北海道新聞 06/27 09:16
幕末の探検家、松浦武四郎(1818~88年)が名付け親となり、明治政府が北海道と命名して150年。道などによる記念式典や講演会などの記念行事がめじろ押しで、企業による関連商品も発売され、盛り上がりつつある。せっかくの節目だ。アイヌ民族に対する抑圧や開拓の苦労など歴史に思いをはせつつ、豊かな自然の保全など、今後の北海道のあるべき姿について道民はどう考えるべきか、専門家に聞いた。
■「開基意識」払拭の機会に 札幌大前学長・桑原真人さん
今年は北海道命名150年の節目ということで、道などが中心となってさまざまな事業を繰り広げていますが、何でもかんでも「150年」をうたっていて、いささか能天気な気もします。めでたさを強調する事業だけでなく、せっかくなら、この地の歴史と真正面から向き合う機会があっても良いのではないでしょうか。
「蝦夷地(えぞち)」から「北海道」への改称は、この地全体が日本の領土に編入されたことを意味します。江戸時代までは、和人が住む場所は渡島半島南部の「和人地」に限られ、それ以外の蝦夷地、すなわち「アイヌ地」に和人が定住することは原則的に禁じられていました。しかし、北海道への改称を機に、その枠組みが消し去られ、蝦夷地の和人化が推し進められる根拠となりました。
和人化の精神的イデオロギーこそが「開基意識」です。昭和初期に釧路で「釧路の始まりとなる『開基』はいつか」という議論があり、その結論は、先住のアイヌ民族を「無意識的」な存在として位置付け、「和人の意識的な開拓にこそ原点がある」というものでした。こうした開基意識は釧路に限らず、近年まで道民の中で支配的でした。
道庁は1869年(明治2年)の開拓使設置から50年を記念し、1918年(大正7年)に「開道50年」記念式典を行い、68年には「北海道100年」と呼ばれるイベントを展開しました。これこそ開基意識の典型的な現れです。北海道命名150年事業もこの開基意識が根底にあることを忘れてはいけません。
そもそも開基意識は「和人ファースト史観」とでも言うべきで、この地の歴史を近代以降の開拓の歴史に矮小(わいしょう)化し、アイヌ民族の歴史性を認めないという、二重の意味で問題をはらんでいます。「北海道の歴史は短い」などと言う人もいますが、この地は何万年も前から人々が住み、周辺地域の人々と活発な交易を繰り返してきました。とりわけ先住民族であるアイヌ民族の近世以降の歴史は重要です。
オーストラリアでは英国の入植が始まった1788年1月26日を記念し、毎年休日にして祝っていましたが、近年では記念行事を中止する自治体が出てきて、記念日を別の日に変える動きもあるようです。先住民族にとっては侵略が始まった日とも言え、「祝うにふさわしくない」との考え方が広まっています。
道は150年事業の一環で戦後の現代史を中心とした道史の編さんを始めましたが、近くその編さん作業を主導する専門家らによる道史編さん委員会が立ち上がります。私も委員になりますが、今こそ開基意識を払拭(ふっしょく)し、和人とアイヌ民族の歴史を対等に見ていきたいと考えています。(報道センター 村田亮)
■独自の経済・文化 創造を 作家・小檜山博さん
北海道150年の節目を、「今後、北海道はどうあるべきか」ということを考える、一つのきっかけにする必要があります。今これからの北海道は、第2期開拓期にあると思います。
1期目は、北海道にやってきた明治政府や和人がアイヌ民族を迫害し、歴史と文化を破壊しました。このことを決して忘れてはいけません。一方で、本州の人たちによる短期間の開拓で豊かになったのも事実です。
当時の開拓民1世は、お金をためてひと旗揚げたら、故郷の本州に帰ろうとしていました。だからこそ、開拓を急ぎ、お上に頼らざるを得なかった。北海道で暮らす私たち4世、5世にとって、もはや本州は故郷ではなくなった。にもかかわらず、道民がいまだに「自立できていない」とか「官依存体質」であるとやゆされています。
自立を目指すに当たって、北海道の良さを考えてみましょう。開拓民の多くは、家や土地に縛られない次男、三男だったため、本州のしきたりや風習があまり持ち込まれなかった。開拓では、女性も馬追いや土木作業に従事した。労働力として男女は平等で、男と女は夫婦でありながら、同志でもあった。離婚率の高さが指摘されますが、これは離婚できる自由があるということを意味します。こうして、北海道には封建的ではない、男女平等の風土がつくられました。
そして、北海道には四季があり、何より自然があります。水と空気と、土、森林、海がある。この自然に手をつけず、残していくことです。食料自給率は200%を超えています。今の4、5世の代になっても、北海道ならではの自由さを理解せず、最大の財産である自然に気付かず、国のカネを当てにしています。目の前にある宝物を顧みず、必要のないモノを求めている。
では、北海道は何をすべきか。道民に欠けているのは、北海道の財産や人材を探そうという情熱です。第2期開拓期は、今北海道にいる人が、精神的に自立し、ほかにはない北海道の財産に気が付き、これを生かす地元の人材を育てることです。
今の日本には、二つの国があると思っています。一つは東京で、もう一つは地方ですが、いつの間にか東京が地方を全て支配してしまった。「東京に行けば芝居や落語が見られる」などの話を聞くことがあります。それなら、北海道につくればいい。北海道には資源があるのですから、この地に適応した独自の経済、生活、文化を創造するのです。
北海道は今、歴史をつくっている最中です。中央というだけであがめ奉るのはもう終わりにしましょう。北海道以上のところなど、ほかにはないと、僕は思っています。(報道センター 中村征太郎)
<ことば>北海道150年事業 北海道と名付けられて150年の節目を記念し、道や経済団体、北海道アイヌ協会などでつくる実行委員会が8月5日に札幌市内で記念式典を行うほか、7月14日~8月26日を「北海道150年ウイーク」に設定し、企業や団体が、食や自然、科学など多様なテーマにわたって、コンサートや講演会、展示会などのイベントを集中的に実施する。実行委事務局によると、6月13日現在で、事業費100万円以上のイベントなどを企画、実施する企業・団体の「パートナー」は165団体、関連企画を登録する「北海道みらい事業」は843件。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/203296
幕末の探検家、松浦武四郎(1818~88年)が名付け親となり、明治政府が北海道と命名して150年。道などによる記念式典や講演会などの記念行事がめじろ押しで、企業による関連商品も発売され、盛り上がりつつある。せっかくの節目だ。アイヌ民族に対する抑圧や開拓の苦労など歴史に思いをはせつつ、豊かな自然の保全など、今後の北海道のあるべき姿について道民はどう考えるべきか、専門家に聞いた。
■「開基意識」払拭の機会に 札幌大前学長・桑原真人さん
今年は北海道命名150年の節目ということで、道などが中心となってさまざまな事業を繰り広げていますが、何でもかんでも「150年」をうたっていて、いささか能天気な気もします。めでたさを強調する事業だけでなく、せっかくなら、この地の歴史と真正面から向き合う機会があっても良いのではないでしょうか。
「蝦夷地(えぞち)」から「北海道」への改称は、この地全体が日本の領土に編入されたことを意味します。江戸時代までは、和人が住む場所は渡島半島南部の「和人地」に限られ、それ以外の蝦夷地、すなわち「アイヌ地」に和人が定住することは原則的に禁じられていました。しかし、北海道への改称を機に、その枠組みが消し去られ、蝦夷地の和人化が推し進められる根拠となりました。
和人化の精神的イデオロギーこそが「開基意識」です。昭和初期に釧路で「釧路の始まりとなる『開基』はいつか」という議論があり、その結論は、先住のアイヌ民族を「無意識的」な存在として位置付け、「和人の意識的な開拓にこそ原点がある」というものでした。こうした開基意識は釧路に限らず、近年まで道民の中で支配的でした。
道庁は1869年(明治2年)の開拓使設置から50年を記念し、1918年(大正7年)に「開道50年」記念式典を行い、68年には「北海道100年」と呼ばれるイベントを展開しました。これこそ開基意識の典型的な現れです。北海道命名150年事業もこの開基意識が根底にあることを忘れてはいけません。
そもそも開基意識は「和人ファースト史観」とでも言うべきで、この地の歴史を近代以降の開拓の歴史に矮小(わいしょう)化し、アイヌ民族の歴史性を認めないという、二重の意味で問題をはらんでいます。「北海道の歴史は短い」などと言う人もいますが、この地は何万年も前から人々が住み、周辺地域の人々と活発な交易を繰り返してきました。とりわけ先住民族であるアイヌ民族の近世以降の歴史は重要です。
オーストラリアでは英国の入植が始まった1788年1月26日を記念し、毎年休日にして祝っていましたが、近年では記念行事を中止する自治体が出てきて、記念日を別の日に変える動きもあるようです。先住民族にとっては侵略が始まった日とも言え、「祝うにふさわしくない」との考え方が広まっています。
道は150年事業の一環で戦後の現代史を中心とした道史の編さんを始めましたが、近くその編さん作業を主導する専門家らによる道史編さん委員会が立ち上がります。私も委員になりますが、今こそ開基意識を払拭(ふっしょく)し、和人とアイヌ民族の歴史を対等に見ていきたいと考えています。(報道センター 村田亮)
■独自の経済・文化 創造を 作家・小檜山博さん
北海道150年の節目を、「今後、北海道はどうあるべきか」ということを考える、一つのきっかけにする必要があります。今これからの北海道は、第2期開拓期にあると思います。
1期目は、北海道にやってきた明治政府や和人がアイヌ民族を迫害し、歴史と文化を破壊しました。このことを決して忘れてはいけません。一方で、本州の人たちによる短期間の開拓で豊かになったのも事実です。
当時の開拓民1世は、お金をためてひと旗揚げたら、故郷の本州に帰ろうとしていました。だからこそ、開拓を急ぎ、お上に頼らざるを得なかった。北海道で暮らす私たち4世、5世にとって、もはや本州は故郷ではなくなった。にもかかわらず、道民がいまだに「自立できていない」とか「官依存体質」であるとやゆされています。
自立を目指すに当たって、北海道の良さを考えてみましょう。開拓民の多くは、家や土地に縛られない次男、三男だったため、本州のしきたりや風習があまり持ち込まれなかった。開拓では、女性も馬追いや土木作業に従事した。労働力として男女は平等で、男と女は夫婦でありながら、同志でもあった。離婚率の高さが指摘されますが、これは離婚できる自由があるということを意味します。こうして、北海道には封建的ではない、男女平等の風土がつくられました。
そして、北海道には四季があり、何より自然があります。水と空気と、土、森林、海がある。この自然に手をつけず、残していくことです。食料自給率は200%を超えています。今の4、5世の代になっても、北海道ならではの自由さを理解せず、最大の財産である自然に気付かず、国のカネを当てにしています。目の前にある宝物を顧みず、必要のないモノを求めている。
では、北海道は何をすべきか。道民に欠けているのは、北海道の財産や人材を探そうという情熱です。第2期開拓期は、今北海道にいる人が、精神的に自立し、ほかにはない北海道の財産に気が付き、これを生かす地元の人材を育てることです。
今の日本には、二つの国があると思っています。一つは東京で、もう一つは地方ですが、いつの間にか東京が地方を全て支配してしまった。「東京に行けば芝居や落語が見られる」などの話を聞くことがあります。それなら、北海道につくればいい。北海道には資源があるのですから、この地に適応した独自の経済、生活、文化を創造するのです。
北海道は今、歴史をつくっている最中です。中央というだけであがめ奉るのはもう終わりにしましょう。北海道以上のところなど、ほかにはないと、僕は思っています。(報道センター 中村征太郎)
<ことば>北海道150年事業 北海道と名付けられて150年の節目を記念し、道や経済団体、北海道アイヌ協会などでつくる実行委員会が8月5日に札幌市内で記念式典を行うほか、7月14日~8月26日を「北海道150年ウイーク」に設定し、企業や団体が、食や自然、科学など多様なテーマにわたって、コンサートや講演会、展示会などのイベントを集中的に実施する。実行委事務局によると、6月13日現在で、事業費100万円以上のイベントなどを企画、実施する企業・団体の「パートナー」は165団体、関連企画を登録する「北海道みらい事業」は843件。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/203296