先住民族関連ニュース

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飛生芸術祭、9月7日開幕 多彩な芸術プログラム-旧小学校会場

2019-07-12 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 2019/7/11配信
2017年9月の芸術祭で、飛生アートコミュニティーの森を舞台に行われた野外パフォーマンス
飛生芸術祭2019をPRするポスター
 白老町竹浦の飛生アートコミュニティーは9月7~15日、「飛生芸術祭2019・僕らは同じ夢をみる―」を旧飛生小学校の木造校舎や周辺の森で開催する。国内外で活躍するアーティストの演劇や音楽、現代アート作品展示などさまざまなジャンルの芸術文化プログラムを展開する。恒例の「TOBIU CAMP(トビウキャンプ)」は7、8両日に企画、前売りチケットを販売している。
 飛生芸術祭(白老町、苫小牧民報社など後援)は、旧飛生小校舎を利用したアーティスト共同アトリエ・飛生アートコミュニティーが2009年以降、毎年1回開いているイベント。10周年の昨年は胆振東部地震の影響で中止となったため、2年ぶりの開催となる。
 メインの「TOBIU CAMP」は夜通し芸術文化に触れ、テント泊を楽しむ人気のプログラム。今回も夜に火を囲み、アイヌ民族伝統の歌や踊りの輪をつくる「めざせ!ウポポ100万人大合唱」を行う。アイヌの伝統歌ウポポを伝える女性ボーカルグループ・MAREWREW(マレウレウ)や伝統楽器トンコリの演奏者OKI、白老民族芸能保存会などが出演する。
 また、国内外で野外劇を上演する「指輪ホテル」芸術監督の羊屋白玉による演劇、世界的に活躍するポップアート作家奈良美智と編集者岡本仁の音楽トーク、アイヌ伝統楽器ムックリ作りなどのワークショップも行われる。影絵作家川村亘平斎とマレーシアの現代アート作家チャン・ヨンチアが白老で制作した作品の発表も予定している。
 さらに15日までの期間中、校舎の教室を使った奈良美智のアートステージ、アーティストらによる校舎周辺の森での作品展示といったプログラムを用意する。
 この他、関連イベントで9月7~23日にかけて、ダンスパフォーマンスや演劇といったさまざまなイベントを町内各所で展開。白老に伝わるアイヌ神話などを題材にしたシルクスクリーン作品展、白老駅前でかつて販売されていた和菓子「雁月泡雪」をテーマにした演劇も計画している。
 昨年は開催2日前に胆振東部地震が発生。会場の飛生アートコミュニティーも電気や水道などライフラインが途絶え、芸術祭の中止に追い込まれたが、担当者は「今年は再開し、子どもから大人まで楽しめるイベントを提供したい」としている。
 「TOBIU CAMP」の一般入場料は前売り4500円(当日5500円)でローソンチケットで販売。白老町内の取扱店で購入する人を対象にした「しらおい割」は4000円。この他、大学生・専門学校生は3000円。高校生以下(保護者同伴)は無料。詳しくは公式ホームページhttps://www.tobiu.com
https://www.tomamin.co.jp/news/area2/16695/

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3メートル「舟盛り」無料提供 13日の虎杖浜ビアガーデン

2019-07-12 | アイヌ民族関連
北海道新聞 07/12 05:00

「浜フェス」で使用する「舟盛り」の舟と、来場を呼びかける本間社長(右端)ら
 【白老】町虎杖浜地区の水産加工業マルカン本間水産と虎杖浜温泉ホテルは13、14の両日、同ホテル駐車場で「虎杖浜ビアガーデン 浜フェス2019第2弾」を開く。13日は全長3メートルの舟の模型に前浜産の刺し身を並べた「舟盛り」を無料提供し、来場者に来年4月に開業する「民族共生象徴空間(ウポポイ)」をPRする。
 虎杖浜地区を盛り上げようと本間水産と同ホテルが企画。初回は6月下旬に開かれ、2日間で500人以上が訪れた。
 2回目の今回は、生ビール(450円)や本間水産のツブやホタテの炭火焼きを販売するほか、13日限定で刺し身の「舟盛り」を無料提供。全長3メートルの舟の模型1台と60センチの舟4台に、旬のタコ、エビ、ヒラメなどの刺し身を並べる。スタッフはアイヌ文様入りのはんてんを着用し、ウポポイの宣伝用のポケットティッシュを配って開業をPRする。
 本間水産の本間直人社長は「虎杖浜産のおいしい魚介類を味わってほしい」と来場を呼びかけている。
 両日とも午前10時~午後8時。問い合わせは同ホテル(電)0144・82・8267へ。(金子文太郎)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/324398

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「ゴールデンカムイ」第3期制作決定 杉元はアシリパを追い樺太へ

2019-07-12 | アイヌ民族関連
映画.com 2019年7月11日 13:30

 野田サトル氏の人気漫画を原作とするテレビアニメ「ゴールデンカムイ」の第3期制作が決定した。このほど、東京・有楽町よみうりホールで開催されたスペシャルイベントの昼の部で明らかになり、あわせて吹雪の中を進む主人公の杉元佐一を描いた新ビジュアルと、第2期最終話のラストシーンからなる、第3期制作決定プロモーションビデオが公開された。
「週刊ヤングジャンプ」(集英社刊)で連載中の原作は、シリーズ累計1000万部を突破する和風ウェスタンアクション。明治時代、開拓期の北海道を舞台に、“不死身の杉元”とあだ名される元軍人の杉元が、アイヌの少女アシリパ(「リ」は小さな「リ」)とともに、莫大な埋蔵金をめぐり、陸軍第七師団や脱獄囚たちと争奪戦を繰り広げる。
テレビアニメ版は第1期が2018年4~6月、第2期が同年10~12月に放送。網走監獄を主な舞台として展開された第2期最終話「呼応」では、財宝のありかを知るアシリパの父・のっぺら坊(ウイルク)が殺され、裏切ったキロランケにだまされて樺太へと向かったアシリパをとり戻すため、杉元がその足跡を追って船上の人となった。
なお、スペシャルイベントには杉元役の小林親弘、アシリパ役の白石晴香をはじめ、伊藤健太郎、中田譲治、津田健次郎、細谷佳正、乃村健次、竹本英史、小西克幸と総勢9人のキャストが出演。トークショーや名シーンの生アフレコ、第1期エンディング主題歌アーティスト「THE SIXTH LIE」によるライブなどで盛り上がった。
https://eiga.com/news/20190711/11/

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豪州は先住民族を認めるか、3年以内に国民投票

2019-07-12 | 先住民族関連
Reuters 2019年7月11日 / 16:42 / 16時間前更新
オーストラリアで3年以内に、先住民族を憲法で認めるかどうかの国民投票が行われる。米国、カナダ、ニュージーランドと違い、同国は憲法で先住民族を認めていない。
数十年前から議論され、先住民族との和解に苦慮してきた。先住民は英国からの入植者より早く、5万年前に豪大陸に着いた。先住民アボリジニのワイアット先住民問題相は10日、2022年までに投票すると約束した。
「先住民は自分らの土地や歴史に関する問題を、政府に聞いてもらいたいだけだ。地域・国家的な議論が促進するだろう」とワイアット担当相は述べた。
https://jp.reuters.com/article/australia-poll-indigenous-idJPKCN1U60RR

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豪州は先住民族を認めるか、3年以内に国民投票

2019-07-12 | 先住民族関連
ロイター 2019年7月11日 16時41分
[10日 ロイター] - オーストラリアで3年以内に、先住民族を憲法で認めるかどうかの国民投票が行われる。米国、カナダ、ニュージーランドと違い、同国は憲法で先住民族を認めていない。
数十年前から議論され、先住民族との和解に苦慮してきた。先住民は英国からの入植者より早く、5万年前に豪大陸に着いた。先住民アボリジニのワイアット先住民問題相は10日、2022年までに投票すると約束した。
「先住民は自分らの土地や歴史に関する問題を、政府に聞いてもらいたいだけだ。地域・国家的な議論が促進するだろう」とワイアット担当相は述べた。
ワイアット氏は先住民として初めて閣僚に就任した。
だが、2022年までに事態を進展させるためには、政府と先住民指導者との間で、合意形成の仲介役を務める必要がある。
「出生証明書に先住民を載せることで、この国は強くなる」とワイアット氏は言う。「先住民には未来と過去があり、私たちは一緒に暮らし歩んでいるからだ。」
豪州の大企業の一部は、先住民を認めることが溝を埋める唯一の方法だと主張する。
豪先住民は1960年代半ばまで選挙権がなく、大半の社会経済指標で底辺にあった。平均余命は他の豪州住民より10年短く、刑務所の人口の27%を占める。
https://news.livedoor.com/article/detail/16758681/

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ベトナムの原発輸出はこうして白紙撤回された

2019-07-12 | 先住民族関連
論座 2019年07月11日
ベトナムの詩人インラサラさんと少数民族の命がけの闘い
桜井国俊 沖縄大学名誉教授、沖縄環境ネットワーク世話人
 沖縄では、夏至(6月22日)や慰霊の日(6月23日)を過ぎても一向に雨が上がる気配がなかった。例年にはないことだ。久米島、大東島、粟国島などから、次々と記録的豪雨の報が届く。明らかに気候がおかしくなっている。
 6月20日も沖縄地方は終日豪雨であった。その豪雨の中、ベトナムの詩人インラサラさんを案内して普天間基地を見下ろす嘉数高台、嘉手納基地を一望できる道の駅かでな、そして辺野古新基地の工事の状況を一望できる豊原の丘を訪れた。いずれも雨にかすんでいた。インラサラさんにとってこれは初の訪日、そして初の訪沖であった。
 辺野古では、キャンプ・シュワブのゲート前で座り込みをしている人たちと交流し、夕方には那覇の沖縄大学で講演を行った。
日本の原発輸出を阻止する
 ベトナム政府は2016年11月、日本(第2原発)とロシア(第1原発)による原発建設計画を中止した。中止の原因は、3.11の福島原発事故後の建設費急騰に財政難で対応できなくなったためと言われているが、内外の様々な言論活動も影響したと思われる。
 建設が予定されていたニントゥアン省は相対的に貧しい地域で、先住民族チャム人が多く暮らしているところである。在日米軍基地が沖縄に集中するように、ニントゥアン省には火力発電所、製鉄所などの迷惑施設の立地が集中している。沖縄、福島に対すると同様に、ニントゥアン省のチャム人に対しては構造的差別がある。
 ニントゥアン省は2世紀から17世紀にかけて東南アジアを代表する海洋貿易を展開した、先住民族チャム人が築いた「チャンパ王国」の最後の中心地があった地域で、チャンパ王国と琉球王国には交流の歴史があり、15世紀には琉球からラキウ王女がこし入れしたとも伝えられている。王国は、北方から侵攻してきたキン人(現在のベトナムの多数民族)と戦って敗れ滅亡した。
 ベトナムは日本とは体制の異なる国であり、通常、政府の政策に反対する意見を発表すると、公安から圧力がかかったり、逮捕・監禁されたりすることもある。そうしたベトナムで、原発建設計画が浮上した直後からチャム人の先頭に立って反対を唱えてきたのが、ホーチミン市(かつてのサイゴン市)在住のチャム詩人のインラサラさんである。
 同氏は、2012年4月に小説「チェルノフニット(チェルノブイリとフクシマとニントゥアンの意味)」を執筆したが、どの出版社からも出せなかった。 ・・・ログインして読む
(残り:約1409文字/本文:約2416文字)
https://webronza.asahi.com/science/articles/2019070500003.html

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スティーブ・ジョブズも修行した、先住民の聖地。

2019-07-12 | 先住民族関連
カリフォルニアの元祖、禅仏教の実践の場、 「タサハラ禅マウンテンセンター」の禅マインドに潜入!
グリーンズ 2019.07.12

冬の寒さがまだ残る4月6日、カリフォルニア州ロスパドロス国有林のヴェンタナ・ウィルダネス郊外ジェイムスバーグから4WDを走らせ、約1時間半。冬と春の雨で洗い流され、ぬかるんだデコボコ道には柵など無く、うっかりハンドルを誤れば崖から真っ逆さまです。
さて、ビッグ・サーの海岸から内陸へと向かったこの山の谷間に、「タサハラ・禅マウンテン・センター」こと、「禅心寺」があります。
観てください、タサハラ作成のこちらのビデオを。事故にあってもケータイは圏外。BGMのシュールな尺八の音色がぴったりな、降参状態となります。
スティーブ・ジョブズも修業した、タサハラとは?
なんと洗濯は、川の水で手洗い。半分アウトドアな状況です。水切りも手動で、こちら”wringler”こと洗濯の絞り機にて。予想外にも私が病みつきになったお気に入りのプロセスです。川の音を聞きながら洗濯していると、桃太郎のおばあさんになった気分に。
タサハラは、北カリフォルニアに3箇所あるサンフランシスコ禅センターを構成するコミュニティのひとつ。
「仏の智慧と思いやりを体現し、表現し、身近にする」という理念の下、西海岸でもっとも古い、曹洞宗の僧院、禅道場です。米アップル社創業者で元会長のSteve Jobs(スティーブ・ジョブズ氏)もここで坐禅や経行(キンヒン/歩く瞑想)の指導を受けました。
あとの2つのコミュニティとは、サンフランシスコ市内にあるシティ・センター、サンフランシスコから北へ1時間半ほど車で行った地区マリーン・カウンティにあるグリーン・ガルチ・ファーム・禅センターです。
ちなみにタサハラの様子は以下「Conscious Living」による『Tassajara Zen Mountain Retreat』というビデオでも確認できます。
初心の重要性を説き、ヒッピーも魅了した鈴木俊隆老師
さてタサハラを含む、サンフランシスコ禅センターを設立したのは鈴木俊隆老師。彼は1959年に、サンフランシスコ ブッシュ通りにある桑港寺の住職として(1969年辞任)、日本からサンフランシスコへと渡米しました。
60年代といえば、当時アメリカの人々の多くが、ヒッピーやサマー・オブ・ラブに象徴されるような、新しい生き方や価値観を求めていた時期。
そんな時流も追い風となり、特に東洋哲学の思想家、アラン・ワッツが当時ディレクターを務めていた大学院、ザ・アメリカン・アカデミー・オブ・アジアン・スタディーズ(現CIISことカリフォルニア総合学研究所)などで、ビート詩人たちの間で鈴木老師のことが評判になりました。
その結果、日系人や在米日本人だけではなく、多くのアメリカ人たちもまた、彼の坐禅や法話に参加し始め、60年初頭にはグループができて、禅センターへと発展していったのです。
そして鈴木老師は、山の中で禅の生徒たちが瞑想、学習、そして日常生活を含む伝統的な修業が行える場を求め、カリフォルニアのいくつかの地を見ました。そして、老師とその生徒でのちの後継者となるリチャード・ベイカー老師がこのタサハラの地を見つけたのです。
鈴木老師の遺影が飾られる部屋は、純日本家屋。その他は、石造りの家、ログハウスやユルトなど、西洋と東洋とがミックスされた世界観が興味深い。
もともとは有名な温泉リゾート地
1967年1月の始め、何百もの協力者の助けを得て、禅センターはモントレー・カウンティにある、巨大かつ大変有名だったリゾート、タサハラ・スプリングスの建物と土地の所有者であるベック元夫妻に最初の支払いを行いました。
その購入価格は、相場を大幅に下回る30万ドル。そしてタサハラ・禅マウンテン・センターの開始式は、1967年の7月3日に執り行われ、150人以上の人が参加しました。
タサハラってどういう意味?
ちなみにタサハラという名前は、スペイン語の”tasajera”が崩れた言葉で、肉を乾かす場所という意味です。ジャーキーをつくっていた土地にベジタリアン食の僧院が開かれるなど、当時の人々には想像もできなかったことでしょう。実際に1970年までは夏のゲスト向けの食事に肉と魚が出されていたそうです。
その後何年か経ち、満足できるベジタリアン食が生み出されるようになって、現在では卵や乳製品を含む、栄養満点のリッチなベジタリアン料理が提供されています。
タサハラ名物、お坊さんが焼くパン!
特にその名物はタサハラ・ブレッドと呼ばれる、お坊さんが焼くパン。1967年に皿洗いの職を得て、若い禅の生徒となったエドワード・ブラウンによって書かれたレシピ本『ザ・タサハラ・ブレッド・ブック』は1970年に、仏教関係の書籍で名高いシャンバラ・プレスから出版され、初版はまたたく間に売り切れに。
鈴木老師が亡くなった2年後の1973年には続く『タサハラ・クッキング』も出版され、料理のプロにも人気を博しています(こちらにはグラノーラのレシピが!)。
私が訪ねた際は、こちらで暮らして5年になるというお坊さんが黙々と毎日ひとつひとつ丁寧にパンを焼いていました。仕事の休憩時に、ふわっふわの焼きたてパンがスナックエリアに置かれていると、みんなで歓声をあげたものです。
4月〜9月は、ゲストに開門。
ちなみにタサハラでは、秋と冬の各3か月間は、僧侶たちが外出を避けて修行に専念する安居が行われるため、一般には閉鎖されます。
けれども毎年4月後半から9月頭の間は、禅とは関係の無いゲストに対しても開放されます。事前の予約が必要ですが、深い山でのハイキングや温泉、美味しいベジタリアン料理に舌鼓をうったり、禅の生徒たちと働き坐禅したりと、夏のゲストたちに親しまれています。
4月と9月にボランティア期間が
私がこのタサハラの地を訪ねたのは、そのどちらでも無い4月6日〜25日の4週間。この期間はワーク・ピリオド(働く期間)と呼ばれ、料理づくり、裁縫、建物や道路の修繕や建築作業などに従事しながら、僧侶たちと一緒にゲストに向けてタサハラを開放するための準備を行う奉仕期間です。9月にも同様のワーク・ピリオドがあります。
申し込みの方法は、春の安居が終了し、ワーク・ピリオド開始の約3週間前にタサハラのインターネットサイトにボランティア出願用のページがあげられます。そこに、禅や瞑想の実践具合や、ボランティアが必要とされる各部門の経験度などに関する必要事項を記入します。
選ばれると、1日7〜8時間の労働と引き換えに滞在場所と食事、瞑想や法話による学びが提供されます。ちなみに私はトイレと洗面所付きの部屋をひとりのルームメイトとシェアする形でした。といった経緯で3週間、タサハラで働き、一緒に禅実践をし、コミュニティを肌で感じながら、暮らすことになりました。
私の仕事は、たまたまその数ヶ月前まで、ニュー・メキシコ州にあるウパヤ禅センターというところで4か月間暮らしながら、典座(料理長)とともにキッチンで働いていたので、台所業務に従事するのが大半でした。
パウンドとカップの計算を誤り、バターまみれでドロドロのアップル・スクランブルをつくってしまうというような失敗をしながらも、その他草むしり、僧侶の寮を含む全館のトイレ掃除、ゴミの分別、皿洗い、風呂掃除などやれることを行わせていただきました。
ヘッドライトを頼りに、暗闇をダッシュ
特に印象的だった仕事は、”Wake Up Bell”といって起床のための鐘を、各部屋を訪ねながら鳴らすという業務です。1時間程度事前に訓練が必要だったので希望者のみが行う仕事でしたが、「早起きをして皆を起こす」という域を超えて、さすが禅センター。身が引き締まるような、スピリチュアルで儀式的な時間を過ごすことができました。
具体的には、まずヘッドライトを頼りに、誰も居ない真っ暗闇の禅堂に入室し、仏像の横の蝋燭に最初の火をともします(肝試しのようで、だいぶ怖いです)。そして禅堂の中の指定された8か所に定められた方法で鐘を鳴らした後、3回床に額をつけて拝を行います。
禅堂を出たら、暗闇をダッシュしながら鐘を鳴らし続けますが、すれ違う人々は、私を通じた「目覚めの儀式」に対して立ち止まって合掌しながら、ふかぶかと最敬礼。全員の宿泊場所を通過した後は、キッチンを目覚めさせ、最後に再び禅堂に戻って鐘を返し、額を床につけて三拝します。
ユダヤ系アメリカ人、多し
ボランティアに参加していた人は様々でした。具体的には20代〜70代の男女で、これはウパヤ禅センターでも感じたことですが、比較的ユダヤ系アメリカ人の方が多い印象がしました。一方で禅仏教の施設とはいっても、アジア系の人は私を含めて1割程度でした。
中でも特に仲良くなったのは、第二次世界大戦後にポーランドからアメリカに移民してきたというユダヤ系アメリカ人夫婦です。イタリアでビザの発行を待つ間、互いに14歳と16歳という年齢で出会い、その後50年以上ともに時を過ごしながら、入籍したのはこの1年半前だといいます。
幼少期に定住の地を失い続けた結果、「子どもを持たない人生を送りたい」という強い希望を持つ妻側の意志を尊重し、二人三脚で旅をしながら生きてきたといいます。歴史に翻弄され続けながらも、ニューヨーク出身のユダヤ人ならでは、ちょっと危険で鋭いユーモアを飛ばす二人とは不思議にウマが合い、タサハラで生まれた大切な友情のひとつとなりました。
道元のように前向きなルームメイト
禅の生徒たちとは異なり、ボランティア参加者の瞑想の参加は必須ではなかったため、朝の瞑想の間に部屋で日記を書いて過ごすときも。特に朝一番6時30分頃にセットされるでき立てのコーヒーを飲みながら日記を書く時間は至福のひとときでした。
その間ルームメイトのアマンダは、禅堂で坐禅しない場合は小川に向かって瞑想します。つい最近まで全く知らない仲だった二人が、小さな部屋の中でお互いの優しい気配を感じながらも、一人きりのような気楽さも持って過ごせるなんて。
熱心な禅の生徒でありながら、朗らかで人生を前向きに捉える彼女の姿勢は、私にとって13世紀の日本の禅僧、道元を彷彿とさせ、大変刺激を受けました。彼女はイビキもかかないし(笑)、本当に素晴らしいルームメイトでした。
タトゥーは、アメリカの僧院で珍しくない。
ちなみにアマンダの両腕には、びっしりとタトゥー(入れ墨)が。そこには、彼女の禅におけるスピリチュアル・ジャーニーの歴史が刻まれています。
例えば右腕には念ことマインドフルネス、左腕の龍は、グリーン・ガルチ・ファーム禅センター、つまり蒼龍寺での修業体験で得た感銘を忘れないようにと蒼い龍が刻んであります。
キッチンでズッキーニが入った重い段ボール箱を運べばいつも、さりげなく代わりに持ってくれる優しいクリスの両腕にもびっしりとタトゥーが入っていたし、受戒を受けたばかりのお坊さんの坊主頭の後頭部には密教画風の目と鼻の入れ墨が施されていて、後ろから見ても顔が! というように、僧院とタトゥーという日本人にとっては意外な取り合わせは、アメリカでは特に珍しいものではありません。
先住民の儀式に使われた温泉。
さて話を元に戻します。パン以外のタサハラ名物といえば温泉です。そういえば、日本を旅行してみたいというアマンダに「日本じゃ、タトゥーがあったら大抵の温泉は入れないよ」と言うと、ショックを受けていました。
仏に合掌と礼を行い、入浴場へ。向かって右が女性、左が男性用入り口に。水着着用も可能だが、全員裸で入浴していた。女性用は、室内風呂、シャワー、個室風呂がひとつ、サウナ、露天風呂があり、オーガニックのシャンプー、リンス、ボディソープが常備。
ちなみにタサハラの温泉を初めて親しんだのは、北米アメリカ先住民です。同じビッグ・サーにある、こちらは男女混浴の温泉が名物のスピリチュアル・センター、エサレン研究所の名前の由来でもある、エサレン族と呼ばれる先住民がこの地を住処としていました。
アメリカ先住民たちは、タサハラの温泉を様々な用途に利用してきました。例えば狩りの準備、そしてスピリチュアルな力を再生するための場所として、また肉体の深い浄化と害虫を体から取り除くためのスウェット・ロッジを利用した男性の儀式の一部として、などです。
タサハラの温泉は直接小川に出られるようになっていて、サウナや温泉の暑さに耐えられなくなったら、清流にドボンと飛び込めます。川の流れに飲まれ、あわや真っ裸でダイニングルームの目の前の下流まで流されてしまったことがあると笑いながら告白してくれた脚本家の女性もいました。
ハイキングでは毒草に注意!
ワーク・ピリオドでは、4日働くと1日お休みがもらえたので、休日にはタサハラのハイキングコースを歩きながら深い緑に心身を浸しました。
山のてっぺんで2時間も爆睡してしまった、話すと、ライム病の原因となるマダニや、ポイズン・オークと言う毒草で、触れるとひどい水ぶくれの発疹ができるウルシ科の植物があるらしく、「気をつけないと!」と厳重注意されました。
ちなみにタサハラから上流に5マイル(約8キロ)ほど向かった小川、チャーチクリークには、無数の洞窟がありますが、ここでは少なくとも3500年の間、人が暮らしていたそうです。
古くアメリカ先住民たちに身を清める神聖な温泉地として親しまれ、現在は西海岸で最も由緒ある禅道場である、タサハラ。
土地そのものも特別なのか、あまり関係の無いことかもしれませんが、山の中や瞑想中に不思議な体験をしたり、正夢のようなものを見たりもしました。
Wi-Fiも携帯電話もつながらない場所で心の深い部分と向き合うことは痛みも伴いましたが、人生において同じ実践を行う仲間ができたことは大きなサポートになり、また自分とは全く違う境遇や考え方の人たちと話せる機会も初心に戻って、まっさらな目で状況を見る練習になりました。そして日本の文化にとても興味を持つアメリカの人たちに囲まれ、感謝の気持ちが自然と溢れたことも、ありがたかったです。
もしアメリカで単なる観光旅行ではなく少し違った体験がしたいなら、タサハラまで足を伸ばしてみてはいかがですか?
(Top Photo: “Tassajara 19” by rooksbane is licensed under CC BY-NC-ND 2.0)
https://greenz.jp/2019/07/12/tassajara/

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ガマとアイヌ文化 帯農高生が採取体験【帯広】

2019-07-12 | アイヌ民族関連
十勝毎日新聞2019.07.11

 アイヌが日常生活や儀礼で用いていたござに使う植物「ガマ」の採取体験が10日、帯広市内の十勝川の湿地で行われた。帯広農業高校の生徒が参加し、アイヌ文化の一端に触れた。
 かつてアイヌはガマを干し、ござを編んでいた。ガマの採取は男性、編むのは女性が主に担当。日常生活では敷物や窓に掛けたりして、儀礼では文様を入れて使用していたという。
 同校は市民団体と共に川づくりに携わっており、この日は農業土木工学科の1~3年生21人が参加。マクンベツアイヌ文化伝承保存会(幕別)の廣川昌嘉代表、道アイヌ協会理事の小川哲也さん(本別アイヌ協会会長)から教わり、草丈1.5メートルほどのガマを鎌で根元から手際良く刈り取った。
 生徒はガマのぬめりを取り、昔は食べられていたという新芽の部分も味見し、「シャキシャキでキュウリのような味。おいしい」と驚いた様子だった。
 廣川代表によると、近年ガマが採れる所は少なくなっているという。本来は8月末ごろに収穫を始め、2カ月ほど乾燥させた後、冬に編む。
http://www.hokkaido-nl.jp/article/12504

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松阪 武四郎記念館の土産物完成 ゆかりの地の農産物使用 三重

2019-07-12 | アイヌ民族関連
伊勢新聞 7/11(木) 11:00配信
 【松阪】三重県の松阪北部商工会(野瀬岩朗会長)は10日、松阪市小野江町の松浦武四郎記念館で、北海道の名付け親として知られる地元出身の武四郎にちなんだ新商品6点を発表した。松阪市と北海道の農産物を使っている。
 同館入場者がターゲットで、同館隣の衣料品・土産販売「いせや」などで扱う。
 野瀬会長は「昨年の北海道命名150年や武四郎生誕200年に合わせた生家の整備で、北海道からの訪問が増えている。これまで武四郎記念館のお土産品が全くなかった。持って帰れる特産品を開発した」と説明した。
 野瀬会長の野瀬商店は在来種の「嬉野大豆」を12年かけて復活させ、武四郎の好物だったいり豆をアイヌ文様の布製巾着に入れて販売していた。新たにヤマダヤ(同市嬉野中川町)が嬉野大豆の豆乳と地元特産「島田ビワ」粉末を練り込んだ生地で和風ロールケーキ「たけしろうる」を作った。
 他に松阪産のシイタケ、みそだれと北海道釧路市の三恵豚を使ったムトウデンキ(松阪市曽原町)の「松阪みそぶたまん」や、メークイン発祥地、北海道厚沢部町産のジャガイモと松阪牛を使用した寿総合食品(同市松崎浦町)の「武四郎のピリカル スープカレー」などがある。
 詰め合わせ「松浦武四郎ギフトセット」(税別3千円と同5千円)も用意している。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190711-00001208-isenp-l24

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