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日本の南極捕鯨調査、妊娠中のクジラ122頭を捕獲・殺害

2018-06-01 | 先住民族関連
BBCnews2018年05月31日

日本が行っている新南極海鯨類科学調査計画(NEWREP-A)の「実地調査」で、妊娠中のクロミンククジラ122頭を殺していたことが明らかになった。
この調査は2017年11月から2018年3月まで行われたもので、国際捕鯨委員会(IWC)に提出された報告書(日本語版)によると、調査のために捕獲されたクロミンククジラは全部で333頭だった。
日本は捕鯨プログラムは科学目的だとしているが、国際司法裁判所(ICJ)は2014年に日本の「致命的な調査」を一時的に禁止する判決を下し、国際的にも批判を浴びている。
日本はこの判決の後に新たな捕鯨計画を発表したが、そこでは海洋生物を捕獲・分析することで南極域の海洋生態を理解することが「科学的に重要」だとしている。
今回の捕獲量は?
3度目となる今回のNEWREP-Aで捕獲されたクロミンククジラ333頭のうち、オスは152頭、メスは181頭だった。
新たな計画では捕獲量を従来の3分の1に減らし、毎年330頭前後にとどめている。
データによると、今回の調査で捕獲されたクロミンククジラのうちメス122頭が妊娠していたほか、オス61頭とメス53頭が幼体だった。
数週間の調査期間の後、調査団はたった12週間でこれらのクジラを捕獲し、日本へ帰還した。
捕獲されたクジラの肉は食用として販売される。
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日本はなぜ捕鯨を続ける?
1946年に採択された国際捕鯨取締条約では、「科学研究のためのクジラの捕殺」を認めており、日本はこれを根拠に捕鯨を行っている。
科学目的に加え、政府は捕鯨は日本古来の文化の一部だと主張している。
千葉県の沿岸部や宮城県石巻市では、古くから沿岸での捕鯨が行われてきた。また、和歌山県南東部の太地町では毎年イルカ漁が行われている。
しかし、南極海での捕鯨は第2次世界大戦後、食糧難の日本が食用肉としてクジラを求めたことから始まった。
クジラの肉はなお流通しているが、取り扱う企業は少なくなっており、現在ではほとんど食べられていない。
他に捕鯨をしている国は?
クジラとイルカの保護団体WDCによると、日本以外にも捕鯨を行っている国はある。
捕鯨産業を取り締まっているIWCは1985/86年のシーズンから捕鯨のモラトリアム(一時停止)で合意しているが、これには例外がある。
ノルウェーとアイスランドは食用目的で捕鯨を続けている。ノルウェーはモラトリアム合意を拒否し、アイスランドは一部合意にとどまっている。
このほか、グリーンランドやロシア、米国、カリブ海のセントビンセント・グレナディーンでも、先住民族の生活の一部としての捕鯨が続けられている。
しかし、南極海域で科学目的で捕鯨を続けているのは日本だけだ。
南極での捕鯨は絶滅につながる?
日本は、南極海域のクジラの生息数が健全で、捕鯨を続けられることを示すために調査を行っているとしている。
国際自然保護連合(IUCN)は、南極のクロミンククジラが絶滅の危機に瀕していると断言するにはデータが不十分だとしている。
IUCNはクロミンククジラは「明らかに何十万頭はいる」とする一方、過去50年に減少した可能性について調査している。
この減少幅によって、南極のクジラは絶滅の危険性が低い「低危険種」か、危険性が高い「絶滅危惧種」に指定される。
(英語記事 Japanese hunters kill 122 pregnant whales)
http://www.bbc.com/japanese/44311442


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ロットネスト島の旅行者用宿泊施設を閉鎖

2018-06-01 | 先住民族関連
nichigopress 2018年5月31日
元アボリジニ刑務所敷地に眠る元囚人に敬意
 WA州ロットネスト島の元アボリジニ刑務所は長らく旅行者用宿泊施設として使われてきたがこのほど閉鎖が決まった。
 ABC放送(電子版)が伝えた。
 この施設はかつて何千人という数の子供から大人までのアボリジニが収容され、またここで命を落とし、敷地に埋葬されている人々も多い。
 この決定について、ヌンガー(WA州のアボリジニの自称)の人々は民族和解と心の傷を癒やす上で重大なできごととして歓迎している。
 ロットネスト島は州都パースの沖にあり、自然の残るビーチや愛嬌のある地域固有の動物、クォッカとのセルフィーなどで観光客に人気があるが、この島が先住民族迫害の歴史が明らかにされてこなかったことが先住民族の心の傷になっている。
 5月31日、「クォド」と呼ばれる29房の刑務所跡建物は観光客に公開されなくなる。
 1838年から1904年までの間、WA州各地のアボリジニ男子が捕らわれ、この島に幽閉された。アボリジニ歴史遺産保護官のエズラ・ジェイコブズ=スミス氏は、「7歳から80歳まで4,000人ほどのアボリジニがここに閉じ込められ、建物、灯台、道路などの建設に従事させられた。当時、刑務所の管理者は島の刑務所は本土の刑務所より人道的でアボリジニに農業などの技術を教えることができると主張していたが現実はそうではなかった。刑務所はアボリジニを管理し、その抵抗を打ち破るための施設だった。当時、この島に送られた男達はそれぞれのコミュニティでリーダーだった人々だ。収容されていた人々は刑務所の劣悪な条件や赤痢、はしか、インフルエンザなどの病気で倒れていった。また、打擲も行われ、5人が絞首刑に処され、囚人は強制的に処刑に立ち会わさせられた」と語っている。
 クォドに隣接する墓地には370人の先住民族男子が埋葬されている。
 ジェイコブズ=スミス氏は、これから歴史の真相究明が始まると語っている。
■ソース
Former Aboriginal prison on Rottnest Island, the Quod, closed for tourist accommodation
http://nichigopress.jp/ausnews/entertainment/164581/

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北海道・阿寒で体験型観光 JTB出資企業

2018-06-01 | アイヌ民族関連
日本経済新聞 2018/5/31 22:00
 JTBなどが出資する阿寒アドベンチャーツーリズム(釧路市)は、阿寒地区で観光事業を始める。アイヌ民族の文化や自然体験などのツアーを12月にも始め、外国人旅行者らにも情報発信して、年間約9万人を呼び込みたい考えだ。同社は5月31日付で、道内の地銀2行や日本政策投資銀行、自治体など15団体から計4億円の出資を受けた。
 企画するツアーは昼と夜の部を設定。昼はマリモの自然生息地や白湯山自然探勝路を探索す…
[有料会員限定] この記事は会員限定です。電子版に登録すると続きをお読みいただけます。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO31216110R30C18A5L41000/

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松浦武四郎、小説に 型破りな人柄描く

2018-06-01 | アイヌ民族関連
日本経済新聞2018/5/31 10:11
 歴史小説家の河治和香さんが、北海道の名付け親とされる探検家、松浦武四郎(1818~88年)の生涯を描いた「がいなもん 松浦武四郎一代」(小学館)を執筆した。今年は蝦夷地が北海道と改称されてから150年目で、武四郎にも注目が集まっている。小説は数々の型破りなエピソードに触れており、河治さんは「今までと違う視点で、武四郎の面白さを書いてみた」と話す。

6月に出版される「がいなもん 松浦武四郎一代」と著者の河治和香さん(29日、札幌市)=共同
 「がいなもん」は武四郎の出身地、伊勢(現三重県)の方言で「途方もない、とんでもない」との意味。武四郎は、数え年16歳で中国やインドへ行くと家を飛び出し、国内を放浪。後にアイヌ民族と蝦夷地を探検し、行政にも携わった。小説では幕末の志士、文化人との交流や、古物収集に熱中する様子、自身の死に備える「終活」に没頭する姿などを描いた。
 河治さんは主に江戸時代の歴史小説を書いており、前作の取材で武四郎の故郷を訪れて着想を得た。武四郎と親しかった絵師の娘が晩年の武四郎の昔話を聞く形になっており、「近所のおじいさんの昔話を聞くつもりで、子どもにも気軽に読んでほしい」と語った。6月8日発売予定で320ページ、1836円。〔共同〕
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO31183730R30C18A5CC0000/

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縄文文化とHIPHOPを融合した女流ラッパーCOMA-CHIの新作がヤバイ!

2018-06-01 | アイヌ民族関連
祝詞ラップ、龍神、儀式…アルバム制作秘話を暴露(インタビュー)
TOCANA2018.05.30
 J-ヒップホップ業界において、知らない人はいないほどの名声と実力を誇る女流ラッパー・COMA-CHI。2006年にリリースされたインディーズアルバム『DAY BEFORE BLUE』に収録された『ミチバタ』は、いまや巷で“ヒップホップクラッシック”と讃えられる名曲だ。
 そんな彼女が、「縄文」をテーマとした5年ぶりのフルアルバム『JOMON GREEN』を発表した。新作に込めたメッセージを語ってもらうのは当然だが、あえてトカナがCOMA-CHIを大プッシュするのは深い理由がある。そう、彼女の正体はヒップホップ界隈で右に出るものがいない生粋のオカルティストであり、とてつもなくスピリチュアルな一面を持ち合わせたラッパーなのだ! 「すべてさらけ出す」というCOMA-CHI決意のインタビューを心に刻み込め!
■いまこそ注目すべきJOMONの魂
――まずは、もちろん音楽の話からお聞きします。新作『JOMON GREEN』を拝聴しました。このアルバムのテーマでもある「縄文」とはどのように出会ったのですか?
COMA-CHI  一番初めは火焔(かえん)土器の写真ですね。そのとき、自分になにかが降りてくるような、胸を掴まれるような感覚があったんです。気になっていろいろと調べてみたら「芸術は爆発だ」のセリフで知られる岡本太郎さんが初めて縄文土器をアートとして定義したことなども知り、ますます興味を持ちました。
 それから、縄文時代は1万年以上戦争がなかったこと、自然に対するリスペクトがあって共存してきたこと、母系社会で女性を中心に生活を営んでいたことなどがわかったんです。最近は「女性蔑視」や「ミソジニー」という言葉もありますが、縄文時代の考え方は正反対で、「命を生める女性がリスペクトされていた時代」でした。これは、現代に対する強烈なメッセージになるんじゃないかと思ったんです。
――では、最初に縄文というテーマを決めて曲を作っていったのですか?
COMA-CHI  そうですね。縄文時代について知れば知るほど、どんどん曲ができていった感じです。
 本州で縄文時代が終わり、弥生時代に入っても、北海道は弥生文化を受け入れず、縄文文化が続いたといわれています。実際は寒すぎて稲作ができなかったという説もあるんですけど、いずれにしても北海道では、権力者を頂点とする近代的なヒエラルキー型の社会構造ではなく、縄文的な「みんな一緒に力を合わせよう」という考え方が残っていた。北海道には続縄文時代があって、それがアイヌカルチャーにつながるんです。
 そうそう、制作中に北海道の平取町というアイヌの里に滞在してきましたが、そこで「カムイノミ」という祖霊と交信する儀式にも参加しましたよ。
――カムイ=神様を天に還す儀式ですね! アイヌ文化はサウンド面ではどのように活かされているのでしょう?
COMA-CHI  アイヌのことを曲にしようと思ったとき、まず「OKI Dub Ainu Band」のOKIさんにアイヌの民族楽器「トンコリ」の音を入れていただきたいとひらめきました。私の中ではトンコリとヒップホップビートを合わせたいと思っていたんです。
 それから、平取町への旅行の直後、THA BLUE HERB(札幌を中心として活動するヒップホップグループ)のトラックメーカー・O.N.O (オー・エヌ・オー)さんとイベントで共演させていただいて。「これはベストタイミングだ」と思って、北海道らしいサウンドにしたいとO.N.Oさんにもお願いしました。
https://www.youtube.com/watch?v=argfDSYeQsM
COMA-CHI - Cycle 「YouTube」より
――ほかにも今回、さまざまなゲストミュージシャンと一緒にアルバムを制作されていますが、特に印象に残った方は?
COMA-CHI  『JOMON GREEN』のトラック2『water (feat. Josef Leimberg)』をプロデュースしてくれたジョセフ・ラインバーグのサウンドは以前から好きでした。私のヒップホップに対する情熱を久しぶりに湧き上がらせてくれたアルバム、ケンドリック・ラマーのグラミー賞受賞作『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』 にもジョセフが参加していたんです。
 今回は本当にタイミングが良くて、とにかく話がトントン拍子に進んで、ロサンゼルスのジョセフのスタジオで一緒に曲作りをしました。でも、不思議なのは彼を初めて見たとき「龍神」という印象を持ったんですが、それを本人に伝えると、なんと「小さなころから、なぜかオレはドラゴンが好きなんだよ」と話していて……。神秘的な縁を感じましたね。
――縄文文化の話につながりますが、このアルバムからは「母性」が感じられます。それはCOMA-CHIさんも意識していたのでしょうか?
COMA-CHI  そこまで大々的に見せようという意図はありませんでした。ご指摘のように、コンセプトの「縄文」が結果として母性につながったのだと思います。もっと縄文文化の素晴らしさに気づいてほしい、自分の子どもが大きくなった時、日本と世界がより良くあってほしいという願いは込めましたね。
■大きな存在とつながっている感覚
――では、いよいよオカルト的な質問に移らせていただきます。今作をレコーディング中、不思議な出来事はありませんでしたか?
COMA-CHI  風がテーマの『fuzhin wind』という曲では、巫女でもあるMC Mystieをフィーチャーしています。彼女は大和言葉で祝詞(のりと)を唱えることができるので、それをラップにしてもらったのですが、長野の森の中でレコーディングしているとき、あり得ないタイミングで「ゴーーーッ!」と風が吹いてきたりとか、ありましたね。
――海外のヒップホップ系のアーティストはオカルトや陰謀論が好きな印象があります。
COMA-CHI  陰謀論が好きな人は本当に多いですね。ある年代の黒人ラッパーたちのマインドは「体制へのアンチ」や「アフリカ回帰」で、そこには陰謀論的な話も含まれていますから、その影響もあると思います。
――では、ご自身のオカルト&スピリチュアル遍歴をお聞きしたいと思います。
COMA-CHI  私のスピ歴ですか(笑)。子どものときから『ムー』をよく読んでいましたし、タロットカードなどで占うことが好きでした。占いの本を読むというより、自分で呪術的なことをするんですね。誰か特定の占い師にハマったことはなくて、むしろ自分から無意識とつながって表現したいという願望がありました。
――大きなものとつながっている、そんな感覚はあるんですね?
COMA-CHI  19歳頃の私は病んでいて、ある日「自殺しよう」と思って12階の手すりに脚をかけたことがありました。その時、「やめろ~」みたいな声が聞こえた気がしたんです。その体験をしてから、変な感覚が開きましたね。大きな存在からの「ここに行け」というアドバイスが始まりました。
 2009年にメジャーからリリースしたアルバム『RED NAKED』には『perfect angel』という曲があるのですが、あれも実は、恋愛の歌ではなく“天使と自分の歌”なんですよ。
――おお、これは大暴露ですね! ほかにもスピリチュアルなエピソードはありますか?
COMA-CHI  もう10年ほど前になりますが、島根でライブがあって出雲大社に行く機会がありました。その日は偶然、神様が出雲に集う神在月(旧暦10月)と呼ばれるタイミングだったのですが、そのとき出雲大社の裏にある稲佐の浜で、龍を見ました。正確には龍のような雲なのですが、ツノやヒゲ、姿形まで完全に龍にしか見えません。
 そのときは皆で「めっちゃ龍だね~」と言い合っていただけですが、後になってこの稲佐の浜に龍神が来たという伝説があることを知り「やっぱり龍はいるな」と思いました。不思議なことというのは、つながっていく感覚がありますね。
「縄文」から「龍神」へ、いよいよ盛り上がってきた女性ラッパー・COMA-CHIのオカルト体験談。次回はいよいよ、COMA-CHIの内に存在するという「火の神」、「水の神」、そして「ハイヤーセルフ」など、さらにディープな話題が赤裸々に語られる。彼女が知っているこの世の“真実”とは――!?
(取材・文=松本祐貴、写真=編集部)
※ インタビュー後編はコチラ!(5月31日16時に配信予定)http://tocana.jp/2018/05/post_17011_entry.html
COMA-CHI(こまち)
1984年、東京生まれ。ラッパー。2003年ごろから活動開始。2005年にB BOY PARK MCバトルで女性初の準優勝を飾り、注目を浴びる。2006年には1stアルバム『DAY BEFORE BLUE』をリリースし、RIP SLYMEや青山テルマとの共演も高い評価を得た。2018年3月に5年ぶりのフルアルバム『JOMON GREEN』を発売。
公式ツイッター https://twitter.com/coma_chi
公式サイト「Queen's Room」 http://www.queens-room.com/
松本祐貴(まつもと・ゆうき)
1977年、大阪府生まれ。フリー編集者&ライター。雑誌記者、出版社勤務を経て、雑誌、ムックなどに寄稿する。テーマは旅、サブカル、趣味系が多い。著書『泥酔夫婦世界一周』(オークラ出版)。
ブログ「~世界一周~旅の柄」 http://tabinogara.blogspot.jp/
http://tocana.jp/2018/05/post_16889_entry.html

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阿寒湖畔でデジタルアート 15企業・団体が3億9600万円出資

2018-06-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞06/01 08:08 更新
【阿寒湖温泉】来年夏から釧路市阿寒町阿寒湖温泉で、アイヌ民族の神話などをテーマに夜の森を光と音楽で演出する「体感型デジタルアート」計画に対し、日本航空やJTB、日本政策投資銀行など15の企業・団体が31日、事業主体の地元会社に計3億9600万円を出資した。体験型観光の事業計画や成長可能性を高く評価し、計画を後押しする。
■19年夏から、アイヌ神話演出
 出資を受けたのは、NPO法人阿寒観光協会まちづくり推進機構と地元の企業・団体が設立した「阿寒アドベンチャーツーリズム」(阿寒AT、大西雅之社長)。
 「デジタルアート」は湖畔の森の散策路を使い、日没後、音と光、森や湖面に投影した映像でアイヌ民族の神話の世界などを描く。散策路は30分から1時間で1周でき、料金は1人2千~3千円程度を想定。夏場の事業で、6~10月の期間に約9万人が訪れると見込んでいる。このほか、今年12月からは冬の事業として、凍結した湖面を歩いたり、アイヌ民族の文化を学んだりできるガイドツアーも計画している。
 阿寒ATは、観光客に阿寒湖畔での滞在時間を延ばしてもらうため、自然や文化などの地域資源を生かした新たな体験型観光事業を展開しようと、資本金400万円で今年4月に設立した。今回の追加出資は1企業・団体あたり100万~1億円で、資本金は計4億円になった。日本航空などの大手企業のほか、北洋銀行、北海道銀行、釧路信用金庫も出資。阿寒ATの大沢幸博取締役は「多くの観光客に楽しんでもらえるような事業を展開することで、地域の活性化にも貢献したい」と話している。(高橋俊樹)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/195114?rct=n_economy


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アイヌの今を知り歴史を学ぶ 北海道博物館のこだわりの展示方法に注目 3(全3回)

2018-06-01 | アイヌ民族関連
ニュースウォーカー2018/05/31 20:00

北海道の自然・文化・歴史を5つのテーマに分けて紹介している北海道博物館。アイヌ文化をより深く知るため展示方法にこだわった第2テーマ「アイヌ文化の世界」を紹介してきましたが、最後に同館がリニューアルした2015年に新たに加えられた、言葉や芸能に関するコーナーへ行ってみましょう。
アイヌ独特の音楽の世界 
映像資料の充実している「ことばを聴く」のコーナーではアイヌの踊りや音楽、口承文芸に触れることができます。大小のモニターでは歌謡、踊り、楽器、散文説話、神謡、英雄叙事詩を鑑賞することができます。
歌や踊りのプログラムでは演者の出身地や年代のバランスにも配慮。誰の演奏なのかわかるようにプロフィールも掲示されています。
アイヌの音楽において歌はとても重要なものです。踊りも、すべて歌を歌いながら踊ります。音楽が専門の同館研究主幹、甲地利恵さんはアイヌの音楽の中では「声を使うもののレパートリーが圧倒的に多いです」と話します。
アイヌの歌を聞くといつもフワリと体が浮くような不思議な浮遊感を感じますが、それはアイヌの歌唱法「ウコウク(追いかけて歌う)」の影響かもしれません。輪唱に似ていますが、輪唱が重なり合う部分のハーモニーを重視しているのに対して、ウコウクはテンポと言葉が刻むリズムだけ変えずに前の人のあとを「追いかけるように歌う」もの。同じメロディを1小節か2小節空けて歌いはじめることが多いようです。
館内にはこのウコウクの歌唱法を、歌詞を見ながら楽しめるコーナーがあります。ひとり、そして次の人…と3人のハーモニーを目で追いながら聞いていたら、全く違和感なく違う曲につながっていてびっくり! 舞台を鑑賞しながら歌を聴くのとは違う発見があります。
ただアイヌの歌詞は意味がよくわからないものも…。このコーナーで聞くことができる曲も鳥のことを歌ってはいますが、あまり内容はないようで「アイヌの歌というのは声のよさやメロディ、リズムを味わうものだったのでは」と甲地さんは言います。
その横ではアイヌの楽器、トンコリを演奏することもできます。持ってみると意外に軽く、中に入っている小さな玉(心臓、魂とされるもの)がコロンといい音をたてました。自分で演奏できるように楽譜も用意されています。5本の弦と音符に番号が振られているので、譜面が読めなくても問題なし。短い一曲を奏で終わるとアイヌ音楽の世界に近づいた気がします。
通常博物館ではトンコリに触れられる機会はありませんが「アイヌの音楽をフィジカルに感じてほしい」という思いから、コーナーを設けたと甲地さんは言います。自分の肩で支えながら演奏するので、まさに体で音楽を感じることができます。ちなみにトンコリは、歌い手の声に合わせて弦を調整したとか。カラオケのキー設定みたい!
アイヌの楽器では、竹製のムックリ(口琴)も知られています。「竹のムックリは一種のリサイクル品でもあったようです」。というと…?「北海道では竹が取れないですよね」。あ、そうですね。「交易で手に入れた竹製品の廃材を使って作ったようです。それ以前は北海道で採れるネマガリダケなどで作ったとも言われています」。音は竹製のほうが良いようです。
口琴は世界各地の民族が使用している楽器で、同館ではサハリン(樺太)のアイヌの金属製のものも見ることができます。
アイヌの楽器というと代表的なものはこのムックリとトンコリですが「じつはほかのものもあったようなんです」と甲地さん。同館に展示されている「北海道」の名付け親として知られる松浦武四郎が残した絵に、その証がありました。ムックリとトンコリのほか、現在ほとんど知られていないラッパ状のものと太鼓が描かれています。
「ラッパ状のものはどうやって演奏したのかもわかりません。太鼓はサハリンのアイヌの儀礼で使われたと言われています」。
こうして自分で演奏したり音楽に関する展示を見た後でアイヌ音楽をもう一度味わいたくなったら、ぜひ小さいモニターの方へ。短いプログラムでも4分、じっくり見るプログラムは約20分とたっぷり鑑賞できます。
アイヌ語にリアルに「触れる」経験を
小さいモニターにはアイヌ語の物語をデジタル絵本やアニメーションにしたものもあり、そちらもおすすめです。物語の世界に入りやすく、字幕も「なし(アイヌ語の音声だけ)」、「日本語の字幕付き」など選べます。斬新なのがセリフやテロップをとことん少なくしたアニメーション! 多くの人がアイヌの世界観に触れられるように、と小さな子どもでも日本語がわからなくても、ある程度理解できるように工夫されています。
逆にカラオケのようにアイヌ語の音声に合わせて日本語の字幕が進んでいくテロップはアイヌ語の勉強に有効かもしれませんね。そう言うと、同館で言語の分野を担当する田村雅史さんは「アイヌ語に親しむなら、まずこのコーナーへどうぞ」とモニターと背中合わせのコーナーへ。「言葉は形にするのが難しいのですが、これから楽しんでもらえると思います」と示したのは、アイヌ語が書かれたブロック。
ブロックに書かれた言葉を選び、台のシールの色と合わせて並べれば文章のできあがり。アイヌ語には日本語にない「人称接辞」という文法上のルールがありますが、その部分は「子どもたちが好きな赤にしてみました」と心憎い配慮も。もちろん、そのようなルールを知らずとも文章は作れます。
「ケシト(毎日)」「カルシ(きのこ)」「エチ(あなたたちを)」「ミナレ(笑わせる)」なんて、毒キノコ食べちゃった?的なおもしろい文章を作ってSNSに投稿する人もいます。コーナーでは、子音で終わるアイヌ語独特の発音についてもわかりやすく説明されています。が、田村さんは「まずはアイヌ語をひとつでも覚えて帰ってもらえれば。発音はそれからで」と話します。ブロックでは1296通りの文章が作れます。ぜひおもしろい文章を作ってみて。
北海道の地名からアイヌ語を知る、という方法もあります。2階にある第3テーマの一画には北海道の地名に関するうんちくを見られるモニターが設置されています。その中でアイヌ語に由来する地名10個を紹介。例えば登別はアイヌ語のヌプルペッに由来しており、その意味は色の濃い川。そして本当に色の濃い川があるのかどうか確認しに行った人のエピソードまで紹介されており、へぇの連発です。
アイヌ語・口承文芸の研究は研究者たちによって着手され、何より自分たちの言葉を大切にしたいと考えたアイヌの人たちの協力や取り組みがあって、記録と保存に向けた道のりを歩んできました。アイヌ語の調査と記録に尽力したとされる言語学者の金田一京助氏やアイヌとしてアイヌ語を調査・記録した萱野茂氏らの足跡に触れたコーナーもあります。
どの言語もそうですが、これまで触れたことのないことばは敷居が高いもの。だからこそ「楽しいと思うきっかけをどこに置くかに気を配っている」と話す田村さん。ことばに限らず、第2テーマ「アイヌ文化の世界」全体がその配慮に満ちています。毎日14時からは展示の見どころを紹介するハイライトツアー(参加無料。予約不要。先着20名)もあり。展示物以外のちょっとしたパネルにも意味があるかもしれません。ぜひ「これは何?」「あれは何?」と博物館の隅々まで見てください。 
※文中のウコウクの「ク」、ケシトの「シ」、カルシの「シ」、ヌプルペッの「ル」はアイヌ語表記では小文字になります。
北海道博物館 ■住所:札幌市厚別区厚別町小野幌53-2 ■電話:011・898・0466 ■時間:9:30~17:00(10~4月は16:30閉館。最終入館はともに閉館時間の30分前まで) ■料金:大人600円 大学生・高校生300円(高校生は土曜、こどもの日、文化の日は無料) ■休み:月曜(休日の場合は直後の平日) ほか臨時休館あり 市村雅代
https://news.walkerplus.com/article/137633/

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アイヌ遺骨返還 旭川協、北大と和解 先祖の霊 慰められる

2018-06-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞05/30 09:33 更新
 旭川アイヌ協議会(川村兼一会長)が北大に対し、アイヌ民族の遺骨の返還を求めた訴訟は29日、旭川地裁で和解が成立し、遺骨3体が先祖供養の儀式を行う6月24日までに、同協議会へ返還されることが決まった。旭川市内で会見した川村会長は「これで先祖の霊を弔うことができる。地元に埋葬できてうれしい」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。
 合意した和解条項によると、返還されるのは2013年の北大の調査で保管されていることが分かった遺骨2体に、訴訟中に新たに判明した1体を加えた計3体。遺骨に付随する漆椀(うるしわん)や小刀などの副葬品5点と部分的に残された遺骨も、市内で行われる先祖供養の儀式までに返されることになった。
 会見で原告側代理人の畑地雅之弁護士は慰謝料と謝罪の請求を放棄したことについて「早期の遺骨返還を優先した」と説明。川村会長は「これで土にかえり、神の国に送ることができる」と喜びを語る一方、「北大から、遺骨返還訴訟の前例に沿った和解内容しか引き出せなかった」とも述べた。
 同協議会は今後、1985年に返還された遺骨5体のうち、明かされていない1体の氏名公表と、今回返還される遺骨に付属していたとの記録が残る副葬品のガラス玉の返還を求めて北大と協議を続ける方針。札幌など道内各地で北大に遺骨返還を求める動きがあることから、同協議会は「できる限り支援してゆきたい」としている。(山村晋)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/194395

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アイヌ遺骨3体返還へ 旭川の協議会、北大と和解

2018-06-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞 05/30 05:00
 【旭川】北大が研究目的で保管するアイヌ民族の遺骨2体の返還に応じないとして、旭川アイヌ協議会(川村兼一会長)が遺骨の返還と慰謝料の支払いを求めた訴訟は29日、旭川地裁(湯川克彦裁判長)で和解が成立した。北大は訴訟を通じて新たに判明した別の1体を加えた計3体の遺骨などを返還する一方、協議会は慰謝料と謝罪について請求を放棄した。
 北大が司法手続きにより遺骨返還に応じるのは4例目。和解後、旭川市内で会見した川村会長は「研究の材料にされていた先祖をようやく故郷の土に返せる。うれしい」と述べた。北大は北海道新聞の取材に「和解についてのコメントは差し控えたい」と答えた。
 原告側代理人によると、北大は3体の遺骨のほか、部分遺骨や副葬品を返還し、搬送や埋葬の費用51万円を負担する。6月24日に旭川市内の墓地で催される先祖供養の儀式に合わせて返還する。
 訴状などによると、北海道ウタリ協会(現北海道アイヌ協会)旭川支部などが1985年、旭川市周辺から持ち出された遺骨の返還を北大に要求。5体が返還されたが、2013年に大学側の調査で遺骨2体と副葬品が残っていることが判明した。旭川アイヌ協議会は返還を求めたが話し合いが進まず、昨年7月に提訴していた。(山村晋)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/194305

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アイヌ工芸の今昔に触れる 平取町二風谷の匠の道へ(後編)

2018-06-01 | アイヌ民族関連
ニュースウォーカー 2018/05/30 15:00

北海道・平取町にある二風谷。場所が奥まっていること、また文化を伝える神であるオキクルミカムイが沙流(さる)川に降り立ったという伝説からも、アイヌ文化の神秘性を今に伝える土地柄と言えます。「萱野茂二風谷アイヌ資料館」と「沙流川歴史館」を結ぶ「匠の道」では職人との触れ合いを通じて、その魅力の一端に触れることができます。匠の道をぶらりと歩いてみたの後編です。
国道237号から、二風谷湖方面に見えるアイヌの伝統的なチセ(家)群の中に工芸のチセが2棟。5月~10月まで二風谷民芸組合の工芸家が木彫りや刺繍などを行っており、無料で見学可能(10:00~12:00と13:00~16:00)です。さっそく一番近くのチセに入ってみると、民族衣装の刺繍の作業中でした。
刺繍の様子を見ていると「着てみる?」と勧めてくれます。遠慮なく横にあった完成品とマタンプシ(はちまき)を身に付けてみると我ながらなかなか似合っているではないか。「そう、アイヌの服はね、誰にでも似合うようにできているのよ」と言われ記念にパチリ。
お礼を言い、平取町立二風谷アイヌ文化博物館を目指してチセの間の道を歩いていると、敷地内に植えられている木にこんな説明書きが。
敷地内には約100種の木がありますが、アイヌの人たちがどうやってそれらを生活の中で役立てていたのかがわかります。
そうしてたどり着いた平取町立二風谷アイヌ文化博物館。ちょっと変わった外観は大きな木の洞を表現したもの。その下に宝=アイヌの民具があるというイメージだそう。
約半世紀をかけてアイヌ民具を集め続けた故・萱野茂さんが収集したものを中心に、「アイヌ」(人々の暮らし)、「カムイ」(神々のロマン)、「モシリ」(大地のめぐみ)、「モレウ」(造形の伝統)の4つにテーマを分け展示しています。匠の道で名前を見かけた工芸家の作品も展示されており、アイヌの文化が過去だけのものではなく、現代にも息づいていることがわかります。
町民は無料で入館でき、地元の子どもたちが熊を仕留める仕掛け罠の展示で遊んでいたのが印象的でした。
博物館の向かいにある二風谷工芸館はミュージアムショップのような役割も兼ねており、工房をもたない職人さんの作品にも出会えます。伝統的工芸品に指定されている二風谷イタや二風谷アットウシなど、伝統の技術を取り入れたおみやげにぴったりな商品が多数そろっています。値段も数百円と手ごろなものから10万円以上するものまでさまざま。
アットウシをアレンジした名刺入れ(5400円)やくるみボタン(1296円)は日常生活でも使いやすそう。
ノリウツギの木で作られたチシポ(針入れ)風の携帯ストラップ(5400円)は小指の先ほどの大きさなのに、この精巧な彫り!
おみやげもゲットできたところで、最後に二風谷湖へ。対岸に見える森は、オヒョウなどアイヌ民族の暮らしに欠かせない木々が植えられたイオル(伝統的生活空間)の森です。アイヌ民族に必要な自然物を手に入れられるようにしようというイオル再生事業は平取町で9年前から始まっています。
二風谷はアイヌ語で「木の生い茂るところ」を意味する「ニプタイ」を由来とする説があり、濃い緑を見ていると、その名前が本当にしっくりきます。豊かな自然を糧にして生まれたアイヌの工芸品の数々。芸術性の高さについ目が行ってしまいますが、職人さんと話してみると、作品に親しみがわき、日常的に使う民具としての側面をより感じるようになりました。普通に歩けば5分強で通り過ぎてしまう450mにアイヌ文化の魅力がギュッと詰まっています。
※文中のオキクルミカムイの「ル」、マタンプシの「シ」、アットウシの「ウシ」、チシポの「シ」はアイヌ語表記では小文字となります。
平取町立二風谷アイヌ文化博物館 ■住所:平取町二風谷55 ■電話:01457・2・2892 ■時間:9:00~16:30 ■料金:高校生以上400円 小・中学生150円 ■休み:4/16~11/15はなし。11/16~12/15、1/16~4/15は月曜、12/16~1/15は休館 
二風谷工芸館 ■住所:平取町二風谷61-6 ■電話:01457・2・3299 ■時間:9:00~17:00 ■休み:12/30~1/5
市村雅代
https://news.walkerplus.com/article/138861/

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アイヌ工芸の今昔に触れる 平取町二風谷の匠の道へ(前編)

2018-06-01 | アイヌ民族関連
ニュースウォーカー 2018年5月30日 11時0分
北海道・平取町は新千歳空港から車で1時間ほどの距離にあり、沙流(さる)川沿いの豊かな自然を背景にアイヌの人々が数多く暮らしている地域です。中でも二風谷エリアは「二風谷イタ(お盆)」と「二風谷アットウシ(樹皮から作った糸を使った織物)」が、北海道で初めて伝統的工芸品に指定されるなどアイヌ工芸のさかんな地域。その二風谷の工芸品を満喫できる「匠の道」へ行ってきました。
匠の道は「萱野茂二風谷アイヌ資料館」と町内の遺跡で発掘されたものなどを展示する「沙流川歴史館」に挟まれた約450m。4軒の工房と、木彫りや刺繍をしている様子を見ることができるアイヌの伝統的家屋、そして二風谷民芸組合の工芸家の作品を購入できる場所もあります。
まずは匠の道の一番山側にある萱野茂二風谷アイヌ資料館へ。二風谷出身の故・萱野茂さんは1950年ころから約半世紀をかけてアイヌ民具を集め、アイヌ語を残すため年配の人の元を訪れ伝承されてきた物語などをテープに録音していきました。萱野さんの収集した初期のものは平取町立二風谷アイヌ文化博物館で展示されています。
資料館には、それ以降の収集品と萱野さん自身が再現した民具を展示しています。茂さん自身が交渉して購入したものばかりなので、ほとんどのものがどこの誰が使用していたものか来歴がわかっています。
庭には茂さんの遊び心から作られた、こんな撮影スポットもあります。
資料館を出て坂を下ると右手に高野民芸と藤谷(ふじや)民芸店が見えてきます。まずは手前の高野民芸へ。店主であり木彫の職人である高野繁廣さんは東京都生まれ。旅の途中で二風谷に立ち寄り、このままではアイヌ民具がなくなってしまう、この技術を次の世代に伝えなければ!と、22歳から本格的に木彫りのアイヌ民具を作りはじめました。アイヌの楽器、トンコリを二風谷で作れるのは高野さんだけです。
ちなみにお店で人気がある商品はマキリ(小刀)とメノコイタ(まな板とお皿が一体化したアイヌの便利グッズ)。「メノコイタはパンをテーブルで切ってそのまま盛り付けて出せるので便利ですよ」と同じく東京都出身でいまは木の皮を材料とする編み物などアイヌ女性の手仕事の職人として活躍している妻の啓子さんが普段使いのバリエーションを教えてくれました。
美しくかつ実用性が高いなんて! でもさぞやお値段が張るのでは…と恐る恐る値段を聞いてみると、サイズにもよりますが8000円から。うん、手の届かないほどでもないかも。というか、ていねいな仕事ぶりを考えると相当安いのでは…。ちなみにマキリ(写真)は7万5600円で女性用の小ぶりなメノコマキリは5万4000円だそう。
「何年も考えてから買う方もいるので、値段をあげられなくて…」と啓子さん。現在は、各商品ともに完成待ちの状態となっており、希望のものが手に入るまでは少し時間がかかりそう。ですが、高野さん夫妻とアイヌの民具を自分の生活でどうやって生かすか相談しながら注文するのも楽しいひと時かもしれません。
すぐお隣の藤谷民芸店はアットウシ職人、藤谷るみ子さんのお店。この日は刺繍の作業を進めていました。その精緻で揃っていることと言ったら。本当にきれいで、思わずため息。「だってこれでお金もらってるんだもん」と笑いますが、さすがです。
アイヌ文様を刺繍することが布の強度につながっていることやモレウノカ(渦巻きの形)やアイウシノカ(トゲの形)などの伝統文様を組み合わせるといくらでもオリジナリティが出せること。とにかく織物と刺繍が好きという藤谷さんが、奥深いアットウシの世界を楽しそうに教えてくれます。時間があれば糸つみ(オヒョウの内皮を割いてひも状にする)体験とコースターにアイヌ刺繍を施す体験(各2000円)にトライするのにっ!と後ろ髪を引かれる思いで店を後に…。
(後編に続く)
※文中のアットウシの「ウシ」、アイウシノカの「シ」はアイヌ語表記では小文字になります。
萱野茂二風谷アイヌ資料館 ■住所:平取町二風谷79-4 ■電話:01457・2・3215 ■時間:9:00~17:00 ■料金:高校生以上400円 中学生以下150円 乳幼児無料 ■休み:なし
高野民芸 ■住所:平取町二風谷 ■電話:01457・2・3397/01457・2・3585 ■時間:9:00~17:00 ■休み:不定休
藤谷民芸店 ■住所:平取町二風谷 ■電話:01457・2・3408(店舗には電話なし。連絡はこの番号へ) ■時間:9:00~17:00ころ ■休み:不定休(11~4月は要事前連絡) (北海道ウォーカー・市村雅代)
https://news.infoseek.co.jp/article/walkerplus_138802/

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アイヌ民族への債権 札幌市が257万円放棄 住宅資金貸付、時効成立

2018-06-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞05/30 05:00
 札幌市は29日、市内在住のアイヌ民族向けの住宅の建築資金貸付制度で、返済が滞っている男性1人分の債権約257万円を放棄することを明らかにした。市が抵当権の有無の確認を怠り、連帯保証人への請求も行わず、時効が成立した。
 男性は1998年に手稲区の自宅の改修費用として市から430万円を借りた。自宅は2002年に競売で売られたが、男性が抵当権を登記しておらず、市は配当を得られなかった。融資当時、市は登記されたかを確認していなかった。
 市は男性の連帯保証人2人への返済も求めたことがなく、今年に入っていずれも破産していたことが分かった。男性は資金を借りてから約2年で約66万円を返したが、その後は督促に応じていない。市は近く、時効成立前の約174万円の返済を求めて男性を訴える。(十亀敬介)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/194304

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ほっこり北の屋台のアジア料理店で味わう、アイヌ料理の数々

2018-06-01 | アイヌ民族関連
ニュースウォーカー2018/05/29 15:00
アイヌ語で「小さな家」という意味の名前を持つお店が帯広市の北の屋台にあります。インドネシアに住んでいたという経験を生かしたアジア料理の中に、店主のおふくろの味・アイヌ料理も並びます。2017年の春に北の屋台に仲間入りした「ポンチセ」。インドネシア料理をはじめ、中華などアジア各国のテイストを盛り込んだ料理を食べられます。その中のひとつがアイヌ料理。アイヌ料理をはじめて食べる、少しだけ食べてみたい、という人もぴったりです。
屋台のお店を開くのが夢だったと話す店主の豊川純子さん。時期はもう少し先で、と考えていましたが出店の話がトントン拍子で進み、また同時期に大病を患ったこともあり、夢を先延ばしにせず実現することにしました。
定番メニューにあるアイヌ料理はチポロイモ(480円)、シケレペの実入りかぼちゃ団子(2つで480円)、そしてポネオハウ(580円)です。チポロイモはマッシュポテトにイクラをのせたもの。
かぼちゃ団子に入っているシケレペの和名はキハダ。柑橘系のさわやかな香りがかぼちゃの甘みを引き立てます。
シケレペの実とかぼちゃは好相性で、アイヌ料理ではほかにもバリエーションあり
オハウは最も定番的なアイヌ料理の汁物で、一般的にはサケを入れます。が、ポンチセで出している「ポネオハウ」は豚骨を使ったもの。十勝地域のアイヌならではメニューです。「だいぶ近年になってからのことだとは思いますが、近くに食肉加工場があったので、そこの肉を工夫して食べていたようです」と豊川さん。
幼馴染の間では「骨のおつゆ」と呼んでいたというこのオハウ。豚骨を砕いて煮込んでいるので、それはもう旨みがたーっぷり! 肉は骨についているので、お箸では隅々まで食べられません。骨を手に持って手と口をべたべたにさせながらいただきます……が、これがうまい! メニューを考える時に、豊川さんは「こんな『ワイルド』な料理、出して大丈夫かな。出すにしても友達だけに出す裏メニューにするか?」と悩んでいたそう。それがアイヌ料理の中では一番人気に。いまでは十勝らしいこのメニューをお店で出せてよかった、と思っていると話します。
ほか、アイヌの代表的な保存食のムニニイモ(500円)も要予約で食べることができます。凍結と解凍を繰り返し発酵させたジャガイモを粉にして作ったお団子で、香ばしいような独特の香りが特徴。表面はカリッと、なかはモチッとした食感です。ほか、八列コーンのスープや、エハという豊川さん自身が大好きだというツル性植物の豆ごはんなど、食材が手に入った時にだけ食べられるものもあります。
いずれも豊川さんが小さい頃から食べてきたものですが、当初はアイヌの料理を出す予定ではなかったそう。「自分からアイヌの血を引いていることを話したことはなかったので、その料理を出すのに抵抗があったんです」と話します。しかし、アイヌの若い世代がアイヌの歌や踊りを披露して多くの人に楽しんでもらっている様子を見て考えを変えたと話します。「アイヌのものに興味を持ってもらえる時代がくるなんて思っていませんでした」。
定員9名のお店は、満席になったら隣の人と肩を寄せ合って座るほど。ポンチセ=小さなお家という店名はこの広さを表しただけでなく、誰もが帰って来られるアットホームなお店にしたいという願いを込めてつけたそう。アイヌ料理を食べて「懐かしい」と言う外国人観光客もいるとか。小さいお家で食べるアイヌの母の味がそう感じさせているのかもしれません。
亜細亜食堂ポンチセ ■住所:帯広市西1条南10丁目7番地北の屋台 ■電話:080・6077・3763 ■時間18:00~24:00(L.O.23:30) ■休み:水曜 ■座席:9席(喫煙可)
市村雅代
https://news.walkerplus.com/article/137451/

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アイヌ遺骨返還で和解 旭川の協議会と北大 保管3体、副葬品

2018-06-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞05/29 17:09
 【旭川】北大が研究目的で保管するアイヌ民族の遺骨2体の返還に応じないとして、旭川アイヌ協議会(川村兼一会長)が遺骨の返還と慰謝料の支払いを求めた訴訟は29日、旭川地裁(湯川克彦裁判長)で和解が成立した。司法手続きによる遺骨の返還は4例目。
 原告側代理人によると、北大側が、訴訟を通じて保管が新たに判明した別の1体を加えた計3体のほか、部分遺骨や副葬品を返還し、搬送や埋葬の費用51万円も負担する内容。6月24日に旭川市内の墓地で催される先祖供養の儀式に合わせて返還する。協議会側は、慰謝料と謝罪について請求を放棄した。
 訴状などによると、北海道ウタリ協会(現北海道アイヌ協会)旭川支部などが1985年、旭川市周辺から持ち出された遺骨の返還を北大に要求。5体が返還されたが、2013年に大学側の調査で遺骨2体と副葬品が残っていることが判明。協議会側は返還を求めたが話し合いが進まず、昨年7月に提訴していた。(山村晋)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/194167

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アイヌの織物、アットウシに 50年以上携わる職人の工房へ

2018-06-01 | アイヌ民族関連
ニュースウォーカー 2018/05/29 11:00
2013年に北海道初の伝統的工芸品のひとつに指定された平取町の二風谷アットウシ。母親から娘へと技術が伝えられてきた、樹皮を使ったアイヌの織物です。二風谷で50年以上アットウシに携わってきた藤谷(ふじや)るみ子さんもそのひとり。工房におじゃまして、二風谷でのアットウシ作りについてお聞きしました。
藤谷さんがアットウシを本格的に織りはじめたのは中学卒業後。「当時はどこの家でもアットウシを織っていたの。織らない家の方が少なかったくらい」という時代で、体の弱かった母親に代わって織るようになったことがきっかけでした。
その頃は観光ブームだったこともあり、アットウシは着物のためではなく、土産物の材料としての需要が主。藤谷さんもひたすら反物を作って納品していました。そのためあまり仕事におもしろみを感じていなかったそう。また、ひとりで家で行う作業よりも「みんなで笑って過ごしてお金がもらえるのがうらやましかった」と、あえて夏の間だけアルバイトに行った時期もありました。
そんな藤谷さんにぴったりの場が与えられたのは1982年。二風谷にある萱野茂二風谷アイヌ資料館の敷地内にあった伝統的家屋でアットウシの実演販売をすることに。「最初はお客さんの対応にとても苦労しました」と話しますが、夫で木彫師の憲幸さんと一緒に、お客さんと話をしながら商品を作って売るというのは、現在の藤谷さんの仕事のスタイルのベースにもなりました。
同じころ、萱野さんの妻、れい子さんからアイヌ文様の刺繍と着物の作り方を教えてもらったことも大きな転機となりました。「アットウシを好きになったのは、織るだけじゃなくて刺繍も制作もすべて自分でするようになってから。この時、織るのもやっててよかったと思ったの」。
残念ながら、そのチセは2012年に漏電により焼失。チセに置いてあった作品もすべて失ってしまいましたが、何よりも自分の居場所がなくなったことがショックだったそう。翌年、藤谷さんはお客さんと触れ合える場所を、と現在の藤谷民芸店を開きます。開業後は展示する作品も少なく、3年目にようやく今の形になりました。
お店には、藤谷さんがオヒョウをはいで糸にするまでを示したパネルや、草木染にしたオヒョウが並び、ちょっとしたアットウシギャラリーに。
着物は、アットウシや藤谷さんが個人的に好きだというチカラカラペ(木綿生地に黒や紺色の帯状の布を乗せその上から刺繍をしたもの)まで様々な作品があります。
アットウシアミプ(アットウシで作った着物)はいずれも高額ですが、アットウシにちょっと触れてみたいという人にはしおり(500円)など気軽なお土産が人気です。藤谷さんに教えてもらいながら、コースターにアイヌ刺繍をしたり、好きな色の樹皮を選んで糸にする糸つみ体験(各2000円)をするのも、アイヌの文化を育んできた二風谷ならではのひとときになりそうです。
藤谷民芸店 ■住所:平取町二風谷 ■電話:01457・2・3408(店舗には電話なし。連絡はこの番号へ) ■時間:9:00~17:00ころ ■休み:不定休(11~4月は要事前連絡) 
※文中のアットウシの「ウシ」、チカラカラペの「ラ」、アミプの「プ」は実際のアイヌ語表記では小文字となります。
市村雅代
https://news.walkerplus.com/article/137634/

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