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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

ムックリ製作など体験 白老白翔中でふれあいふるさとDAY

2018-06-27 | アイヌ民族関連
苫小牧民報2018/6/26配信

ムックリを製作する生徒たち
 白老町の白翔中学校は23日、ふれあいふるさとDAY(土曜授業)を行った。地域住民を講師に招き、全校生徒がムックリの製作や地元食材を使った料理、アイヌ文様刺しゅうなど13講座に分かれて、郷土学習を行った。
 町内の小中学校では2017年度から地域社会と連携した体験活動を行う土曜授業「ふれあいふるさとDAY」を展開。同校では、郷土学習を主眼に置き、さまざまな分野で活躍する地域住民を講師に招いた体験講座を開いている。
 今回は、キンボールや下の句かるた、和太鼓や書道など13講座を設定。ムックリの製作・演奏体験では、アイヌ民族文化財団の石田慈久恵さんと木幡弘文さんが講師を務め、1~2年生の生徒にムックリの製作を指導。彫刻刀を使って木を削り取り、糸を通してムックリを製作。程よい加減に削ることが難しいようで、生徒たちは何度も講師に確認をしながらムックリを完成させた。
 その後、オリジナルのムックリを使って演奏体験。すぐに音を鳴らせるようになった生徒もいれば、こつをつかめずなかなか音が出ない生徒も。ムックリの持ち方や、口元への当て方、口の開け閉めや舌を使って音を変えたりなど、ムックリ演奏の難しさを体験した。
 2年の杉青空(そら)さんは「ムックリは初めてだったけど面白い。ゴールデンカムイを観ているので、今度はぜひ、伝統料理を調べたり食べたりしてみたい」と話した。
https://www.tomamin.co.jp/news/area2/14106/


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水平社宣言を「世界の記憶」に 駒井さん

2018-06-27 | アイヌ民族関連
わかやま民報 18年06月26日 18時56分[海南・紀美野・紀の川・岩出]
 差別に反対し1922年に「宣言」を起草した人権活動家・西光(さいこう)万吉の活動を学ぶ「西光万吉顕彰会」の第5回総会が24日、和歌山県紀の川市西井阪の井阪文化会館で開かれ、水平社博物館(奈良県御所市)の駒井忠之館長が「創立の思想を世界へ」と題して講演。宣言は被差別マイノリティーによる世界初の人権宣言で、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」に登録されるべきだと訴えた。
 西光は1895年に奈良県御所市で生まれ、「人の世に熱あれ 人間に光あれ」で知られる宣言を起草。1941年には妻の故郷である打田町(現紀の川市)に移住し、70年に亡くなった。
 駒井館長は、西光ら全国の創設に深く関わった人物たちの写真を背に講演。宣言の中に「人間」という言葉が10回登場することを紹介し、「差別の撤廃だけが目的のメッセージではなく、人間の尊厳と平等を追求したものだった」と強調。宣言は、被差別マイノリティーによる世界初の人権宣言で、在日朝鮮人やアイヌ民族、大阪在住の沖縄県出身者などの被差別マイノリティーに差別撤廃へ立ち上がるきっかけを提供したと説明した。駒井館長によると、宣言の影響は朝鮮半島の被差別マイノリティー・白丁(ペクチョン)にも及び、23年に朝鮮半島で差別撤廃を求める団体が結成されるきっかけになったという。
 また、宣言の思想を世界的に共有するべきだと訴え、ユネスコが書物や文書などの歴史的記憶遺産を保全、公開する事業「世界の記憶」に宣言の登録を目指していることを報告。2015年には水平社博物館が世界の人権に関する博物館で構成する「国際人権博物館連盟」(FIHRM)に日本から初めて登録されたことを紹介し、「宣言には寛容さと多様性の精神が盛り込まれており、世界中の人が共有するに値する内容だ」と訴えた。
http://www.wakayamashimpo.co.jp/2018/06/20180626_79970.html

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ゴールデンカムイ テレビアニメ第2期が10月スタート

2018-06-27 | アイヌ民族関連
毎日新聞2018年6月26日
 マンガ誌「週刊ヤングジャンプ」(集英社)で野田サトルさんが連載中のマンガが原作のテレビアニメ「ゴールデンカムイ」の第2期が制作され、10月からTOKYO MXほかで放送されることが明らかになった。
 「ゴールデンカムイ」は、2014年から同誌で連載中のマンガ。かつて日露戦争で活躍した“不死身の杉元”が、北海道で死刑囚が隠した埋蔵金の手掛かりをつかみ、アイヌの少女アシリパらと共に冒険を繰り広げる姿を描いている。アイヌの文化や歴史、食事の描写なども評価され、「マンガ大賞2016」で大賞を受賞した。コミックスの累計発行部数は530万部以上。
 テレビアニメ第1期が4月に放送が始まり、25日の放送で最終回を迎えた。
https://mainichi.jp/articles/20180626/dyo/00m/200/001000c

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出入り自由、アイヌ工芸作家を見守る自然体の猫たち

2018-06-27 | アイヌ民族関連
シッポ2018/06/16

 北の地に住む先住民族、アイヌ。北海道沙流郡の平取町で、自然の恵みを生かして作品をつくり、猫と一緒に暮らすアイヌの母子と出会った。人も猫も自然体。工房には心地よい空気が流れていた。
(文・堀内みさ 写真・堀内昭彦)
工芸品の中に縞模様
 木彫りの人形や熊の置物、それに、渦巻きや刺(とげ)など独特の文様が刻まれた木製のお盆。店内に並ぶ見慣れない工芸品に見入っていたら、視界の端で縞模様の物体を感知した。もしや。目を向けると、それまで微動だにしなかった物体がぴくりと動き、ぬぅっと顔を上げてこちらを見た。
 猫の名はトラスケ。1歳半の雄猫である。「トラスケは温厚な性格で、小さな子どもが来ても逃げないんです。触っても怒りませんよ」。「貝沢民芸」の主人、貝澤守さんが言う。貝澤家の猫は全部で3匹。トラスケは唯一の雄という。
 札幌市街から、南東へ車で約2時間。平取町の二風谷(にぶたに)は、約400人の人口の過半数がアイヌ人という小さな地区。北の地の先住民族、アイヌの人々は、かつて豊かな大自然の中、川や海で魚を捕り、山では狩猟に加え、草や実を摘み、狩猟採集生活を送っていた。暮らしに必要な道具も、すべて自然の恵みを生かしたもの。誰もが自らの手でつくっていたという。
あらゆるものに魂が宿る
 現在貝澤さんは、アトリエを兼ねたこの店で、主にアイヌの伝統工芸のひとつ、「イタ」と呼ばれる木の平盆をつくっている。「小さいときから父や父の弟子たちから、イタの技術を学びました」。そう話す貝澤さんのすぐ前で、いつ移動したのかトラスケが気持ち良さそうに寝そべっている。その姿に、貝澤さんの頬が思わず緩み、目尻が下がった。トラスケがかわいくてたまらないのだ。
 イタはカツラやクルミの木でつくられる。特に目を引くのが、表の面全体に彫り込まれるさまざまなアイヌ文様。渦巻き、目、刺、ウロコの4つが基本で、すべて自然界にある形を組み合わせているという。中でも「刺の文様は魔除けの役割を持ち、着物の裾や襟にも用いられます。だから文様をアレンジするときは、使う人が魔を除けられるよう、基本の形をできるだけ崩さず丁寧に彫っています」と貝澤さん。
 アイヌの人々は、この世のあらゆるものに魂が宿り、神の化身と考える。道具も然り。使い手のことを思い、心を込めてつくったものには良い魂が宿るとされ、役目を終えたときは、祭壇に祀り、感謝を込めて神々の世界へ送り返すという。
ストーブに陣取り家猫に
 気がつけば、トラスケがドアの前にでんと座り、無言ながら外に出たいと訴えていた。貝澤家の猫たちは、基本的に出入り自由。向かったのは、お隣にある貝澤さんのお母様、雪子さんの工房だ。雪子さんは、やはりアイヌの伝統工芸のひとつ、樹皮を素材にした織物「アットゥシ」づくりの名人で、77歳の現在も日々制作に励んでいる。
 中に入ると、トラスケの母猫ハナが先客で待っていた。もとは野良猫だったハナが貝澤家の一員になったのは、3年ほど前の冬のこと。それまで餌をもらいながらも一定の距離を保っていたハナは、その日、氷の張った地面を滑りながら歩いて「貝沢民芸」の中に入ってくると、そのままストーブの前に陣取り、動こうとしなかったという。
貝澤家の猫歴
 そもそも貝澤家と猫との関わりは、貝澤さんの妹が高校時代に一匹の猫を拾ってきたことに始まる。以来増えに増え、一時は18匹いたことも。「気がついたら茶箪笥の上にずらーっと猫が並んでいたこともあったわね」と雪子さん。だがその後、病気や事故で相次いで亡くなり、ハナが来る直
前の4年間は、猫が一匹もいなかったという。
 猫たちの暮らしは、いたって自由。夜は自宅で雪子さんと一緒に寝て、朝ご飯が終わると外に出る。そして、気が向くと貝澤さんの店や雪子さんの工房でひと休み。「実はもう1匹、パンダという猫がいるんだけど」。雪子さんが目配せした方向に目を向けると、樹皮を裂いた糸の中で、白黒模様の猫がすやすやと寝ていた。すべて自然素材に囲まれて、さぞ心地よいことだろう。
自然の恵みとともに
 雪子さんのアットゥシは、北海道に自生するオヒョウ(ニレ科の落葉高木)の樹皮を使ってつくられる。樹皮を数時間釜で煮て、それを洗ってぬめりを取り、何層もの内皮を薄く剥いで細かく裂いた後、糸に撚(よ)りをかけながら小さく結んでつないでいく。その間、樹皮を採りに山に入る以外、すべて雪子さん一人の手作業。草木染めも機(はた)織りも一人で行う。
 「猫のためのまたたびも自分で採ってくるのよ」と雪子さん。日々、自らの手や体を動かして作品をつくり、ときには山菜やきのこを採りに山に入ったり、夕方工房に集まってくる友人たちに、得意の手料理をふるまったり。猫たちはそんな働き者の雪子さんに、付かず離れず寄り添っている。「この年になっても作品を待ってくれる人がいて、働けるのは幸せなこと。アットゥシづくりは一生勉強。飽きることはないわね」。話す間も雪子さんの手が止まることはない。
 自然を敬い、その恵みを最大限活かし、心を込めてものづくりを行う貝澤さんと雪子さん。猫にも人にも自然体で接する姿が印象に残った。
貝沢民芸
北海道沙流郡平取町字二風谷75-2
TEL 01457-2-2584
営業時間:8:00〜18:00
定休日:不定休https://biratori-kanko.jp/spot/kaizawafolk-crafts
https://sippo.asahi.com/article/11607432

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【移民110周年特集】「日本移民の故郷」 プロミッソンが入植100周年

2018-06-27 | 先住民族関連
サンパウロ新聞2018年6月25日

入植100周年記念祭ロゴ(提供写真)
 「日本移民の故郷」であるサンパウロ(聖)州プロミッソンは、1918年にイタコロミー移住地(現・上塚第1植民地)への入植が始まってから、今年で100周年を迎える。7月22日には、「プロミッソン入植100周年記念祭(前田ファビオ実行委員長)」が予定されており、眞子さまの式典ご出席予定に合わせた準備が着々と進められている。同地の開拓当初から今日までの歴史を振り返る。
◆プロミッソン創世記
 『ノロエステ記念史』によると、プロミッソンは、聖市から493kmに位置する標高420mの土地となる。
 1908年、鉄道ノロエステ線が、当時ファゼンダ・パットスと呼ばれていた土地まで開通し、列車の着地がエイトール・レグルー駅と名付けられた。同地は、鉄道開通により居住者が増加し、17年には日本人移民やイタリア人移民らが入植。19年にエイトール・レグルー治安区、21年9月にプロミッソンへと改称され、23年11月に、プロミッソン郡となった。
 16年、プロミッソンの原生林に日本人移民として初めて足を踏み入れたのは、福岡県出身の後藤七郎氏で、17年には熊本県出身者、鹿児島県出身者らが続けて入植した。
 18年3月、「ブラジル移民の父」と称される皇国植民会社の上塚周平氏らが同駅周辺の、1400アルケールの原生林を10アルケールごとに売り出したことを契機に、同地がイタコロミー移住地と命名された。イタコロミーは、先住民グアラニー族の土地を意味し、同族の墓跡などが開拓時に見つかったそうだ。命名された名前とは別に、入植者たちの間では、「上塚植民地」と呼ばれ、今日のプロミッソンの原形となった。
 (※)上塚氏は、東京大学法学部を卒業後、移植民事業を志して皇国植民会社(水野龍社長(当時))に入社。08年に笠戸丸に乗船して渡伯し、同社現地代理人に。労働者として農業に従事する日本人移民の待遇を見かねて、自営の植民地構想を抱いた。同地では「事務所」と呼ばれた家で質素に暮らし、「日本移民の故郷」プロミッソン開拓に努め、「移民の父」と称えられている。
◆発展の兆し、戦後の対立
 23年に行われた調査では、同地の土地所有者は247家族で、同地周辺には406家族が居住していたという。農園で育てられていたコーヒー樹は約300万株で、ブラジル全土の日本人移民が所有している樹の3分の1を占めたそうだ。現在はコーヒー農園が無くなり、さとうきび栽培、牧場経営が主産業になっている。
 28年、最初の周年事業となった「植民地開拓10周年」では「開拓十周年記念塔」が上塚周平公園内に建立され、記念祭典も開催された。当時、同地の居住者は約1000家族を数え、記念祭典も大いに盛り上がったと記録されている。
 25年には、汎プロミッソン中央日本人会が創立され、初代役員として顧問に上塚氏、間崎三三一(まざき・ささいち)氏、会長に佐々木光太郎氏らが名を連ねた。
 33年の調査では、プロミッソン近郊までを含めた居住者は1362家族、6757人まで増加しており、52年3月に、プロミッソン連合日本人会が組織され、会員131人を有していた。
 68年、入植50周年を迎えた同地では、現在まで同地を二分する出来事が起こった。上塚氏の友人である菊池恵次郎氏から、上塚氏の「事務所(旧家)」の土地管理を任され、「上塚氏の右腕」と言われた間崎氏が土地をブラジル人に売却。さらに、間崎氏が上塚公園内の「開拓十周年記念塔」を、プロミッソンの街中に移設する話を持ち出したことで、同地は二分した。そこには、戦後の勝ち負け抗争で思想が分かれた影響もあったとされる。記念塔に関しては、プロミッソンの町中に記念の時計台を建立し、移設は行われていない。
 現在までプロミッソン日伯文化体育協会(岡地建宣会長)とプロミッソン日系文化運動連盟(吉田マサヒロ会長)の2団体に分かれたままとなっており、2008年のブラジル日本移民100周年時には、統一を目指して同周年委員会を立ち上げたものの、世代間の軋轢(あつれき)や運営面で意見が一致しなかったことで、実現しなかった。
 しかし、入植100周年で、再び統一に向けた実行委員会を立上げ、協力体制を布(し)いている。
100周年機に2団体統一へ
 現在までプロミッソン日伯文化体育協会(岡地建宣会長)とプロミッソン日系文化運動連盟(吉田マサヒロ会長)の2団体に分かれたままとなっている同地は昨年7月、入植100周年記念祭の実行委員会を、両協会から7人、同公園を管理するプロミッソン市から7人を選出した計21人のメンバーで組織し、再び統一に向けた意思統一を図った。
 半世紀ぶりの統一に向けた同地の歴史の中で、双方を常に見つめてきたのが安永忠邦さん(97、2世)を代表とする安永家の人たちだ。
◆同地に根付く安永家の歴史
 1914年5月10日「帝国丸」で渡伯し、熊本県玉名郡南関(なんかん)町出身の耕夫(こうふ)氏・セキ夫妻、耕夫氏の弟・良耕(りょうこう)氏の3人がサンパウロ(聖)州北部モジアナ線のビラ・コスチーナ耕地に入植したことで、安永家の伯国史が始まる。同耕地で契約農として働いた後、18年8月にノロエステ線エイトール・レグルー駅(現・プロミッソン中心部)から約8kmに位置するイタコロミー移住地に4世代が同居していた。
 2014年には、「安永家渡伯100周年記念祭」が同年4月20日に同地の安永家(自宅)で開催され、ブラジル全土や日本から総勢約400人が集まり、上塚氏の墓前で読経が行われた後、安永家の墓前でも各世代代表者が祖先に献花した。
 同日、集まった一行が訪問した安永家敷地内にある旧安永邸は、1945年に建てられ、93年まで4世代約45人が住んでいた。将来的には、安永家の史料館として保存する構想もあるそうだ。
 上塚氏の法要は、同氏が1935年に亡くなってから毎年執り行われている。上塚氏が亡くなる直前に、「しっかり頼んだぞ」と声を掛けられたという忠邦さんが現在まで「墓守」を務めあげてきた。
◆7月22日、上塚周平公園で記念式典
 総額約30万レアルの予算で、4000~5000人規模を想定した「プロミッソン入植100周年記念祭(前田ファビオ実行委員長)」の準備が進められている。ノロエステ連合日伯文化協会の安永信一会長(70、3世)、和教さん(71、3世)は「予算通り順調に進んでいる」と自信をのぞかせる。
 午前10時から午後10時まで行われる同祭では、ノロエステの芸能を筆頭に、鳥取の傘踊り、沖縄の琉球国祭り太鼓、グループ民による民謡・三味線演奏、中平マリコさん、平田ジョーさんの歌謡ショーなどが予定され、ユバ農場から訪れる一行も舞台に上がるという。同祭の最後は、16年のリンス入植100周年時と同様に「ノロエステ盆踊り」で締め括られる。
 プロミッソン入植100周年記念祭の意義として、信一会長は「100周年を迎え、4世の時代に入っている。家族で伝えてきたものもあるが、1世、2世の苦労が分からない人も多い」と次世代への継承に重きを置く。
 和教さんは「4世、5世に伝えていかなければ失われてしまう。だから実行委員会も3世、4世をメインに据えた」と背景を語る。
◆記念事業「入植百周年記念塔」
 同地の入植100周年記念事業として建立される日伯両国旗をモチーフにしたモニュメント「入植百周年記念塔」は、同地出身の建築家、ノズ・セルジオさん(67、3世)が設計を担当している。既に土台を含めた大部分が完成している。高さ約4メートルになるモニュメントの上部には鐘が設置され、西に日本、東にブラジルをイメージした2塔から成り、互いに手を取り合う姿に仕立てられ、同公園内に建立される。
 同祭式典プログラムの中で「眞子さまにモニュメントの除幕を行ってもらいたい」と、訪問を記念したプレートも用意されている。
 眞子さま訪問が実現すれば、移民50周年で聖州奥地を訪問した三笠宮殿下以来、60年ぶりの皇室訪問となる。
◆全伯に散る「元在住者の式典参加を」
 実行委員会に設置された「登録調査委員会」では、プロミッソンから全伯にいる元在住者、その子弟を式典に招待したい意向。信一会長は「プロミッソン元在住者や縁のある人に集まってほしい」と呼び掛けている。
http://saopauloshimbun.com/【移民110周年】「日本移民の故郷」%E3%80%80プロミッソ/

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バンクーバー・人類学博物館で「抵抗のアート」展 南米政治問題、芸術で抵抗

2018-06-27 | 先住民族関連
バンクーバー経済新聞2018年06月27日

 バンクーバーのブリティッシュコロンビア大学にあるUBC人類学博物館(6393 NW Marine Dr. Vancouver、TEL 604-822-5087)で現在、「抵抗のアート:ラテンアメリカの政治と過去(Arts of Resistance- Politics and the Past in Latin America)」展が行われている。
 同展ではメキシコ、ペルー、グアテマラなどの伝統工芸を通して政治や西洋からの抑圧に抵抗を示す数々の作品を展示する。展示物は伝統的な手法で作られた工芸品や衣装、壁画など100点以上。
 美しい手芸で彩られたマヤの女性たちの民族衣装であるウィピルは、デザインで結婚の有無や出身地などが一目で分かるようになっており、先住民族の女性の社会的地位の問題を提議。メキシコの祭りで使用されるマスクやきらびやかな衣装からは、キリスト教による先住民の信仰の悪魔化に対する人々の抵抗の心理をうかがい知ることができる。遺伝子組み換えのトウモロコシの栽培に抵抗する人々や2014年にメキシコで起きた学生殺害事件などを扱う作品も展示する。
 同展のためにメキシコ、グアテマラ、ペルーやチリなどから100点以上の作品を収集したキュレーターのラウラ・オソリオ・サナックス博士は「ラテンアメリカというと明るいイメージを持つ人も多いが、植民地化と西洋からの抑圧を現在も受けており政治問題も多く抱えている。今回展示するアートを見て、伝統的な作品に込められた地元の人々の抵抗の声を知っていただければ」と来場を呼び掛ける。
 開館時間は10時~17時。入館料は、一般=18カナダドル、シニア(65歳以上)・学生=16カナダドル、6歳以下無料。10月8日まで。
https://vancouver.keizai.biz/headline/2495/

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『ウインド・リバー』――先住民保留地の惨殺事件が暴くアメリカの闇とは?

2018-06-27 | 先住民族関連
サイゾー2018.06.26

『ウインド・リバー』
ネイティブ・アメリカンの保留地として知られる、雪深い山岳地帯ワイオミング州のウインド・リバー。そこで、ネイティブ・アメリカンの少女の死体が見つかった。現場に派遣されたFBI新米捜査官のジェーンは、検死の結果、生前、何者かに暴行されたことが判明するも、直接の死因は肺出血であることから満足に捜査もできない。そこで地場に詳しいコリーに協力を求め、共に被害者の父親に会いに行く――。
監督・脚本/テイラー・シェリダン、出演/ジェレミー・レナーほか。7月27日全国公開。
 映画『ウインド・リバー』の主人公コリー(ジェレミー・レナー)は、見渡す限り真っ白な大雪原に倒れている少女の死体を発見する。コリーは、ワイオミング州ウインド・リバー先住民保留地に勤務する米国魚類野生生物局員。死んでいたのは先住民の少女で、レイプされた痕跡があった。裸足の足は凍傷で、何者かに犯され、雪の中を逃げてきたらしい。
 ウインド・リバー先住民保留地は、ワイオミング州のイエローストーン国立公園の南に実在する。鹿児島県ほどの面積に、2万6000人のアラパホ族とショショーニ族が暮らしている。
 保留地は連邦政府の管轄なので、FBI捜査官バナー(エリザベス・オルセン)が派遣される。しかし、肺の凍結が死因で、殺人ではないからFBIは手を引く。殺人は連邦法違反だが、レイプは州法違反だから。でも、州の司法は保留地には及ばない。
「実際、非先住民が先住民をレイプしても、ほとんど起訴されない」。テイラー・シェリダン監督は言う。
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http://www.premiumcyzo.com/modules/member/2018/06/post_8540/

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