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新千歳空港発着枠拡大を鈴木知事が要請 海外から観光客増え発着枠不足 1時間50回程度に拡大で調整へ

2019-07-10 | アイヌ民族関連
HBC 7/9(火) 16:41配信
増え続ける観光客に対応するため、鈴木知事は政府に新千歳空港の発着枠の拡大を要請しました。
今後、1時間当たり50回程度まで枠を拡大する方向で調整が進む見通しです。
新千歳空港では、おととし航空管制を見直し、発着枠を1時間当たり42回に拡大しています。
しかし、その後も海外からの観光客が増え、特に正午すぎの発着枠が足りない状態になっています。
こうした状況から鈴木知事は、総理官邸を訪れ、菅官房長官に発着枠の拡大を要請しました。
「来年はオリンピック、パラリンピックがある。アイヌのウポポイのオープンも控えている。そういった時間軸について理解いただいていると思う」(鈴木直道知事)
知事は、さらに石井国土交通大臣を訪ね、発着枠について早期の対応を要望しました。
国土交通省は航空管制を担当する防衛省と協議し、発着枠を1時間当たり50回程度まで拡大する方向で調整を進めます。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190709-00000008-hbcv-hok

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新千歳空港の発着枠拡大を要請 鈴木知事 6年連続利用者増で発着枠がひっ迫

2019-07-10 | アイヌ民族関連
UHB 7/9(火) 16:30配信
 鈴木知事は9日、菅官房長官らと面会し、訪日外国人の増加で混雑が続く新千歳空港の発着枠拡大を要請しました。
 鈴木知事は9日、菅官房長官や石井国交大臣と面会し、新千歳空港の発着枠の拡大を要請しました。
 新千歳は現在1時間当たり42回の発着枠がありますが、空港利用者は6年連続で増加し、日中の発着枠は既にひっ迫しています。
 鈴木知事:「来年はオリンピックパラリンピックもあります。またアイヌのウポポイのオープンも控えています。対応が叶うような形で拡大をしていただけたら、こんなにありがたいことはないと思います」
 政府は1時間あたり50回程度に枠を増やすことを検討しているとみられ、菅官房長官も会見でできるだけ早く発着枠を拡大できるよう、国交省などに調整を指示したことを明らかにしました。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190709-00000007-hokkaibunv-hok

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アイヌ総合政策室長に刀禰氏

2019-07-10 | アイヌ民族関連
北海道新聞 07/10 05:00
 政府は9日、国土交通省政策統括官に前財務省大臣官房サイバーセキュリティ・情報化審議官の刀禰(とね)俊哉氏を充て、内閣官房アイヌ総合政策室長を併任させる人事を発令した。同室長だった橋本元秀氏は同日付で退官した。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/323637

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鶴雅グループ、支笏湖に高級ホテル「しこつ湖鶴雅別荘碧の座」開業

2019-07-10 | アイヌ民族関連
観光経済新聞 2019年7月9日
 北海道内宿泊大手の鶴雅グループ(本社・釧路市)はこのほど、北海道支笏湖(しこつこ)温泉に「しこつ湖鶴雅別荘碧(あお)の座」をオープンした。1人1泊2食8~22万円(税別)と、グループ最高級の位置付けのホテルで、国内外からの富裕層の需要に応える。
 全国有数の透明度で知られる支笏湖を見下ろす場所で、鉄筋コンクリート造り4階建て、延べ床面積は約6700平方メートル。客室数は25室(100~270平方メートル)で、全客室にレイクビューの露天温泉とジェットバス付きの内風呂を備え、メゾネットやペントハウスタイプもある。
 内部は縄文時代からの歴史や文化をコンセプトに、ロビーは古代の地層や柱をイメージした重厚なデザインで、縄文土器を模した高さ約6メートルの暖炉やアイヌ民族衣装を試着できるカルチャーラウンジを備える。
 食事処は全室個室で、厳選した道産食材を使ったこだわりの夕食や朝食を提供する。ホテルでは「自然に囲まれた湖畔でハイグレードな滞在を楽しんでほしい」と話している。
 同グループの宿泊施設は13カ所目となる。
https://www.kankokeizai.com/鶴雅グループ、支笏湖に高級ホテル「しこつ湖鶴/

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交通事故をきっかけに出現した新たな才能:音楽家GOMAの絵に谷川俊太郎の詩が織りなすハーモニー。心に響く画集『モナド』完成! 

2019-07-10 | 先住民族関連
JIJI.COM 7月10日
[株式会社講談社]
映画『フラッシュバックメモリーズ』、NHK ETV特集「Reborn ~再生を描く~」で大反響!

●絵と言葉が響き合う 絶妙なコラボレーションが実現●
株式会社講談社は、交通事故で脳を損傷、高次脳機能障害となり、突如絵の才能が開花した音楽家・GOMAが描いた作品から初の画集『モナド』を刊行しました。
一瞬にして見る人の心を惹きつける絵───この画集の編集者もその絵に魅了された一人である。たまたまNHKのETV特集『Reborn ~再生を描く~』を見ていた彼は、番組終了後に「この絵の本を作りたい」と思い立ち、GOMA氏に連絡。作品をたくさん見ているうちに、“ただの画集ではなく詩を合わせるのがいい”“その詩を書けるのは谷川先生しかいない”と思い、谷川俊太郎氏に絵を送ると、すぐに「モナド」という詩を絵に合わせて書いてくれたという。
●如舞い降りた新たな才能●
GOMAはオーストラリアの先住民族アボリジニの伝統楽器・ディジュリドゥの日本を代表する奏者。2009年36歳の時に交通事故に遭い、その後、「時間の感覚がわからない」「覚えられない」「会話が成立しづらくなる」など、次々と異変が現れる。社会からの疎外感が生まれるなど不安と葛藤の日々を送り、一時は奏者としての活動を休止していた。
一方で事故から2日後、全く経験のなかった絵を描き始める。以来、脳裏に浮かぶイメージを描かずにはいられないという衝動に駆られ、現在までの作品数は500点を超えた。
緻密な点と見事な色彩感覚で描かれる点描画は、主に脳損傷の後遺症で過敏に受け取る“ひかり”の世界を表現しているという。“観た人が元気になるエネルギーを絵を通して贈ること”そう願いを込めて今日も絵を描き続けている。
~GOMAからのメッセージ~
事故後の人生は理解不能なでき事の連続でした
生きていれば誰にでも大なり小なりアクシデントは起こります
その相手や時期を選べないのが現実です
この世界は様々な人間が交錯する平等が建前の不平等な世界です
約10年経った今改めて自分の周りを見渡してみると、あの日があったからこそ出会えた仲間や作品に囲まれて生かされています
事故にすら感謝の気持ちが芽生えています
ただ絵描きとして
人生はじまりの記憶が無い僕は終わりを知ることも無く逝くのだと思います
人生とはそういうもの
それでいいのかも
本の完成が近づくにつれてそう思うようになりました
この本が人生のプラスになること願っています
~編集者より~
「モナド」とは、哲学者のライプニッツが考え出した空間を説明するための概念で、「単子」と訳されるものです。この本を読む皆さまには、まずは、あまり情報を入れずに、絵とまっすぐに向き合い、その絵をみながら、その絵に付した谷川さんの言葉をかみしめていただきたい。その後で今度は「モナド」という言葉の意味を調べて読んでもらいたいです。そのうえで、もう一度、絵と詩を味わってほしい。もちろん、自分なりの解釈でいいのです。なにかひとつの正解があるわけではありません。
《GOMAプロフィール》
1973年 大阪生まれ。ディジュリドゥ奏者・画家。
1998年 オーストラリア・アーネムランドにて開催されたバルンガ・ディジュリドゥ・コンペティションにて準優勝。ノンアボリジニ奏者として初受賞という快挙を果たす。海外にも活動の幅を広げ、勢いに乗っていた2009年交通事故に遭い外傷性脳損傷と診断され高次脳機能障害の症状が後遺し、活動を休止……一方、退院2日後、突然緻密な点描画を描き始める。プリミティブな衝動に突き動かされた自由な発想と独特な色彩感覚が特徴的な絵画により、画家として活動を開始し全国各地で絵画展を開催。
2011年 再起不能と言われた事故から苦難を乗り越え音楽活動を再開。
2012年GOMAを主人公とする映画「フラッシュバックメモリーズ3D」が東京国際映画祭にて観客賞を受賞。
2018年2月 NHK ETV特集「Reborn ~再生を描く~」で取り上げられ、サヴァン症候群の世界的権威の精神科医、ダロルド・トレッファート博士から「後天性サヴァン症候群」と診断される。現在もディジュリドゥ奏者、画家としてのみならず、講演会など多岐にわたり活動中。
《谷川俊太郎プロフィール》
1931年 東京生まれ。詩人。
1952年 第一詩集『二十億光年の孤独』を刊行。
1962年 「月火水木金土日の歌」で第4回日本レコード大賞作詞賞受賞。
1975年 『マザー・グースのうた』で日本翻訳文化賞受賞。
1982年 『日々の地図』で第34回読売文学賞受賞。
2005年 『シャガールと木の葉』『谷川俊太郎詩選集1~3』で第47回毎日芸術賞受賞。
2010年 『トロムソコラージュ』で第1回鮎川信夫賞など、受賞・著書多数。
https://www.jiji.com/jc/article?k=000002238.000001719&g=prt

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カナダが重視する先住民ツーリズムとは? 多様な文化や負の遺産も観光素材とする取り組みを現地取材した【写真】

2019-07-10 | 先住民族関連
トラベルボイス 2019年7月9日
写真提供:Destination Canada
多文化主義を掲げるカナダはダイバーシティ(多様性)を受け入れるインクルーシブな社会へ向かっている。この考え方は、ツーリズム産業にどのように現れているだろうか。2019年5月末にトロントで開催されたカナダのトラベルトレードショー、ランデブーカナダ(RVC)2019で見た、先住民ツーリズムなどカナダツーリズムにおける多文化のあり方をレポートする。
インクルーシブとはあらゆる人が排除されることのない公正な社会のこと。過去を乗り越え、多文化が共生するための寛容さがカナダ人の価値観となっている。この考え方が現れているツーリズムプロダクトのひとつの例として、国立の博物館・美術館の展示の仕方がある。RVCにも出展していた首都オタワのカナダ国立美術館は、2016年の改装で先住民(※注)の考古学的な収蔵品もカナダ美術史の中で同じスペースに包括。年代別に並べ替え、先住民アートだけを別展示にはしていない。
同じく、ケベック州ガティノーにあるカナダ歴史博物館は建国150周年の2017年、カナダの歴史展示を「カナディアンヒストリーホール」として再構築。バイキング到来からイエローナイフのワイルドキャットカフェの実物大模型までだった歴史(展示)を、カナダで発見された人類の足跡からシリア難民受け入れにおよぶ1万5000年の歴史へと刷新した。改装のポイントは、先住民含めカナダを形成する多民族の視点も含めたこと。同化政策のような負の歴史や移民政策も含めて「現在のカナダを作った100年の歴史の展示を充実させた」と同館で団体セールス担当のステファニー・フォーティン氏は語る。
先住民ツーリズムがカナダの個性に
先住民ツーリズムはカナダ観光局(DC)が重視するテーマのひとつで、同観光局の社長兼CEOデイビッド・ゴールドステイン氏も「先住民ツーリズムはカナダの個性であり、ライバルの国との差別化になる」と述べている。RVCでは4年前から先住民ツーリズム専用のスペースを設け、今年は24社・団体が出展。カナダ先住民観光協会Indigenous Tourism Association of Canada(ITAC)ディレクター・オブ・マーケティングのセバスチャン・ピカード氏によると、カナダ全土にファーストネーションが所有・運営するビジネスは1835あり、海外からの観光客受け入れ体制が整うのは現在130ほど。2021年までに200の受け入れ体制整備を目指しているという。
ITACによると、先住民ツーリズムのプロダクトは、ハイダグワイのオーシャンハウスのようなリゾートや各種ホテル、白いクロクマと呼ばれる神秘的なスピリットベア、ホエールウオッチングなどの野生動物見学、オーロラを見る自然体験、カヌーやカヤック、スノーモービルなどのアクティビティ、住居や食など文化体験、先住民が手がける創作料理レストランまで多彩だ。カナダ観光局が進めるカナダならではの体験「カナディアン・シグニチャー・エクスペリエンス」にも、ノースウエスト準州のイヌイットによるノースツンドラツアーなどITACの12メンバーが入っている。
例えば、ケベック州北部にあるクリー族居住地でも、イユー・イスチ(クリー族)観光局によると、住居を訪ねる文化体験から、夏はカヌーにフィッシング、冬にはスノーシューやスノーモービルなどのプロダクトを通年で提供しているという。ジェームズ湾の東の島にいるホッキョクグマ見学、カリブー(トナカイ)の見学、自生する松茸狩りなどユニークなツアーも始めたそうだ。同居住区は100%クリー族所有のクリーベック航空(YN)で結ばれ、ゲートウエイのバルドールまでモントリオールから90分ほど。
ファーストネーションだけでも50以上の言語があり、その文化もコミュニティによって異なるが、共通するのは「すべてのものは大地から来て、大地に還る」という考え。それゆえ地球をケアし、7世代後のことを考えて生活に必要なものだけをいただく。この教えを守って生き延びてきた先住民の生活を知るツアーが注目されるようになったのは、サステナビリティへの関心の高まりだとITACのピカード氏は指摘する。「植物や動物など含め大自然の恵みを持続可能な形で活用してきた先住民の知恵に触れるのはまさに考え方に影響を及ぼすトランスフォーマティブな体験だ」と話す。
先住民にとっても、ツーリズムをきっかけに自分たちの文化を学び、次の世代に伝えることが仕事となることが、文化を守ることにつながる。ITACピカード氏によると、観光客が先住民の暮らし方を尊重してくれることで子供たちも自分たちの文化を誇れるようになったという。実際に、カナダ歴史博物館で実施されている「インディジネスエクスペリエンス」でも10~20代の若い先住民らがパフォーマンスや説明をして、新しい語り部として活躍している。
負の遺産をツーリズム素材に転換
負の遺産をツーリズムのプロダクトに転換したユニークな施設もある。ブリティッシュコロンビア州クランブルックにあるセントユージン・ゴルフリゾート&カジノ(125室)はKtunaxa族(一般的にクーテナイ族と表記されるが、Ktの発音はKとTの間で、トゥナハ族が現地の発音に近い)への同化政策が行われた寄宿学校がホテルとなった施設。18ホールのゴルフコースやカジノを併設するリゾートの一方で、伝統的な住居に泊まりながらクラフトやゲーム、食事を楽しみながら先住民の文化を学ぶプログラムも用意されている。
この施設を立ち上げたのは元生徒たち。カナダの負の歴史である寄宿学校をポジティブなものに変えたいと呼びかけ、同志から投資を得て、2000年に開業した。同リゾートCEOのバリー・ズゥエステ氏いわく、「先住民の歴史、学校の歴史、リゾートの未来の3つの話が学べる」そうで、すでに今年80校以上の教育旅行を受け入れている。日本の修学旅行ではカジノがある場所を嫌がるが、同リゾートではカジノの運営は税金や経費を払うためで、「カジノはこの施設のひとつの機能にすぎず、大事なのはストーリー」とズゥエステ氏は強調する。
先住民だけでなく民族文化の多様性の例として、カナダのツーリズムをユニークにしているものにフランス語圏の歴史や文化がある。カナダのフランス語圏コミュニティの文化・経済団体であるRDEEカナダでは観光誘致のため、フランコフォン(フランス語を主言語として話す地域)でできることをCorridor Canadaというサイトやアプリにまとめ、場所別やグルメ、アート、歴史などのテーマ別に観光地情報を提供している。州の枠を超え、フランス語文化というくくりでの旅を提案している。
インクルーシブな価値観は民族以外でも見られる。現トルドー政権は内閣の半数が女性、先住民や障害者・トランスジェンダー、難民出身の大臣もいるなど、幅広いダイバーシティを推進している。国として毎年約30万人の移民を受け入れ、今回RVCの開催地となったトロントにいたっては人口の半分がカナダ以外で生まれているなど、多民族で社会が成り立っているため、多様な文化や習慣、価値観に寛容だ。
そういった寛容さはRVCの会場でも見られ、車椅子の参加者がいたり、1900人に提供されたランチ会場では、魚、甲殻類、ナッツ、卵、グルテン、乳製品、牛肉、豚肉、ベジタリアンなどを選んで提示できるカードが用意され個々の食習慣に配慮されていた。
カナダのインクルーシブな社会は、異文化に対して寛容なツーリズムとなり、多様な文化受け入れの質の高さとして現れている。
※注:先住民はカナダの憲法で、ネイティブアメリカンのファーストネーション、ネイティブアメリカンとヨーロッパ人を祖先に持つメティス、イヌイットの3グループと定められている。先住民人口は約140万人で、カナダ全体の4%超。先住民を表す形容詞も、最近はアボリジナルからインディジネスという表記に変わってきている。
取材・記事 平山喜代江
https://www.travelvoice.jp/20190709-133322

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2世紀にわたる先住民の抵抗から気候運動家は何を学ぶか―スー族の歴史研究者の想い アイリーン・ブラウン  

2019-07-10 | 先住民族関連
人民新聞 2019年7月9日
出典:MRon Line, 2019,3,9 翻訳:脇浜義明
(前に米先住民たちのスタンディングロックの闘いを紹介したが、このたびスー族のニック・エステスが『我らの歴史は未来―スタンディングロックvsダコタ・アクセス・パイプライン、及び先住民抵抗の長い伝統』(仮題 Nick Estes: Our history Is Future: Standing Rock versus Dakota Access Pipeline ,and the Long Traditions of Indigenous Resistance; Verso Books, 2019) 出版した。
それに関して米のネットメディア「インターセプト」のアイリーン・ブラウンがエステスをインタビューしたものを、マンスリー・レビューのネットメディアMR onLineが編集したものを紹介する
もともとニック・エステスはスタンディングロックに関して本を書くつもりではなかった。偶々国連で先住民の権利について論文を書いているときに、ダコタ・アクセス・パイプラインがスー―族として知られているオセティ・サコウィン16部族の一部族の土地を通ることに反対する運動が燃え上がった。
エステスはローワー・ブルール・スー族で、サウスダコタ州南ダコタで育った。(訳注1:スー族は西のラコタ、東のダコタに分かれ、エステスが属するラコタは「聖なる七つのキャンプファイアー」と呼ばれる7つの小部族から構成され、プルール族はその一つ)彼は自分の計画を変えなければならないと思った。彼はダコタへもどり、叔母のテントのカウチで長老たちや親族が語るオラール・ヒストリーを聞き、それを図書館や役所の保管資料と相互参照して、闘いの本を書いた。  
その結生まれたのが『我らの歴史は未来』である。それは、1804年のルイス・クラーク探検隊(訳注2:1804~06年にかけ、ジェファーソン大統領令に基づく国造りための、ミズーリ川など西部探検の一つ)阻止闘争から、1960年代のインディアンたちの権利回復要求運動、レッド・パワー運動、そして最近の化石燃料掘削・輸送計画に反対する闘争など、2世紀間の先住民の抵抗運動を記述したものである。
1890年に米軍が女性・子どもを含む300人を虐殺したウーンデッド・ニー虐殺事件(訳注3:生活環境を破壊され絶望のどん底にあった先住民たちはゴースト・ダンス(幽霊踊り)を踊ることで、バッファローが再び草原に戻ってくるという、一種の終末論的信仰が爆発的に流行した。白人はこれをスー族反乱の予兆と見て、弾圧して起こした事件)の記述では、エステスは非暴力抗議ゴースト・ダンスの革命的意味を強調している。先住民の植民地主義に対する長い勇敢な闘いの歴史は、地球上の生命の生存を脅かす利潤追求行為に対する挑戦を表している。  
エステスは、ニューメキシコ大学でアメリカ研究学准教授として働くかたわら、アルバカーキを拠点にした反植民地主義・反資本主義的先住民解放運動レッド・ネーションの活動家でもあった。レッド・ネーションは先住民の権利擁護だけでなく、自然破壊、メキシコ人移民の権利擁護、警察暴力への抗議など、幅広い活動を行っている。  
「インターセプト」のインタビューの中で、エステスは、スタンディングロック以降の先住民の活動、グリーン・ニュー・ディール、主流メディアが無視する先住民文化の復興について、話している。以下は、文意を簡潔明瞭するためと長さの著説のために、インタビューをかなり編集していることを了解されたい。
質問:『我らの歴史は未来』というタイトルの意味を説明してください。
エステス:ゴースト・ダンスが物語る予言を重視したタイトルです。ゴースト・ダンスは19世紀後半、特に北部平原のラコタとダコタの反植民地主義蜂起の踊りでしたが、北はカナダの西海岸北部かた南はメキシコの一部にまで広がった魂の運動でした。白人は怖かったのでしょうね。それが白人にとってまったく怖いものでなかったなら、乗り回す馬もなく、飢えで苦しんでいる人々を虐殺したウーンデッド・ニーはなかったでしょう。ラコタとダコタのゴースト・ダンスを踊る人たちが白人入植者を殺したわけではありません。
ダンス運動はまったく非暴力でした。しかしそれは未来のビジョンを語るものだった。白人合衆国はそれを怖がったのです。  一民族を征服するというのは、土地、言葉、アイデンティティ、自尊心を奪うだけでなく、彼らから未来という概念をも奪うことです。私がこういうタイトルをつけたのは、このネオリベラル資本主義時代では、資本主義が終わる前に世界が終わるかもしれないと考えられるほど未来破壊的だからです。
私が言いたいのは、先住民の闘いは、それが反政府武装闘争の形を取ろうと、秘教的儀式の形を取ろうと、敵の言葉を借りる形を取ろうと、常に未来志向的であったということです。これは、アメリカ・インディアンは滅びゆく民、伝統文化の残りかすと僅かな土地にしがみついている、消え去る部族という、一般に流布している談話と正反対の姿です。
一般に流布している談話が真だったら、スタンディングロック蜂起は起きなかったであろうし、現在のLine3(訳注4:カナダのエンブリッジ社がカナダのアルバータ州から米国のウィスコンシン州までサンドオイル原油を輸送するパイプライン)やバイユー・ブリッジ・パイプライン(訳注5:ルイジアナ州のチャールズ湖からセント・ジェームズまでの原油パイプライン。住民は陸軍工兵隊に環境調査を訴えたが、工兵隊が拒否して事業続行を認めた)への抗議運動やその他先住民女性殺害や行方不明への抗議運動があることも、一般談話が嘘であることを証明しています。
質問:あなたは「抵抗の蓄積」という概念について書いていますね。「必ずしも一時的で派手な抵抗でなくても、絶えず先住民の抵抗が続くので、撲滅は不可能」という意味でしょうか。それは現在見られる先住民主導の諸運動にとってどういう意味があるのでしょう。
エステス:ラコタ族として育ちますと、「クレイジー・ホース」や「坐る牡牛」(訳注6:二人ともジョン・ウェイン映画で有名な第七騎兵隊のカスター将軍をやぶったことで有名な戦士)を英雄のことを学びますが、他にもラッセル・ミーンズ(訳注7:1939~2012.ラコタ・スー族の活動家で、「アメリカ・インディアン運動」のスポークスパーソン)や、マドンナ・サンダーホークやフィリス・ヤング(訳注8:二人とスー族女性で、「すべての赤い国の女たち」の代表)等の英雄がいます。しかし、こういう英雄たちの抵抗だけを選び出して崇める必要はありません。
私たち一人ひとりが抵抗の流れの中で生まれ呼吸してきたのです。私たちは被植民地人です。オセティ・サコウィンの抵抗伝統は、白いアメリカ人の最初の上陸から続いています。私たちは愚かな民族ではありません―彼らの狙いを直ぐに見抜きました。1804年ルイスとクラークが探検と称して私たちの土地に侵入し、略奪国家を作ろうとしたので、彼らの狙いが分かったのです。  
先住民であることは、いわば初期設定的に政治的なのです。何故なら、私たちは第一にも第二にもこの土地に居てはならないとされるのに、私たちは先祖からこの土地でくらし、それを守ってきたのです。これが意味するのは、白人にとって私たちは常に開拓・開発を妨害する民族とされることです。私たちは脱政治的に中立に立てないのです。  
私はアレキサンドリア・オカシオのような人物が好きです。彼女も水を守る人で、彼女の中間選挙戦はスタンディングロックで始りました。同時に、私は議会における彼女の立場の限界も意識しています。オバマはパイプライン建設を止めることが出来なかったし、彼が閣僚に選んだ人々も誰ひとりパイプラインを止めなかった。政治家に期待しても駄目なのです。政治家に期待できないことを、北部平原の先住民運動がなし得ることを理解すべきです。ノース・ダコタ・アクセス・パイプラインで先住民運動が成し遂げたことをご覧なさい。人民の力が議会とか人民の場以外のところにあると考えるのは間違いです。
質問:ダコタ・アクセス・パイプラインに関して、「インターセプト」は、民間企業と警察が先住民の抵抗を犯罪化することで協力しあっている事実に重点を置いて報道してきました。日ごとに激しくなる警察の暴力や先住民生活への介入に、スタンディングロックはどのように対応していますか。
エステス:昔は、地域によって異なりますが、インディアンは許可証がなければ居留地を出ることができませんでした。インディアン管理局の役人から許可証を発行してもらわなければなりませんでした。居留地が青空監獄と呼ばれていました。外へ出ると、逮捕・勾留、私刑(リンチ)による絞首刑が待っていました。
今日ではそういうことはなくなりましたが、文化的・社会的次元では同質のことが今も続いています。アルバカーキとかサウスダコタ州のラピッドシティーのようなところでは、白人が先住民に対して暴力を振るうときに必ず出て悔いる言葉は、「居留地へ戻れ」です。先住民は、本来自分たちの生活の場であったところで、「侵入者」扱いされるのです。  
スタンディングロックなど闘争の場で警官隊の暴力は残酷で、多くのトラウマを引き起こしているのですが、それ以上に日常生活の中で警官が先住民を虐待する暴力の方がもっと怖いと言いたいですね。警官は暴力と虐待技術をどんどん強化しています。対先住民プロファイル技術の採用も進んでいます。スタンディングロック居留地の北のモートン郡の州境近くの町の警官たちは、昔「坐る牡牛」を殺害したことで有名になった「赤いトマホ ーク」(訳注9:米政府が「文明化5部族」(政府が白人の習慣を採用したと認めた部族)に、1880年に組織させたインディアン警察)を復活させ、州ハイウエイ・パトロール隊に導入しました。あの残忍なカスター将軍の第七騎兵隊を現代に蘇らせているのです。
質問:あなたはスー族が経験した大災害のことを書き、それが気候変動運動を行っている人々にとって貴重な教訓になると述べていますね。スー族の地に大洪水を引き起こしたピック=スローン計画(訳注10:フランクリン・ルーズベルトが署名した「洪水調整法」によってミズーリ川を貯水システムに変えるダム建設)を説明してください。
エステス:ピック=スローン計画は現在のグリーン・ニュー・ディール運動を思い起こさせます―私はグリーン・ニュー・ディール運動に賛成していますが。ピック=スローン計画は当時としては米史上最大のダム建設計画でした。1933年連邦政府はアシニボイン族とスー族(ナコタ部族)の居留地フォートペック近くに巨大ダムの建設を始めました。それは大恐慌後のニューディール政策による公共事業で、モンタナ州とその付近の白人労働者の救済と雇用を提供する目的の事業でした。白人入植者経済を立て直すために、数百人の先住民が住居を追われ、何千エーカーの土地が水浸しになりました。あの歴史的なニューディールはしばしば先住民の犠牲の上に実行されたのです。  
グリーン・ニュー・ディールの発想はスタンディングロックのキャンプで生まれました。オカシオ=コルテスはスタンディングロックで運動を開始したのです。しかし、先住民を犠牲にして入植者経済を救済した歴史を忘れてはいけません。経済の転換のツケを先住民に回されている思われるときがあります。現在南西部全域の電源としてナバホ族の地で太陽熱発電を行うことになっています。それはよいけれど、本当にそれが資源コロニーからの脱却になるのでしょうか。だって、かててナバホの地は南西部全域の火力発電用の石炭生産をやらされ、現在は米グローバル経済の発電用の原油生産をやらされています。資源コロニーだったのです。  
かつてダム建設もみんなから歓迎されました。ケネディ大統領がやって来て演説をぶち、私の祖母もいそれを聞きました。彼女はケネディと握手したことを、死ぬ間際まで口癖のように語りました。しかし、ケネディは私たちの郷土を破壊したのです。経済転換にはこのようなトレードオフがいつもあるのです。だから、本当に二酸化炭素依存経済から脱出する転換をするなら、そこに潜む基本的矛盾に目を閉じないで、それとしっかり対峙しなければなりません。その矛盾とは殖民植民地主義のことです。
質問:あなたは『我らの歴史は未来』の最後を、地球を資本主義から解放しようという抱負で結んできます。わたしたちはエコロジー的に危機の真っただ中にあり、多くの人々はグリーン・ニュー・ディールを中核的運動と見ています。こういう運動が正義を実現する手段となるためには、何が必要だと思いますか。
エステス:グリーン・ニュー・ディールが組み立てられた過程を見て面白いのは、それが「プラグマティック」な環境政策だということです。本来闘い取らなければならないものが幾つか欠けています。その一つは、化石燃料を完全廃止すること。もう一つは、カーボン・プライス(訳注11:炭素排出量の価格付け。カネで誤魔化したり、企業が炭素価格の高いところから低いところへ転出することを許す)を拒否していない点です。カーボン・プライス制度は、私たちが呼吸する空気を商品化・私有化することで、企業が「クリーン」な顔をしていれば、いつまでも化石燃料を採り、輸送し、燃やし続けることを許すものです。先住民が昔から闘い続けてきた課題ですが、何故グリーン・ニュー・ディールにそれがないのか、私には分かりません。
 「プラグマティック」と言いましたが、誰にとってプラグマティックでしょうか。化石燃料資本主義という怪物を10年間生き延びらせることにどういうプラグマティックがあるのでしょう。これは「奴らから俺たちか」という二者択一問題です。資本主義システムは私たちを破壊しているですから、それを生き延びらせることには何のプラグマティックもありません。最も傷つくのはいつでも貧しい有色人ですので、これおは人種と階級の問題です。  ナンシー・ペロン(訳注12:民主党下院議長。中絶と同性愛を擁護する姿勢を見せているが、反共主義の親イスラエル派)に電力販売を一任するようなものであってはいけません。彼女は自分を資本主義者だと公言しています。彼女には資本主義的諸制度を変える気は毛頭ありませんが、一方私たちはそういう制度や構造を変革することを闘いの目的としています。私たちは資本主義的制度や構造の欠陥や不十分さをもっともっと明らかにし、グローバルな気候変動危機に対する「プラグマティック」な対応のパラメータを再規定しなければなりません。そのためには、もっと人間や自然の生活権を前面に出すことです。
質問:以前あなたは、主流メディアが先住民の発言や作品を取り上げないと語りました。「アイドル・ノー。モア」(訳注13:主としてカナダの先住民の運動で、2012年10月4人の先住民女性が創り出した言葉。彼女らは国会議事堂に面する凍結した河の上にティーピーを建てて、ハンガーストライキを行った。アクサピスカト部族の酋長テレサ・スペンスという女性がこの運動のシンボル)運動を受けて、先住民ライターがカナダ・メディアに登場するようになりましたが、合衆国では、ダコタ・アクセス・パイプライン反対闘争があっても、そういうことにはなっていませんね。
エステス:カナダでは、「アイドル・ノー・モア」と連邦政府が和解して真実と和解プロセス(訳注14:被差別者の語る真実を聞き、それを心に感じとめて、やるべきことをやろうという合意に基づいた実践運動)が成立、それによって大学やメディアが先住民に心を開き、場を提供する運動が生まれたので、先住民問題がメディアにも登場、一般人の意識にも訴えらえるようになりました。米国ではまだまだです。米国ではニュースに取り上げられないばかりでなく、書いたり話したりする先住民がいないのです。先住民のことは先住民しか語れないというわけではありませんが、発表者のアンバランスは致命的です。ある種のメディアでは改善が見られますが、全国的にはまだまだ差別体制です。しかもメディアでは取材費削減や不安定雇用が起きていて、それが先住民無視への拍車にもなっています。先住民ジャーナリストは働く場がないので、みんなジャーナル分野から遠ざかります。  
現在インディアン・カントリーは分化、メディア、芸術、政治活動の再生期にあると、私は思っています―皮肉なことに、白人女性が自分は先住民のDNAを持っていると宣言したり、白人のカトリック学校の子どもたちがリンカーン記念会館で先住民老人を嘲弄した記事がニューヨークタイムズが伝えるという形でそれが進行しているのが、残念です。
質問:レッド・ネーションやニューメキシコにおけるあなたの活動について話してください。
エステス:レッド・ネーションを作ったのは2014年、カウボーイ,ラビットという異名を持ったキー・トンプソンとアリソン・ゴーマンが殺害された後でした。二人はナバホ族の男性で、ニューメキシコ州中央の都市アルバカーキで三人の若者によって殺されました。アルバカーキ警察の暴力に対する抗議活動の末期に起きた事件です。あの町の人々は先住民に対する警察暴力にあまり関心がなかった。少し問題にする運動があったのですが、すぐに消えてしまった。「アメリカン・インディアン運動」共同創始者のデニス・バンクスはレッド・ネーションのイベントに来たことがあり、彼と境界線上の町の暴力について語り合ったことがあります。彼は「アメリカン・インディアン運動を設立した第一の目的は警察暴力を終わらせることだった。50年前のことだ。ところが、警察暴力は今もなお続いている」と言ってました。  
私たちは先住民フェミニスト団体です。現代の若い世代の先住民は、50年代、60年代、70年代のレッド・パワー・ムーヴメントのときのようにピップでもクールでもありません。現世代の人たちは異性間中心の家父長制とかコミュニティ伝統を抑圧ツールとして利用するこを問題視しています。若者の多くはノンバイナリー(訳注14:男性・女性という二者択一に収まらないジェンダーの捉え方)で、性区別に従わない、クイアー(訳注15:「クイアー」は差別語というより、性の制約から解放された者と肯定的に使われている)である。二つの精神の人間(two spirit.西洋文明的なジェンダー二分法や異性間セックスに同意しない先住民にとって、包括的用語です)なのです。こういうものは真っ先に消滅させられるべきものでした。何故ならそれは対抗的政治秩序を表現していたからです。白人将軍や政治家たちが先住民の男たちを選んで交渉して、条約に署名させたのには理由があります。男たちを征服のツールに使ったのです。白人文化を先住民社会の遺産にするためです。だから、私たちもトランスジェンダーやクイアーらをコミュニティから追放して、保護しなくなったのです。白人社会と同じ態度を取るようになりました。  
世界には同志や親族がたくさんいます。私たちは彼らの運動と連携しようとしています。現在ベネズエラで米国の策謀で起こっていることをグループ研究していますし、グアテマラ問題で活動している人も」います。こえおはレッド・パワー運動やアメリカン・インディアン・ムーヴメントの延長線上のことで、何も新しいことではありません。本にも書いたように、PLOとも関係を密にしています。スタンディングロックにパレスチナの旗があるのはそのためです。 質問:今後スタンディングロックの闘いはどうなると思いますか。
エステス:最初、今のように長期的闘争を続ける構えではなかったのです。今やこの闘いは、カナダのキーストンXLパイプラインの米国内建設工事を止める闘い以上のものになっています。全部族が闘争に入り、闘争組織が整い、しかも敵もそのことを知っています。彼らは私たちに関する情報を収集しています。今やパイプライン設置の阻止闘争を越えて、私たちのコミュニティをどのようなものにしたいというヴィジョンをめぐる闘いになっています。いったんヴィジョンの火がつくと、もう止めることはできません。すべてのインディアン・カントリーが重要な形に結びついたのです。ヴィジョンが結束させるのです。  
地球上に前々からあったものが続けて存在できるように、あるいは生命の存続のために闘っています。長期的目標は、私たちがかってあったような形で、他の先住民ともども、スー族として存続し、発展することです―つまり、もし植民地化されなかったどんなふうに発展に発展できたでろうかを、これから見るのです。先住民だkでなく、すべての人々いとってよい未来とはどういうものかを、集団的に想像する闘いです。
http://jimmin.com/2019/07/09/2世紀にわたる先住民の抵抗から気候運動家は何を/

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