の国民形成を解釈した新しい視点を世に示した。その中で、ブラジルの本質を次のように説明している。
 「ポルトガル植民者は大航海時代に全世界の三分の二の奴隷制に関わっていた。植民者として上陸した貴族の端くれや残り物の人間にしても、ヨーロッパにおいて、ポルトガル人ほど抵抗なく奴隷制を採用する準備のできていた国民はなかった。まして、ブラジルの環境と状況において奴隷を必要としたのは必然であった。最初はインディオを奴隷としたが、彼等の文化は遊動的で定住農業の必要を満たせなかったこと。一方、アフリカ人がインディオに対して決定的優位にあったのは、優等な文化と定住労働で、すでに農業の段階に達する文化を有していたことであり、インディオ擁護の精神的な次元の要因ではなかった」のである。
 そして、「当時のポルトガル白人は白人女性の欠乏に関係なく、異人種間の混淆と混血化を好む傾向が他のどのヨーロッパ人植民者よりも優っていたため、黒人奴隷の女はカーザ・グランデの中で使用人、愛人、果ては正妻にすらなり、奴隷には禁止されていた宝飾品を身につけることさえ許され、その間に生まれた混血児は嫡子であれ、庶子であれ、比較的寛大な待遇がなされた」。
 「砂糖の時代から二百年ほどの間に発生したセニョール・デ・エンジェニョ(大農園所有者)は、個々の農場自体を完結した共同体に形成した。すなわち、単一の砂糖産業と、ポルトガル的家父長制に基づいた絶対的権力者農場主を頂点にして黒人奴隷を底辺としたピラミッド型のカースト制が敷かれ、白人家父長と有色人種の女性による人種混淆によって成立したブラジル特有のモノカルチャー社会である。
 こうして始まった歴史的な人種混淆の結果、「ブラジルにいる金髪の白人でさえ、その肉体と魂にはアフリカ黒人奴隷とモンゴル系先住民の血が流れている。彼等はジェニパッポ(チブサノキ=乳房の形をして乳状の果汁を持つ植物)で育ったか、あるいはモンゴル系の姿形をしている。その影でさえ、原住民と黒人の特徴を示しているのである」と、ブラジル人というのは圧倒的多数がアフリカ系黒人の混血であると断言している。
 このフレイレの見解を裏付ける調査結果がある。2000年から20011年までのミナスジェライス大学遺伝子學研究所のセルジオ・ペナ博士とマリア・カティラ博士の研究発表がある。博士等の研究グループによる主要三都市における遺伝子サンプルから取得したミトコンドリアDNA、Y染色体(mitochondrial DNA, Y chromosome)から推定値を導き出しブラジル人種の基本構成を決定した遺伝子調査では、ブラジル人の約50%がポルトガル白人の遺伝子と、86%のブラジル人が、10%以上のアフリカ黒人の遺伝子を継承しているという分析結果が発表されている。
▼国勢調査(IBGE)の結果が示すもの
 2010年に実施された国勢調査(IBGE)によると、自分自身を黒人もしくは混血とするブラジル人の割合が2000年より44・7%から50・7%となった。これは国勢調査始まって以来まったく初めてで、公式な統計結果がブラジル人口全体の過半数を黒人もしくは混血で占めるということを示した。
 しかし黒人は、市民権を行使することに関して未だに不利な立場で苦しんでいるのも歴然とした事実である。
 同調査では、黒人の大半は国土の北部および北東部に集中し、そのうち15歳以上の年齢層は識字率が非常に低い(24・7%~27・1%)。経済格差としては、最貧困層に分類された70・8%が黒人で、富裕層は最貧困層の42倍以上の所得を得ている。黒人及び混血のブラジル人平均所得は、白人住民や東洋人と比べ2以上も低く、また彼らは、十分な医療サービスを受けることができないという理由で、比較的に若い年齢で死亡している。
 以上の国勢調査の結果が何を伝えているか、次に挙げてみよう。
 ブラジル社会が歴史においてアフリカ的文化の重要性の認識度や、黒人にルーツを持つことを誇りに思う人の数はここ数年で増加しているのは事実であるという結果が示されているが、次のような回答もある。
 それは、97%のブラジル人が、『自分は人種的な偏見を持っていない』と答え、98%の人が『自分は人種偏見を持っている人を知っている』、と答えた。
 ブラジル社会ではいまだに人種民主主義の神話によりカモフラージュされている部分が根強く残っているといわれている。それは、民族や人種の違いによる社会的身分や市民権に影響する人種問題や社会的不平等は存在しないという側の主張であろう。
 しかしながら調査結果の数字はこれとは正反対ではないか。
 それでもなお、国民人口の過半数が文化的背景でどのように差別されているか、肌の色に関連した社会的不平等を証明することは難しいという。
 白人対黒人だけでなく、世界のあらゆる国や社会には、それぞれが歴史的に抱える、潜在意識としての人種偏見がある。
 世間は「違う者の集まり」という根本構造の問題点を解消するには、違う人種がその国に同化できるか、多文化並立がよいか、どのように統合することができるかという課題に常に向き合わねばならない。そして国や国民が求める「平等・同等」という理念を以ってしても、その溝は永遠に埋まりそうにもない。
【参考文献】
◎『大邸宅と奴隷小屋』ジルベルト・フレイレ著、鈴木茂訳、東京・日本経済新聞社2005年
◎The World Bank – World Development Indicators – Population, total(2016)
◎An index of national affluence “Real GNI”
United Nations Statistics Division – Demographic Yearbook 2014
◎U.N. Experts Seem Horrified By How American Schools Treat Black Children https://www.huffpostbrasil.com/entry/school-discrimination-united-nations_us_56b141e1e4b01d80b24474d3
http://www.nikkeyshimbun.jp/2018/180623-41colonia.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする