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北海道の“名づけ親”松浦武四郎 札幌で30日から特別展 道内初公開の「宝物」も(動画)

2018-06-29 | アイヌ民族関連
HBC 6/28(木) 19:32配信

北海道の名づけ親と呼ばれる松浦武四郎。生誕200年と北海道命名150年を記念した特別展が、30日から札幌で始まります。道内初公開の「宝物」も準備されています。
幕末に6回、北海道を訪れた松浦武四郎。アイヌ民族の生活を記録し北海道の開拓に力を尽くした足跡をたどる展示会が、札幌市厚別区の北海道博物館で始まります。
「松浦武四郎が北海道の地名を提案し、政府が作成したのがこちらの地図です」(記者)
地図は東京に近い函館が上になっていて、樺太や千島列島まで描かれています。ほかにも、道内を調査した際の紀行文なども展示されています。
こちらは1枚だけ残されている肖像写真です。特徴的な首飾りも映っています。この首飾りは東京の美術館に収蔵されていますが、今回、道内で初めて公開されます。
弥生時代の水晶や古墳時代の勾玉などで作られています。
松浦武四郎は北海道以外にも旅をして、骨董品のコレクターとしての顔も持ち合わせていました。
「古い日本を物語るものを残したい、古い日本を探りたいという思いも収集の背景に」(北海道博物館・三浦泰之学芸主幹)
幕末から明治にかけて各地を旅した記録のプロジェクションマッピングなど、子どもも楽しめるコーナーもあります。
松浦武四郎の71年の生涯とアイヌ民族との交流を紹介する特別展は、30日から8月26日まで北海道博物館で開かれます。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180628-00000011-hbcv-hok

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北海道命名150年…旅の巨人を知る特別展

2018-06-29 | アイヌ民族関連
HTB NEWS 2018/06/28(木) 19:24 掲載
 北海道命名150年の今年、北海道博物館で特別展示が始まります。北海道の名付け親といわれ、旅の巨人とも称される松浦武四郎の生涯とは…。
 幕末から、明治維新にかけ日本中を旅してまわった松浦武四郎。中でも北海道はその生涯で6回にわたり、旅をしたことで知られています。日誌や北海道で見たことや聞いたことを本にして出版。アイヌの人たちの文化や風習、和人による迫害などを書き残しました。旅の巨人と言われるほど旅を愛した一方で、武四郎は興味を持ったものは集めてしまうコレクターだったと言われています。今回の展示、注目のひとつは武四郎の唯一の肖像写真に映る大きな首飾りも展示されます。この首飾り、古代日本の儀式の時の装身具をイメージして作られているといわれています。他にも幕末から明治初期に当代きっての「蝦夷通」として知られた武四郎の活躍や晩年の旅の様子など、およそ300点の展示品を見ることができます。北海道博物館の特別展、幕末を生きた旅の巨人松浦武四郎は、30日土曜日から開催です。
https://www.htb.co.jp/news/archives_1713.html

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アイヌ文様描き白老アピール 萩野小で「世界一大きな絵」作り

2018-06-29 | アイヌ民族関連
北海道新聞 06/28 05:00

 【白老】町立萩野小(手塚敏校長)で26、27の両日、「世界一大きな絵」をつくる授業が行われ、5、6年生の児童約40人が5メートル四方の布にアイヌ民族の伝統衣装をイメージした絵を完成させた。
 2020年東京五輪・パラリンピックに向け、世界中の子どもたちが描いた絵をつなげて1枚にするプロジェクトで、NPO法人「アース・アイデンティティー・プロジェクツ」(東京)が企画。道内では約140市町村が参加している。
残り:139文字/全文:342文字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/203511/

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松本潤、NHKドラマ主演!探検家・松浦武四郎役で深田恭子と共演

2018-06-29 | アイヌ民族関連
シネマトウデイ 6/28(木) 21:21配信
 嵐の松本潤が、北海道誕生の歴史を描くNHKドラマ「永遠のニシパ~北海道と名付けた男 松浦武四郎~」(2019年春放送)で、探検家にして地理学者、ルポライターの松浦武四郎を演じる。明治2年に松浦が蝦夷地と呼ばれていた地を「北海道」と命名してから150年目を迎える今年。松本は「この作品を通してアイヌの人々の文化、北海道の歴史を視聴者の皆様に感じていただけたら嬉しいです。僕にとって、とても大きな挑戦になると思います」と意気込みを語っている。
 ペリーの黒船来航、ロシアの国境画定要求など江戸幕府が海外列強から開国を迫られるなか、ロシアから蝦夷地を守るため、武四郎がアイヌの人々と交流しながら蝦夷地を探査するさまが描かれる。武四郎に魅せられるアイヌの女性リセ役に深田恭子。松本と深田は、1998年公開の映画『新宿少年探偵団』などで共演している。
 脚本に連続テレビ小説「ふたりっ子」(1996~1997)、「セカンドバージン」(2010)などの大石静、演出に「返還交渉人 ーいつか、沖縄を取り戻すー」(2017)、「やけに弁の立つ弁護士が学校でほえる」(2018)などの柳川強。NHKドラマを手掛けてきた2人がコンビを組む。
 松浦は、三重県松阪市出身。28歳から41歳にかけて6回にわたって蝦夷地を探査し、初めての詳細な地図を刊行。明治維新の際には、新政府による北海道の11国86群の設定に関わり、アイヌの人々の暮らしや文化を紹介する多くの記録を残した。
 北海道150周年記念ドラマ「永遠のニシパ~北海道と名付けた男 松浦武四郎~」は、今年8月北海道内各地で撮影。2019年春、NHK総合テレビ北海道で先行放送の後、全国放送。BS4Kでも放送予定。(編集部・石井百合子)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180628-00000026-flix-movi

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松本潤が北海道と名付けた探検家役でNHKドラマ出演、深田恭子はアイヌの女性役

2018-06-29 | アイヌ民族関連
映画ナタリー2018年6月28日 22:09

松本潤と深田恭子が出演する「北海道150年記念ドラマ『永遠のニシパ~北海道と名付けた男 松浦武四郎~』」が2019年春にNHK総合で放送される。
本作の主人公は、かつて蝦夷地と呼ばれていた北の大地を1869年に「北海道」と命名した松浦武四郎。幕末の探検家にして地理学者やルポライターとしても大きな業績を残した彼の知られざる格闘の人生が、「セカンドバージン」の大石静によるオリジナル脚本で4Kドラマ化される。演出はドラマ「やけに弁の立つ弁護士が学校でほえる」の柳川強が担当。
深田恭子
武四郎役には松本、クマに襲われた武四郎を兄が助けたことから数日間一緒に過ごすこととなるアイヌの女性・リセ役に深田がキャスティングされた。松本は「僕にとって、とても大きな挑戦になると思います。大石静さんの力強い脚本を表現できるよう、しっかり準備をし、心をこめて松浦武四郎を演じたいと思います」と意気込んでいる。
本作は北海道で先行放送ののちに全国放送され、NHK BS4Kでも放送予定。8月より北海道内各地で撮影が行われる。
https://natalie.mu/eiga/news/288894

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嵐松本潤がNHKドラマ主演!探検家の松浦武四郎役

2018-06-29 | アイヌ民族関連
日刊スポーツ[2018年6月28日18時19分]
 嵐の松本潤(34)が、来春放送予定のNHKスペシャルドラマ「永遠のニシパ~北海道と名付けた男 松浦武四郎~」(北海道で先行放送後、全国放送)で主演し、幕末の探検家、松浦武四郎を演じることが28日、分かった。歴史上の人物を演じるのは初めてとなる。
 同作も1869年に「北海道」と命名されてから150年の節目を記念したドラマ。幕末を舞台に、蝦夷地をロシアから守らなければならないと決意した松浦は、蝦夷地を探査する。アイヌの人々の優しさに触れる一方で、松前藩のアイヌへの搾取略奪の場を目の当たりにする。厳しい実態を告発すると、松前藩から命を狙われてしまうが、幕府から雇われて再び蝦夷地を探査することになる。松浦が蝦夷地で出会うアイヌの女性リセを深田恭子(35)が演じる。
 主演決定を受けて松本は「150年という節目のタイミングで、このような意義のある作品に参加させていただける事を光栄に思います。この作品を通して、アイヌの人々の文化、北海道の歴史を視聴者の皆様に感じていただけれたらうれしいです」と喜んだ。今年8月から、北海道の各地などで収録予定。「僕にとって、とても大きな挑戦になると思います。大石静さんの力強い脚本を表現できるよう、しっかり準備をし、心をこめて松浦武四郎さんを演じたいです」と意気込んでいる。
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201806280000686.html

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<第6部 フェリーターミナルかいわい>1 10年ぶりの明かり 室蘭港の歴史

2018-06-29 | アイヌ民族関連
北海道新聞 06/28 09:43
■アイヌ民族との交易拠点 石炭→旅客運ぶ海路の要
 絵鞆半島に抱かれた波穏やかな天然の良港、室蘭港。港としての姿を見せ始めたのは、約410年前の江戸時代初期とされる。松前藩が、現在の絵鞆町辺りにアイヌ民族と交易するための拠点「絵鞆場所」を設け、船で行き来したという。
 歴史上の「開港」は1872年(明治5年)、明治政府が現在の海岸町3丁目の入り江に仮桟橋を築いた。当時この辺りはトキカラモイと呼ばれていた。
 国の北海道開拓の一大事業、札幌本道(函館―札幌)は、この桟橋を起点に、札幌側へ開削工事が進められた。渡島管内森町と定期航路で結ばれ、道南や本州から来る人やモノを海路から陸路へつなぐ結節点となった。
 港マチ室蘭の一層のにぎわいは、石炭の積み出し港として発展してから。
 92年(同25年)に産炭地の岩見沢と室蘭を結ぶ鉄道が敷かれた。1900年代に入り、石炭を原料に使う日本製鋼所、北海道炭礦汽船輪西製鉄所(現新日鉄住金室蘭製鉄所)が相次いで設立。日本の産業近代化を支える工業地帯として第一歩を踏み出した。
 旅客フェリー時代は、高度経済成長まっただ中の67年に到来した。車社会の急速な進展とともに東日本フェリーが青森―室蘭の定期航路を開設。青函連絡船を除いては道内と本州を結ぶ初の定期航路で、北海道の海の玄関口となった。
 しかし、このころから苫小牧港が国策により急成長し、室蘭港は石炭積み出しの主役の座を譲った。最大5航路あったフェリーも次々となくなり、2008年11月30日、最後の青森航路が廃止された。
 それから約10年。宮蘭フェリーが就航し、新しい歴史が始まろうとしている。
■希望を載せ「白船来航」
 海の向こうから「希望」がやって来た。
 夏至の翌日の22日午後5時半。まだ明るい室蘭港に、真っ白に輝く船体がゆっくりと姿を現した。
 フェリーターミナルビルのガラス窓からフェリーの入港を見つめる大勢の市民の中に、室蘭市輪西町の田中京子さん(74)はいた。「いいね、お父さん、やっぱり。懐かしいね」と声をかけると、隣に座る夫の隆城さん(80)が、うんうんとうなずいた。
 フェリーが近づくと、ビル内は感嘆の声、シャッターを切る音でざわついた。「いろいろと思い出しちゃって、感無量です」と言う京子さんの目元が潤んだ。
 50年ほど前から室蘭港でフェリーに乗り、親戚のいる青森県へよく行った。宮蘭航路の開設が決まった日は、すぐに楽しい思い出がよみがえった。船内で友達と夜中までおしゃべりしたこと。夫婦で十和田湖を旅行したこと。フェリー関連の新聞記事を全部切り取って楽しみにしてきた。
 船に乗らなくなって10年もたつ。体力的にもう乗れないと思い、出迎えだけするつもりだった。でも船を見ると、「もう一回、船で東北を回ってきたいね」。隆城さんがつぶやいた。
 「航路がなくなってから室蘭は落ち込んだ。宮古は震災でつらい思いをした。船を縁に、力を合わせていい方に向かってほしい」。2人はマチ再興への思いも重ねた。
 ビルから延びる空中歩廊では、出迎えの準備をしていた市内の小学生が窓から身を乗り出し、「室蘭へようこそ!」と声を張り上げた。ターミナルは、正午ごろから集まり始めた市民で、熱気が最高潮に達した。
 日没を迎え、ターミナルビルの明かりが漏れ出した。歓迎セレモニーのテープカットが行われた午後7時20分ごろ。ビルから一歩外に出た岸壁は、緊張感に包まれていた。
 港湾運送関連業の創営社(海岸町)社長の三島康範さん(43)が可動橋で、搬入する車両を1台ずつ手元のリストと照らし合わせる。トラック30台、乗用車17台、バイク15台の計62台を積み、定刻に作業を終えた。「ひとまず無事に終わった」と胸をなで下ろした。
 三島さんは10年前もこのターミナルで荷役作業をしていた数少ない1人だ。
 2008年11月30日夜、青森行きの最終便「びなす」が出港した。さよならの汽笛が3回、岸壁では当時の作業員が手を振って別れを告げた。
 だが、三島さんはその記憶がない。覚えているのは積んだトラックが3台だったこと、「あしたからどう食べていこう」と考えていたことくらいだ。
 会社にとって大打撃だった。リーマンショックによる不況と重なり、退職を余儀なくされた社員もいた。もうフェリーは戻ってこないと思っていたから、「関係者の頑張りが実を結んだ」と思うとうれしかった。「復活したからにはずっと続いてほしい」と願う。
 午後8時。市民が岸壁にペンライトを持って集まり、宮古行き便の船出を見送った。「いってらっしゃーい」と口々に叫ぶ。フェリーの乗客は後部デッキに出て「ありがとう」と両手を振った。船は短く1回、汽笛を鳴らす。「行ってくるよ」の意味という。多くの「希望」を載せ、夜景の中に溶けていった。
■再び輝く室蘭の「玄関」 行き交う人、モノ 見つめて
 海の道への玄関口が、10年ぶりに息を吹き返した。
 室蘭市―岩手県宮古市間の定期フェリー(宮蘭航路)が22日就航し、廃虚のようだった室蘭港フェリーターミナルに、再び明かりがともった。
 かつて北海道の産業近代化を支えた要所で、埠頭(ふとう)周辺は宿屋や食堂が立ち並び、船員らでにぎわった。その後も、港を入り口に人とモノが行き交った。
 よそから来た人を「風の人」、地元の人を「土の人」という。室蘭の土の人は風の人に温かい。人々を快く迎えては送り出す港が、そんな風土を育んだのだろう。
 室蘭港発祥の地でもある入江、海岸両町は現在、埋め立て地に官公庁が集積し、スポーツ振興の拠点へと変わりつつある。わずかに残った自然で憩う市民の姿もある。
 フェリーターミナル周辺に集う人々と出会い、港にまつわる物語を切り取っていく。(水野可菜が担当します)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/203671

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のぼりべつクマ牧場のポロチセ外観がお目見え【登別】

2018-06-29 | アイヌ民族関連
室蘭民報2018.06.28

外観がお目見えしたポロチセ
 のぼりべつクマ牧場(登別市登別温泉町)で、アイヌ民族の伝統家屋・ポロチセ(大きな家の意味)の改築が着々と進み外観が完成した。7月から内装が始まり、同月中に完成する計画だ。
 ポロチセは同牧場山頂のユーカラの里内にある。アイヌ民族の伝統家屋で、数十人が一度に入ることができる造りだ。2017年(平成29年)から3カ年で全3棟の改築を計画しており、今年はポロチセが対象となっている。
 今月1日に工事が始まった。山林から運んだ樹木や樹皮、カヤ、ツルなど自然由来の素材のみを用いた家屋だ。既存のポロチセを撤去し、土台造りからスタート。基礎となる柱を数十本組み合わせて風雪にも耐えられるよう構築した。屋根の骨組みにはさらに網目状に木を配置した。屋根と壁にヨシの束などを取り付けて、外観は完成した。
 7月から内部の作業に入る予定だ。いろりを設けるほか、来場者がアイヌ舞踊を見られるようなオープンスペースを設けることも想定している。同月中には内装を終えて、8月にも改築祝いの儀式・チセノミを実施する計画。
 ユーカラの里は、アイヌ民族の貴重な文化遺産を保存し、後世に伝えるために生活様式を再現している。昨年全面改築したアイヌ生活資料館は、アイヌ民族の生活用具約300点を展示する貴重な伝承の場となっている。来年は工芸のチセの改築を予定している。
http://www.hokkaido-nl.jp/article/6642

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北海道・白老町に温泉旅館ブランド「星野リゾート 界」開業に向け協定書締結のお知らせ

2018-06-29 | アイヌ民族関連
SankeiBiz 2018.6.28 17:22
 星野リゾート(所在地:長野県軽井沢町、代表:星野佳路)は2018年6月28日に、北海道白老町と「パートナーシップ協定書」を締結いたしました。
本協定書において、現在建設が進んでいる「民族共生象徴空間」の開設に合わせ、星野リゾートと白老町が協働し、温泉旅館ブランド「星野リゾート 界」の開業に向けて準備してまいります。
星野リゾートは、白老町及び隣接する民族共生象徴空間の関連団体等と連携を取りながら、アイヌ文化を尊重し、多様で豊かな文化や異なる民族の共生を体感する宿泊施設として運営する予定です。
画像1: https://www.atpress.ne.jp/releases/160078/img_160078_1.jpg
 画像2: https://www.atpress.ne.jp/releases/160078/img_160078_3.jpg
 【温泉旅館 開業計画について】
・ブランド:界 ※界ブランドにおける説明は別紙参照※
・施設名称:未定
・開業時期:2020年夏頃
・客室規模:40~50室
・その他:立ち寄り湯を併設予定
 【民族共生象徴空間について】
北海道白老町のポロト湖畔に、国立民族共生公園と、国立アイヌ民族博物館を中核施設とした「民族共生象徴空間」が整備され、2020年開設予定です。
民族共生象徴空間は、アイヌ文化の復興等に関するナショナルセンターとして、アイヌの歴史、文化の理解促進や、将来へ向けてアイヌ文化を継承し、新たなアイヌ文化の創造発展につなげるための拠点です。
画像3: https://www.atpress.ne.jp/releases/160078/img_160078_2.jpg
「民族共生象徴空間」
https://www.sankeibiz.jp/business/news/180628/prl1806281722170-n1.htm

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